二話 誕生
その少年は自分が草原に寝ていることに気付きました。布の服を着ている、いえ、布の服しか着ていません。
チラと見えた自分の手が小さく大人の物ではなかったので、それが彼に小さな違和感を与えます。
少年は寝ぼけた眼差しで周りを見渡しました。前方には今までの自分の人生の中で一番大きいと思わせるほどの巨大さを誇っている山々が連なっていました。登山者があの山の頂にもし辿りつけたとしたら喝采を浴びるだろう、と彼はまだ回転を始めていない頭で思います。
少し頭を物理的に回転させると、右方面には遠方に森があるのが分かりました。しかし、視界の端に薄ぼんやりと緑が見えるからと最初それが森であると判断しただけでした。それぐらい遠いのです。
そんなことよりも、それだけ遠くが見える草原の広さに彼は驚きます。その有限であろう草原は、今まで都市で暮らしてきた彼にとっては無限に広がっているように見え、どこまでも続いているのではないかと思わせる自然の迫力がありました。
ふと、後方から水の音が聞こえました。振り返ると湖がありました。湖を見ると猛烈に喉が乾き始めた彼は、水を飲もうと湖に近づきます。
「うわぁ!」
しかし、水を飲むことはできませんでした。彼の姿が彼自身の認識しているものと全く違うことに驚愕したからです。その容姿を一言でいうならば、9、10歳の頃の自分でした。
驚愕によって覚めた頭脳の大部分を状況整理のために運用します。この事態は彼にそれほどまでの驚きを与えました。
彼の動揺なんてまるで眼中にないかのように、日差しは朗らかで、ゆるいとは言い難い若干冷たい強風は起動直後のパソコンのように急激に熱くなった彼の体を心地よく冷やしていました。
「僕は、死んだのか?」
普通に生きている人間なら決して聞く事のない質問に答えられる者はいません。
何とか、結論付けようと彼はここに至るまでの自分の人生を思い出し、この状況について考えていきます。しかし、結局もっともらしい回答は浮かんできませんでした。
「どうして、僕はここにいるのだろう?」
その少年の名前は登張綴といいます。
――――――――
数十両の馬車群の最前方を走っている馬車に乗車している鮮やかな赤色の髪と眼を持っている彼女はクラリス・アルノといいます。
この国ではそこそこ大きい貴族、アルノ公爵家の五女で、21歳の若さでこの国、ベストロジア王国の騎士団モハナト遠征部隊隊長を務めています。
女性が騎士団の隊長? と思われるかもしれませんが、この世界では魔法という比較的体力の必要ない武器が存在するので、少なくとも戦闘面での男女性差は少ないのです。
彼女は騎士育成学校――ベストロジア王国の騎士になるためには必ず通わないと行けない学校――を12歳から16歳までの最短の4年間で卒業し、晴れてこの部隊に所属しました。
遠征部隊とは、国から街へと送られる騎士部隊のことで、街の治安維持に勤しんだり、強力な魔物を討伐している時や戦時中ならば戦力として輸送される部隊のことです。
この国では一隊500人で編成されていて、ベストロジア王国の街に一つずつ、合計20隊が送られるのが平時中の形でした。これは全戦力の10%を占めています。
それにしても、なぜ貴族の子女が騎士、即ち軍人という職業に就いているのでしょうか。普通、貴族の長女、長男以外の子供は政略結婚させられるのが一般的でした。
その理由はクラリスの特異性にあります。
彼女は子供の頃から金銭や身近な男子にはあまり興味を持たず、子供の頃は神話上の生物であるドラゴンや滅んだ帝国の都市などロマン溢れるものに大きく惹かれていました。
それに故にクラリスは冒険者になることを志願したのですが、彼女の父親、つまりアルノ公爵はそれを許してはくれませんでした。クラリスの容姿が淡麗だったため、公爵はなんとか自分よりも位の高い王族との婚姻が欲しかったからです。
ですが、まだ少女と言っても差し障りの無かった彼女は自分の要望を受け入れてくれない父親に反発して家出をしました。
家出したクラリスはすぐに冒険者になろうとしたのですが、しかし何も持ってきてなかったため食い扶持を自分でなんとかせねばならず、しかも短剣すら持ったことがないという戦闘能力が皆無の箱入り娘だった彼女は、その二つの不安を解消すべく名前を隠して、騎士育成学校に入学しました。
なので、騎士団ではクラリス・アーキュリーと名乗っています。クラリスという名前はありふれたものなので、親族にバレる気配はまるでありませんでした。
現在、クラリスは彼女らの所属する街モハナトの領主であるモハナト公爵から命じられた港街への物資輸送という仕事を終え、帰っていくところでした。
「私が至らなかったせいで、2人死んだ……」
クラリスは暗い表情でそう言います。
今回の遠征はかなりの物資を積んでいたためか――どこから情報がばれたのか分からないですが――道中の丘で山賊約100人に待ち伏せされていて、そこで戦闘となりました。
戦闘結果は2人死亡、3人重軽傷でした。無論、山賊は全滅です。
遠征部隊が戦闘が主の部隊ではないとはいえ彼女らは訓練を積んだ一端の騎士であり、まともな訓練さえもしていない徒党を組んだだけで、しかも武器が貧弱な盗賊に負けるはずがありません。それに奇襲されたにしては損害は小さいほうでしょう。
「隊長のせいじゃないです! 戦いになれば少なからず人は死にます」
「むしろ、100人を相手にしてこの被害は少なすぎ。隊長が山賊を見つけれなかったらさらに被害が出たはず」
同じ馬車に乗っていた騎士たちは口々に彼女を励ましました。
彼女は生まれ持った容姿や英雄的才能、誰にでも隔てなく接する憐れみ深さから遠征部隊の皆から好かれていました。クラリスはそんな騎士たちを見て少し元気づけられたのか、少しだけ微笑みます。
そんな時、山賊との戦闘後なので警戒して普段は行わない偵察を行っていたとある騎士が1キロほど離れた平原に人の反応を見つけた、と報告に来ました。
「あそこは南の荒原も近いし、人は住んでいないはずだが……」
報告を聞いたクラリスはそんなところで何をしているのかが気になり、馬車の機動を少しだけずらしました。
――――――――
綴は目をこすりながらこれからの予定を考え始めましたが、今自分がどこにいるのかすら分からない状態ではどうしようもありませんでした。生憎にも、街は眼には見えません。
仕方がない何かあるまで歩くか、と彼は渋々ながら決心すると立ち上がりました。
「おーい!」
そんな時、女性の声が聞こえました。
綴は辺りを見回すと、先程右方面に見えた森の逆から数十台の馬車がこちらへ向かってきているのが分かりました。それの先頭の馬車からは1人の女性がこちらに向かって手を振っています。
彼は人が来たことへの安堵感を感じ、ホッと安堵のため息を吐くと、歩き出しました。
「どうしたんだ? 君、こんな場所で」
その馬車達と合流した綴はその女性の一言で3つ驚きました。
一つ目は、綴が住んでいるはずの国では見られない広々とした平原で時代遅れにも甚だしい馬車に乗っている彼女が日本語を話したこと。
二つ目は彼女、正確にいえば彼女たちは武装していて、しかも武器は銃ではなく中世ファンタジーに出てきそうな細身の片手剣を背負っていたこと。
三つ目は彼の元いた世界ではありえない、染めたとは思えない赤色の髪の毛を彼女が持っていたことでした。
基本的に頭脳の位が一般人平均水準とそう変わらない綴はこの状況を見て、何を察することもなくただただ困惑するのみでした。
「なにも思い出せないんです。ここは何処ですか?」
とりあえず困惑している綴は典型的な策を弄しました。記憶喪失を装い、近くの街まで運んでもらうのとこの場所に関する情報を引き出そうというものです。
「記憶がないのか? ……まぁ、いいだろう。とりあえず入ってくれ」
しばらく訝しげに綴を見つめていましたが、彼が子供の容姿だったことが警戒を解いたのか、彼女は馬車の扉を開けて手で入れと促します。
その時「隊長、他人を入れるのは危険ではないかと」「大丈夫。危険な人物ならまずここにいない」という会話が耳に入りましたが、彼女に手を引かれたため、綴は気にせず馬車に乗りました。
「私はクラリス・アーキュリー。君は自分の名前は思い出せるか?」
凛とした面持ちのその赤髪の女性、クラリスは言います。胸や足など急所になりうるところだけを守っているかのようなおかしな鎧を着ています。
決して狭くはない鉄のような木のような不思議な何かで出来た馬車で、綴は数人の武装した人間に囲まれています。彼はすぐにクラリスがこの集団の長なのだなと察しました。
綴に観察眼があるか、と問われると首をひねるしかありませんが、少なくともこの推測は間違っていませんでした。
「……ツヅル・トバリです」
「ツヅル・トヴァーリ? 変わった名前だな」
若干の聞き間違えは自業自得だと判断して、ツヅルは記憶喪失の体でクラリスに現在地を尋ねました。
「ここは、細かく言うのならばイト41世が治めているベストロジア王国という国の、東ベストロジアと呼ばれている地域の中央付近の草原だ」
(……僕は夢でも見ているのだろうか)
ツヅルは教科書にすら載っていないであろう、しかも王国なんていう時代錯誤な制度を続けている国など聞いたことがありませんでした。
モハナトという最も近い、更に言うならクラリス率いる遠征部隊の所属する街に着くまでに様々な事を聞きました。
まず、ツヅルはこの世界が自分の住んでいた世界ではないと知りました。彼は確認のためにまず軍事力が世界一の国を聞いたのですが、それに対するクラリスの答えがラーカー帝国という聞いたこともないような国だったからです。
少し動揺しましたが、自分が死んだという事実を思い出して何とか心を落ち着けました。それも何だかおかしい気がしますが。
「ベストロジア、王国」
慣れない響きです。
ベストロジア王国という国はこの世界に5つある大陸の内、最も小さいラビンス大陸という大陸に属しています。
ウェート山脈――ツヅルが最初に見た巨大な山脈のこと――という通称「ドラゴンも越えられない山」と呼ばれている世界一巨大な山脈に国境のほとんどを囲まれているようで、陸からこの国を出る道は一つしかないようです。
交通には不便極まりないですが、それ故に防御が固くこの国が誕生した時から一回もその国土に他国の軍が入ったことがないという実に誇るべき歴史を持っていました。
また、国土の真ん中を縦から叩ききるかのように流れている船がないと渡れない程の大きく対岸がうっすらとも見えないほど大きな川、キタリ川もこのベストロジア王国の地理の特徴でした。
先程クラリスが東ベストロジアという単語を口にしていましたが、これはキタリ川より東を東ベストロジア、逆を西ベストロジアとも呼んでいるからです。
因みに、先程述べた陸から王国を出ることのできる唯一の通路は西ベストロジアにあり、今彼らのいる東ベストロジアは完全にウェート山脈とキタリ川に囲まれているようでした。
ベストロジア王国はその保守重視の国民性からか外交というものが苦手で一時期国際社会から捨て置かれていましたが、現在は先人達の努力の賜物として、俗に言う列強国には劣りますがそれでも中々の豊かさ、騎士団の強さを保持しているそうです。
そして、ファンタジー系の小説に出てくる魔物がいることや魔法という文明が存在していることを知ったツヅルは、前世とまるで違うこの世界に思わず辟易としました。
この世界にとって魔法とは、彼が元いた世界の科学に似た存在で無くてはならないものであり、魔法の研究は世界中で行われているらしいです。魔法の種類は攻撃、防衛、補助などのオーソドックスなものから、通信、生成など驚くようなものまでありました。
といっても、この世界の人類が「魔法学」なるものを確立したのはつい5百年ほど前で、それまでは獣人や精霊族、魔族が世界を治めていたようです。
獣人、精霊族、魔族という初めて聞く単語について問うと、なんでもこの世界には人間族、獣人族、精霊族、魔族という4種類の種族が存在するらしいです。種族同士の差別やら問題やらも当然あり、基本的に2つ以上の種族が取り仕切る国はまれのようです。まぁ、そうだろうな、とツヅルは納得しました。
獣人は人間の次に数が多く、身体能力が優れていますがその約半分が魔法を一切使えないという特性を持っています。妖精族、魔族は数が少なくその大体が人間よりも若干身体能力は劣りますが、その殆どが人間なんて目じゃない程の大火力魔法が使えるそうです。
一見全ての種族が平等な特性を持っているように見えますが、エルフ、魔族の身体能力は補助魔法などでどうにでもなるが、獣人の魔法能力はどうにもならないという点から一部の国で獣人は差別の対象となっています。
尤も、ベストロジア王国は獣人族の国ネミカラ公国、魔族の国メリラ公国と同盟を結んでいるので表面上他種族に対する差別などはないらしいですが。
このような常識の類を若干面倒くさそうな顔をしていたクラリスに遠慮の欠片も見せずにツヅルは聞きまくりました。
「そういえば、クラリスさんは貴族になりたいんですか?」
ツヅルは最後にそう質問します。これは、ただ庶民で一地方の防衛軍の一隊長であるクラリスが現在の国際情勢に詳しいことを疑問に思ったのでカマをかけただけでした。
「……そうだ。私はそういう目的があってここにいる」
クラリスは初めてその思いが見抜かれたかのように、数瞬動揺しましたがすぐに落ち着きます。
「そ、そうですか」
世間話としてふったつもりだったのですが、何故か彼女のその言葉に何か重い事情が隠されている気がして、続きを聞くことができませんでした。