8月14日
朝。
相変わらず暑かった。今年は異常気象らしい。毎年言われている気もするが。さっそくクーラーをつけて、亮平は涼んでいた。玄関の開く音がした。部屋の奥に足音が入ってくる。
母さんがなにか忘れ物でもしたのかなと亮平は考えていると、部屋の扉があいた。
「あ、ごめん。間違えた。」
バタン……。
扉が閉まる音が響く。扉を開けたのは、去年死んだはずの翠だった。
「は……?」
独り言なんて滅多にしない亮平が今までに出したこともないような大きい独り言をした。
「ちょ、ちょっと待て!」
いよいよ暑さでおかしくなったのだろうか。ベッドから飛び降りて追いかける。玄関に翠はいた。
「な、なによぉ そんな血相変えて怒ることないじゃない。ちょっと家を間違えただけじゃない」
「いや、そうじゃなくてだな。だってお前」
そういって翠の腕を掴もうとしたら掴めなかった。
「………死んでんじゃんかよ」
正確にいえばすけていて触れなかった。
「うん、だから帰ってきたの。お盆だから」
いつものヘラっとした顔で笑う。それは間違いなく翠だった。
「暑すぎてとうとうオレもおかしくなっちまったのか……」
「いや、だから私本物だよ。信じてよ」
パシっと、手を握られた。
「あれ……さっきは」
「私が触れたいと思ったものしか私に触れないみたい」
「便利だなぁそりゃ」
触れた手は温かかった。
翠が隣の自宅に戻ろうとすると、鍵が締まっていて入れなかった。仕方なく亮平の部屋で待つことにした。去年と同じように冷たいオレンジジュースを飲む。
「ていうか、そんな帰ってこれるもんなのか?」
「なんかね、よく分からないんだけど。死んでしまった次の年のお盆だけ帰ってもいいらしいんだよね。あ、でも二十歳以下だけみたい。大人になったらなんか体力が持たないんだって」
「ほんとかよ…。」
プハァとジュースを飲みきった翠はこっちをまっすぐに見て笑う。
「大きくなったねぇ」
亮平はなんて答えたらいいのか分からなかった。
「あのさ……あの日ごめんな」
「ん?なにが?」
きょとんとした顔で首をかしげる。
「オレがアイスなんて頼まなかったら」
「あぁ。気にしないで。運が悪かったんだよ」
気にしないで…か。もしコイツがオレの幻覚だったとしたら、オレは最低な奴だな。
「大丈夫だから!私はほら!見てのとおり元気じゃん!」
半分透けた体で、マッスルポーズを決めてくる。
「せっかくだからどっか行くか?」
「うん!あっちの世界からよくこっち見てたんだけどね。やっぱり実際歩きたいし」
ヘラヘラしながら気になることを翠は言う。
「……あっちって天国?」
「ううん。なんかね、天国も地獄もないみたい。別の世界があってね。そこで悪いことしちゃったら、いわゆる地獄?みたいなところに飛ばされるんだって。神様が決めるんだ。こっちで悪いことした人もあの世にとりあえず行くんだ。人間基準の価値観で決めた罪は、あんまり意味がないんだって。あっちの世界の講習で教えてもらったんだ」
「全然ついていけねーよ……」
「とにかく向こうはそんなに悪いところじゃないよ。亮平も一度来てみたらいいのに」
「ブラックすぎて笑えねぇ」
エヘヘごめんねと、翠はおどけてみせた 。近所の商店街をブラブラ散歩した。それにしても今年は本当に暑い。
「なんか懐かしいね。こうやって亮平と二人で歩くの」
「そうだな…。」
「なんか去年のことなのにずっと昔のように思えるね」
いつも明るく素直に笑っている翠が、寂しそうにつぶやいた。
「ごめん……」
「なにが?」
キョトンとした顔で翠がこっちを覗いてくる。
「だって……これからの人生、もっと楽しいことや、嬉しいことがお前にはいっぱい待ってるはずだったのに。オレのせいで」
「よく分からないんだけど……なんでさっきから亮平は自分のせいだって思ってるの?」
「オレがアイスなんて頼んだから……」
目を薄めて微笑みをくれる。
「大丈夫だよ」
悩まなくていいんだよ、と続けた。
「だって亮平は私に死んでほしくなかったんでしょ?だったら絶対亮平のせいじゃないよ。だから大丈夫。私、謝ってほしいからこっちに戻ってきたんじゃないよ、亮平に会いたかったから、だから来たんだよ」
「……翠」
「いっぱい遊んで、たくさん笑って、思い出たくさん作って戻りたいな」
もうなんて返したらいいのか分からなかった。あまりにも優しい翠。自分が死んでしまってるのに、それでもオレを元気つけてくれる。それにちゃんと応えたいと思った。
「おっしゃ。じゃあいっぱい遊ぼうぜ!」
「おーっ!」
商店街を歩くと翠がはしゃいだ。
「あ、コロッケ屋のおじさんだ!覚えてるかな?」
「覚えてるんじゃねーの?なんなら挨拶していくか?」
「ううん、いいや。これで忘れられてたら死んでも死に切れないし」
「あぁ、そりゃ困るなぁ」
商店街を抜けると公園についた。
「ここ、よく遊んだなぁ」
「かくれんぼとかよくしたね」
「たしか、お前隠れんの下手くそだったよな」
「えー、そんなことないよ。なんでか亮平が鬼のときだけ一番に見つかってただけで、他の人のときはボチボチの成績だったもん」
「そうだっけ?なんかお前が隠れてるところはすぐ分かったんだよなぁ」
「ストーカーだ」
「ちげえよ!」
「そういえば私が迷子になったあの日も」
あの日。そう、たしか小学校一年生のとき、翠が迷子になったときだ。あの日……。あの日はまだ四月だったか。夕方になっても翠が家に帰ってこなくて、翠のお母さんが家に訪ねてきたんだった。オレんちの家族も総出で探した。そのときオレはまっすぐ走って公園に向かった。なんでかは分からない。でも、なんとなくそこに翠がいる気がしたから。
公園で辺りを見渡していると、木の葉の間に女の子の姿が見えた。翠だった。木のぼりをしたのはいいが下りられなくなったらしい。
「おーい。帰るぞ」
「亮ちゃあん」
「なんだー」
「降りられないよぉ」
「あほ」
亮平はバッと両腕を広げて
「うけとめてやるから飛び降りろ」
「やだよ怖いよ」
「いいから。絶対オレが受け止めてやる。信じろ」
小さくコクンとうなずき
「いくよ?」
「おう」
―――ドサッ。支えきれず二人で倒れこんだ。しかしその腕の中には、きっちりと翠が収まっていた。
「帰るぞ…」
「……」
「泣くなよ」
「怖かったんだもん」
「でも、ちゃんと受け取ったろ」
「うん。ありがとう。信じてよかった」
「もう迷子になるなよ」
「大丈夫だよ。迷子になっても亮ちゃんが見つけてくれるもん」
「アホ」
腕の中で鼻水を垂らしながら泣かれたので、服がビチャビチャだった。
「あのときは大変だったなぁ。お前の鼻水で服がビチャビチャになってさ」
「ち、ちがうよ。あれは涙だからね」
慌てて翠が訂正するが、絶対あれは鼻水だったなぁと亮平は思っていた。
あの日登った木は、高校生になってから見たらずいぶん小さくなっていた。公園では小学生が元気よく遊んでいた。男の子と女の子。二人仲良くブランコを漕いでいた。
「私たちもあんな感じだったのかなぁ」
「仲良さそうだな。あの二人」
そう亮平がいうと、二人して同時に言葉がつまった。そして、ただただ幸せそうな二人を見ていた。これからくるたくさんの楽しさも喜びも、苦しいことも悲しいことも、きっと二人で、乗り越えていくのだろう。気がつくと日が沈みかけていた。
「帰るか」
「うん。なんか久しぶりに見たなぁ夕日。あっちにはないからさ」
「そうなのか」
「失って初めて、こんなにも綺麗だったんだなぁって思った。こんな綺麗な景色が毎日見れてたなんてね。私は幸せもんだったんだなぁって」
ずっと夕日を二人で眺めた。山に隠れて沈むまで見送った。
いつの間にか夜になっていた。
「じゃあまた明日。バイバイ」
「うん」
アパートのお互いの家の前で別れた。
また明日。バイバイ。
明日があることが、どれほど嬉しいことなのだろう。亮平は一人、部屋で泣いた。翠が自分に会いに来てくれたことが嬉しかった。翠が自分のことをこれっぽっちも、恨んでなかったことが嬉しかった。また翠の笑った顔が見られたことが本当に嬉しかった。今日一日だけで、翠はたくさんの優しさを、亮平に渡していた。
懐かしくて温かい。大切な優しさ。




