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共感呪術  作者: 六神
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二章 闇色の剣

二章 闇色の剣






「うえーーー……頭痛い……」


 翌朝。


 メイシアは毛布を頭までかぶり、唸るように言葉を吐き出す。


 前夜、夜中まで酒を飲んだ結果がこの有様。


 立派な二日酔いである。


 ちなみに、彼女以上の量を飲んだはずのイリューザは、まったく平気そうな顔をしている。


「情けなぇなぁ。あの程度の量でこの様かい」


 イリューザはにやにやと楽しそうに笑いながら、脇でバスターソードの手入れをしている。


 彼の持論によると、酔いなんて代物は、気合いとケンカで跳ね飛ばすらしい。


 メイシアは、その言葉に「あぁ、ナルホドね…」深く頷いた。


 しかし、彼の酒理論で納得したところでメイシアが動けない事実は変わらず、結局、出発は延期された。メイシアは、自分のせいで足止めとなってはたまらないので、自分の体調には構わず出発してくれと言い張ったのだが、シオは、「気にする事はありませんよ。一日二日、遅れたところで困る程、急いではいませんので」と、気楽に笑ってすませた。


 ……単に、イリューザに睨まれたからなのかも知れない。


 そのシオは、二人から少し離れた窓際に椅子を移動させ、そこに腰掛けている。肩には黒竜クロツを乗せ、ぼんやりと窓外に視線を向けている。


「おい、シオ。てめぇ、どこに向かうつもりなんだ?」


 イリューザの突然の問いかけに、シオはこちらに向き直る。


「目的がどうなんて話は置いといてだな、北の、どの辺りに行くのかくらい教えてもわらねえと、こっちにだって準備って物があるんだ」


「……イリューザさん、本気で着いて来るつもりですか」


「本気も何も、昨日、そう決めたじゃねえか。いいから、とっとと吐け。でないと実力行使に出るぞ」


 ぐぃっと握ったバスターソードを突きつけられ、シオは情けなく肩を落とす。どうやら観念したらしい。黒竜は、そんなシオには見向きもせず、のんきにあくびをしている。


 そして彼は、はっきりとこう告げた。


              ドラゴンズベール

「大陸の北の端……。竜の住む谷に向かいます」


 一瞬の沈黙。


「竜の住む谷ですって!?」


 その名前に、メイシアは頭痛も忘れて飛び起きた。イリューザも、やれやれと頭を押さえる。


「ちょっと、シオ。あんた本気で言ってんの? それっておとぎ話の場所じゃない」


 しかしシオは、逆に笑みを返す。


「行かないと、駄目なんです」


 やんわりと言い返されてしまったが、その口調にははっきりとした意志の強さがあった。


 そして彼は、まるで歌うように語り出す。


「竜の住む谷。


 それはどこにあるとも知れない場所。


 竜が住むという伝説の地。


 太古の昔、竜はその場所から異世界に飛び立った。


 そして、わずかに残った者達の子孫が今も生き続けるという。


 だが、異世界に渡った竜を呼ぶ方法はある。


 竜の住む谷で特別な呪文を唱える事で、彼らは術者の前に降臨する」


 どこか遠くを見て、陶然とするように言葉を紡ぎ出すシオに、メイシアが妖しげな力と、不思議な恍惚感に引き込まれる。


「竜を、呼ぶ……」


 それこそ、まるでおとぎ話の一節にありそうだ。


 だが、それだからこそ、どこか心惹かれる魅力がそこにあった。


 しかし、イリューザは大して感銘を受けなかったらしく、退屈そうだ。


「ふぅん、物好きなやつだ。なんか、大昔にもそんな話があったな。竜の恐るべき力を手に入れ、国ひとつ消滅させた馬鹿がいるって話が」


「よくご存じですね。あまり有名な話ではなかったと思いますが」


「職業がら、あちこちうろうろするからな。そんな話、嫌っていうほど知ってるぜ」


「で、シオは竜に何かをお願いするの?」


「いえ、私はそこで人に会うのです」


 人当たりの良い笑みを見せ、シオは再び窓外に視線を戻す。まるで暗に、それ以上の質問を拒んでいるようにも思える態度だ。


 いや、実際、拒否しているのだろう。


 目的地を話す事も、彼にしてみれば大サービスに違いない。


 しかし……


(怪しい、怪しすぎるわ……)


 どう考えても、そんな辺鄙な(?)場所で誰かと会うような約束をしているとは思えない。なにせ、その名称は〈おとぎ話〉の中にしか出てこない。


 子供が夜、親にせがんで聞かせてもらうような物語。そんな、曖昧なものだ。


 だが、突っ込んで聞こうにも、恐らく、今の彼は答えないだろう。


(でも、その前に……)


 何よりも、まずこの頭痛が治まらなければ、考えもまとまらなかった。





「メイシアさん、つらそうですね」


 昼過ぎになってもメイシアの体調は回復せず、シオも心配そうにのぞき込むが、彼女はベッドの上で寝返りを打つのも億劫な様子だった。


 イリューザとシオ。男二人、メイシアのベッドの前で途方に暮れていた。


「お前さんも魔導士なら、こうぱっと治してやれよ」


「しかし、二日酔いに効く回復呪文なんて知りませんし……」


「別に、魔法なんてたいそうなもんじゃなくてよ、なんか薬草とか持ってないのか?」


「……すみません、メイシアさん。何の力にもなれなくて」


 シオは、メイシアの傍らに座り込み、叱られた子犬のように項垂れる。


「シオ、気持ちだけで十分だから……黙って……頭に響くの……」


 メイシアはもう、ぐったりとして指先も動かせない有様。それでなくても安宿なので、大柄な男二人が移動すると、床が軋み、振動する。それがまた、彼女の頭痛をあおる結果になっているのだが……その元凶である二人は、気づく様子もない。


「あ、そうです。頭を冷やせば少しはすっきりするかもしれませんね」


 ぽんと手を叩くと、シオは自分の荷物から布を取り出し、階下に向かって走って行った。


「おー。あいつ、昨日まであんなにつれなかったのによ、今はどうだ、愛されてるね嬢ちゃん」


「……馬鹿、何いってんのよ」


 確かに、なんだか妙に優しいような気がする。


 昨日までは、どれだけ騒ごうとも見向きもしなかったのに、今朝からは変に世話焼きになっている。


 一応、病人(?)なので、気を使ってくれているのだろうか。


 今までの事を考えれば、自分が動けないとわかった段階で、さっさと行ってしまう方が、むしろ自然な気がする。


 イリューザに脅されたから、などという理由ではなく、昨日の一件以来、彼なりに自分やイリューザを〈仲間〉として認めてくれているのかも知れない。


 ……最も、ずいぶんと曖昧な、ただの推測に過ぎないが。


 それでも、たとえどんな考えが彼にあったとしても、冷たくあしらわれるよりはずっとましだ。


「メイシア、聞いてるか?」


「うん?」


 どうやら、考え込んでいる間にイリューザの言葉を聞き逃していたらしい。


「ごめん、なに?」


「やっぱり聞いてなかったか。そうだな……お前、シオの事をどう思う?」


「ど、どう思うって……え、その……いきなりなによ!」


 イリューザの質問に、メイシアの体温が一気に上昇する。


「あいつは、あたしの住んでいた町がなくなったことをなんか知ってそうってだけで、そんな、なんというか……とにかく、情報源ってだけでそんな対象ではないというか……」


「なに言ってんだ、お前さん……。誰も奴を恋愛の対象に見ろってわけじゃない、どんな奴かってことだ」


「れ、恋愛ってそんな! あいつは変な奴よ。でもちょっと気にはなるけど……でも、違うからね!!」


 じたばたと真っ赤になってもがいているメイシアに、イリューザはやれやれと肩をすくめる。


「そうか、よーくわかったから、ちっと落ち着け」


 言って、バスターソードを担ぎ上げる。


「出かけるの?」


「あぁ、ちょっとな。シオがいるんだ、そんな心配そうな顔すんなよ」


「ーーー誰がっ!!」





 メイシアがため息をついていると、シオが何やら慌ただしく戻って来た。


「すみません、メイシアさん。ちょっと用事ができてしまいました」


「あら、あんたもなの?」


 その言葉に、シオはメイシアに濡らした布を手渡しながら、部屋を見回す。


「あの、イリューザさんは?」


「出かけた。それより、なんだか慌ててるけど、どうしたの?」


「実は、昨晩、仕事を依頼されまして、先程依頼人の方が来られたので、これから話を聞きに行くことになりまして……。ですが、今日は帰っていただきましょう」


「ちょっと、どうしてそうなるのよ」


「病人を一人残していくわけにはいきませんので」


「あのね……二日酔いは病気じゃないの、放り出してくれてもいいの!」


「しかし……」


「しかしも何もないの。あんたの仕事でしょ。あたしには構わず行ってきて!」


 シオはメイシアの勢いに押されたか、すごすごと窓際に立てかけてあった杖を手に取る。


 それに気づいたメイシアが、少し身体を起こした。


「ねぇ」


「はい、なにか?」


「それって、やっぱり魔法を使うときに必要な物なの?」


「はい、実演してみましょうか」


「……遠慮しておく。ちょっと気になっただけよ。だって、ただの木の棒にしか見えないし」


「持ってみます?」


「……」


「大丈夫です。呪いなんてかかったりしませんから」


 メイシアは、おずおずと差し出された杖を手に取る。表面はごつごつとしていたが、つるりときれいに磨かれている。木ぎれにしては重量があるように思えたが、それでも、ただの木の杖にしか見えない。


「なんかこう、あたしが考えていた魔法使いの杖とはちょっと違うみたいなんだけど。変な文字とか、水晶とかついてないし」


「魔法を使わないときは、これは見かけ通りの代物でしかありませんよ」


 行って、シオはメイシアから杖を返してもらうと、黒ローブを片手に踵を返す。


「それでは行ってきます。お腹が空いたら、下の食堂で適当に食事を取って下さい。支払いは、後でまとめて私がやりますので」


 ローブを羽織りながら、シオは出て行った。


 そして……


 一人残されたメイシアはというと、少しの間ベッドの上で唸っていたが、やがて意を決して起き上がる。


 途端に、鈍痛が駆け抜けたが、無視する。


「平気よ、二日酔いは病気じゃないんだから」


 と、先程シオに向けた言葉を自分に繰り返すと、メイシアは少々ふらつきながらもシオの後を追いかけた。





「ねぇ、ちょっと待ってよ!」


 宿を出てすぐの通りに、シオの姿があった。頭髪の銀以外は漆黒で、昼間だというのにそこだけ闇に沈んだように見えた。


 そして肩には黒竜が、血のように赤い眼を光らせている。


「大丈夫ですか? 無理をして悪くなっては元も子もありませんよ」


「退屈なのよ。それより、あたしもあんたの仕事を見たいんだけど、ついて行ったら駄目?」


「そうですね……依頼人さえよければ、問題ないでしょう」


「……来るな」


 ぼそりと響いた声に、メイシアは驚いて声の主を捜す。


 と、シオの黒ローブの影から、薄汚れた少年が姿を現す。


 自分より、頭ひとつ小さい少年を前に、メイシアはぽかんと間抜けな顔をする。


「もしかして、この子が依頼人?」


「はい、そうです。セゼルタさんと仰います」


「はぁ……そうなの」


 メイシアは、なんとなく納得できないまま、少年……セゼルタに向き直る。


「あのね、あたしはシオや、あなたの邪魔をするつもりないの。だから、一緒に行っても良いでしょ?」


 上体をかがめ、精一杯優しそうな声と表情を作ってみたが、少年はさっとシオの後ろに隠れると、シオには見えないようにメイシアに向けて舌を出す。


(な、生意気な子ね……覚えてなさい)


 メイシアは笑顔を引きつらせながらも、この場ではケンカを買うのはやめた。





(2)



「まだなの? その隠れ家って?」


 メイシアは額に流れる汗をぬぐう。いくら気候が涼しくなってきたとはいえ、今日みたいに天気の良い日に長時間歩き続ければ汗だくになってしまう。


「もう少し、だそうですけど……」


 シオとのそんなやりとりも、もう何度目になるかわからない。


「……いい加減にしてよね」


 メイシアは岩を掴んだ手に力を込め、半ば投げやりに身体を動かす。


 そう、今彼らは、急な斜面を手探りで登っていた。


 もっとましな道はないのかとごねるメイシアに、セゼルタは「じゃあ、帰れば」とどこまでも素っ気なく、シオはシオで、「道がこれしかないのなら仕方ありませんね」と、どこまでも気楽そのもの。


「クロツは良いわよね、飛べるから。早く大きくなって、あたしを乗せて行ってよ」


 見上げた先には、シオの肩を離れ、その辺りの空を優雅に飛び回っている黒竜の姿があった。


「ほら、ここだ」


 セゼルタが、斜面の途中にある岩棚に立って、下から昇ってくる二人に向かって手を振る。そこにシオがまず先に乗り、次いで彼がメイシアを上に引き上げてやる。


「……ここなの?」


 メイシアは、すっかり強ばってしまった腕をさすりながら、首を傾げる。


 彼らの眼前に、蔓や雑草で半ば覆い隠された岩穴が口を開けていた。


「穴がありますね、自然の物のようですが」


「みんなこの中だ。暗いから、気を付けろよ」


 言って、セゼルタが中に入ってしまう。


 残った二人はどうしようかと互いに顔を見合わせていたが、このままではらちがあかないと穴の中に足を踏み入れていった。


 内部は、入り口よりは広くなっていたが、それでもセゼルタのような子供がかがんで通れる程度の高さしかなく、シオなど完全に四つんばいでないと進めない。


 そして暗く、湿った穴の奥から、何かの気配がする。怯えて、小さく身を潜める複数の息づかいが聞こえてきた。


「何も見えないわ。シオ、明かり点けてよ」


「あ、はい」


 シオが四つんばいという不自由な姿勢ながらも杖を掲げ、口中で何やら呟くと、杖の先に淡い光が灯る。


「これでやっと見えるわ……!?」


 メイシアは、思わず半歩身を引いた。その後ろからようやく顔を出したシオも、わずかに表情を歪める。


「母さん、みんな。ただいま」


 湿った岩壁に、何人かの子供が座り込んでいる。セゼルタよりもまだ幼い子供達ばかりなのに、皆、眼だけが異様にぎらぎらと光り、身体は垢まみれで骨が浮くほどにやせている。


 そして全員がそろってシオ達をじっと見ていた。


 感情のこもらない、は虫類のような視線に、メイシアは言葉を失う。


「今日は、これだ」


 セゼルタが背中に背負っていた麻袋から、肉の塊を取り出し子供達に与える。途端に子供達は侵入者から興味を失い、肉に群がる。


 やがて聞こえるのは、肉を噛みちぎり、租借する音だけになった。


「セゼルタ……」


 さらに奥から、弱々しい女の声がする。シオが杖を持ってその闇を照らすと、ボロ布を敷いた上に寝ている女性の姿があった。


 セゼルタは嬉しそうに側まで駆け寄るが、女は指先ひとつ動かす事も出来ず、ただ視線だけで子供の動きを追うだけだった。


「この人だよ。昨日言ったろ。絶対みんなを助けてくれるよ!」


 喜々として告げるセゼルタに、女はようやく唇を笑みの形に歪めただけだった。


 女性は、この中の誰よりもひどい状態だった。やせているのはもちろんだが、乾いて張りのない皮膚に、落ちくぼんだ目。


 そして……鼻を突く臭気。


 セゼルタは何も思わないのか、嬉しそうに喋り、そして女の顔に耳を近づけて頷き、次いで二人を振り仰ぐ。


「おい、今日はもう帰っていいよ」


「って、帰ってくれってあんた、仕事はどうしたのよ!」


「今日は奴等は来そうにないからな」


「なに手前勝手なことばかり言ってんの。ここまで来るのにどれだけ大変だったか! 大体、奴等ってなによ。そこんところをもっと詳しく説明して欲しいわね!」


「知るか。おまえが勝手についてきたんだろ。俺はシオがいれば良かったんだ」


「なーーーんですってぇっ!!」


 メイシアは、狭い洞窟内という事も忘れてセゼルタにつかみかかる。しかしそこは小柄な相手の方が有利。あっさり逃げられ、後ろからシオに止められる。


 そしてそのままずるずると後ろに引きずられ……洞窟を後にした。


「もうっ! ちょっとシオ、いい加減に離してよ!!」


「まぁまぁ、メイシアさん。落ち着いて下さい。平和なのは良い事です」


 二人は元の岩棚の上で顔をつきあわせる。


「そりゃあ、確かにとっても貴重でありがたい事だけど。でも、それとこれとは別問題よ。シオは旅をしているんでしょ? あたしはもうすっかり元気。つまり、明日にはこの街を出て行って構わないわけ。だからこんな妙な仕事、今すぐ断っちゃいなさい!」


「それは駄目ですよ」


「前金もらったなら、突き返してやりなさい」


「約束、しましたから」


 シオは頭の後ろに手を当て、照れたように笑う。


 その様子に、メイシアはすっかり怒りをそがれてしまった。


「……わかった。もうあたしは何も言わないから」


「ありがとうございます。がんばりますから」


 そんな妙な意思表明を受け、メイシアは更にがっくりと肩を落とす。なりを潜めていた頭痛が再びぶり返してきた。


(あんなに怪しさ満載なのに、疑うってことしないの? それとも、何も考えていないわけ?)


 何となく、尋ねる事はためらわれた。


 もし聞いて、怖い答えが返ってきたら、ついて行くような真似なんてやめて、そのまま回れ右をしてしまうかも知れない。


 そして、彼らはまたもや例の絶壁を下り始めたのだった。


「ったくもう、シオも魔導士なら飛んでくれたら良いのに」


 メイシアはぶつぶつ文句を言いながら、斜面をゆっくり降りて行く。


 昔聞いた話には、魔導士は自由自在に空を飛んだりするという物もあったが、少し下を降りるお気楽魔導士にはそんなたいそうな術は使えないようだ。


(……良く考えたら、あたしはこいつの魔導士らしい所なんて一度も見た事無いのよね)


 杖の先に光を灯すことは、何度も見た。


 だがそれはかなり易しい部類の術になる。魔導士を目指す者でなくとも、よっぽど才能がない限り、多少訓練をすれば使用できる。その為、便利だからとその術だけを習得する民間人も多いし、そういった希望者に術を教えて小銭を稼ぐ魔導士も少なからずいる。


 メイシアはそこまでは知らなかったが、それでもシオの魔導士という職種にかなり疑問を抱いていた。


(別に、嘘吐かれて困るようなものでもないけど、やっぱりねぇ……)


 変に、色々と期待してしまうではないか。


 ふぅ、とメイシアは小さく息を吐く。


 と、その時、足場にしていた岩が突然崩れた。


 考えに没頭して注意が散漫になっていたメイシアは、とっさに対処する事が出来ず、手は岩場から離れ、そのまま身体は中空に投げ出された。


「メイシアさん!!」


 シオは体勢を崩し、落下するメイシアを見て、自身も岩を蹴って飛び出し、メイシアに向かって手を伸ばす。


 そしてーーー早口で何か、メイシアには聞き慣れない言葉を叫ぶ。


 メイシアは空に向かって虚しく腕を突き出す。


 それでもーーー掴むものも、支えるものも何にもない。


 地面に叩きつけられる衝撃を想像し、メイシアは目を閉じ、身体を強張らせる。


 その時……メイシアに風が近づき、彼女を取り込んだ途端、猛烈な早さで落下していた身体が停止した。


「え……?」


 がくん、と急に勢いが止まり、メイシアは驚いて目を開ける。


 地面に叩きつけられたわけではない、足は未だ宙にある。そしてゆっくりだが降下しているようだ。


「暴れないで下さいね。でないと落ちますから」


 見ると、シオも自分のすぐ近くに浮いている。二人はそのままふわふわと落下し、やがて地に足をつけた。


 そして彼らを取り巻いていた風も霧散する。


「……今の、なに?」


 自分の身に起こった状況がつかめず、メイシアは呆然とする。


「これは自分の周囲に風を呼び込んで、今のように落下の衝撃を緩和する術でして……」


「馬鹿ーーーーーっ!!」


 説明の終了を待たず、メイシアはシオを拳で殴った。


 そのまま後ろに吹っ飛んだシオは、背後にあった木に後頭部をぶつけ、そのままごろりと転倒する。


「なんでこんな良い物があるなら最初っから使わないのっ!!」


「メイシアさん……あの、痛かったんですけど」


 シオは頬を押さえながら起き上がる。むしろ、殴られた顔よりも後頭部の方が衝撃が激しかったと思うのだが、その辺はお互い気にならなかったらしい。


「痛いのがいやだったら出し惜しみしないの。おかげでこっちはあやうくつぶれたトマトになる所よ!」


「いえ、今のは出し惜しみでもわざとでもなく……純粋に忘れていました」


「なおのこと悪いわよっ!!」


 メイシアは情けなく転がったままのシオを無視してそのままざくざく踵を返し、行ってしまった。


 そして、ようやく空中散歩から戻ってきたクロツが、シオの肩の上で羽を休める。


「……メイシアさんを怒らせてしまったようですね」


 相変わらず、答えない黒竜に向かってシオは話しかける。


「でも……まともな術を使うのは、今が初めてだと言ったら、もっと怒られそうですね……」


 シオは、苦笑した。





「ったく、勘弁してよね!」


 メイシアはぶつぶつ愚痴を漏らしながら帰路を急ぐ。


「魔法使いだかなんだか知らないけど、人をこけにするのもたいがいにしてよっ!」


 出し惜しみではなく、忘れていたと笑っていた魔導士の様子に、メイシアは怒りを爆発させる。


「嫌な奴っ! じゃなくて、変な奴。妙だとは思っていたけど、本当におかしいわ。最初は得体が知れないって思ってたけど、正体不明っていうより、ただの変人よっ!!」


 しばらくは今までの不平不満がぼろぼろ口をついて出たが、その文句もつきてしまうと、メイシアはぴたりと口を閉ざし、眉根を寄せる。


 そして、ふぅと小さく息を吐いた。


(…………やっぱり、悪いのはあたしよね……)


 あの時は、落下した恐怖と宙に浮かんでいた体験で興奮していた。そこに、シオの平然とした態度についかっとなってしまい、思わず殴ってしまった。


 そして、少し時間をおいて落ち着いた今、さすがにやりすぎたと自己嫌悪に陥る。


 それにーーー。


 メイシアは、不意に立ち止まる。


 本当にシオが嫌な人間なら、自分だけ術を使ってさっさと降りていた事だろう。


 それに、昇る事ももっとたやすくできる術もあったかも知れない。


 そして……メイシアを、見捨てる事も。


 メイシアは落下しながらも、自分に向かって叫び、そして飛び降りて来たシオの姿を見ていた。


 出会った当初はとにかく冷淡に扱われていたはずなのに、彼は必死に自分を助けようとしてくれた。


 それに……助けてもらった事に、礼を言い損ねてしまった。


 結局、セゼルタの言うように、無理矢理自分がついてきたのが悪いのだ。それを棚に上げてシオを責めるなど、もってのほかだ。


 だがそれでも、気になったのだ。


「あーーーっ、もうっ! どうしろっていうのよ!!」


 盛大に叫びを上げる空は、既に夕暮れの色を見せ始めていた。





 夕刻。


 日の沈む直前が、一番視界がはっきりしない。


 闇でもなく、光でもない、曖昧な時。


「嫌な色だな……」


 その声色さえも、薄藍に染めてしまうようだ。


「なぁ、あんたもそう思わないか?」


 全身を、べっとりと何かの色で覆いながらも、それは笑っている。


 その足下には、別の人間の足先が見えた。


 崩れかけた壁と壁の間にある、狭い路地。そこに射し込む赤い光がゆるゆると引き下がって行き……やがて、消えた。


「じゃあな」


 少年とも、少女ともつかない不安定な声。その影が手を振ると、指先から壁に色が飛び散った。


 赤い、赤い飛沫が壁面を彩る。


 殺人者と入れ替わりに路地に現れたのは、背には分厚いバスターソードを背負った男、イリューザだった。


「……遅かったか」


 イリューザは、吐き捨てるように呟く。


 そしてまだ暖かい肉体を、慎重に眺めやる。


 倒れていたのは、中年の男性で、特に何の変哲もない……町人に見えた。


 全身を、これでもかとばかりに切り裂かれている。真っ赤に染まった身体を眺めやり、イリューザは呟く。


「次こそ追いつめてやる……セゼルタ」


 声は深く静かに闇に吸い込まれ、イリューザはそのまま踵を返した。






(3)



 翌朝の朝食の席には、シオ、メイシア、イリューザの三人が揃っていた。とはいっても、イリューザは二人が朝食を取りに宿屋の一階に下りるのとほぼ同時に戻り、ちゃっかり自分もその席に加わると、さらにどこに入るのかとばかりの料理を注文し、店主を驚かせた。


「イリューザさん、一晩中どこへおでかけだったのです?」


「へっ、男同士だ、そんな話はなしだよ。嬢ちゃんが目を回しちまう」


「はぁ……」


「はいはい、どーせそんな事だろうと思ったわよ」


 何も言わなくとも、メイシアはイリューザから盛大に酒の匂いと、それに混じって独特の妙に甘ったるい匂いをかぎつけていた。


 恐らく、酒場か、盛り場に長時間いたのだろう。


 別に咎めるような立場にいるわけでもないが、それでも多少不機嫌さが顔に出てしまう。


「そんな話より、こっちだ。この街に未だいるつもりなら、ちょいと儲けてから出ないか?」


 イリューザは言いながら、懐からごそごそと折りたたんだ紙を出してくる。


 日付から見て、今朝発行されたばかりの物だ。


 それはこの町と、その近辺での賞金首のリストだった。


「昨日、おとついも連続で人死にが出ているんでな。役所の方もとうとう重い腰を上げたって寸法だ」


「二ヶ月で十六人……。ずいぶん多いですね」


「全部が全部同じような手口だからな。しかし、よくもまぁここまで放っておいたもんだ」


「うわぁ、連続殺人鬼ってやつ?」


 メイシアがリストを読んで顔をしかめる。


「この殺された方々には何か共通点等があるのでしょうか」


「役所はないっていってるな。無差別だって」


「あ、やな笑い。イリューザは何か知ってるわね」


「ふふふん、そう見えるか?」


 イリューザはさも意地が悪そうににやにや笑ってみせる。それを見て、シオはやっと得心がいったとばかりにあぁと呟く。


「何か重要な手がかりでも掴みましたね。それで、私と組んでその殺人鬼さんを捕まえるつもりですか?」


「その通りだ。いいか、聞いて驚けよ。俺は殺された人間の知り合いから、犯人らしき人物の情報を仕入れたんだ」


「それ、すごいじゃないっ!」


「役所には言ってあげたのですか?」


「ふはははっ、言うわけないだろうが。あんな無能な奴等に手柄と賞金持って行かれるなんて、お前も悔しいだろ?」


「別に、私はここのお役所さんに特に何の感想も持っておりませんが……」


 未だ酒が残っているのか、げらげらと機嫌良く笑っているイリューザの態度に、メイシアはぴんと来る物があった。


「もしかして……。イリューザ、あなたってばこの殺人鬼に賞金かかるまで待ってたとか!」


 メイシアの言葉に、イリューザはぴたりと笑いを止めたが、それも一瞬ですぐにまた底が抜けそうなほど笑う。


「だってよう、飲んだくれのおやじの言う事なんて誰が真に受けるかよ。それが今朝役所に行ってみれば、聞いた話とそっくり同じな事件の手配書が回ってやがる。俺はついてるぜ」


 だから賞金を山分けにしようぜ。と、イリューザの調子はどこまでも軽い。


「だったら自分で行けばいいじゃない!」


「それがよ、相手も潜伏先まではわからないらしくてな、一人で探すのはちぃっと骨が折れそうなんだよ、だから手伝え」


「うわ……自分勝手……」


「無理ですよ、イリューザさん。私はこれから依頼人の所に行きますので、その殺人鬼さんを探すお手伝いは出来ません」


「んなつれない事言わずによ。特徴だけでも教えるから、ついでに探しといてくれよ」


「シオ、駄目よ断っちゃいなさい」


「はぁ……」


「とにかく、そんな話はおいといて、ご飯にしましょう!」


 メイシアはちょうど運ばれてきた焼きたてパンの籠を店員からひったくると、どんとテーブルの真ん中に置く。香ばしい匂いがふわりと広がり、イリューザも観念したのかやれやれと肩を落としてパンに手を出した。





 そして朝食が済んでしばらく後、部屋に戻っていたメイシアの所にシオがやってきた。杖を持ち、ローブを羽織っているところを見ると、これからすぐにでも出かけるのだろう。


「今日もあの子の所に行くの?」


 朝のあの様子では、シオはセゼルタの依頼をはねつけるつもりは毛頭ないらしい。殺人鬼を追いかけ回す手伝いもどうかと思うが、昨日の有様を見てからメイシアは、セゼルタの所に行く気は失せていいた。むしろ、シオが断らなかった方が不思議だ。


「もう、外にいらっしゃいますよ」


 シオの指さす先、宿屋の前にある建物の影に、セゼルタが隠れるように立っているのが見えた。


「……そう。じゃあ、いってらっしゃい。あたしは遠慮させてもらうから」


「おう、なんだシオ、出かけるのか?」


 そこに耳ざとくイリューザが現れる。シオは何やら嬉しそうにしている男を一瞥すると、小さく息を吐く。


「生憎、イリューザさんの用事とは違います。これは別件でして、ちょっと出て来ますので……」


「んだよ、つれねぇな。どんな儲け話だ?」


「ちょっと、イリューザ。妙な期待しちゃ駄目よ。シオはこれからなんだか良くわからないけど、狙われている母子を助けに行くの。報酬なんて貰えるかも怪しい半慈善行為をしに行くの」


「メイシアさん、言い方があんまりです……」


 確かに突き放した言い方だが、実際問題依頼の内容が不明瞭すぎるのも事実で、報酬が期待できそうにないのもほぼ、確定事項だ。


 だがしかし、


「よし、それなら俺がついて行ってやる!」


 と、イリューザは逆に喜々として乗ってきた。


 さすがに二人とも、返す言葉を失う。


「あのさぁ、イリューザ、あたしの話を聞いてたの?」


「ばっちりとな! 悪漢に狙われたか弱い市民を守る為、報酬も期待せずに己の身を捧げる。泣ける話じゃねぇか!」


 イリューザはばしばしシオの背中を叩くと、さぁ行くぞとばかりに彼の背を押して、そのまま出て行ってしまった。


 一人ぽつんと部屋に取り残されたメイシアは、その姿のまましばらく呆然としていた。


「……もしかして、イリューザって……ただ単に、暇なの?」




 しばらく宿屋でごろごろしていたメイシアだったが、結局、退屈さに負けて身を起こす。


 そして、


「……なんか、すっごく悔しいけど……行こう」


 ぶちぶち文句を口にしながらも、メイシアはシオ達を追いかける事にした。


 依頼に納得したわけではない。


 ……暇なのだ。


 半ば自己嫌悪に陥りながらも、メイシアは昨日と同じ道を通って彼らを追いかける。多少時間が経っている為、当然姿は見えない。それでも、あの洞窟まで行けば会えるだろう。


 そう考えて先を急いでいると、メイシアは自分の斜め後方に、不自然に動く影を見つけた。それは彼女の後ろを一定の感覚を持ってついてきている。尾行にしては、あまりにも粗が見える行動だし、方向が一緒の通行人にしては、やけにこそこそしている。


「…………ふん」


 メイシアはくるりと方向を変え、手近の路地にするりと入り込む。そこは上手い具合に道の半分が木箱でふさがれており、メイシアはとっさにその影に隠れるようにして相手を待つ。


 そして案の定、急に道を変えたメイシアに驚いたのか、尾行者がきょろきょろと周囲を伺いながら路地に顔を突っ込んでくる。


 しかし、そこで木箱の影に隠れていたメイシアとばっちり視線が合ってしまう。


 互いに一瞬顔を見合わせたが、尾行者の方が先に隠れてしまう。それでも、木箱の向こうに身を潜めているのはわかった。


「……あたしが笑っている間に出て来なさいよ」


 声にこもった気迫を感じ取ったか、隠れていた影がおずおずと顔を出してくる。


 それはボロ雑巾のような格好をした、幼い子供だった。


 きょろきょろと落ち着かなく周囲を見回し、メイシアにも怯えたような目を向ける。


 メイシアはその子供の容貌に引っかかりを覚える。年齢は五歳くらいだろうか、それでも、ごく最近、良く似た人物を見た事がある。


「あんた、セゼルタの兄弟?」


 相手が年端もいかない子供だとわかり、メイシアも言葉尻を柔らかくする。そして相手を刺激しないようにしゃがみ込んで子供に視点を合わせた。


「どうしたの? なにか、あたしに用事?」


 なるべく優しい声で語りかけてやる。子供は、怯えたような表情はそのままでも、メイシアのふわりとした微笑みに、多少警戒を緩めたようだ。


「あたしはメイシア。あなたのお名前は?」


「……シェル」


「そう、可愛い名前ね」


 言いながらも、メイシアはどうしてこの子供がこんな町中に現れた理由を考えていた。


 昨日のあの様子を見れば、遊びに来たというわけでもないだろう。


「もしかして、セゼルタを追いかけて来たの?」


 メイシアの質問に、セゼルタは何度も小さく頷く。そこで彼女も得心が行った。この幼い子供は、兄であるセゼルタを追いかける内にその姿を見失うか、はぐれてしまい、そうこうしているうちに、昨日見かけた人間……メイシアを見つけ、思わず追いかけてきてしまったのだろう。


 メイシアは勝手にそう結論づける。


「セゼルタを追いかけて来たのなら、多分、今頃……家に帰っていると思うわ。帰り道、わかる?」


 これにもまた、子供はぷるぷると頭を振る。


 確かに、一人で戻れるなら、メイシアの後を付けたりはしないだろう。


 メイシアは小さく息を吐く。


「あのね、あたしは今からセゼルタの家に行くつもりなの、一緒に行く?」


 子供はぽかんとメイシアを見上げるが、彼女が手を差し出すと、戸惑った様子で自分の手を重ね……そしてすぐに強く握り返してきた。


 まるで、このまま置いて行かれる事に怯えるように。


「じゃあ、行こうか」


 メイシアはふっと小さく笑う。正直、セゼルタのような子供では、相手にするのは少々面倒なところだったが、シェルはとても素直だし、子供に懐かれるというのは無条件に嬉しかった。


 小さな身体に合わせてメイシアはゆっくり歩き出す。


 だが大して歩かないうちに、メイシア達の足は止まった。


 二人の前を、数人の男達が立ちはだかる。


 全員が怒りに顔を引きつらせ、しかも手に手に棒や鍬などを携え、構えていた。


 一見しただけで、こちらに好意を持っているようには思えない。


「な……なによ、あんた達。あたしに何か用でもあるの!?」


 メイシアは内心では怯えながらも、男達に向かって叫び、シェルを後ろにかばうようにして一歩前に出る。しかしシェルの方が彼女の手を振り払って走り出し、途端に男達も逃げた子供を追って動き出す。


「なっ……!」


 自分を素通りして走って行く集団に、メイシアは一瞬呆気にとられたが、呆然としている暇はない。すぐに踵を返し、男達を……シェルを探しに走る。


 メイシアが必死に追いかけて行く先で、シェルはやたらと角を曲がり、男達の方は地の利があるのか、二手に分かれてしまう。


「……分かれて、挟み撃ちにする気ね!」


 メイシアはさらに勢いを付け、シェルの曲がった角に自分も飛び込む。伸びた通りの先では、双方から挟まれたシェルの姿があった。


 男達は、追いつめた子供の頭上に手にした武器を振り上げる。


「だめーーーーっ!」


 叫び、メイシアは倒れ込みそうな勢いで男達の間に飛び込み、シェルを自分の手元に引き寄せるとそのまま地面を滑って転がる。二転三転して起き上がると、メイシアの行動に呆然とする男達の顔が見えた。


「な、なんだお前、邪魔をするなっ!」


「なに言ってんのよっ! こんな小さい子供を追いかけ回して暴力振るうなんて、恥ずかしいと思わないの!?」


 メイシアの剣幕に、男達は一瞬ひるんだが、すぐに何かに気づいたらしく、一人が妙な笑いを浮かべる。


「おいおい、もしかしてお前さん、余所者かい? 」


 こちらを嘲るような笑みに、メイシアは不快感を覚える。だがそれでも、こくりと頷いた。それを見た男達は得心がいったのか、今度はいったん殺気を収めると、逆に妙に余裕ぶった態度に変わる。


「なによ、あたしが余所者だから、手を出すなっていうの? でも、こんなの放っておけるわけないでしょ」


「そうかい、けどよ、知らねぇなら忠告しといてやる。そいつは魔物の子だ、化け物なんだっ!」


「そうだ、だから殺した方がいいんだっ!」


 口々に上る罵りの叫びに、メイシアは思わず身を震わせ、腕の中にいるシェルも男達の罵声に身を縮める。


「な……なによ、変な事、言わないでよ……」


 メイシアはふと、視線を動かす。男達の持っている武器……大半は農機具だが……それらに、赤黒い物が付着しているのが見えた。


(まさか……)


 メイシアは腕の中の子供と、汚れた武器を見比べる。


「まさか……あんた達、洞窟に行ったの……?」


 メイシアはシェルを抱えたまま、ずりずりと後退する。男達はメイシアの様子に気づいたのか、互いに顔を見合わせ……笑った。


 どす黒く、歪んだ笑みだ。


 その表情に、メイシアの肌が泡立つ。


「あぁ、あの穴の中にいたのは全部やった。残りはそいつだけだ」


 男達は、一斉に笑い出す。


(……なに、何が、楽しいの?)


 腕の中のシェルが、小さく悲鳴を上げた。


 気づかないうちに、力を入れすぎていたらしい。だが、この手を離すわけにはいかない。


 メイシアはじりじり迫って来る男達に背を向けると駆け出す。


 罵声が聞こえたが、メイシアの耳には届かなかった。


 もつれそうになる足で走った。


「シオ、シオを見つけないとっ!」


 そうすればシェルを守ってもらえる。


 だが……シオは、セゼルタと一緒に洞窟に向かったはずだ。


 今頃、洞窟にたどり着き、全てを目の当たりにしているはず。


「……魔物」


 あの男の呟いた言葉を、メイシアは口中で繰り返す。


「まさか」


 それが本当ならば、今、腕に抱いているこの子は何者なのだ。例え妖術で化けた存在だとしても、メイシアには信じられなかった。


 街を抜け、森に入り更に駆け抜けた先に現れたのは昨日の崖だ。


「この上に……」


 メイシアは自分の想像を言葉にしかけ、慌てて頭を振る。


 まだ、男達の言った事が事実だと決まったわけではない。


「シオ、シオっ! そこにいないのっ!」


 ここに来るまでにシオやイリューザの姿は見なかった。だが、下からいくら呼びかけても反応がないところを見ると、この場にも来ていないらしい。どこか違う道を通ったのか、全く別の場所に向かったのか、メイシアには見当もつかない。


 メイシアは意を決し、シェルを背負って岸壁を登る。斜面を昨日の何倍もの早さで駆け上り、頂上に手をかけた途端、シェルがメイシアの背を踏み台のよう登ると、先に飛び出していった。


 まるで、何かに気づいたかのような反応だ。


「シェル……」


 乱れる息を押さながら、メイシアもシェルを追って洞窟の中に足を踏み入れる。


 途端に鼻を突く、血の匂い。


「ーーーー!?」


 土の上には、まだ乾ききらない血が溜まって残っていた。


「……そんな」






(4)



 シオとイリューザの足は止まっていた。


 彼らはセゼルタに案内され、昨日とは違う道を歩いていた。


 少年が言うには、ここは彼らを狙う〈敵〉がよく出没する場所で、自分たちの居場所を探っているという話だった。


 そして、少年の説明通りに〈敵〉に遭遇してしまったのだ。


「……お客さんだな」


「その言い方はどうかと思いますが、とりあえず、通してくれそうにないですね」


 三人を前に、十を越える男達がずらりと並び、行く手をふさいでいる。


 正確には、この道の先でたむろしていた集団に、シオ達が追いついただけなのだが。


 とにかく、セゼルタの姿を見つけた途端、それまでぶらぶらとまとまりない様子だった男達は一気に怒りと憎悪の表情を作って手にした武器を掲げて迫って来たのだ。


「どうするよ」


「まずは話を聞いてみましょう」


 シオがそういって顔を上げたとき、集団のリーダー格らしき男が一歩前に踏み出し声を張り上げた。


「お前らはその妖魔の仲間か!」


 そんな高圧的な態度にもシオはひるまず、逆に軽く受け流して笑って答える。


「私達はその先に用事があります。妖魔とおっしゃられても、こちらにはなんのことやら」


 シオの余裕の態度を、リーダーは馬鹿にされたとでも勘違いしたのか、先程よりもさらに声を張り上げる。


「ふざけるなっ! そこにいるガキに決まってんだろうがっ! そいつが何したか知ってんのか!」


「そいつは人殺しだ、親は魔物なんだ!」


「ぶっ殺してやるっ!」


 集団は一気に騒ぎ立て、興奮しているのかろれつが回っていない者も多く、何を言っているのか今ひとつ把握できない。


「……これは、ちょっと困りましたね」


 シオもさすがにどうすることもできずに騒ぎ立てる集団を見ていることしかできない。それでも隣にいるイリューザと、そろって二人ともまったく男達の殺気に当てられてもおびえたりひるんだりする様子は見受けられない。


「おいおい、こいつらがこのガキを追い回す悪い輩なのか?」


 イリューザなど、すでに暇そうにしている。


「そうだ、こいつらが俺達を街から追い出したんだっ!」


 今までシオの後ろに隠れていたセゼルタがこらえきれなくなって叫ぶ。だがそれは、男達を刺激しただけだった。


「てめぇ! 何いってんだ、この殺人鬼がっ! 役所もとうとうお前を手配したんだっ! このまま首に縄かけて引きずってやる!!」


「そんなんですむかっ! 殺せ! 殺せっ!!」


 男達は最早手のつけられない状態で、口から泡を飛ばし、顔を赤黒く染めてさらに口汚くセゼルタをののしる。


 あまりに醜い様子に、セゼルタもびくりと怯え、後退る。


「……っ、ううぅっ!」


 セゼルタは身体を震わせ、口中で何かを繰り返すが、言葉にならない。だが、すぐに限界が来たのか、まるで獣のような咆哮を上げ、懐から一本の短剣を抜き放つ。


 それは、黒い刃をしていた。


「っさい、うるさいっ! お前らが、お前らが悪いんだっ!!」


 激しく鋭い言葉は少年自身をも煽るのか、セゼルタも男達と同様、火に油をそそぐように言葉が加速し、激情を燃え上がらせる。


「お前らが悪いっ! なんにもしてないのに。なんでだよっ!」


 少年は興奮し、感情を制御できないのか、目の端から涙を流しながらも叫び続ける。


「だから、俺は……俺はっ!」


 めちゃくちゃに短剣を持った腕を振り回している少年。その肩に、シオが手を置く。軽く乗せられただけだが、少年はまるで殴られたような衝撃でも感じたのか、ぴたりとその動きを止める。


「…………あ」


 恐る恐る見上げた先には、黒衣の魔導士がいた。


 伸び放題の灰色の髪が覆う頭部……その前髪の隙間から、凍てついた色がのぞく。


 薄氷色の瞳が、彼を見下ろしていた。


 柔和な雰囲気を放つ彼とは対照的なその色に、セゼルタは思わず口を閉ざし、後退る。


「セゼルタさん?」


 ふわりとやさしく声をかけられ、ようやくセゼルタは緊張をとく。とたん、全身から汗が噴出す。


(なに……?)


 男達を前にしても、邪魔だという感情と苛立ちしか持たなかったが、あの薄氷色の瞳に見据えられたとたん、その思考そのものが吹き飛んだ。


 一瞬、確かにセゼルタは十を超える男達よりも、目の前の黒衣の魔導士を恐ろしいと感じていた。


 先程感じた衝撃に思考を奪われていると、再び男達がセゼルタに罵声を浴びせかけ、セゼルタは反射的にシオの後ろに隠れる。


 そう、あの感覚はよくわからなかったが、この魔導士は自分の味方だ、助けてくれる。


「シオ、このままだと俺、あいつらに殺されるっ!」


 セゼルタはマントの端をつかんでシオを揺さぶる。


 だがシオは、自分をつかんできたセゼルタをやんわりと離した。


「……あなたは、私に嘘をついていますね。あなたの身体からは、血の匂いがします」


「……」


 セゼルタは口を閉ざす。


 その態度は、肯定とも否定ともとれなかった。





「……そんな、みんな……本当に……」


 その先を、メイシアは言葉にすることができなかった。


 それでもメイシアはじりじりと奥に進む。足を濡らす感覚が何なのかは、意識から締め出して。


「誰か……誰か、いないの?」


 数メートルも進んで、メイシアはそこで足を止める。


 おかしい。


 洞窟内は、地面も壁面も血まみれのようなのだが、どこにも……死体がない。


 確かに暴れたような痕跡は見受けられるのだが、何の気配もなく、依然この場で感じた、圧迫感を覚えるほどの人の密度は消えうせていた。


 街で追い回されたあの男達がどこかへ運び去ったのか、もしくは、全員傷を追ったがどうにかしてよそへ逃げ延びたのか。


(そうよ、きっとそうだわ。みんな、どこかへ逃げたのよ!)


 自分でもなんて楽天的な発想だとも思ったが、今はそんな妄想にもすがっていたい心境だった。


 とりあえずこの場から引き返そうとすると、メイシアの耳に音が聞こえた。


「……誰? シェル?」


 これ以上が明かりがないと進めない。しかたなく、耳に頼ってその音を聞いてみる。と、以外に近くからシェルが現れる。どうやら少年もこの音に気づいたらしく、首をかしげている。


 二人顔を見合わせ、その音を聞いてみる。


 それは動物が獲物を租借する音だった。


 だが、その合間に別の声がする。くぐもっているが、それは女の声だ。


 不意に、奥で何かが動く気配を感じ、メイシアは一歩下がる。シェルもそれに気がついてメイシアの服をぎゅっと握りしめてくる。そして奥の気配はずるずると、引きずるような音を立ててこちらに近づいてきた。


 メイシア達にもようやくその輪郭が判断できるほど互いの距離が縮まったとき……メイシアは、それの正体に悲鳴を上げそうになった。


 否、衝撃に、言葉を失っていた。


 四つんばいで獣のような姿で這って来るそれは、口に何かの肉塊をくわえ、全身を赤黒く染めていた。


「あ、あぁっ……」


 それは人間で、しかも女性だった。だがメイシアには、それに似た姿をしているだけの、魔物か何かに思えた。


 眼前の存在が、自分と同じ生き物だと認めたくなかった。


 すっかり血と肉の脂で汚れきった服。落ちくぼみ、血走った目、がりがりの手足。


 薄暗闇の中、目だけが異様な輝きを放っている。


 シェルが小さな悲鳴を上げた。


 そこでメイシアはようやく我に返る。すっかり強張った身体を叱咤しながら、シェルを横抱きにして外へもつれるように走り出る。


 闇に慣れた目には、外に光は痛いほどで、視界が白く染まる。


 メイシアの頭も、視界と同様に白く消し飛んでいた。


(あれは……)


 己に見たものが信じられない。


「……なに、あれは、なに、なんなのっ!」


 人、人なのか?


 女……はっきりと確証は持てないが、昨日会ったセゼルタの母親だろう。


「どう、してっ!」


 ずるずると這う音に、メイシアは弾かれたように振り返る。


 予想通り、そこには洞窟から今にも這い出そうとする女の姿があった。


 それは低く喉を鳴らしながら、ゆっくりと日の光の中に進み出る。


 そして……変化が起きた。


 光に当たった皮膚が、水分が蒸発するような蒸気を上げ、見る間にぱりぱりに乾いていった。張りを失った皮膚は土気色に変わり、髪は抜け落ち、目はくぼんだ眼下の奥に沈んで見えなくなる。


「……光に、弱いの?」


 既に全身はミイラのようにひからびてしまい、その場で動かなくなる。干物のようになった身体は、そよ風でもぱったりと倒れそうだ。


 シェルがメイシアの腕をすり抜け、母だった存在に近づいて行く。


「ちょ、シェル!」


 危ない、と叫ぼうとしたが、メイシアはその言葉を喉の奥にしまい込む。


 ーーーあれは、もう死体なのだ。


 何が原因かはわからないが、あの女性は突然、ミイラ化して死んでしまった。


 たとえば、彼女が口にしていた肉が理由のひとつかも知れない。


「……じゃあ、その肉って……なに?」


 メイシアは背筋を冷たい指でなぞられたような感触を覚える。


 加速的に進む思考を止めたかったが、一度きっかけを見つけた想像力は、彼女が焦るほど残酷な結果を導き出していく。


 母親が生き残っているというのに、子供達はどこへ行ったのだ。


 逃げたのか。だが、洞窟内の血の量から、あそこで何らかの事件があった事は間違いない。



 ーーーあぁ、あの穴の中にいたのは全部やった。残りはそいつだけだーーー



 街で聞いた男の言葉が甦る。


 そう、あの男が言った事は、事実。ここで、男達は子供達を手にかけたのだろう。そしてシェル一人だけが逃げ延びたのだ。


 では、子供達の遺体はどこへ消えたのだろう。


 街の男達が、わざわざ埋めたとも思えない。それに、洞窟外に血痕が見受けられない以上、遺体は洞窟内から移動していないはず。母親にも、昨日の状態ではそんな行動を起こせるほど体力が残っているようには見えなかった。


「…………」


 メイシアはゆっくりと顔を上げる。その先にはシェルが変わり果てた母親の姿をどこか呆然と見上げていた。


 からからに乾いて茶色い皮膚。シェルが木の棒のように変化した腕に触れると、ぱさりと表面の皮がはげ、内部からとても人の皮膚とは思えない、どす黒い色をした何かがのぞく。


「シェル、こっちにいらっしゃい!」


 メイシアは、最悪の想像に行き着いていた。


 肉塊、血痕。


 消えた遺体。


 あの女が子供を食ったのだ。


 そして、男達の示す魔物は、きっと、それだ。


「早くっ!」


 みしみしと、嫌な音が聞こえる。女の身体が微かだが、動いていた。だがシェルは、こちらに注意を向けたが、母親から離れようとはしない。


「シェル!」


 唐突に、女の背の皮がはじけ飛んだ。


 そして、内部から何か得体の知れない物がずるりと這い出す。


「あ……」


 シェルはその光景を目の当たりにし、怯え、身動きが取れなくなる。


 女から出て来た物体は、腐臭のような匂いをまき散らしながら脱皮を完了した。


 姿は人間を基本にしているが、肌は濁った色で、関節部分が異様に盛り上がったいびつな姿で、ねじ曲がった爪が見えた。


 そして二人の見ている前で、それは脱皮直後から徐々に成長し、見る間に初期の倍ほどの大きさとなり、自らが這い出した皮を踏みつぶしてシェルに近づく。


 だが少年はかたかたと小刻みに震えるだけで、終いにはそのままぺたりと地面に座り込んでしまう。


「シェルっ!」


 メイシアは蒼白になりながらもシェルの元に駆け出す。


 あんな節くれ立った硬そうな腕に殴られでもしたら、小さな子供だ、ひとたまりもないだろう。


 それでも……仮にも、あれは母親だ。


 自分の子供に大して、危害を加える事はないはずだ。


 だがその想像は、たやすく打ち砕かれた。


 メイシアの見ている前で、シェルはその長い指に頭を掴まれ、一気に引き上げられた。


「いやぁっ! やめてぇっ!!」


 そんなに力を入れたようには見えなかった。


 メイシアの耳に卵をつぶすような、軽い音が聞こえた。


 次いで、吹き出す血と脳漿。


「ーーーーーーー!?」


 小さな身体がだらりと力無く揺れる。


 メイシアは頭の中を焼き尽くされたように全ての思考が吹っ飛び、動く事が出来なかった。


 化け物は、動かなくなったそれに飽きたのか、ぽいと無造作に投げ捨てる。


「っ、シェル!」


 もう駄目だと頭でわかっていても、メイシアはシェルの身体を受け止めようと走った。


 だが、一歩前に出た化け物の腕に弾かれ、メイシアは平衡感覚を失う。


 そして、襲い来る浮遊感。


「あ……」


 メイシアは崖の向こうに飛ばされ、斜面をそのまま下に向かって落ちて行った。






(5)



 シオとセゼルタを挟んで、異様な沈黙が漂っていた。


 それを破ったのは、イリューザだった。


 彼が声をかけると、シオは頭だけをそちらに向けてくる。その表情はこれから告げられる事を既に悟っているとばかりに落ち着いていた。


「その顔だと、大体俺の言う事も察しがついてそうだな。……俺が今朝言った殺人鬼。手配書にはなんの人物像も書いてなかったが。その犯人は、ここにいるセゼルタだ」


 なぜ、とも、どうしてそう思うのだとも、シオはイリューザに聞き返さなかった。ただいつもの穏やかな表情で微笑しただけ。


 まるで、最初から全てわかっていたとばかりの落ち着きようだった。


「そいつはもう十六人。いや、表に出ていない奴も合わせれば、何人手にかけているかもわからねぇんだ。素直にこいつらに渡しても、誰からも文句は出ねぇよ」


「っうるさいっ! あいつらは殺されて当然なんだっ!! だから、だから……俺は、みんなに代わってやったんだっ!」


 セゼルタの悲鳴のような叫びに、男二人は息を吐く。


「ホラ見ろ、素直に白状しやがったぞ。……しかし、殺されて当然って言い分は、俺は好かんな。そんなセリフ、実際死んだ奴等が聞いたら怒って化けて出るぞ」


「それがどうした。あいつらは、俺達を家から追い出したんだ。街で姿を見かけただけで追い回されるっ! 俺達は何にもしてないんだっ!!」


「魔物のガキがなにいってんだっ! あの場で殺されなかっただけ感謝すればいいものを、のこのこ戻ってきやがって!」


 男の罵声に、イリューザはぎろりと相手をにらみつける。


「てめえらは黙ってな。今はこっちだけで話をまとめたいんだ。邪魔するなら、こいつで口をふさぐぜ」


 言って、背負った段平の柄に手をかける。


 男達はイリューザにすっかり気迫負けし、何かこそこそ言っているが、表だってこちらに向かってこようとはしない。イリューザはそんな男達など歯牙にもかけず、シオに向き直る。


「で、どうするシオ。こいつをあの馬鹿どもに渡すか、いっそ、役所に引きずって行って賞金をいただくかい?」


 シオはセゼルタを見た。少年は今にも泣き出しそうな顔で、だがそれでもそれを悟られまいと必死に肩を震わせている。


「……私には、この子がそんなに悪い子だとは思えません。……けれど、殺人を肯定するつもりもありません。だから、少なくとも、あの方達にこの子を渡したくはありません」


 もし渡せば、あの怒り狂った様子では、役所に行く前に私刑に遭うだろう。いや、それ以前に役所などという機関に任せず、そのまま自分たちの基準で裁き、少年の存在を葬ってしまう可能性もある。


 イリューザはやれやれと肩を落とす。


「お前さんらしい考えだな。所詮、俺達には関係ない話だろ、そこら辺割り切ってやれねぇのかね」


 そうぼやきながらも、彼はどこか楽しそうにしている。厄介ごとと名の付く物が大好きなのだろう。


「後で後悔して泣きついても、無視してやるからな」


 イリューザはにやにやと笑いながら、男達に向き直る。


「話は決まった。お前らにこのガキは渡さねぇよ」


 男達はその言葉の意味を理解するまで、ほんの一呼吸の間が必要だった。だが次の瞬間、彼らは口々に叫び出す。


 あまりバリエーションの多いとは言えない言葉の羅列を、シオ達はきれいに聞き流す。


「お前らぁっ! 命がいらねぇのかっ!!」


「俺はいるけどシオはどうかね。まぁ、本人に聞いてくれや」


 そう言って、イリューザは少し離れた場所に移動する。


「俺はここで見物するからな。好きにやってくれ」


「はい、好きにします」


 シオの肩で、黒竜が一声吼える。


 そしてシオは一歩大きく踏み出し、杖を掲げる。


「あなた方もいい加減にして下さい。確かにこの子の行った行為は許されないでしょう。しかし、よってたかってというのは感心しません。この場はいったん引いて下さい」


「ふざけるなっ! やろうってんなら相手になるぜ!!」


「私たちが争って、何か良い事がありますか? 互いに何の利益ももたらさない行動はやめにしましょう」


 しかし男達にとって、シオの冷静な正論は逆に怒りをあおるだけで、彼らは一気にシオを取り囲むとその輪を縮めてくる。


「どうやら、駄目なようですね」


 シオはため息と共に、右手に持っていた杖を身体の前に水平に押し出す。


「セゼルタさん、私から離れないで。そして、目を閉じていて下さい」


「え? なに?」


 シオの行動が読めないセゼルタは、わけがわからずそれでもシオの黒衣の裾を掴む。


 そして……変化が起きた。


 それまでただの木の棒にしか見えなかった杖が、内側からの輝きに表面の樹皮がはがれ落ち、代わりに光る物が現れる。


 瞬く間にそれは金色に輝く杖に変わった。


 杖は表面に文字のような物が刻み込まれ、それらが薄く輝いている。だが、何を書いているのかは判読できない。少なくとも、セゼルタの知っている文字ではなかった。


「瞬きよ・金色の者よ・天空の戒め解き放たりて」


 独特の、まるで歌うような抑揚を持った声がシオの口から滑り出す。途端、周囲の気配が変化した事にセゼルタは気づく。


「集え・踊れ・焼焦の原に舞え」


 シオを中心に空気の密度が濃くなる。ぱちぱちと小さな光が彼の周囲に弾け、収束する。


「天を焦がす支配者よ・轟け!」


 収縮した光が弾け、太陽の光を凝縮したような塊が輪になって広がり、帯電した空気が周囲を焼こうと迫り来る。


 だがその熱波が男達に届く寸前に、光は弾けて散る。猛烈な光量に周囲は一瞬白く染め上げられた。


 そして……周囲に静寂が満ちる。


「……すげぇな。肌がちりちりしてやがる」


 イリューザは帯電した空気に触れてしびれた腕を眺める。


「これって……魔法なのか?」


 セゼルタは辺りを見回して驚愕する。自分達を取り巻いていた男達の全てが倒れ、うめき、あるいは意識を失って昏倒している。


「そうですよ。ただし、威力は押さえましたが」


「だよな。今の術だと、全員黒焦げだ」


「なんで、そんなことするんだ?」


 セゼルタは男達が生きている事が不満そうだ。


「私は彼らと争うつもりはありません。けれど、こうでもしないと引いてくれなかったでしょう」


「で、わざと派手にぶちかまして戦力だけ奪ったと。器用なもんだ」


 イリューザはぱちぱちとおざなりに拍手をする。だがすぐに表情を切り替える。


「とりあえず、行くか」


 そうですね、と歩き出したシオを追ってセゼルタも動く。


 と、ふとそこで気づいた。


 先程金色に輝いていた杖は、いつの間にか元の木の棒に戻っていた。






 昨日の崖下までやって来たシオ達は、そこに倒れている人影を見つけた。


「メイシアさん!?」


 シオは見覚えのある姿に慌てて駆けだし、彼女の側に膝をつく。


 抱き起こすと、ぐったりとした身体は無数のすり傷に覆われ痛々しい。だが、大きい裂傷は見えず、とりあえず呼吸も安定していた。シオはそこまで確認すると彼女を抱えて立ち上がる。


「嬢ちゃん、あの上から滑り落ちたな。よく切り傷だけですんだもんだ」


 イリューザはふぅむと顎に手を当てて息を吐く。


「しかし、二日酔いが残っていたとも思えねぇし、誰かに突き落とされたか?」


「あ、弟たちは、違うぞっ! あいつらはそんなことしない!」


「誰もお前の兄弟がやったなんて言ってないだろうが」


 顔を真っ赤にして叫ぶセゼルタに、イリューザはうんざりした様子で耳をふさぐ。


「……私は一度戻ってメイシアさんの手当をします」


 言いながら、シオは踵を返す。それにイリューザも同意し、二人して引き返し駆けたが、それを止めたのはセゼルタだった。


「待てよ、あいつらはどうすんだ。気がついたらまた来る!」


「あっ、それは、そうなんですけど……」


 シオは肝心なところをつかれ、情けない声を出す。


 腕に抱えたメイシアは、意識がないのか全く動かない。力無くだらりと垂れ下がった彼女の腕に、乾いた血がこびりついている。彼はメイシアの腕を、次いで、置いて行かれるまいと必死になってすがって来る少年の顔を見ると、小さく息を吐く。


 彼は意識がなく、負傷した少女を取るか、命を狙われている少年を取るか、その間で途方に暮れている様子だ。


「わかった、俺が残る」


 そんな互いの膠着状態に飽きたのか、イリューザが助け船を出す。


「シオは嬢ちゃんの手当をしたら、戻って来い。それまでは俺がここにいる。それなら文句はねぇだろ」


 なぁ、とイリューザににじり寄られ、セゼルタは魔導士と巨漢の傭兵を交互に眺めていたが、やがて、不満だとその表情にはっきり書きながらも、少年は頷く。


「決まりだ。シオはとっとと帰って嬢ちゃんを看てやれ」


「はいっわかりました!」


 シオはイリューザにぺこりと頭を下げると、すぐに走り出して木立の向こうに見えなくなった。


「それじゃ、俺達も行くか」


 イリューザは言いながらも面倒くさそうに岩壁に手をかけ、その態度とは裏腹に、するするとたやすく崖を昇り始め、セゼルタも木立の向こうをちらちら気にしていたが、すぐに後を追いかける。


「しかしよ、俺の家もたいがい辺鄙な場所だが、さらに上がいたとはね」


 よっと、声を出して上半身を持ち上げ、イリューザはメイシアが散々文句を付けた道程と、息も乱さず登り切った。


「ずいぶん家賃は安そうだが、さすがにごめんだ……」


 イリューザはそこで言葉を切る。周囲に残る匂いに気づき、無意識に背中の段平に手をかける。


「小僧、お前はそこで待ってな」


 ようやく登り切ったセゼルタを手で制し、イリューザはじりじりと洞窟に向かう。


「おい、どうしたんだよ!」


「……気づかないか? この、血の匂い」


「え……」


 セゼルタは表情を引きつらせる。そしてそのままいてもたってもいられないとばかりに、イリューザの制止の声も振り切って駆け出す。


「おいっ! ……ったく、どうして、わざわざつらいものを見に行くんだよ」


 言いながらも、イリューザはそれが止められない衝動だという事も理解していた。彼は段平から手を離すと、周囲を見回す。気配から、そこには彼らの他に誰も存在していないようだ。


 しかし……


「こいつは……」


 イリューザは、少し歩いて下草をかき分ける。その間に隠れるようにあったものを見て、苦々しく表情を歪めた。


「シェル、エフィラ、コードリィ!」


 息を切らせてセゼルタは兄弟の名を呼ぶ。


「アラード……母さん……」


 しかし、声は虚しく反響するばかり。代わりに、むせかえるような血の匂い。それでも諦めきれず、セゼルタは奥まで走り込むと、母親が寝ていたはずの場所を漁り、布をはぐってみる。


 泣き叫び、その場にあった物を放り投げて暴れ、それでも何も変わらない事に気づくと……セゼルタは、小さな身体をさらに縮めて洞窟から出て来た。


「……みんな、いなくなった」


「そうか」


 イリューザは、そんな少年に背を向けて立っている。


「あいつらが、殺したんだ」


 声はやり場のない怒りに震え、感情がついていかないのか、大粒の涙をこぼしても、それをぬぐおうとさえしない。


「奴等は、俺が殺してやる」


 低く、子供の声とは思えないほどしわがれた声。


 セゼルタは黒い短剣を抜き放つ。


 その漆黒の刃は、昼の光の中でも何も反射せず、ただのっぺりとした奇妙な光沢をしている。


「それで、今まで殺して来たように、か」


「母さんがくれたんだ! これで、仇を討つんだっ!!」


 セゼルタは再び獣の咆哮を上げながら、斜面を一気に下って行った。


「……仇ねぇ。古い事を言ってくれるな」


 イリューザの腕の中には、小さな骸があった。


 頭がひしゃげ、人相もわからないくらい醜くつぶされた、子供の遺体。


「相手は、人間だけじゃねぇってのによ」





 メイシアは胸の上に何やら重みを感じ、その不快さに目を開けると、眼前に黒竜が迫っていた。


「……なっ!?」


 それが何なのかも瞬時には理解できなかったが、とにかくメイシアの意識は覚醒した。


「気がつきましたか」


 声がする方に顔を向けると、シオの心配そうな、けど嬉しそうな顔が見えた。


「……なんで……」


 メイシアの中に、疑問が一気に膨れあがる。


 場所は、今朝までいた宿屋だ。見覚えのある天井を、そして枕元でじっと自分を見つめるクロツに視線を移すと、メイシアはゆっくり起き上がる。


 だが、違和感に眉をひそめる。


 いや、普段と何も変わらなさすぎて、逆に妙な感じがする。


「怪我……してない?」


「一応治しました。まだ、どこか問題がありますか?」


 穏やかに笑うシオの様子を、メイシアはじっと眺め、やがてひとつ思い出す。


「そうか、あんたは魔導士だものね」


 まだどこか、頭の奥に霞がかかったようにぼんやりとしている。


 額に手を置いて、メイシアは記憶の端を手繰る。


 最後に見たのは……だらりと動かなくなった、シェルの身体。


 化け物。


 そして、宙に投げ出され、視界が回った。


「!? シオ! あんた、何でこんな所にいるわけっ!?」


 突然、まくし立てるメイシアに、気がついた彼女に上機嫌だったシオは、その勢いに狼狽する。


「あ? あの、崖の下でメイシアさんを見つけて、それで連れ帰って……」


「そうじゃなくて、仕事。セゼルタはどうしたの!」


「はぁ、イリューザさんに任せましたが」


 メイシアは一気に跳ね起き、ベッドの端まで来るとシオの上着を掴み上げる。


「馬鹿っ! さっさと行ってきなさいっ!!」


 シオはメイシアの焦りの理由を知らないからか、困った顔をしながらもわけがわからないといった様子だ。


「あの、私はメイシアさんに、どうしてそうなったか事情を聞いてから出かけたいのですが」


「……事情?」


 メイシアは、上着から手を離すと、すとんと腰を落とした。


 勢いだけが空回りしていた頭が、急に冷静さを取り戻す。


 次いで、意識を失う前の光景が、断続的に脳内を巡り、その鮮烈な色彩にメイシアは目眩を覚え、知らず、指先が震えていた。


 自らを突き破って現れた、化け物。そうとしか、形容の出来ない存在。


 干からびて、死んだと思った。


 そう思いこみたかった己の、浅はかな考え。


 捕まった小さな子供は、自分の目の前で……軽い、あまりにも軽い音ひとつで死んでいった。


 赤、紅、あかい……血の、色。


 メイシアは震える指先を見た。


 まるでそこが、見えない色で塗りつぶされているような錯覚を覚える。


「……受け止めようと思ったけど、間に合わなかったの……」


 言葉と一緒に感情も溢れ、メイシアは目の奥が熱くなるのを抑えきれず、じんとした痛みと共に涙がこぼれ落ちた。


 そしてメイシアは、自らが見たものを、シオに語った。


 感情が暴走し、自分でも情けないほど稚拙な説明になったが、それでもシオは黙って耳を傾け、そして最後に、深く頷いた。


「お願い……早く行って。セゼルタだけでも、助けてっ!」


「わかりました」


 シオは杖を取る。そしてクロツがその肩に、まるで指定席のようにすっぽり収まる。


「メイシアさんは、ここで待っていて下さい」


「うん……」


 メイシアは涙で崩れた顔を隠すようにシーツをかぶる、そこにぱたんと扉の閉まる音が聞こえた。








(6)



 イリューザは鼻孔を刺激する匂いに気づく。


 覚えがある。それも、ついさっき嗅いだものと同種の匂い。


「血の匂いだな」


 段平を携えた男は、顔を歪める。


 セゼルタを追いかけて先程、男達と対峙した場に向かったのだが、近づくにつれ、イリューザの足取りは重くなる。


 そして、呆然と立ち尽くすセゼルタの後ろ姿と、その前に広がる光景を見た途端、この男にしては、本当に珍しく……目をそらし、息をついた。


「…………」


 セゼルタは身体を小刻みに震わせ、何かを叫ぶ為に口を開いていたが、その喉からはひゅう、と声にならない音だけが抜けていった。


 そこここに、身体を切り刻まれた骸が転がっている。かつて人間だったものの破片が真昼の陽光に照らし出されている。


 正確に人数は数えられなかったが、恐らく、逃げおおせた者は皆無だろう。


 シオは確かに男達を倒したが、流血は伴わなかった。ただ、しばらくは動けない、その程度の衝撃しか与えなかったはずだ。


「誰だ……」


 その満足に動けない者達を狙ったのは、何者だ。


 見たところ、刀傷でもなさそうだ。むろん、魔法でもないだろう。かぎ爪のような傷や、無理矢理引き裂いたような断片をしている。


 と、不意に何者かの気配を感じ、イリューザは振り返る。その動きにつられてセゼルタも動いたが、今度もまた、振り返った表情のまま硬直する。


 ずるりと、固く、重い皮を引きずるような音を伴い、巨大な影が木立の間から現れる。


 濁った色をした皮膚、節くれ立った手足。ぞろりと生えそろった牙。


 どれをとっても、人間には見えなかった。


 まして眼前の存在がかつて人間の女性だったなど、イリューザやその子供であるセゼルタは知るよしもない。


 いや、たとえ事前に聞かされていたとしても、にわかには信じられなかっただろう。


 イリューザは突然現れた化け物にも臆することなく足を前に踏み出す。


「……こいつらをやったのは、てめぇか」


 相手は、まるでイリューザ達を値踏みするように首を傾げ、時折カチカチと歯を鳴らす。


 後ろで、セゼルタが小さな悲鳴を上げてうずくまる。イリューザはちらりと目を向けたが、今は構っているときではない。いくら動きが鈍かったとはいえ、こうも大人数の男達を人形のように裂いて殺すのは、並大抵の力では出来ない。


 イリューザは相手に視線を向けたまま、ごく自然な動作で段平を抜き放つ。


「……っ、あぁぁっ!」


 セゼルタの悲鳴も無視する。


 しかし、次の言葉はさすがに無視できなかった。


「母さんっ!」


 イリューザは軽く目を見開き、頭を抱えて涙を流す子供と、目の前の化け物を見比べる。


「……なんだって?」


「あれは、俺の母さんだ。……そう言ってる」


「俺には何も聞こえんが」


 事実、相手が声として音を発している様子は見受けられない。


 それでもセゼルタにははっきりと、眼前の対象が〈母親〉だと認識できるらしい。


「母さん……」


 ふらふらとセゼルタは化け物に……母親に向かって歩き出す。


 鋭い爪のある手がセゼルタに襲いかかる。セゼルタは何が起こっているのか理解できず、呆然と立ち尽くすしかない。


「ぎぃぃっ!」


 女が苦痛の声を上げて身を引く。女の肩口にナイフが突き立っていた。


「セゼルタ、こっちに来いっ!」


 イリューザはいつもの笑みを消して叫ぶ。


「早く来いっ! てめぇも一緒にぶった斬るぞ」


 そして威圧感を覚えるほど重量感のある武器を振り上げる。普通の人間なら、一刀で胴が真っ二つになるだろう。


 セゼルタはおぼつかない足取りで、それでもイリューザの元まで辿り着くと、彼の腕を掴む。


「殺さないでくれ、あれは俺の母さんなんだ」


「言ってる場合かよ」


「母さんはみんなの仇を討っただけだっ!」


 まとわりつく少年に、イリューザは苛立つ。セゼルタが重しになって、段平を上手く流布事が出来ない。


「……確かに、子供を殺された母親には復讐する権利が。それを行った相手には、復讐を受ける義務があります」


 大声を張り上げているわけでもないのに、その声は良く通る。


 黒衣を微風にはためかせながら、魔導士はためらうことなく凄惨な場に踏み込んできた。


「シオ!」


 セゼルタは喜々とした……本人は無愛想にしているつもりだろうが……声を上げる。救い主を見つけたように顔をぱっと輝かせるが、現れた相手の表情は、暗い。


 その違和感に気づいたのか、セゼルタは駆け寄ろうとした足を止める。


 シオは少年が自分に向ける怪訝そうな表情に気づいていたが、いつものように穏やかに微笑む事もなく、苦しげに眉根を寄せる。


「セゼルタさん、良く聞いて下さい。確かにあの方は兄弟達の仇を取る為にこのような行為を行ったのでしょう。ですが……あなた以外に生き残っていたシェルという子供を手にかけたのです」


 シオの言葉をセゼルタが理解するまで、数秒かかる。


「……うそだ!」


 少年は意味がわからないと叫び、シオにつかみかかる。


「うそだ、俺をだまろうとしてるんだろっ!」


 揺さぶられてもシオの言葉は覆らない。ただ痛ましげな目を少年に向けるだけ。


「残念ですが、本当です。メイシアさんが見ていました」


「あんな女の言う事、信じられるかっ!」


「私は信じます」


 シオの口調は、決して突き放すような物ではない。だが少年にとっては、すっぱりと刃物で切られたも同様だ。弾かれたようにシオの服から手を離すと、憎々しげな目を向ける。


「なに興奮してんだ。たった、今そいつに殺されそうになったところじゃねぇか。今さら母親がどうのなんて、意味がないだろうが」


 助けてやったのに、もう忘れたのか、とイリューザは心底あきれている。


「うそだ! お前らの言う事は全部うそなんだっ!」


 セゼルタは母親に向き直る。


「母さん、なんとか言ってくれ。こいつらみんなうそつきだ!」


 返事の代わりに、化け物は動いた。腹に響く咆哮を上げ、再びセゼルタに向かって襲いかかってくる。


「どうする、シオ。……殺すのは、簡単だ」


「ですが、セゼルタさんは納得しません」


 シオは杖を掲げ、セゼルタとその化け物の間に走り込む。後ろでイリューザが「甘い奴」とぼやいているのが聞こえ、シオは口元に笑みを浮かべる。自嘲するものではない、だがどこか悲哀を含んでいた。


「母さん、なんで……」


 セゼルタは迫る母親の姿に、もう焦点の合わない目で立ち尽くしているだけ。


「……セゼルタさんっ!」


 びくりと肩を震わせ、セゼルタはようやく顔を上げる。と、黒衣の魔導士が眼前に立っていた。


 シオを挟んで母親が鋭い爪を持って迫っていたが、彼は杖を使って押さえ込んでいる。だがやはり力負けしているのか、じりじりと押し返されていた。


「あんた、なんで……」


「私はあなたを助けると約束しました」


 言って、シオは柔らかく微笑む。


「っ、なんだよそれっ!」


「あなたはどうしたいのですか?」


 化け物の爪が、シオの肩口に突き立つ。彼は苦痛に顔を歪めながら、それでもセゼルタの前から退こうとしない。


「私はあなたを助けたい。ですが、あなたの母親を害する事があなたの意に背く事なら……私には、どうする事も出来ないのです」


 化け物は苛立ってきたのか、己を押さえ込む魔導士に向けて腕を振り上げ、その度に服が裂け、皮膚に裂傷が走る。


 爪が突き立てられ、更にえぐるように動き、シオはくぐもった悲鳴を上げる。


「シオっ! どうして逃げないんだよ!!」


「……私は、あなたから答えを聞いていませんよ」


 セゼルタはシオの言葉にうろたえる。


 そう、認めなければならない。


 たった今、母親が自分を殺そうとしている事を。


 そして魔導士はそんな自分を助けようとしている。だが、母親という存在を倒す事をためらう為に傷を負っていく。


 自分を、守ってくれている。その全身で、全力で。


 単に魔導士姿が珍しく、好奇心が先に立って声をかけた。ただ、それだけの偶然だというのに。


 セゼルタは全身を震わせ、その瞳がうるむ。


 あぁ、そうだ、このままだと殺される。


 母親の手にかかって。


 いや、母親と名乗る化け物の手にかかって。


 何故こんな事になった。兄弟達は本当に死んだのか。目の前の存在が母なら、どうしてこんな姿になってしまったのだ。


 わからない、わからないまま殺される。


 そんなのは嫌だ。


 死にたくない。死ぬのは嫌だ。


 ーーーー助けてくれっ!


「……うぅっ、わぁぁぁっ!」


 セゼルタは眼前まで迫った爪を短刀で弾くと数歩飛び退る。


「こんな化け物、母さんじゃないっ!」


 セゼルタの叫びにシオは応えるように、腕を跳ね上げ化け物の拘束から逃れると、後退しながら短い呪文を詠唱する。


「鋼の柵よ・我が敵を拘束する檻となれ」


 かしん、と金属音に似た音が響き、化け物の足下から透明な檻が出現し、一瞬で包囲が完成する。光にわずかに存在を反射させる非金属の檻だ。


「シオ、その小僧を下がらせな」


 イリューザが駆けだし、シオはセゼルタを抱えて彼と入れ替わるように移動する。そして間を見計らって〈鋼の檻〉開ける。相手を拘束したままでは、イリューザの刃も檻が阻んでしまうからだ。


 急に解放された化け物が、ぐらりと状態を崩す。


 イリューザはその隙を見逃さない。


「だりゃあぁぁぁぁぁっ!」


 巨大な刃が、化け物の左肩から右脇腹にかけて一閃する。


 人の声とは似てもにつかない絶叫が周囲に響き渡る。


 傷口から大量の血が噴き出し、化け物は苦痛に身もだえしながら後ろに倒れ、やがて痙攣して動かなくなった。


「……嬢ちゃんを置いてきて正解だったな」


 イリューザは周囲の凄惨な光景に、苦い息を吐く。


 シオもまた、深く項垂れる。


 ちらりとイリューザはセゼルタに視線を走らせる。彼は手に持っていた短刀が地面に落ちていることにも気づかず、母親だったものの骸の前に立っていた。それに気づいたシオは顔を上げるが、声をかける前にイリューザに無言で押しとどめられる。その目が暗に「今は放っておけ」と語っていた。


「……では、せめて私に出来る事をします」


 シオは杖を脇に置くと、血だまりの中に膝をつく。


 いぶかしがるイリューザを尻目に、シオは一呼吸置くと表情を変える。穏やかな……それでいて、どこか冷たい印象を含む、それ。


「ーーー……絶対たる秩序者よ・天にまします我らが主よ」


 独特の音程と澄んだ声が相まって、まるで青年が歌っているように感じたイリューザだったが、すぐに違うと……何らかの呪文だと気づく。


「苦しみ多き世界に彷徨う非業なる魂に」


 シオの両手に密度の濃い光が集まり、明滅を繰り返す。光の輪が青年から広がって柔らかく包み込む。


「安定と調和・平穏なる眠りを与え給え・無垢なる魂よ・神々の腕に抱かれ・天へ還れ」


 光は周囲に広く、早く散って行った。辺りを白く染め上げ、すべて消し去るほどの光が消えた後も、まだ残光が燐のように漂い、それらはまるで死者の魂の欠片に見えた。


 そしてその場の全てには何の変化もなかった。遺体が消えたわけでも、死者が蘇ったわけでもない。それでも、イリューザは己の肩にのしかかっていた何かが抜け落ちたような不思議な感覚を覚える。


 段平を手に立つ彼の脇を、爽やかな風が吹き抜けた。


 何かが崩れるような音に、彼らが顔を向けると、セゼルタが地面に膝をつき、泣いていた。


 ただ声もなく、透明なしずくが後から後から少年の瞳からこぼれ、頬を滑り落ち、胸元と地面に染みを作る。


 イリューザは少年から顔を背ける。と、立ち上がったシオがどうにも困ったような顔をしているのが見えた。


 感情というものがすっかり断ち切られたように、ただ無表情に涙を流し続ける子供に、シオはどういった態度を取ればよいのか困惑している様子だ。


 イリューザはがしがしと硬い髪の毛をかき回すと、大股に歩いてシオに近づく。


「おい、シオ」


 はい、と振り返る表情は、どうにも頼りなげで、先程の呪文である種の威厳すら漂わせていた人物と同じだとは思えない。


 だが、その呪文がイリューザの知識に引っかかっていた。


「……傷は。血が出てるぞ」


「あぁ、大丈夫ですよ。見た目ほど深くはないですから」


 言いながら、シオはえぐられた肩口を押さえる。黒衣に隠されて判別しにくいが、べったりと血がにじんでいる。


 とても〈大丈夫〉などとはやせ我慢でも言えるような傷ではないはずだ。


 しかしイリューザの聞きたい事は、魔導士の怪我の状態ではない。


「……さっきの妙な呪文だがよ、あれは確か神官の呪文じゃねぇのか。それも、かなり高位なもんのはずだ。お前さん、魔導士じゃなかったのか?」


 そして呪文を詠唱する際に見せた表情は、説法する僧侶などがしてみせるものだ。


 慈愛を含みながらも、どこか虚ろに思える。


 シオはしばらくの間、イリューザに背を向けて沈黙していた。


「……メイシアさんには、秘密ですよ」


 振り返った彼は、悪戯を告白する子供のような表情で……それでも、どこか苦いものを含んだ顔をして、笑ってみせた。






 その後、街では見つかった変死体の噂で持ちきりとなった。様々な憶測や噂が飛び交い、おそらく向こう一週間はこの話題で人々はにぎわうだろう。


 イリューザはセゼルタを役人に突き出す事はせず、シオもまた、あの場で起こった事を語りはしなかった。


 ただ、宿屋で待っていた少女にだけは、全てを語って聞かせた。


 メイシアは泣きはらしたままの顔で彼の話を聞き、時折鼻をすすりながら相づちを打つ事もせず、ただ静かに彼の言葉を受け止める。


「あたし、何も出来なかった」


「それは私も同じです。私は何も変えられなかった」


「でも、セゼルタは助けてくれた」


「そうですけど……」


 少年はシオが声をかける間を計っている間に、ふらりと立ち上がるとそのまま消えてしまった。


 恐らく、あの洞窟に戻ったのだろう。


 たった一人で。


 兄弟と母親を一度に失った少年の行方を、シオは追おうとはしなかった。


 追いかけても、きっとかける言葉は見つからないだろう。


「ごめん、ごめんね……」


 メイシアは、ベッドの上で膝を抱えてしゃくりあげる。


 その謝罪が一体誰に向けてのものなのかは……彼女にもわからなかった。






 シオ達は、結局翌日の朝には街を出た。


 そして今、街道を同じ方向に行くという行商人の馬車に乗っている。


「呪い?」


 メイシアは揺れる荷台の上で、シオの言葉をオウム返しに繰り返す。


「そうです」


 シオの手の内に、あの時セゼルタが持っていた黒い短剣があった。


「この短剣ですが、恐らく元は普通の代物でしょう。ですが、込められた強い魔力を感じます。効果は詳しくはわかりませんが、使用者の能力を高める、そんなところでしょうか」


 後ろにいたイリューザが、狭い荷台の中で身を起こす。どうやら話に興味が出たらしい。


「しかし尋常でない力を与える剣の余波、つまり副作用は全て契約者に跳ね返ります」


「副作用って……たとえば?」


「自分自身が変わってしまう……簡単に言えば、そうなりますね」


 シオは短剣をくるくる回し、刃に薄く彫ってある文字のような物を見ながら告げる。


「それじゃあ、その契約者がセゼルタのお母さん?」


「一番可能性の高い説です」


「でも、どうしてそんな危険な真似を……」


「どうせ誰かにだまされて、妙な物つかまされたんだろ」


「……よく、わからない」


 メイシアは既に見えなくなった街の方に顔を向ける。


「子供が好きなら、どうして物の力に頼ったのかしら。そんなことしなくても、あの子達は幸せだったはずよ。……化け物扱いもされず、街から追い出される事もなかった」


 そしてメイシアは荷台の外に投げ出していた足を引っ込め、両腕で抱き込む。


「私には、ちょっと説明できませんね」


 シオは短剣を高く放り投げ、口中で素早く呪文を詠唱し、放物線を描いて落下する短剣に指先を向ける。


 短剣は、砕けて散った。


「誰がこんな呪いを仕掛けたかはわかりませんが。こればかりはもう起こらないと願うしかありません」



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