三十七話 子爵とエルフの血 8
ツヅルたち3人はスラマイナにリトーンの相手を任せると、どこにあるかも分からないリーフの部屋に向かいました。
4対1の状況にして、勝利してから探し始めればいいじゃないか、と考えもしましたが、いくらリトーンが援軍を呼べない状況であるとはいえ、中々帰ってこない彼女を不審がって探しに来たり、偶然誰かが2階に上がってくる可能性だって十分にあります。
ならば、上の方法よりもリーフを探す3人と戦う1人に別れたほうがよっぽど効率的でした。
幸いなことに、スラマイナの戦闘能力はエルフの中でも相当なものらしいので、心配する必要もないでしょう。
「リーちゃんの部屋、ないわね」
彼らは必死に屋敷内を探し回りましたが、この屋敷の2階は広すぎて、尚且つ廊下が入り組んでいました。数十個はあるであろう部屋を一つ一つ見つからないように慎重に探すのは骨が折れる行為でしょう。
このまま全ての部屋を見ていくのがとても効率が悪いことは明白でした。
なので、リーフの部屋がどこにあるか、と多少頭を働かし始めました。
といっても、2階の大半の部屋が無人の部屋だと言うことを考えると、どこにでもあり得るでしょう。
(このまま悩み続けるより奔走した方がいいのだろうか……)
リトーンの方がもう片付いているのならば早急に見つけなければならない、とツヅルが頭を回転させていると、ここでとある推測が脳裏をよぎりました。
今日の宿屋前で、リーフがウェイトレス姿のままフォート家の馬車に乗ったということは、彼女の所有物はまだこの屋敷に運び込まれてないのではないか。それは、そんな一見何の役に立つのか分からないような推測でした。
しかし、それをフォート子爵邸の過疎具合と合わせて、こう考えても良いのではないでしょうか。
リーフはここに来た時に「自分の部屋を空いている部屋から好きに選んで構わないよ」と言われた可能性がある、と。
普通に考えてそんなことはありえないのですが、屋敷の2階には8割近い空室があります。自分の部屋の選択権を与えられた可能性を完全に捨てることはできないのではないでしょうか。
普通ならば考慮にも値しない考えですが、リーフの部屋に関して何の情報もないツヅルにとってこれは一考の価値があるものでした。
では、仮にこれが正しいとするならば、誘拐作戦が行われることを知っているリーフはどの部屋を選択するのでしょうか。
答えは幾つか考えられます。
1つ目は、絶対に逃げられなくなる結婚式場に着くまでにできるだけツヅルたちを援護するため、時間稼ぎとして最も遠い最奥の部屋を選んだ。
2つ目は、ツヅルたちに自分の部屋がどこかということを分かりやすくするために階段から最も近い部屋を選んだ。
最有力説はこの2つでした。
そして、この2つに絞れた時点でもうツヅルは彼女の部屋を編み出していました――もちろん、先程の仮定が正しいとするならばですが――。
『なるべく1人で分かりやすい位置にいてくれ』
以前、リーフに言った言葉です。
彼女はこれを忘れるような少女ではないことをツヅルは知っていました。
ということで、リーフの部屋は階段最寄りの部屋です。つまり、東側階段もしくは西側階段、どちらかにあるのが分かりました。
そして、西館の大広間にいたはずのリトーンが東側階段から上がってきたということを考えば、もう自明の理です。
先述のように、屋敷本館の2階は入り組んでいるのです。
「……1つ、考えがあるから付いてきてくれるか?」
答えを出したツヅルは2人に小さな声で呟きます。
「……えー、本当?」
最初、シャルインは訝しげな目で見てきましたが、ツヅルが頷くと、じゃあ行こうと彼に道を譲りました。まだツヅルは彼女には信頼されていないようです。
また、ツシータは彼がそう聞いた瞬間にはもう首を縦に振っていました。
何がどうなってそうなったのか分かりませんが、シャルインとは逆にツシータの彼に対する信頼度はかなり高い数値を示しているように見えました。
2人の了承を得ると、彼らはなるべく足音を立てないようにすぐに駆け出しました。
「ここのはずだ」
数分走ると、ツヅルたちは先程彼がリトーンの斬撃を命からがら避けた場所、東側階段に着きました。
それにしても、戦っているはずのスラマイナとリトーンの姿が見えません。
この場にあるのは、ツヅルが短剣を掴んだ時に滴り落ちた若干乾き気味の赤黒い血とその他にはスラマイナもしくはリトーンのものであろう血が壁や地面に付いているだけでした。
(魔法の跡がないから、スラマイナは苦戦していない。ということは、リトーンが敗戦気味になって逃げたところをスラマイナが追って行った、か)
ツヅルは落ち着いた表情でそう推測しました。
スラマイナがまずい状況でないのなら、特に気にする必要はありません。ツヅルは血を跨いで、階段から一番近い部屋の前に立ちました。
色々な問題がありましたが、やっとここまで辿り着けたことにため息を吐きます。
尤も、まだ革命やメアなど不安要素が山盛りであることをすぐに思い出したので、大したリラックスにはならなかったのですが。
「恐らく、部屋には使用人が何人かいるだろうから、Cさんは『濃霧』で部屋の中の視界を悪くして、その後に攻撃してください。TUは中の使用人を決して殺さずに気絶させてくれ。怪我はさせても構わないが」
この作戦に2人は異議がなさそうに頷きました。
まず、扉を開ける前に準備をしなくてはなりません。
シャルインは「濃霧」、その名の通り深い霧を発生させるだけの魔法の詠唱を、ツシータは先頭に立っていつでも突入できるようにします。ツヅルはリーフを部屋の外に連れ出すのが役目ですが、それでも「心打」一発分の詠唱を始めました。
「……できたよ」
さすがのシャルインもここでは大声を出せないのか、ほとんど聞こえないような囁き声でした。
彼女の好きなタイミングで扉を開けていい、とそれを聞いた彼はツシータに合図をします。
ここで失敗すればどうなるか、という心配で気が気でないツシータは1回深呼吸をすると、扉を思い切り叩きつけるかのようにして開けました。
シャルインはツヅルの方をチラッと見た後、開けられた扉の向こう側に「濃霧」を放ちます。
扉が開けられてから、霧が部屋全体を覆い尽くす前にリーフの自室と思わしき部屋の中身を少しだけ見ることができました。
その僅かな瞬間にツヅルが見たものは、4人の使用人がリーフの化粧やら着替えやらを手伝っている光景でした。
リーフがこの部屋に居ることに気づいた彼はガッツポーズをしようとしましたが、両手の手のひらにある大きな傷のせいでそれができませんでした。
早くファルに回復魔法を掛けてもらいたいな、と未だに回復魔法というものを見たことがないツヅルはそう思います。
1メートル先も見えない深く濃い霧は4人の使用人、シャルイン、ツシータ、そしてリーフの存在を消し去ったかのように見えました。
「うあッ……!」
突入してから数秒、人の呻き声と体が地面に倒れる音が2つ聞こえました。恐らく、ツシータとシャルインが使用人たちを気絶させたのでしょう。
(本当によくこんな戦力をこの場に揃えられたな)
ツヅルは自分の縁運に感激を覚えました。
個性的な奴ばかりですが、戦闘能力だけを見てみれば、そのほぼ全員がツヅルを遥かに凌駕する実力やポテンシャルを感じさせられる者たちでしょう。
ツヅルは、自分は才能が劣っていると感じているミーラを相手にしてやっと勝率が1割を越える程度の能力しかないのです。
そんなことを考えていると、短剣を抜く音が耳に入りました。恐らく、残った2人の使用人が武器を取ったのでしょう。
「心打」を後は放つのみツヅルは、リーフのいた所まで記憶を頼りにしながら駆けていきました。
そうすると、化粧台のその付近の椅子にリーフが使用人の1人に無理やり押さえつけられているのが見えました。
当然、自分の身を呈してでも彼女を守っているのでしょう。
「危ない!」
しばしの間、それを見物していると、シャルインの声が聞こえてきます。それと同時に魔法陣特有の音と鋭い風の音が部屋に鳴り響きました。
驚いたツヅルが振り返ってみると、すぐ1メートル前の床に短剣を持っている執事服を着た使用人が倒れています。
後数秒シャルインの対応が遅れていたら死んでいたかもしれない、とツヅルは思わず身震いしてしまいながらも、「心打」をリーフに覆い被さっている使用人の首に放ち、気絶させました。
「ふぅ……」
「心打」が4人目を昏倒させたことによって、もうこの部屋に敵はいなくなりました。それと同時に、数秒前は何も見えなかったこの白い空間も色褪せ始めました。
そして、さらに数瞬が経ち、完全に霧が晴れた時、ツヅルはやっと目的の人物と再会します。
「……ツヅルさん、ツシータさん」
リーフの誘拐計画の第一段階は完全に成功したようです。ここまで、被害はツヅルの手のみであり、他は切り傷すら負っていないのです。
しかし、ここでやっと折り返し地点といってもいいでしょう。まだまだ難所はいくつか存在します。
その内、最も困難なのはこの屋敷を抜け出すということでした。
「さて……」
――――――――――
少し前、スラマイナはリトーンと戦闘を繰り出していました。
「初対面で申し訳ないんやけど、死んでもらうわ」
彼女は祖母譲りの喋り方でそう呟きます。
奴隷商に襲われ、集落を出なければいけなくなったときにはまだ慣れない口調でしたが、今はもうこの喋り方じゃない自分が考えられないほどに、スラマイナの心に強く根付いているものでした。
祖母もまだ10代だった頃は普通のベストロジア語を喋っていたそうですが、北ミストレア森林にある集落にやってきたとある人間と出会い、その人の喋り方があまりにもおかしかったので、会話している内にそうなったらしいです。
その人間は、ミストレアという名前でした。
北ミストレア森林と南ミストレア森林の名前の由来にもなった「13世紀最高峰の冒険家」と呼ばれている男性です。
今思い返すことでもないので、スラマイナは目の前の敵を見ました。
ツヅルの、手で短剣を思い切り掴むという少し狂気が混ざっていた見事な格闘術によって転倒したリトーンは起き上がると、短剣をこちらに突きつけながら充血した目で睨んできました。
どうして叫んだりして警備員か何かを呼ばないのか、とスラマイナは思っていましたが、きっとツヅルの言葉が関係しているのだろう、とすぐに合点がいきます。
ファリースリに関係している、その言葉だけでも色々察せるものがあります。
一伯爵の娘がそれに関わっているとは考えにくいですが、実際リトーンは黙ったのだから本当なのでしょう。
しかし、そこはまだ問題ではありません。確かに、ファリースリは危険なものです。一人用の枕一個分の質量があれば、この街を壊滅に追い込めるほどに。
ですが、スラマイナが気になるのはもっと別のところでした。
それは、何故ツヅルがそれを知っているかということです。
今までツヅルのことを、少し頭の良い精神が成熟した子供程度にしか思っていませんでしたが、スラマイナはそうじゃないことに勘付きました。
ツヅルは――戦いのセンスはともかく、その頭脳は――明らかに常軌を逸した存在です。
もし、彼が戦闘の指揮をとってくれるのなら、あれも――
「はぁ!」
そんなことを考えていると、先程から攻撃の隙を狙っていたリトーンが襲い掛かってきました。
きっと、スラマイナが上の空だから今が攻撃タイミングだと思ったのかもしれないですが、
「――私は戦闘慣れしてんねんで」
十数名のエルフを引き連れて数多の危機を越してきたスラマイナが、敵と対峙しているときに本気で油断しているはずがありません。
先程、睨み合っていた間に魔法の応用技術の一つである「無音魔法」という詠唱速度はかなり遅くなるが、自分が魔法を詠唱しているところを気付かせない技術を使用して、「俊敏」を詠唱していたのです。
元々、スラマイナの素早さは貴族であるが故に戦闘に慣れていないリトーンを少し勝っているくらいでしょう。そこに「俊敏」が掛かっているのだから、負けるはずもありません。
両手に短剣を装備しているスラマイナは左手に持った短剣で、リトーンの短剣を防ぎ、右手の短剣で右腹から左胸に掛けて、切り裂こうと攻撃を放ちました。
もちろん、魔法を使うのがほとんどでしたが、格闘戦は二刀流で構えるのが彼女のスタイルでした。
リトーンは完全に不意打ちだと思った自分の攻撃が防がれたことに驚愕しているようでしたが、スラマイナの斬撃を避けるために勢い良く後ろへと下がります。
躱されてしまいましたが、スラマイナが二刀流を好んでいるのは勢い任せの連撃ができるからです。
空振りした右手の短剣を勢いそのままで逆手に持ち替え、後退したリトーンに一歩近づき右肩目掛け、刺突を行いました。
「ぐっ……!」
最初の一撃を避けたせいでバランスを崩していたリトーンの肩に見事に短剣は突き刺さりました。急に体を襲った痛みのせいか、彼女は右手に持っていた短剣を落ちるのが見えました。
ツヅルの手のひらとは段違いの量の血が地面に落ちます。
苦痛に歪んだ表情のリトーンは赤い絨毯をさらに赤く染め直した自分の血の中から左手で短剣を素早く拾い、スラマイナの足に向けて振り回します。
もちろん、ただ振り回すだけの斬撃が当たるはずもなく、少し後方にジャンプして避けると、
「……!」
それを見計らったかのようにリトーンは、スラマイナとは逆方向にある通路へと逃げ出しました。恐らく、あえて避けさせるために愚鈍な攻撃を仕掛けたのでしょう。彼女もすぐそれは察します。
ちょっと侮っていたな、とその退却方法に感心しながら、スラマイナは血のカーペットを踏み抜いて、追い掛けました。
人間は、1人1人は弱いのに今現在世界最多の数と最高の文明を誇っているおかしな生物だ。スラマイナはそう思っていました。
彼女は一度、右肘から先がなく、左腕は肩から消失していて、左足は骨が臼に挽いたかのように砕けており、右足からは筋肉が露出させている凄惨な状態の人間を見たことがあります。
しかし、そんなことになっているのにその人間は目の前の敵に立ち向かっていました。その愚かさは何故お前はそれで生きようと足掻いているんだと思うほどでした。
リトーンも、これほどではないがそうでした。
右肩に深く短剣を刺さると、やっとのことで逃げようとしましたが、やがてスラマイナに追いつかれて背中に斬撃をくらった。
その痛みは尋常ではないもののはずなのに、彼女はすぐに立ち上がって、左手の短剣でスラマイナを斬りつけてきました。
それを躱し、スラマイナが更に切り刻みます。しかし、リトーンは涙を流しながらも、叫ぶことはせず、更に逃げようと必死になっていました。
はっきりいって、正常の範疇を超えていました。
リトーンの短剣を廊下の隅に弾き、もう体が動かないのかその場で崩れ落ちた彼女の心臓に短剣を突き立てた時、
『人ていうのはね、自分だけの何かがあれば死ぬと分かっている戦にも挑める愚劣な種族なの』
自分も人間のくせにそんなことを言っていたとある魔女の言葉をスラマイナは思い出しました。
――――――――――
「おー、無事お姫様を救出できたんか」
ツヅルたちが部屋を出て、ルシラと連絡を取るためにスラマイナを探そうした矢先に、丁度良く戻ってきました。
外套についている返り血に気付いていないかのような陽気さで彼女は持っていた短剣をしまいました。
この格好で街中を歩けば間違いなく衛兵が飛んで来るでしょう。
「怪我はないですか?」
東側階段に差し掛かったところで、別に心配はしていませんでしたが、ツヅルは聞きます。
「あったとしても、お前のその手よりはマシや」
皮肉調の何時も通りのスラマイナでした。
命が切られるよりはましでしょう、とツヅルは返すと、「通信」を使ってくれと頼み込みました。
『こちらは完了した』
頷いたスラマイナは空中に魔力でそう書きました。そして文字に手を触れながら、短い詠唱を挟んだ後、ルシラにそのメッセージを送りました。
そうして、1分ほど待ったでしょうか。
何をやっとるんやあいつは、とスラマイナが若干苛立ってきた時。
非常に大きな衝撃音が屋敷全体に響き渡りました。それが爆発音にも似たものだったので、ツヅルは前世の癖で思わず身を屈めてしまいました。
「何が起こったの!?」
まず、その音が鳴り響いた後、言葉を放ったのはシャルインです。
その反応は至極当然でした。今日はリーフとオズワルの結婚式のはずであり、こんな屋敷が揺れるほどの音が鳴り響く予定はありません。
クラッカーにしても大きすぎますし、花火にしては外が明るすぎます。
そして間を開けずに、二度三度とその炸裂音が響き渡ると、スラマイナの元にメッセージが来ました。
『至急、助け求む』
ツヅルたちはこのメッセージを見て、体を硬直させました。スラマイナやツヅルですら、呆けた表情をしてしまいます。
一瞬この文字列が何と書いてあるか、彼らには分からなかったのです。
焦っているときや緊張しているときは時計が読めなくなるといいますが、これもそれに似たものでしょう。
ツシータやシャルイン、スラマイナの硬直はあくまで、ルシラたちが危機に陥る程の敵がこの屋敷内にいるということにでしょう。しかし、ツヅルのものは少し違いました。
『それにー、魔力が異常に活性化するんですー。いえ、それ自体はどうでもいいことなんですけど、過剰攻撃性と合わさると大事に陥るんですね』
ファリースリの説明をしているアールナの言葉です。
脳内にはそれが反復していました。
3/9、スラマイナの祖母の情報を改変。




