記録① 【旧総合病院】Ⅲ
ホムマンは疑問に思った。
起爆ボタンを押して、数秒間何も起こらないことに...
おそるおそる瞼を開いた。 次に飛び込んできた光景に息を呑んだ。
そこには...【元】人間と、一人の青年がいた。
青年は黒革のコートを着込み、髪は黒に不自然に白を混ぜたような、灰色で無造作に伸びていた。
ホフマンは叫んだ。
逃げろ!、と。
それを合図とするかのように青年は動く屍たちへ躍り出た。
男は少しだけ後悔した。
今回の仕事は、【旧総合病院】付近に構える部隊の様子見であった。
まあ、軽い仕事だろうと踏んでいた男には誤算があった、一つはジャミングの影響か、無線が使えなくなったことと、もう一つは思いの外、部隊が苦戦を強いられていたことだ。
さすがに、夢見が悪い,,,。 そんな理由で屍たちにモミクチャにされるくらいなら、今度から同情でのサービス精神は控えよう。
男はそう考えながら、不適な笑みを浮かべた。
その直後。
ゴキィッ。
鈍い音。
振り向きざまに放たれた男の右フックが、死体の顔面を強打した。
ホフマンは我が耳を疑った。 この音は素手で殴った音なのか?
ホフマンが思考に気を取られた次の瞬間には、男の右拳に耐えかねた死体の首が飛んでいた。
そこからの、男の動きは尋常ではなかった。
我先にと飛び込んできた獲物も獲ようと、襲いかかる【元】人間たち。 それに臆することなく、男は、殴る。 殴る殴る。 有無を言わせることなく、殴る。 さらに、殴る。 息付かせる暇なく、殴る。
死体たちの顔面に、胸に、腹に、無数の拳が降り注ぐ。
手数が多いだけではない。 死体たちの身体が異様に歪む様を見ても、並大抵の威力ではないことではないことは確かだ。
男と、【元】人間の距離はゼロに等しかった。
しかし、誰が信じるであろうか? そのゼロ距離に等しい距離でここまでの威力をもつなど...。
男の身体が一瞬、深く沈める。
拳の連打を締めくくったのは、アッパーカットだった。
振り抜かれた拳が顎をまともに捉え、粉砕し、さらに上に突き抜けていく...。
ホフマンは自然と打ち上げられた死体を目で追っていた。
「ーーー!!」声にならない死体の悲鳴。
死体はホフマンのすぐ近くに落ちた。 顎はもちろん、頭蓋骨すら粉々に粉砕された【元】人間は痙攣のあと、二度と動かなくなった。
そこでホフマンも気づいた、視線が低いことに。
いつの間にかホフマンは座り込んでいた。
そして、彼は恐怖した。 動く死体でも、暴走した機械兵器でもない。 目の前の、同じ人間に恐怖した。
戦闘は数々の死線をくぐり抜けて来た人間にはわかる、恐怖がある。
しかし、あの青年にはそれを感じなかった。
むしろ、戦いを楽しんでいるかのようなものすら感じた。
次の瞬間、ホムマンに戦慄が走った。
青年は笑っていた……。死体たちを壊すことを楽しんでいる。 そうとしか思えないほど表情、狂気。
すると、何故かホムマンは急激な眠気に襲われていった 。
彼はそれを拒むようなことはせず、敢えて受け入れた……。
次にホムマンが目を覚ました時は、すでに戦闘も終わっていた。 遅れてやって来たB地区の援軍に助けられたらしい。
あとで聞いた話ではどうやら自分はゲート前の戦場で気を失っていたらしい。
なんとも信じがたいが、本人も気を失う直前の記憶が曖昧だった為になんとも言えなかった。
次に彼は軍法会議に掛けられた。
罰則は旧世代の武器を無許可所持らしい。
下手をすれば、反逆罪ものだが、今までの彼の戦績などからいってそれはないと判断され、ホムマンの罪は軽くなった。
処罰は、軽い左遷だったが、彼はそれを少しほっとしていた。
場所は前線から離れた小さな集落になる。
荷物を整理しながら、ホムマンは、ふと、自分が起爆スイッチを押した時を思い出した。
そう、確かに、押した。
彼の用意していた爆弾はどうやら、起爆する為に信号を伝えるコードが切れていたらしい。
【元】人間にそんな器用な真似は出来るわけない、なら、誰が?
思考から現実へ引き戻したのは、自分を呼ぶ声と、クラクション音だった。
ホムマンは窓からすぐ行くと、合図すると最後の荷物をバックに詰め込んだ。
それは写真立てで、中には写真が入っていた。
写真には小さな男の子二人が、女の子一人を挟んで、仲良く横に並んで写っていた。
それを見れば、ホムマンの子どもと勘違いされるが、よく見ればすぐに間違いとわかるし、何より本人がすぐに否定していた。
笑顔が印象的な左側の少年は赤茶、真ん中の少女は銀髪、恥ずかしそうに写っている右側の少年は灰色に近い黒髪金髪のホムマンとは似てもにつかないし、何よりホムマンは独身だった。
その写真は昔ホムマンが軍に入隊仕立ての頃、愛用のカメラで写真を撮るのが趣味だった。それはある街で出会った子どもたちだった。
子どもたちは、孤児である施設に預けられていたらしい。
写真の日付から逆算すると軽く十年以上は経っていた……。
もうみんないい大人なんだろうな、それとも……。
嫌な想像を頭から追い出して、気持ちを切り替えるために深呼吸。
部屋から出ると、自分を見送りに来た部下たちに挨拶すると、車に乗り込んだ。
発進した車は出来るだけ、管理の行き届いた道を進むが贅沢は言えない世界だ。
ガタガタ揺れる車内を紛らわす為に外を見やると、一つの人影が見えた。
人影は走っていた。 体型からして男だろう。
近付いてくる男は若くて年齢からして青年だろうと、そう思っていると車とすれ違った。
その時、ホムマンは何か思い出しそうになったが、また嫌なことを考えそうになったので、考えるのをやめた。
すれ違った車が自分の視界から消えるまで、青年はアスファルトの剥がれた道路の上に立っていた。
懐から、何かを取り出す。
それは若干、横に長い長方形の紙だった。
付け加えるなら、色もあせていた古い写真だった。
今から十五年前、彼がまだ施設にいた頃にまだ仲のよかった友人と遊んでいたところを写真を撮ってくれたことや、それを現像して三人に一枚ずつくれたことを思い出した。
青年はまた懐に写真を戻すと、再び駆け出した。
彼は今日も戦場へ駆け抜ける……。