四話 新たな始まり
やがて、アーキュリー邸に招待された9月9日になりました。
今日も今日とて目が痛くなるような快晴でしたが、対してツヅルの気分はなぜだか優れませんでした。
別に彼は超能力者ではないので、何かを示唆しているわけではないでしょうが、クラリスが平常時に呼びつけた理由も書いていない乱雑な手紙を送ることは考えにくいでしょう。恐らく、何かが起こったのです。
現在、クラリスを崇拝しているツシータ、単純に好奇心が旺盛なネリー、テルランと共に石畳をひた歩いています。
ツシータはクラリスに鍛錬の成果を見せようと思い、この2日間、ツヅルにも知らせずに出身の孤児院でずっと剣を振り回していたらしいので、まだ朝だというのに疲労感の溢れる顔付きでした。
また、何が入っているのかは分かりませんが、巨大なリュックサックを背負っていました。
「何が入ってるんだ?」
出かける時、彼女は滅多に鞄の類を持っていかないので、気になったツヅルは聞きます。
すると彼女は立ち止まって、
「武器よ。レイピアとか、サーベルとか、スピアとか」
「武器商人にでもなったのか?」
「違うわ。朝言ったでしょ。クラリス様にどれくらい上手くなったかを見せるためよ」
彼と出会った時からかなりの技術を保有していたツシータですが、時が経つに連れ、更に上手くなっているようで、今では主要な近接武器のほとんどを扱えるようになっていました。
なるほど、とツヅルは、彼女の背中の面積よりも大きいリュックサックが破裂しそうなほどに膨らんでいる理由を理解します。
「だが――」
そんなに膨らむものなのか、と聞こうとすると、
「そういえば、ツヅル! クラリっちゃんと相まみえたことがあるのか?」
横からネリーが割り込んできました。
喋り方は相変わらずですが、この世界では数学や理科系統の知識が特出しているツヅルや、魔法薬や魔法工作系が得意なメアと関わることによって知識を蓄え、「アーテル」内では一番魔法の上手いリーフ、物理最強のツシータと定期的に訓練することによって戦闘面の技術を磨き、謎のハイブリッド少女へと進化していました。
もっとも、まだ発展途上なので、「同年代には勝っているだろうが特筆すべき能力もない」程度ですが。
彼女の言葉は回りくどく難解で、理解するには思考力が必要なことが多々あります。しかし、今回の場合は簡単で「屋敷に呼ばれるほど仲がいいのか?」くらいが最適でしょう。
「一年半前にちょっとあって……。というか、ネリーも会ったことがあるのか?」
「うん! 『初等魔術概論』をもらった!」
「なるほど。あれは……」
そういうことだったのか、とツヅルが頷こうとすると、妙にそわそわしているツシータの姿が視界に入りました。
「ツシータ、どうした? トイレか?」
おどけたようにそういうと、
「えっ、……うん。準備してて、結局行ってなかったから」
と少し頬を染めた彼女は顔を背けながら、言いました。
「そうか……。もう、屋敷も近いし、借りさせてもらうか」
そういえば貴族の屋敷のトイレとはどのようなものなのだろうか、と途端に、ツヅルの思考はまた変な方向にずれました。
異世界に来たからなのか、子供並みの好奇心を発動させている彼は時折考える必要のないことを猛烈に考えることがよくありました。
今回も、といいたいところですが、その思考ワールドは肩を叩かれたことにより、中断されました。
(お主、そろそろ妾疲れたんじゃが、まだか?)
もうかれこれ4日間ずっと人型を保っているテルランです。
相変わらず口を用いての会話はできないようで、彼女の声が聴こえないツシータは彼らを見て、首を捻りました。
「何? テルランもトイレなの?」
(ちがうわ!)
「そうだっていってるぞ!」
(……こんの小娘!)
いちいち突っかかってくるネリーの満面の笑みに腹がたったのか、テルランは彼女に一瞬で近寄り、頬を引っ張りました。割りと、2人は気が合うようです。
ツヅルは苦笑しながら、歩きを再開しました。
彼らが踏んでいる石畳には幾何学模様が描かれています。聞く限りでは、これはモハナト初代公爵の趣味だったそうです。
人間性はともかく、ツヅルは彼のセンスはそこそこ気に入っていました。
さて、一年半前新しくこの街の領主となったアーキュリー伯爵家の1代目、即ちクラリス・アーキュリーはどんなセンスを持っているのでしょうか。
持ち主のセンスが分かる持ち物といえば、まず家でしょう。まぁ、市民の場合、景観のために周りに合わせないといけないこともありますが、貴族は違います。
彼女が元モハナト公爵邸を改装して造った屋敷は一言で言えば、「ガラス」でした。
まるで高層ビルの下が見下ろせるエレベーターのように、1階から3階までの窓がそのまま一直線に繋がっていて、庭にある大きな池にはガラスが張られていて普段ならよく見えない池の中心の底が見えるようになっています。
屋敷の門の左右には大人ほどの高さはある、大きな龍を形どったガラス材工が一つずつ置いてあります。
彼女にとって、ガラスがどんなものなのかは分かりませんが、相当思い入れがあるようです。
「あ、ツヅルくん!」
アーキュリー邸の正門まで来ると、元モハナト遠征部隊参謀長であり、今はクラリスの秘書をしているカルワナ・アガリィが手を振りながら、こちらに近づいてきました。
相変わらず、つり目で隈がありました。
「いや、ごめんね。わざわざ」
「何かあったんですか?」
「あー……、それはクラリスから聞いたほうが良いと思う。会談室で待ってるよ」
それを聞くと、ツヅルは歩き始めようとしましたが、冷や汗を掻きながら腰に巻いてある銀色のベルトを強く握りしめているツシータを見て驚き、足が動きませんでした。
「どうした……? 大丈夫か?」
「……う、うん。カルワナさんすいません、ちょっとトイレ借ります」
「誰かが着いていかないで、大丈夫なのか?」
ツシータは頷くと、正門を抜け、トイレへと駆けていきました。確か屋敷の端から端を繋いでいる一階の廊下の突き当りにあったはずなので、かなり長い旅になりそうです。
「ツシータ嬢……」
ネリーは心配げな目で彼女が行った方を見つめていました。
「よく来てくれた」
2階の会談室に入ると、窓沿いの机の近くで立っているクラリスが声を掛けてきました。神妙な顔付きをしています。
相当重要な話のようで、ネリーとテルランはカルワナと共に図書室へと向かわされました。
「何か、あったんですか?」
まず何が起きたかを知らなければならない、と思ったツヅルは、部屋の中央の近くの座り心地のいいソファーに座ると、聞きます。
クラリスは反対側のソファーに座り込み、しばしの間ためらっていましたが、やがて口を開きました。
「もしかしたら、今年のどこかで東ベストロジア内で戦争が起こるかもしれない」
鮮やかな赤色の髪に汗をにじませながら、彼女は言います。ツヅルは驚きました。
「そして、その片側は私たち、アーキュリーが担当することになりそうだ」
「……侵略ですか?」
この言い方からして、クラリスがどこかに攻め込もうとしているとは考えにくいでしょう。他にアーキュリーが戦争に巻き込まれる可能性がある状況といったら、侵略くらいしかありません。
「どこと?」
しかし、それには相手が必要です。クラリスはまた口ごもっていましたが、答えました。
「港街サーヴと宗教都市バルミザだ」
港街とはその名の通り、東ベストロジアと西ベストロジアを繋ぐ架け橋となるただ唯一の街です。どちらに行くにしてもこの街を通らねばなりません。
なので、必然的にこの街は大きくなり、今では東ベストロジア随一の発展を誇る街となっています。
また、アルノ公爵という貴族が治めています。
何故領主の名前がアルノなのに、街がサーヴという名前なのかというと、これが少し複雑でサーヴ公爵家が港街の名前上の領主だからです。
つまり、港街の利益や土地の所有権はアルノ公爵が持っていますが、しかし港街の領主自体はサーヴ公爵なのです。
別にそう長い話でもないですが、この状態になった経緯は今回は略します。
バルミザは宗教都市と呼ばれていることから分かる通り、ギ・ラーク教の東ベストロジア支部となっている街で、領主はゼルヴィスという教皇です。
「……せ、聖女ですか?」
モハナト革命の際、初代モハナト公爵が聖女の殺害をしたことが発覚しました。
「ああ。もし、これを国に報告すれば難癖を付けられて攻め込まれると考えていたから黙っていた。しかし、先日港街に潜り込んでいる偵察員が、港街の領主アルノ公爵とバルミザの領主の秘密外交の手紙の写しを持ってきたんだ」
「どこかから情報が漏れた……」
「いや、それはないだろう。そもそもモハナト革命時にモハナト公爵が傭兵を雇ったのはどこかから攻め込まれる危険を感じてたからなのだろう?」
その手紙は要約すると、『聖女のことを口実にしてアーキュリーを分割しよう』という内容だったようです。
クラリスは別に聖女を殺していないので、そんなのが通じるはずがない、と思われる方は多いでしょう。ツヅルもその一人でした。
しかし、この世界ではコロコロと変わる領主よりもずっと同じ場所にある街の方が価値が高く、前領主が犯した罪を現領主が償うということがよくあります。
今回もそうなる可能性が高いでしょう。
「私はこれをどうにかして回避しなければならない。だから、君に協力を頼みたい」
「協力、ですか……。しかし、もう回避しようがないのではないでしょうか? 港街を買い叩けるほどの財力があるのなら別ですが……」
「はは……。カルワナにも同じことをいわれたよ。まぁ、この街に本部を置いているブルーノ商会でもそれは無理だろうから、現実味がないのは承知の上だが」
ブルーノと聞いて、副会長のトラレルを思い出し、ツヅルはとあることに気が付きました。それは、
『残念なことに今皆出払ってるんすよ』
という彼女の先日の発言のことです。
ブルーノ商会ほどの大きな商会ならば、通常人員の切らすようなことはないでしょう。あの時は何か問題が起こったのだろうか、と他人事のように考えていました。
しかし、よくよく考えてみると、東ベストロジア全土を駆け回っている商会に務めているほぼ全員が出払わないといけないような問題なんてものはそうそうあるわけじゃありません。
もしかしたら、ブルーノ商会はこの『東ベストロジア戦争』を察しているのかもしれません。
「どうした? ツヅルくん」
「……いえ、何でも。とにかく分かりました。できる限りのことはしましょう」
アーキュリーがなくなってしまうのは、この世界に郷愁を感じないツヅルにとっても望ましくありません。
そもそも、ツヅルがモハナト革命を起こしたのは、アーキュリー伯爵という貴族の後ろ盾を得るためでもあったのです。それが失われるとあっては立ち上がざるをえません。
更に、この話にも利益は感じられます。仮に戦争を起こし、バルミザと港街を奪取すれば、クラリスは東ベストロジア王と名乗っても問題ないほどの権力を手にすることができるでしょう。まぁ、そんなに上手くいくはずもないでしょうけれども。
「ありがとう……! 君がいると心強い」
「……そんなに信頼されることしましたか?」
「私にとっては、モハナト革命時に君が残した功績だけで信頼に値する」
そうまでいわれては本気を出さざるをえません。しかし、あまりにも情報が少ないので、ツヅルは最大限の情報をクラリスから引き出そうとしました。
ですが、大したものは得られませんでした。
戦争を起こさないように動くルート、積極的にアルノ公爵やゼルヴィス教皇を没落させにいくルート、など様々な可能性を考えようとしましたが、ツヅルの脳ではこの事象があまりに大きすぎていまいち良い策が思いつきませんでした。
これ以上ここにいる必要もないか、と思った彼はため息を吐くと、立ち上がり、クラリスに挨拶をしながら会談室を出ました。
アーキュリー邸の図書館は何度か使用したことがあります。この街では一番のもので、ツヅルは何かで悩んでいるときは情報集めのためによく来ました。
戯文から、他国家の言葉で書かれた本、歴史書まで幅広く置いてあり、数年はこもっても飽きない場所です。
ガラス好きのクラリスの手により、屋敷の中は予想以上に光で満たされていました。眩しい光を浴びて、目を細めたツヅルは一階の図書館に向かうために階段を降りようとすると、
「あら」
例の大きなリュックサックを背負っているツシータがのそりのそりと階段を登ってきてました。
「もう大丈夫なのか?」
「ええ。ありがとう。クラリス様はどこ? ここにいるってことは話は終わったんでしょう?」
「ああ。そこの会談室にいる」
ツヅルはツシータとすれ違うと改めて図書館に向かいました。
鉄で枠を縁取られている木の扉を開けた先にある図書館では、黙々と魔法学の本を読んでいるネリーと恋愛ものの戯文を涙を流しながら読んでいるテルランの姿が見えました。
梯子や高台、幾連にも並ぶ本棚とそれに比べたら僅かばかりの机、椅子が置いてあります。さすがのクラリスも本をガラスで造る趣味はないようで、古書の香りの蔓延するたくさんの本が並べられていました。
集中しているために回りに気づいていないネリーの後ろに回りこんでみると、本には見たこともない数式がズラーと並べてあります。その魔法学書の名前は『中級無属性魔法』です。
理学書では難易度が初級は文字が多く、中級は数式が多くなり、上級になると再び文章が多くなるといいますが、魔法学もそれに漏れないようです。
ツヅルは来年騎士育成学校の入試を受けるので、そこそこ魔法学や歴史を勉強していましたが、それでもその本の内容は分かりませんでした。
ネリーの頭脳に感心しながら、今度はテルランの方にこっそりと向かいます。
今も涙をポロポロと流している彼女ですが、一体何がそんなに琴線に触れたのでしょうか。
(これは……)
丁度挿絵がついているページを開いていました。そこでは金髪碧眼の王子とピンクのドレスに身を包んだ姫が白馬の上で抱き合っているようでした。
(ん……? っ……! ……ツヅルか)
彼の気配に気づいたのか、テルランは振り向きました。
(それ、面白いのか)
(ああ! 獣人期に書かれた『帝紀と幼少王』という本じゃが、知っておるか?)
獣人期とは、一般的に神暦206年に人間が獣人に敗北してから、新暦8世紀中頃にクルーラル・メラルトが魔法を発明するまでの期間のことを指します。
こういうと意外かもしれませんが、人間という種族が歴史に存在感を表すのは、魔法を発明してからだと言えます。
新暦0年のギ・ラークによる魔王討伐は神に近しい所業だと言われていますが、逆に言えば当時の人間社会にはそれくらいしか偉業は存在しなかったのです。
(僕はあまり戯文を読んだことがないから、知らないな)
そう否定して、ツヅルたちはしばし静かな歓談に身を置いていると、
「ツヅル!」
とネリーが突進してきました。魔法学の本の方は一段落着いたようです。
さて、突進です。出会って間もない時にはむざむざとみぞおちを喰らいましたが、もう一年半も経っているのです。
ツヅルは軽く横に避けました。しかし、彼が成長するのなら、ネリーが成長しないはずがありません。彼女はまるでその行動を読んでいたかのように、急転換してきました。
ですが、やはり彼もその行動を警戒していたので、近くにいたテルランの本を剥ぎ取って腹の近くに構えます。
さて、ここまでは予定調和です。しりとりのリンゴ、ゴリラ……と続いていくテンプレートに似たものと言ってもいいでしょう。
場所は図書館。この地理を上手く活かしたものが勝利するということは2人の間では最早共通認識となっていました。ツヅルはネリーによって戦場を学び、ネリーはツヅルによって戦術を学んでいるのです。
まず、彼女は視線を右に彷徨わせました。当然、フェイントでしょう。では、それに対してのツヅルは死角となる左側に注意を向けることが必要となってきます。
しかし、素直にそうしてはネリーの術中に陥ってしまったといっても過言ではありません。恐らく、彼女はここまで企てているでしょう。
ここで、彼女の策に惑わされずに彼女をまっすぐ見つめるのは簡単です。しかし、ツヅルは左側に目線を向けました。
別に、ネリーだけがフェイントを掛けていい方なんてありません。あえて、その策に嵌まることによって、短期決戦を望んだのです。
まんまと罠に引っかかったと見るやいなや、自分自身が騙されたとも知らずにネリーは右側を通って突進してきました。
。ツヅルはネリーの頭をあらかじめ振りかぶっていた薄めの本で軽く叩きました。いえ、叩こうとしました。
「なっ!」
そう、全ては手中。ネリーは、突進を途中で辞めたのです。それをツヅルは眼で認識した瞬間、彼のみぞおちには衝撃が走りました。
彼女はそこで立ち止まっているのに何故だ! とツヅルは痛みが生じた左側を見ました。
「テっ、テルラン!? お、お前!」
いつもの無表情のまま、テルランは仁王立ちしていました。今ならば全てを理解できます。ネリーは囮だったのです。
彼女たちは類稀なる連携プレーによって、ツヅルの頭脳を上回ったのです。
「敵がいつも1人だと思っちゃあいけない……」
「……ねぇ、図書館で何やってるの?」
また、何に影響を受けたのは分かりませんが、妙に芝居がかったネリーの言葉は青筋を立てたカルワナによって途切れました。
「うう……。なんでツヅルだけ怒られないんだ……」
どうやら、カルワナは彼が2人に虐められていると思ったようで、幸いにも彼には叱責が飛んできませんでした。
その分、といっては何ですが、彼女たち2人は図書館で遊ばないようにと叱られました。
この十数分後にはツシータもクラリスに剣術の上達具合を見せ終わったようで、ツヅルたちはそろそろアーキュリー邸からお暇することにしました。
抱えている問題が問題なだけに、ずっといられては迷惑でしょう。
秋。また、今度はモハナト革命よりも大きい事件が起ころうとしているのが、分かりました。
しかし、まだ問題提起すら、行われていません。
港街サーヴ、その領主アルノ公爵とサーヴ公爵、宗教都市バルミザとその領主のゼルヴィス教皇。これらの人物がアーキュリーに戦争をふっかけようとしている。これ自体は何も不思議ではありません。この世界の文明レベルに置いては領土は大きければ大きいほどいいのですし、意図は明確です。
重大な事件が起きるかもしれない、というただ漠然とした不安は感じられます。
しかしながら、財力も権力も武力もない彼には現時点で何ができるわけでもありません。だから、ここは守りが安定でしょう。
ですが、守るも何も、もう全ては動き出していたのです。
その先駆けとして、次の日、彼らは聞くことになりました。アーキュリー邸が爆破され、クラリスが行方不明になった、と。




