三十五話 子爵とエルフの血 6
「そういえば、アラティスさんの護衛2人はどこに行ったんですか?」
それから十数分が経ち、フォート家到着まで後10分も時刻になった時。改めて今日の計画を確認していた彼は、そういえば、と馬車にスラマイナ達が昏睡させたはずの護衛がいないことに気付くと、そう問いました。
「捨ててきたで」
「え!?」
さも当然かの如く言ったスラマイナの答えに彼は驚愕します。こいつ馬車から放り出してやろうか、と思うほどでした。
「いや、明らかにこの馬車の容量足らへんなー、思って『浮遊』でゆっくりとそこら辺の茂みに置いてきたんや」
一聞した限りではもっともらしいことに聞こえます。しかし、もしその2人が地面に落ちた衝撃で起床してしまったら、作戦が失敗する可能性だって発生するでしょう。
確かに馬車に乗せとくのもあまりよろしくないのでしょうが、それ以上にこのスラマイナの行動は危険なことでした。
「何で2人は止めてくれなかったんですか……」
絶賛会話中のルシラとグラベールに聞きます。
「……止めたんだが聞かなくてな」
ルシラは言いながら、そっぽを向きました。
「髪くしゃくしゃの刑までなら甘んじて受け入れます……!」
しかし、グラベールは全然反省していない、というか何かを心待ちにしているような表情でした。
その綺麗な長い金髪は既に、スラマイナの手によって純潔を散らしたのかボサボサです。
「それ、どれくらいの重さの罰なんですかね……」
「女の子の髪は命と等価! それをくしゃくしゃとできるのだから相当なものです!」
その問いにグラベールは、ふふんと擬音が付きそうなしたり顔を浮かべながら答えました。
「さぁ、その手でわたくしの髪を揺さぶって下さい……!」
興奮して自分の方に向かってくるグラベールを見て「あの研究所には変人しかいないのか?」と思いながら一歩後ろに下がったツヅルは、
「じゃあ、今日一日ものすごく頑張る刑でお願いします」
と子供相手するときのように優しさが籠もった声で――その実、呆れているのですが――言います。
「……はぁい」
その言葉を聞いて落胆したグラベールは、馬車の中心にいるスラマイナたちのところへと里帰りして行きました。
研究会は愉快そうですね、とツヅルはスラマイナに皮肉を投げ掛けます。彼女は何を返すでもなくカラカラと乾いた声で笑いました。
彼女たち3人が話しているところを見ると、やはり昔からの付き合いだからか仲がいいのが伝わって来ます。それだけに、集落襲撃という彼女たちを襲った悲劇がより悲惨なものに思えてきます。
ですが、この悲劇が彼女たちを襲わなければ、恐らくこのリーフ誘拐は成り立たなかったのです。
これが本当の皮肉か、とツヅルは苦笑しました。
「あー、何かまた緊張してきたわ」
フォート家まで後1分もないと行った頃、スラマイナは若干震える体を腕で押さえつけながらひとり言を呟きました。
いつもの自由奔放ぶりに比べて意外に怖がりなのか、とその様子を見たツヅルは思います。しかし、よくよく考えてみればこのリーフ誘拐というのはまさに生きるか死ぬかの戦いでした。緊張しない方がおかしいでしょう。
周りを見渡してみると、他の者も神妙な顔付きをしていました。
ツヅルは不安を感じながらも緊張はしていませんでした。これは彼が不安を感じることに慣れているからです。尤も、それがいいことかどうかは分かりませんが。
「皆さん、頑張りましょう」
決して上手とは言えませんが、ツヅルは全員に励ましの言葉を掛けました。
「さて、皆、着いたよ」
アラティスは門が開閉される音を聞いて、小声で呟きます。
チラッとツヅルは外を見てみると、空き家からフォート家の偵察をしている時に見えたガーデニングされている綺麗な庭を見ることができました。
馬車小屋が屋敷の左右の奥に1つずつあることは知っていましたが、聞くところによると、右側には位の高い貴族の馬車を、左側には低い貴族の馬車を停める場所らしいです。
この馬車は当然左側です。対して、リーフたちの乗っている馬車は幸運なことに右側へと向かいました。
もう、フォート家敷地内です。ツヅルやアラティス含め、8人は会話をすることができません。もちろん、もし結婚式に参加する貴族に会話の一端でも聞かれてしまったら作戦が崩壊してしまうからです。
馬車のスピードがだんだん遅くなって来ました。馬車小屋が近いのでしょう。
「……まだ、馬車小屋には沢山の貴族がいるだろう。私は1人でフォート家へ向かうから、君たちは周りが静まったら出てくれ」
アラティスは言うと、衣装を正します。
「……ツヅル、そんなに待って大丈夫なんか? 結婚式が始まって、人に囲まれたらさすがに助けられんぞ」
「……リーフはまだウェイトレス姿のままだったので、恐らく着替えたり何なりなどの準備で1、2時間は掛かるかと」
スラマイナの問いにツヅルは小声で答えます。しかし、その1、2時間でリーフを誘拐する機会を失うと考えると、決して長いとはいえない猶予でした。
「……それでは、娘をよろしくお願いします」
馬車が完全に止まり、「おお! 〇〇殿」など会話が外から聞こえてきました。完全に馬車小屋に入ったことが分かったツヅルは、外に出ようとしたアラティスを会釈で見送り、息を潜めました。
因みにどういう理由があるかは分かりませんが、この世界では下級貴族――主に、子爵、男爵、騎士爵――の呼称が、〇〇殿。上級貴族――主に、公爵、侯爵、伯爵――の呼称が、〇〇公。そして、王族は〇〇殿下もしくは〇〇陛下と統一してあるようです。
アラティスが出ていってから少し経って、馬車から降りた貴族たちが屋敷に向かい始めた時、ツヅルはスラマイナに小声でその理由を問いました。
どうやら、200年ほど前までは各爵位に違う呼称があり、例えば公爵などは王族からは〇〇公、下位の貴族からは〇〇公爵卿、同じ公爵からは〇〇殿、などかなり複雑な呼称関係があったそうでしたが、当時の国王であったイト27世は、覚えるのが面倒だということでこれを一気に取っ払い、現在のような簡単なものにしたそうです。
このイト27世という国王は優秀だということで民衆からは好感を持たれていましたが、一部知識人からの反応はよろしくありません。
彼が敷いた制度は『内政の見本』という本になり、現在でもベストロジア王国の貴族や王族の次期当主は必ずこれを教養として学ぶほど、優秀なものでしたし、外交も極めて優秀なものでした。
しかし、失態を犯していないわけでもありません。それは直接的には彼の責任ではありませんが、その一端となったのは間違いないでしょう。
神暦1186年にズウィード帝国半世紀革命が起きます。現在、世界最強の名誉をほしいままにしているラーカー帝国の初代皇帝イン・クロワーストが15歳の時に起こした戦争だそうです。
この戦争の発端を簡単に説明すると、1186年にズウィード帝国が少し前の戦争で奪い取った「ラーカー」という地域に圧制を敷き、それに憤怒を覚えたラーカーの住人が蜂起した、というだけの一般的なものでした。
当時、世界各国の王からは、ラーカーはどうせすぐに鎮圧されるだろうと思われていたようですが、そうとは思わない国王が1人いたのです。
それが、イト27世でした。
この革命が起きると彼は海軍をすぐに、当時ズウィード領だったタクファリ諸島――ラビンス大陸の西方に位置する島々――に攻撃を仕掛け占拠します。
この突飛な行動の理由は彼の手記によると、『ズウィードが革命の鎮圧の方に戦力を割いていることが判明すれば、他の国々――特に、ルリガイア、レドクロイトなんかは――はアルトークの領地を攻撃するだろう。もちろん、最初のタクファリ占拠以外はベストロジアは参加しない。そうして、アルトークと他の国々が度重なる領地争奪戦により、共に戦力を喪失したところで我々は大攻勢を掛ける』ということでした。
そして、彼のこの計画は神暦1195~1197年の大陸分割戦争という形で成功します。しかし、その成功は彼の考えていた完全なものではありませんでした。イト27世はこの革命の終わりを見届けられなかったのです。
この革命戦争は50年続きました。タクファリ占拠の時にはもう既に高齢だった彼はこの年月に耐えきれずにこの世から去ってしまったのです。
そして、彼の遺書により愚王と蔑まれたイト28世が王となりました。
イト28世は前王権時に所有していたベストロジア王国の領土をたった10年で12分の1にした「闇黒の10年間」を引き起こした人物なのです。もし、イト27世がイト28世の弟を王にしていれ神暦1383年現在もベストロジア王国の栄光は続いていたことでしょう。
「――というわけや」
何故貴族の呼称の話から戦争の話に飛んだのだろうと思いつつも、ツヅルはこの世界にも面白い歴史があったことで、内心愉快になりました。
戦争史や数学史などとにかく歴史好きなツヅルからしてみれば魔法が存在する世界の歴史、いえ異世界の歴史と聞けば興味が出てこないはずもありません。
そして、こんな話をしている間に時間は流れ過ぎ、やがて周りには足音一つ聞こえなくなっていました。
それが分かると、誰もいなくなった繋ぎ小屋の中を忍び足でツヅルたちは歩き始めました。
茶色の木材で出来ている小屋は、最早小屋と呼ぶのがおこがましくなるほど大きく、数十頭の馬車が紐で結ばれています。ここに強盗に入れば、そこそこの収入になるでしょう。
「くーっ! 貴族ってやつは」と、この小屋の半分の大きさもない家に10人以上のエルフと共に暮らしているスラマイナは嫉妬した様子でした。
「えーと、屋敷に侵入するまでは7人が共に行動するが、侵入が成功した後は二手に分かれる、だったか?」
ルシラは作戦を確認するためか呟きます。
その2つの部隊の内訳はスラマイナ、ツヅル、ツシータ、シャルインとルシラ、ファリー、グラベールとなりました。
まず、何故スラマイナとルシラが別のチームなのかということから語ると、それは2人が「通信」という魔法を使用することができるからでした。
「通信」とは、ツヅルの前世でいうメールのようなもので、アルファベットで最大50文字の文を魔力を用いて人に送るという魔法です。
どちらかといえば、電報に近いような気がしないこともないですが、魔力を所持している限りいつでもどこでも文章を送れるのですから、メールといっても差し障りないでしょう。
概要のところに人に送ると書きましたが、この人にも範囲があります。「通信」を問題なく使える者、という条件があるのです。
また、何故手紙すら書けない最大50文字なんて縛りがあるのでしょうか。それには、「通信」は上級無属性であり習得するのにも時間が掛かるのと同時に、トップクラスに高度な技術を要求するものだから、という理由がありました。
文字という精密なものを魔力で創りだすのは極めて困難なことで、シャルインが絶賛していたスラマイナでも最大28文字、ルシラが最大22文字です。
最大50文字というのはあくまで「通信」という魔法の理論的な限界であって、魔法が得意な種族である精霊族や魔族ですら、その限界に辿り着くのは難しいようです。
「魔法って奥が深いんだな……」
まだ下級魔法すら満足に扱えない自分を情けなく思いながら、ツヅルはひとり言を呟きました。
今まで欠点ばかり述べてきましたが、そんな欠点ばかりの「通信」にも当然メリットは存在します。
まず、この世界において短時間で特定の相手にメッセージを送れる手段はこれを除いて他にありません。先の条件さえ守れば、世界中どこでだってやり取りができるのです。
次に、消費魔力が異常に少ないこともその美点の一つでしょう。
「通信」で消費する魔力と、通常時に大気中の魔力を人間が吸い込むことによって自然に回復されている魔力ではどうやら後者のほうが大きいらしいです。
これはつまり、人生全てを「通信」を使用することだけに捧げても、魔力は死ぬ時まで一度たりとも尽きることがないともいえるでしょう。
ということで、こんな様々な性質を持つ「通信」の習得者である2人は別のチームに配属されたのです。
また、シャルインは「ジャミング魔法」とも揶揄される風属性魔法の使い手であり、屋敷の奥へ奥へと入っていかないといけないツヅルたちには必要な魔術師でした。
次に、ルシラチームですが、こちらは使用人ないし近衛などにツヅルたちが発見された場合を考えてのためです。つまりは逃走の時間稼ぎとして戦闘を担うので、前衛のグラベール回復役のファリーは必須でしょう。
「それにしても、何も知らない大衆たちから見たら私ら本当に悪役やな。結婚式当日にお姫様を攫うなんてな」
スラマイナが言いながら、苦笑します。
別に正義の味方に変身したいわけではないでしょうが、わざわざ悪に染まりたい者もいないでしょう。
「僕たちは正義の味方ですよ。悪役なんて現実に存在しませんから」
哲学的なことを無表情のツヅルは述べました。
さすがに堂々と正面の扉から屋敷に入るわけにも行かないので、ツヅルたちは馬繋場から出ると、屋敷の裏側に回ってみます。
「窓はあるにはあるが……、どれも開いていないな」
屋敷の裏手はガーデニングされている庭とは打って変わって、全く整備されておらず人並みの大きさの草木が乱雑に生えています。ここは管理されていないから滅多に人が通らない、と容易に推理できたツヅルは内心喜びました。見た目だけ良くして見えないところは雑なんてことはよくありますが、この場合はそれが実に有難かったのです。
舗装されていないので柔らかい土が足場となっている道には足跡一つありません。
まぁ、高い外壁と屋敷に前後を囲まれているこんな裏庭に来るのは盗賊くらいなものでしょう。
「どうする? ツヅル」
不安げな表情のルシラは立膝になると、小さな声で鍵の開いていない窓を触りながら言いました。
屋敷の人間に裏手に誰かいる、とバレたら困るので、彼らは屈みながらゆっくりと移動していました。
「魔法でどうにかできません?」
ツヅルは無表情そのまま呟きます。専用の用具など持ってきていないのですから、彼にもどうしようもありませんでした。つくづく準備が足りない作戦です。
「魔法もそんなに万能やないからな~。例えば、『波動』なんかでガラスを震わせて割る、とかもできるっちゃあできるけど、全面を一気に割るから音がなぁ……」
スラマイナが軽く首を振りました。
「僕も、盗賊とかやったことないので、ガラスをぶち破る方法とか詳しくないんですけどね……」
ここで、ツヅルは必死に打開策を思いつこうと頭を回転させます。すると、自分の前世での思い出がスッと脳内に浮かんできました。
彼は中学生に成り立ての頃、僅かばかりの間でしたがキャンドルというものにはまっていました。夜になると明かりを消してキャンドルだけで生活する、なんて前時代的な生活をしたこともありました。
そして、その夜。ツヅルがいつもの様にキャンドルを楽しんでいると眠たくなってきます。いつもならば火を消すのですが、試験が間近で忙しかったツヅルは寝落ち対策のため、ガラスのコップに火を付けたキャンドルを入れて、勉強に勤しみました。
深夜3時。何とか目的は達成したものの、眠気が絶好調に達していた彼はあろうことかそのガラスのコップの中に近くにあったペットボトルに入っている水で火を消そうと考え、それを掛けてしまったのです――息で消せば済む話なのですが、当時の彼は眠気でそんな考えも浮かんできませんでした――。
そうしたら、急にそのガラスのコップが割れ、破片が四方八方に弾け飛んだのです。
彼はこのことを思い出しました。
「確か『炎溶』という魔法がありましたよね? それを窓ガラスに使ってくれませんか?」
あのガラスのコップが割れた理由は熱された後に急激に冷えたからだ、と考えたツヅルは水属性魔法の一分野である氷魔法「氷石」の準備をルシラにさせると、スラマイナに「炎溶」を唱えてもらいました。
場所は大広間から一番遠い西方の角の窓です。最も音を拾われない場所といったらここでしょう。
その窓から屋敷の中を覗いて見ると、使用人の部屋が10室ほどあるのが分かりました。彼らは現在大広間、もしくは食堂でせこせこと働いているでしょうし好都合でした。
また、このガラスは何の素材からできているのだろう? と疑問に思いました。
窓ガラスは酸化鉛などから製造されたクリスタルガラスと同程度の透明度でしたが、この世界でそれを科学を用いて作ることができるはずもないでしょう。
ローマガラスよりも明らかに無色透明で、また触り心地からステンドグラス系ではなさそうでした。
フロートガラスに似ている気はしますが、ツヅルが2週間この世界を見物した感想からいうとありえません。この世界の科学レベルはツヅルの前世の7~8世紀程度に思えました。
尤も、魔法の存在によってこの世界の生活水準は中世、近世。或いは近代にも劣らないのですが。
(まぁ、結局、このガラスも魔法で作られたものなのだろう)
考えても無駄だったな、とツヅルは最終的にそう回答を出しました。
「それじゃあ、いくで?」
スラマイナが「炎溶」を詠唱し終わると同時にツヅルに声を掛けます。彼はゆっくりと頷きました。
もう、これを行ってしまったら本当に諦める術はなくなります。
負けて死すか、リーフを攫って勝利するか。そのどちらかの運命しか残されないのです。
しかし、この結婚式には様々な思惑が絡んでいます。ツヅルはファリースリのことを思い出しました。
別にその魔法薬のせいで何か迷惑を被ったことはありませんが、その件で利益を上げようとしている勢力が幾つもあり、そしてその内の1つに誘われました。
そう、このファリースリ戦を制した時に得られる利益や人脈が、まだ異世界に来たばかりのツヅルにとってはとても重要なものでした。
それに、リーフは助けたい、というのは紛れもない本心です。
選択肢は一つしかありませんでした。
「よっしゃ。パリパリ割れてくれや」
緊張が和らいできたのか、妙に楽しそうにスラマイナは「炎溶」を放ちます。
「おおー、熱されとる熱されとる」
指先からバーナーのように高温の火を出している光景はまさしくファンタジーでした。火の色は橙です。1分ほど炙っているとガラスにヒビが入りました。
「ルシラさんお願いします」
それを見てスラマイナが魔法を解除すると、ルシラが小さな氷の固まりをゆっくりと近づけました。
すると、決して小気味いい音ではないですが、先程火を当て続けたところが小さな音を立てて割れました。
これが平時なら誰かに聞かれたかもしれませんが、今日は特別な日です。沢山の貴族が集まっていて騒がしい大広間までこの音が聞こえてはいないでしょう。よし、とツヅルは腕をグーにして少し喜びました。




