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神殺しの王となる。  作者: 唐松あせび
一章 モハナト革命
7/80

注解1 ベストロジア王国とクリーム草原の歴史

 この話はあくまでも番外編なので、読まなかったからといってストーリーの本筋の理解に支障をきたすことはありません。

 

 さて、ここで本題は少し置いといて、ベストロジア王国という国の成り立ちと繁栄について語りたいと思うのです。

 しかし、さすがに設定資料集のようにツヅルのストーリーと関係ない情報を一気に出されては困惑するばかりだと思いますので、青い蜂がいるとされているクリーム草原という一見可愛らしい名前の草原に関係するベストロジア王国のとある過去について述べていきます。


 ベストロジア王国は神暦1383年現在、現存している国の中ではかなり古い部類に入る国です。

 神暦6世紀頃までは王国の領地を北方面から南方面に叩き斬っているキタリ川から東の東ベストロジアと西ベストロジアはまだ一つの国ではなく、二つの敵国同士でした。

 神暦688年、騎士王と呼ばれたイト一世がその土地を支配し、ベストロジア王国を建国しました。

 神暦751~752年のラビンス統一戦争の勝利で初めてウェート山脈に囲まれた領地以外の領土を得て、そこから植民地戦争で連戦連勝を重ねたが、当時の新興国であるルリガイア王国によりラビンス大陸内の植民地戦争が捗らなくなると、神暦916年~918年に第一次ステイリー戦争を起こして、ラビンス大陸以外の海の先にある土地を獲得しました。

 全盛期は神暦1195~1197年の大陸分割戦争に勝利して、領土の面積が世界3位の時でしょう。

 この時の世界は神暦1186年~1236年のズウィード帝国半世紀革命の真っ最中であり、世界最大の帝国であったズウィード帝国の軍事力が弱まっている最中であったため、ベストロジア王国は当時の列強4ヵ国と合わせて「世界の右手」と呼ばれていました。

 しかし、その栄光も長くは続きませんでした。愚王として悪名高いイト28世が神暦1205~1215年の「闇黒の十年間」と呼ばれる時代を引き起こしてしまったのです。

 神暦1204年時点では12万の兵士と、5個の全ての大陸に最低でも平均的な国一個分の領土がありましたが、「闇黒の十年間」で起こった戦争の内、最後の戦争である神暦1214~1215年のネミカラ争奪戦争終了時点で、兵士は1000人、国土は建国当時のウェート山脈に囲まれた土地しか残りませんでした。

 そうして、疲弊しきったベストロジア王国は数十年間の休息時間へと入り、しばらくの間国際社会に姿を表すことはありませんでした。

 ですが、人間というのは同じ過ちを繰り返すもの。兵士と兵器を何とか揃え、神暦1300~1305年に世界を舞台にして起こった戦争である「世界大戦争」に臨みましたが、願い叶わず国力を消耗しただけで土地も金銭も権利も得られず、そこからは一切の戦争に参加せずに現在に至ります。

 ベストロジア王国の歴史を簡略すると、このようなものになります。

 実に700年間、国の名称も国家制度も変えずに生き残った国は少なく、そういう意味ではこの国は希少でした。

 そろそろ、クリーム草原に関わる歴史について述べます。それは、上の簡略史にも書いた神暦751~752年のラビンス統一戦争のことでした。


 その戦争で、ベストロジア王国――以下、王国――と戦ったのは当時ラビンス大陸に存在するウェート山に囲まれた地帯、端的に言うと王国の領地以外の土地を全て所持していたブラーニ帝国という国です。 

 つまりはラビンス統一戦争というのは、この戦争でブラーニ帝国が王国の土地を奪取すれば歴史上類を見ない大陸制覇が達成できたことから名付けられた名前でした。

 先程、王国はこの戦争に勝利したと書きましたが、一体どうやって大陸制覇間近の超大国に勝利したのでしょうか。それもこの後、植民地戦争を何回も起こせる国力を維持して、です。

 これには、魔法学を確立し人類に魔法という文明を与えたクルーラル・メラルトが王国出身であり、この戦争の5年ほど前に初めて「火球」を式で表すという偉業を成し遂げ、まだまだ向上心のあった王国が軍事的な意味でそれに興味を示したから、という理由も確かに存在します。

 しかし一般的には知られていないですが、一番は王国が行った人体実験の効果でした。

 応用魔法学の原点となった魔法毒を生み出し、霧状にしたり雨が降ると一緒に落ちてくるようにしたりと実用的な兵器を開発し、実際の戦闘で使用したのは王国ですし、純粋魔法学の理論を用いて爆発魔法を発見したもの王国です。

 魔法毒は現在国際法で全ての国で禁止されていますが、当時はそんな法は存在せず、主戦場であった現在のネミカラ公国の土地であるバオン草原で王国はその魔法毒を使用しました。

 魔法毒の毒性は強く、それのせいでバオン草原は現在はバオン荒原と呼ばれるほど荒れ果てました。ラビンス統一戦争中、そこではブラーニ帝国軍の総数の約半分が死亡したのです。

 それに加え、新たな兵器として登場した魔法を容赦なく利用した王国騎士団に為す術もなく惨敗したブラーニ帝国軍は結局大陸制覇をすることはできなかったということです。

  

 つまり、何故わざわざこんな話をしたかというと、魔法毒の人体実験の被験者となった人間の死体がクリーム草原に埋まっているのです。当然、埋めたのは王国でしょう。

 もちろん、もう臭いやら足場の悪さやらは全く感じられない状態になっていますが、不思議な事にその草原では度々魔物にもならなそうな昆虫が、今でもそれこそ冒険者の手助けを必要とする程の強さの魔物になって現れたりするのです。

 

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