零話 記憶の欠片は十二分 その1
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あなた。そう呼ばれた。
「なんだ?」
簡単な返事をしながら、振り向く。その暗闇色の吸い込まれるような眼と合った。
「私を、殺すんですか?」
「なっ……!」
動揺した。しかし、殺す方が殺される方よりも動揺するものをおかしいだろう。そう思って何とか、
「……知っていたのか」
と言葉をひねり出した。
「私があなたの全てを理解していることは、知っているでしょう?」
「逃げないのか?」
彼女は首を振る。その黒色の綺麗な髪も共に揺れた。首にあるたくさんの切り傷が見えた。
「私はもうこの世界にいたくありません。20と数年ばかりの短い人生でしたが、あなたといることで少しだけ救われた気がします」
「少し、か」
この頃には僕も調子を取り戻していたから、いつもと変わらないおどけた口調でそう呟いた。
そうすると、彼女も微笑んで、僕に向かって祈りを捧げるような姿勢になり、目を閉じた。いや、捧げるようなというのは失礼か。彼女は祈りを捧げているのだ。
僕は部屋の隅に転がっている猫のぬいぐるみをチラと見た。
「本当に、あなたがいてくれてよかったです」
「………」
目を開けた神妙な表情の彼女がまっすぐ僕を見つめてくるので、何だか気恥ずかしくて言葉が出てこなかった。
「あなたも目を閉じて下さい」
素直に目を閉じた。今までの記憶が鮮明に浮かんできた。
しかし、それは遮られた。
「ぐっ……!」
胸部を襲った激痛で。目を開けるとナイフを持った彼女の姿が見えた。
「私は死にます。でも、もう一人になりたくはないです。私はあなたが好きです。あの場所から引きずり出してくれたあなたが好きです。だから、綴」
――今度は優しい世界で一緒に暮らしましょう?
目を、閉じた。