0002 誘導、されますか?
固まっている美濃拓海――“篠宮香奈”に対して、にやにやと笑う悪魔は口を開く。
「どうかしましたか“篠宮香奈”! 入れ替わった事実に驚いた!? 女性になった真実におののいた!? ワタクシの存在そのものを恐れた!? まあいずれにしても過去は覆せませんがね! くふ、くふふ!」
常識から外れたその三つ全てから固まっていた“篠宮香奈”の思考回路が、その原因である宙に浮く悪魔の言葉によって次第に動き出す。
「え、あ、えっ」
動き出しただけで、意味のある言葉は紡げなかったが。
だから、思考回復、あるいはそこまでいかずとも一晩寝ればまたおもしろくなるだろうと悪魔ツァルトシエルは誘導する事にした。
「くふふ! “篠宮香奈”――美濃拓海! そろそろ寝たらどうでしょうか! ちなみにベッドはそちらですよ! ああ、その前に厠でしたね! そちらはそこの扉をでて右に行けばプレートがかかっています!」
「えっ、あっ、うん」
“篠宮香奈”はツァルトシエルの言葉に素直に従うが、別に能力なり魔法なりで操られているわけではない。ただ単に硬直した頭では『逆らう』事ができなかっただけだ。
そうして、“toilet”と書かれたプレートの掛けられたら扉の内で服を脱ごうとし、“篠宮香奈”は再びフリーズ。しかし今度は即座に再起動した。
「えっ、ちょっまっ」
「くふふ! どうかしましたか“篠宮香奈”! 厠に行かぬ人間など居らぬでしょう!」
悲哀と絶望、これらは悪魔にとって人間のご飯やパンと同じである。
人間が味気ないご飯しか食べなければ飽きるように、当然悪魔も糧を彩る副食を食べる。あまずっぱい恋情、焼け焦げた復讐心。冷たくて辛口な怒りに苦苦しい嫉妬心。
そして“篠宮香奈”のすぐ傍に居る悪魔ツァルトシエルは、自称“悪魔一の彩食主義者”である。つまり、人間の哀しみよりも、人間としての生の感情の方が好きなのだ。
だから、“篠宮香奈”の冷たくも熱い、青汁をかけたかき氷のような混乱と、本人も自覚していないだろう苦い恨みに舌鼓を打つ悪魔は手を貸さない。“彼女”が自分で乗り越えるまで何度でも味わえるのだから。






