節足のシンデレラ
一羽のチョウが飛んでいた。
アゲハでもなければ、モンシロでもない。硝子のように透明な羽を持つそのチョウには名前がなかった。
一羽のチョウが飛んでいた。理由もなく舞っていた。
チョウが履いているものは透明なクツ。どんなに優美なステップを踏んだところで、何者からの称賛の言葉も、激励の言葉も返ってこない。
一羽のチョウが飛んでいた。理由もなく舞っていた。彼女は誰の目にも留まらない。
ガラスのクツはどんなに明るいスポットライトの下にあっても何色にも輝けないから。けれども、一度履いたガラスのクツは二度と履き変えられない。
一羽のチョウが飛んでいた。理由もなく舞っていた。彼女は誰の目にも留まらない。それゆえに彼女は何色にも染まらない美しさであり続けた。
人の目は貪欲で、獣の目は獰猛で、虫けらの目は貧困。彼女はそのどれにも犯されなかった。神様や星たちの目にすら汚されなかった。彼女は無垢であり続けた。
一羽のチョウが飛んでいた。理由もなく舞っていた。彼女は誰の目にも留まらない。
それはガラスのクツを履く彼女自身をも透明にしていく。愛を告げる視線も、愛を育む抱擁も、愛を奏でる言葉も。
一羽のチョウが飛んでいた。理由もなく舞っていた。
踊る相手を探すこともできない。魅せる相手を探すこともできない。彼女のステップは誰の目にも映らないから。そよ風たちさえも彼女の情熱の前を素通りしていく。
一羽のチョウが飛んでいた。
どれだけの時間踊っていただろうか。陽はとっくに沈み、妖しい月光が彼女に残された時間を囁く。
それでも彼女は踊ることを止めようとはしない。
美しくあるために。
誰の目にも留まらないのに。
何の理由もないのに。
たった一羽で。
そして時が零に還るとき、夢から覚めたシンデレラは埃に塗れた部屋で眠りに就くのでした。