十三話 始まりの鐘
確かに草原から集落までの道には、落ちたら骨まで溶かすセルフ三途の川や足を踏み外すという想像だけで震えが止まらなくなる高低差の激しい丘は存在しておらず、比較的安全でした。
もっとも、不気味さや風景に擬態している魔物の恐怖は絶え間なく襲ってきたのですが。
ツヅルたちは少し歩調を速めにして歩きました。
理由はルシラなどの会員は北ミストレア森林に入ってから、ずっと魔物を警戒しっぱなしだったのでいよいよ疲れてきていたからです。
いや、集落に入っても安全とは限らないのではないか、と懐疑的なツヅルの問いに、集落には結界が魔物が入れないように結界が張ってある、とルシラは答えてくれました。
「でも、もう何年も前なんですし、今も結界があるかどうかは分からないんじゃないですか?」
「いや、あれは始祖様が張ったものだからな後100年は残るだろう」
彼女は額に浮かぶ汗を拭いながらいいます。
「始祖様?」
ツヅルはその聞き慣れない言葉に思わず聞き返してしまいます。
「ああ。知らないのか。……そうだな。現在は神暦1384年9月15日だが、この『神暦』0年以前に『旧神暦』という暦があったことは知っているか?」
確か、テルランから聞いたことがあったので頷きます。
「神暦はギ・ラークが魔王討伐を達成した年によって定められている。じゃあ、旧神暦はそれ以前のことか、という結論は半分合っているが、半分間違っている。旧神暦は通称『ロザイア暦』ともいわれている。ロザイアとは精霊王と呼ばれ続けたロザイア家のことで、旧神暦はロザイア家の初代当主ニースが誕生した時から神暦0年までを指すんだ」
思わぬ豆知識を得て、ツヅルは感心しました。
「じゃあ、そのニースという精霊王が始祖様なんですか?」
彼はそう推測しましたが、ルシラは首を振りました。
「確かに精霊族規模で見れば彼が始祖なのかもしれないが、エルフの『始祖様』は少し特殊だ。ロザイア家は世襲制ではなく、数十年に一回開かれていた魔力を競う大会の優勝者が時期精霊王となる風習があったそうだ。で、つい2千年前その大会でエルフが優勝したことがあるんだ。エルフ科が優勝したのはそれが最初で最後だった」
つい2千年前、という言葉に歴史の重みを感じます。しかし、ツヅルの前世でも宇宙について語る時にはたった数千年、なんて言葉も出てきたような気がします。
「だから、そのエルフ、マイユル・ロザイアが私の言った始祖様だ。彼は東ベストロジア――といっても、当時ベストロジア王国はなかったが――に根城を置いた。だから、私たちの集落には元は始祖様が住んでいた屋敷もある。まぁ、当時に現代の城のように大きな建物は建築はできなかったし、もう4桁規模で時が過ぎ去っているから、こじんまりとしたものだがな」
ツヅルは「おお」と口に出しました。今現在自分が亡命していることなどは忘れ去っているようです。
といっても、観光名所と化している城や遺跡はつまらないという持論を持ち、こういう満足に探索されてない古代の文明、文化にロマンを感じる人も少なくはないでしょう。
しばらく、そんなことを話していたのですが、ふとツヅルは魔物の姿が減ってきたことに気付きました。
「ここらへんには魔物はいないみたいですね」
「もうそろそろだからな」
まさに樹海と呼ぶに相応しい北ミストレア森林はいつかも語った通り超巨大で、かれこれ四半日ならぬ十二半日は歩きましたが、まだ最奥部までの道のりの100分の1にも達していないようです。
「私たちも奥までは行ったことがない。というより、集落から20キロ東に行ったところにある紅樹林に着いた時点で逃げ帰ったな」
「そんなに危ないところなんですか?」
「ああ、あそこには地面を泳ぐ凶暴な魚と木に化けた石化の魔法が使える魔物がいるからな」
まるで想像できません。そこそこ戦闘の上手いスラマイナたちでも退かざるをえないとは、さすが未踏のダンジョンと言うべきでしょう。
そんなこんなとしている間に昼なのに太陽光が浴びれない洞窟のような森林地帯を抜け、木漏れ日が差し込んでくる林に突入し、弓矢が転がっていたり切り株があったりと文明感が見られるようになりました。
麗らかな日差しと穏やかな風は新緑を思う存分表現していて、まだ初秋でありながら学校の入学式ないし卒業式のような謎の感慨と郷愁を抱かせる風景でした。
樹木も広葉樹から針葉樹へと変わっていました。
目を見張るようなザ・ファンタジーではなく、目を閉じれば浮かんでくるようなこの風景にツヅルは少しばかりの感動を覚えました。想像に難くないとはいえ、こんな自然の姿を見ることは中々ありません。
「何とか、無事に着きそうやな」
集落の旅路に当たっては全く役職を任されていない、スラマイナはあくびをしながら、呟きます。それを見て、今までずっと仕切ってきたルシラが恨めしげな目線を向けましたが、すぐにやめると、
「やっと、帰ってきたんですね」
と感慨深そうな雰囲気をまといました。
彼女にとって、集落は数年ぶりの故郷というだけではなく、奴隷商が襲ってきた時に同族であるエルフを見殺しにしたという罪過が襲ってくる場所でもあるのでしょう。
「まだ誰か住んでいるでしょうか?」
「ないな。全員死んだやろうし、それに私らは脱出する時『アークオスに向かう』と伝えたんやで? 仮に行こ残ったやつがいたとしても、ここに留まるわけないやろ」
「そうですね……」
アークオスとは精霊族が治めている国だということは前にも語りました。この国は語末に「王国」や「帝国」が付いていないことから分かる通り、通常の人間や獣人の国とは少し勝手が違います。
いわゆる直接民主主義で王、大統領という役職が存在しないのです。
なので、実質王のいない封建制と題するに相応しく、各国としてはこの国のことを何と呼べばいいのか分からないのです。
王がいないのだから王国、帝国はおかしい、国家を代表する人物がいないので「共和国」もおかしい、といったように――共和国はツヅルの前世では直接民主主義も意味も含みますが、この世界では直接どころか、間接民主主義も早過ぎるので適切な言葉が示されていません――。
因みに、我らがベストロジア王国を囲んでいるウェート山脈を挟んで、北東に存在するウェンス大陸には魔族が治めている国の内、最大の人口を誇るストロイ連邦国があります。
その名の通り、様々な魔族の国を飲み込んでかなり大きな国となっています。
アークオスの話に戻ります。
聞くところによると、入国するとき精霊族だけは審査もなしに入国できますが、その他の種族だとかなり面倒くさい手続き、さらには監視まで付けられるようです。
なので、当時のスラマイナたちは「アークオスまで行けば、危険な集落暮らしからおさらばできるであろう」ということでそう言ったそうです。
「じゃあ、何で向かわなかったんですか?」
ツヅルは気になったので横から口を挟みました。
「簡潔に言ってしまえば、西ベストロジアまでの船代がないからやな」
「『浮遊』じゃあ、無理なんですか?」
「まぁ、魔法能力的に見ればできんこともないやろが、法的に無理や。キタリ川を許可なく飛ぶと撃ち落とされるからな」
スラマイナたち精霊族研究会は食い扶持は身分と耳を隠しながら労働して何とか稼いでるようですが、さすがに十万レーは下らない船代を、しかも20人分稼ぐのは無理がある話でしょう。
「というか、スラマイナさんたちって働いていたんですね」
「もちろんや。前も言った通り、奴隷商が街にいるから耳は見せるわけにはいかないのが、ネックやけど」
「その奴隷商って、そんなに危険なんですか?」
「危険も危険よ。なんてったってアーキュリー随一の商会やからな」
「えっ、それって」
ツヅルは思わず耳を疑いました。彼の頭脳に存在する知識の内、その条件に合致する情報があまりにも信じられないものだったからです。
「ブルーノ商会や!」
スラマイナは隠しきれていない怒りを浮かべながら、叫びました。
改めて言われても疑問符が浮かびます。あの砂糖菓子造りに精を出していたラミロスがそんなことをするでしょうか。
しかし、その固定観念だけで判断しては滑稽もいいとこでしょう。ツヅルが考えていくと、胸中には二通りの可能性が浮かんできました。
一つ目はブルーノ商会を大きくするために非合法の人身売買に手を出した可能性。
二つ目は若い頃ドラント・ヴァルーユ商会で働いていたラミロスがその商会から追放される原因となった商売。即ち、彼がライバル、リゴグ・ザヴァラントに嵌められた商売がこの奴隷商だという可能性。
大凡、考えられるのはこの二つでしょう。
「本当にその商会なんですか?」
「ああ、集落で戦闘になった時に『ラミロスはどこにいる!?』って言葉を聞いたからな」
先程の考えの一つ目とスラマイナの言葉を合わせて考えてみると、会長であるラミロスが直々に戦闘場にいたというおかしな状況になってしまうので、これは誤りでしょう。
しかし、二つ目の場合、これは辻褄が合いそうです。奴隷となりそうなエルフを助けたとき、「ラミロスはどこだ、という言葉が聞こえた」と証言を言わせることができるからです。
ツヅルは納得しましたが、これをスラマイナに伝えるかどうかは迷いました。確かに彼女は真実を知って、恨む対象をブルーノからドラント・ヴァルーユに変えるでしょうが、結局奴隷商が彼女の集落を襲ったことには変わりがないのです。
正しい知識を得たところで、何も得られません。
「あ、見えてきました」
息を荒げて、死にそうになりながら歩いていたリーフが突然明るい声をあげます。ツヅルは思考の世界から現実に戻ってきて前を見ると、100メートルほど前方に藁と木で出来た古そうな家が目に入りました。
「おお、この結界懐かしいなぁ」
スラマイナも話を中断し――ツヅルには何も見えないのですが――、しみじみと前方を見渡しました。
「結界?」
「ああ、ツヅルには見えへんと思うで。精霊族しか見れんやつやからな」
なるほど、とツヅルは頷きました。僅かばかりだけエルフの血が入っているリーフは言われて初めて結界のようなものがあることに気付きたようで、驚いていました。
その家の扉の前にある落ち葉が全く踏まれていないところをみると、やはりもう集落には生物はいなさそうです。
彼らはとりあえず見の安全のために結界に入りました。ルシラなどは目に見えるほどに落ち着きました。
「後はグラベールたちを待つだけやな」
「大丈夫でしょうか?」
「まぁ、大丈夫やろ。魔物が少なくて、危ない地形が少ない道をわざわざ選んだんやから」
集落の中は静寂としていて、風ばかりが吹いていました。新石器時代やら古代やらを感じられる町並み、いえ村並みで、2階建ての建物はもちろん石畳などは存在しそうにもありませんでした。
良く言えば広々とした、悪く言えば寂寞としていて、アーキュリーやその他の街のような住宅がひしめき合って建てられているような風景は見られません。
集落郊外に畑と思われる場所がありましたが、もう数年も放置されているからか雑草が伸び切っていました。今からここで暮らしていこうというのは無理な話でしょう。
「じゃあ、しばらくは自由行動としとこか。次集まるのは夕食、大体3時間後や!」
最後の最後にスラマイナがそう指示を出すと、懐かしさに酔いしれているエルフたちは、各々元の自分の家と思われる民家へと向かいました。
「あれ、行かないんですか?」
側で佇んでいるリーフと「これから何をしようか」と悩んでいると、どこに向かうわけでもなくエルフたちを眺めているスラマイナとルシラが目に入りました。
「ん? ああ、せやな」
彼女たちはツヅルに聞かれて、初めて自分たちがぼおっとしていることに気付いたのか、2人一緒に歩き始めました。
「で、どうしますか? ツヅルさん」
「そうだなぁ。とりあえず、集落内を探索しながら、さっきルシラさんが言ってたエルフの始祖が住んでいた家にでも行こうか」
「……? そんなこと、いってましたっけ」
「そういえばリーフは体力が尽きていたか」
ああ、と納得したかのような表情をリーフは浮かべます。
「……あれですね。ツヅルさんと2人きりで探索、なんてあまりないので新鮮ですね」
「確かに、リーフは忙しいからな」
「そうですね。お父さんが帰ってきてくれれば、いいんですけど。本当にどこに行ったのでしょうか」
リーフは顔をしかめながらも妙に楽しそうに言います。
「ああ、そうだな。それよりも聞いていいか?」
「はい? なんですか」
ツヅルは「お父さん」という単語が彼女の口から放たれるとすぐに話を変えました。
御存知の通り、彼女の父、前エリー家当主であるアラティスはフォート伯爵邸で死亡しました。彼の死亡した時の姿を間近で見ていたリーフは現実から逃れるために記憶を改ざんした、というところもいいでしょう。
そして、彼女はまだその呪いから目を覚ましていませんでした。ツヅルに依存することはなくなったものの、未だにアラティスが急に失踪したと認識しているのです。
なので、リーフの頭のなかで、自身が現エリー伯爵家当主――もっとも、彼女は成人していないので爵位は受け取れていませんが――であることは一応矛盾していません。
これがツヅルが父親が死んだことを伝えられない理由でした。彼女は今非常に安定した精神状態にいるのです。これをむやみに壊すのはよくない、と彼は判断していました。まぁ、そこに「リーフに嫌われたくない」という逃げが含まれていないとは、口が裂けても言えないでしょう。
「3日前、暗殺集団が襲ってきた時のことだが、なんでリーフは宿屋からわざわざ出てきたんだ?」
しかし、この質問はその逃げであると同時に聞きたいことでもありました。
あの時間帯に外に出るのは危険だ、なんてことは生まれてこの方ずっとモハナトないしアーキュリーに住んでいるリーフには理解しているでしょう。
それにも関わらず、何気なしに丁度良いタイミングで外に出てきたのです。これは何らかの陰謀というと大げさかもしれませんが、働きかけがあったはずです。
「ああ、そのことですか……」
リーフは待ち合わせの約束を忘れていた時のように顔を歪めました。
「あの時、わたしは『庭に置いてあるじょうろを取ってきてくれませんか? 今手を離せないので』とシュラさんに言われたんです。まさか、あんなことになるとは思っていませんでしたが」
彼はその言葉を聞いて、驚きました。それが彼の想像を上回るような事実だったからです。偶然シュラがそんなこと言ったわけがありません。つまり、大胆に予想してしまえば、彼女はギ・ラーク教会の暗殺者と、更に正確に言うならばアルノ公爵と繋がっていたことになります。
(おい、ツヅル! 聞こえるか!?)
予想外の真実を考察していると、久しぶりにテルランの声が聞こえました。ひどく動揺しているように思われます。
(あ、ああ、なんだ?)
ツヅルがそう聞くと、彼女は言葉を紡ぐのが億劫になっているかのように黙っていましたが、やがて
(ツシータがいなくなったんじゃ!)
そう、彼に追い打ちを掛けるような残酷な言葉を吐きました。
さて、この後、彼に襲い掛かってくる全ての苦難の始まりの鐘は彼女の高いソプラノボイスによって奏でられたと言っても構わないでしょう。




