1-2 中編
橙色の紙が貼られているビルを求めて、廃ビル街を歩き続けるが中々見当たらない。去年使っていたビルは黄色に張り替えられており、状態も悪くなってしまっていた。あれではもうじき赤色になるだろう。
日も段々と傾き始めてしまい、灰色だった空は黒色へと変化しつつあった。速く留まる場所を決めなければ気温も低くなり、体力を余計に奪われてしまう。
「君、そろそろ時間的にまずくないか」
「わかってるよそんなことは。日が沈んでしまう前に見つけないと、このあたりは夜になると氷点下まで気温が下がるんだよ。お前ならともかく僕みたいな服装だったら凍死してしまう」
いくつも廃ビルを巡り歩くが、どれも赤か黄色だった。
去年までは橙色の廃ビルは少ないが幾つかあった。なのに、たった一年足らずでここまで減ってしまっているとは。正直予想外だ。このままでは今年の冬ですら危ういかもしれない。
「んん、君もしかしてあのビル橙色じゃない?」
そう言って、焦げた煤が残る七階建ての廃ビルを指差す。入口に近づいて行ってみると足しかに橙色の紙が貼られていた。更新の日付を見てみると一週間前のようだった。これならば何の問題もないだろう。
空を見てみると既に灰色ではなく真っ暗な空へと変化していた。間一髪と言う所で見つける事が出来たようだ。
「お前って本当に運は良いみたいだな。今回はその運に僕も便乗した感じかな」
「偶然だって、そこまで俺は運よくないよ。肝心の宝石を落としちゃうしさ」
「それに関しては明日から早速探すことにしよう。まずはお前が此処に来てどのようなルートを辿ったのかを確認しないとな」
「了解。取り敢えず中に入ろう、寒くて仕方ないよ」
そそくさと中へ入っていく。僕もその後を追って中へと入った。
廃ビルの中は外観よりも比較的しっかりしていた。天井に亀裂は走っておらず、壁に幾つかの穴が見られるだけだ。これは結構な当たりかもしれない。廃ビル街で過ごすようになって、こんな状態の良いものを見つけたのは初めてになる。寧ろ今までどうして見つけられなかったのかが不思議なくらいだ。
暫く中の様子を見ていると奥から人影が現れた。慌てて持っていた懐中電灯に明かりをつけて確認する。するとそこには真っ黒なフードを被った少女が立っていた。ただ少女と言っても年齢は十三~十五歳くらいだろう。
そのフードから覗く目は虚ろではく、生きる意志が宿るしっかりとした目をしていた。
こんな目つきの人間にこの廃ビル街で会うのは初めてだ。大抵の人間は虚ろな目しかしていない。この少女には生に対する執着心を持つ何かしらの理由があるのかもしれない。その理由はもしかして僕と同じだったりするのだろうか…。
「ちょっと、いきなり直で明かりを当てられるのは眩しいんだけど。そろそろ足元に下げてくれない」
少女は眩しそうに手で目元を押さえてた。
「あ、ごめん」
慌てて懐中電灯を下に向ける。どうやらこの廃ビルには先客がいたようだ。
「お前以外に誰かこのビルにはいないのか?」
「初対面の人にお前って随分と荒っぽい言い方するのね。ま、そんなことはいいや。そうねこの廃ビルには今のところ、私とあなた達だけしかいないわよ」
どうやら僕たち三人だけがこの廃ビルを見つけられたようだ。
「そうそう此処に泊まるのは良いけれど、くれぐれも私の邪魔はしないでね。それじゃ」
それだけ言うと階段を再び登り、上の階へと消えていった。
「こんな場所にあんな女の子いるもんなんだな。俺思わず感心しちゃって言葉が出なかったよ」
「お前って心底驚くと本当に無口になるのか。なんだかわかりやすいな」
「いや、人間ってそうじゃないか?君だって俺とのカルチャーショックを受けた時無口になったじゃないか」
まー、確かに。
いやでも馬鹿が最上級の誉め言葉なんて聞いたら誰だって驚くだろうよ。寧ろこれに驚かない人間がいるのだとすれば、そいつは一体何ならば驚くのだろうか。
「とは言っても僕もあの目には驚いたけどね。こんな場所であんな目を見たのは初めてだったよ」
「そうなのか。俺の住んでいる場所でもあんな目をしたやつは見たことなかったな。君と同じ、生きる意志っていうのかな。そんなものを感じた気がするよ」
大方人間というのは、今生きていることに対して不安を抱えると大切な物も忘れてしまうものだ。だからこの場所には虚ろな瞳の子ども達しかいない。
生きているお化けのようなものだ。
「そういえば俺自己紹介がまだったたな」
「何だよ改めて。いきなりどうしたんだ?」
「いやいや、これから俺自身のために手伝って貰うんだから、名前くらいは知ってもらわないとね。俺の名前はコウって言うんだ。よろしく」
「コウか。わかった覚えておくよ」
「で、君の名前は?」
「僕か?名前なんて覚えてないよ。両親がいたことにはいたんだから、名前はあったのだろうけどね」
そもそもこの場所では名前なんていうものは意味がない。明日死ぬかもしれない存在なのだ。そんなものに、この世界で存在を証明する名前というのは無価値である。
「それじゃ俺が名前をつけてやろう」
「待て、どうしてそういう流れになるんだ。僕はお前にだけは絶対に名前を付けられたくはないぞ。変な名前を付けられるに違いないからな」
「でもさ、君のことを"君"としか呼べないのは不便だよ。他にも沢山人がいる場所で、それこそさっきの女の子がいる所で"君"って呼ぶと、どちらのことかわかりにくいじゃんか。だから名前は利便性のため付けさせてもらおう」
そう言っていきなり思考を初めて唸りだした。名前を付けられる僕の意思はまるで無視か。何か理不尽な名前を付けられてしまうペットの気持ちがわかったような気がする…。
「んんん、キララっていう名前はどう」
「ふざけんな!なんでそんなキラキラした名前を僕が付けられなきゃいけないんだよ。しかもそれってどう考えても、僕の性別を全く無視しているだろう。せめて男とわかるようなものにしてくれ」
えーといやな顔をする。僕が一番いやだっつうの。
「名前は無価値とか言っていたくせに注文が多いな」
「その名前は無価値どころか、マイナスの価値を僕に付与しかねないからだよ!」
よりにもよって"キララ"とは。一体どういうセンスがあればその名前を良いと思えるのだろうか。こいつの子どもは絶対に不幸になるぞ。それに例え女の子でも"キララ"は無いと思う。
「うーん、ピーンときたのが"キララ"だったからな。他に何かあると言えば」
こいつの直感は絶対に狂っている。でも住んでいる場所がここではなかったようだし、もしかして文化圏の違いという奴だろうか。にしても同じ言語で此処まで価値観のずれというものは起きないはず。単純にこいつがおかしいだけだろう。
「よしっ、それじゃ"ポチ"っていうのはどうだ?」
「待てい!それはどう考えても動物につける名前であり、人間に付ける名前ではないはずだ。お前は僕の事をペットにするつもりなのか?」
「え、そうなのか。なんだかやりづらいな」
何にこいつは驚いてるんだ。どう考えても"ポチ"は犬につける名前だろう。
「それともなんだ、お前の所ではポチなんていう名前の人間がいるのか?」
「勿論いるよ」
いるのかよ。ポチなんて名前の人間がいるのかよ…。
もしかしてこいつの住んでいる地域と言うのは、この世界から完璧に分離されているんじゃないだろうか。そう考えないとこの価値観の差異をどう証明すれば良いのだ。
「そのポチとかいう名前の人は本当に不幸だな。絶対にいじめにあったに違いない」
「そんなに酷い名前なのかよ。そうなのか…おじいちゃん苦労したんだなぁ」
「お前の祖父の名前かよっ!いや待てよ、何故祖父の名前を僕に付けようとしたんだ」
いやでも、昔は祖父の生まれ変わりとして自分の子どもにその名前を付けるという慣習はあったらしい。もしかしてこいつの住んでいた場所ではそれが残っているのだろうか。
「どうしよう、これからおじいちゃんのこと何て呼べば良いのかな」
「生きてるのかよ!生きている人間の名前を選んでどうするんだ」
「俺のおじいちゃんは社長なんだよ。だからその成功にあやかってと思ったんだけど」
社長なのか。つまりこいつの祖父は、会社内や世間でポチ社長と呼ばれていることになる。あんまりにもシュールすぎだ。
何だか自分の常識が疑われているような気がしてきたぞ。こいつがおかしいだけのはずなのに。
「実は今捜している宝石とかもおじいちゃんからの預かり物でね。仕事の手伝いと言う事でその宝石を預かったから、それを失くすのはかなり大変な事なんだ。お金もかかってるし」
「なるほど、だからそれを見つけないと家に帰れないのか。因みにそれ作るのにいくらくらいかかってんだ?」
「確か話を聞いた時には一兆リールだったかな。結構高い金額だから失くしたままにするのはねぇ…」
「一兆リール!?どう考えても国一つ変える金額だぞ。何でそんな小さな宝石にそんな価値がついてるんだよ」
それ以前にそれ程大切な物をなぜ易々と失くしているんだか。こいつの祖父も何でこいつなんかに、かなり大切な仕事を任しているんだ。人選ミスにも程があるだろう。
「詳細は企業秘密ってことで。例え君にでも教えることはできないんだ。教えたら殺されちゃうしな」
「でも、それを失くしている時点でお前は殺されかけていないか」
「その通りなんだよね。だからそれもあって、家に帰れないというかなんというか」
にしても自分の命が危ういというのに、どうして呑気なのだろうか。人に名前を付けるとか凄い余裕綽々なことをしているし。僕だったら血眼になってでも探すぞ。
やっぱりこいつは鈍感のようだ。
「はー、そろそろ眠くなってきたな。このビルの中で眠れる場所探そう」
「お前それで本当に大丈夫なのかよ」
「大丈夫だって。これでも今まで何とかなってきたんだ。宝石失くすのもこれで三回目くらいになるし」
三回とかいくらなんでもなくし過ぎだろう。こいつには学習能力という人間に必須な能力もかけているのだろうか。せめて二回目の時に学習しとけよ。
「さて、話を戻して君の名前のことなんだけど」
「まだ考えていたのかよ。僕に名前なんかいらない。そんなものお前なんかに付けられたって困るだけだよ」
「うーん、何が良いかな…」
「僕の話は一切無視かよ!」
「取り敢えず明日の朝までには待ってくれ。それまでにとても良い名前を付けてあげるから」
僕の話は完全に聞いてくれないようだ。名前を付けられる僕が嫌がっているのに、何故こんなにも意固地になって必死につけようとするのだろうか。
「わかったよ。それじゃ勝手に悩んで、迷って不眠症にでもなりな」
その後僕たちは廃ビルの中をいくらか探索し、三階のある一室を見つけそこで夜を過ごすことにした。因みに二階には既に先刻の少女がおり、階段を登ってきた僕らを「邪魔ださっさと行け」とでもいうような視線で迷惑そうに睨んでいた。どうやら一階での無駄話が二階にも聞こえてしまっていたのだろう。「邪魔をしないで」と言われた傍から僕たちは思いっきり彼女の邪魔をしてしまったようだ。
それにしても、人とこうし沢山喋ったのはかなり久しぶりだった気がする。今まで話をしてこなかった分を取り戻すように話した気分だ。
一体僕は小さいとき親とどんな言葉を交わし合ったのだろうか。そんな記憶は全然残っていないけれど色々想像してしまう。
…いけないな、こいつの影響かな。僕は有もしないことを考えるようになってしまったようだ。僕には未来も過去も語る資格のない存在だったはずなのに。自分の存在をあらためて自覚しなくては。余計な願い何て持ったら悲しいだけだ。
僕に約束された未来はないのだから。
でも、それでもどうしてこうなってしまったのだろうと思うことは今まで時々はあった。僕は春と夏と秋を隣町で過ごしている。隣町と言うのは風景からしてこの廃ビル街と正反対の場所だ。食料はあり、夜はまばゆい電気の光で町が満たされる。
かつての戦争の傷跡は残っておらず、まるで別の世界のようにそこで人々は暮らして人生を生きていた。僕らのような存在はその中においてゴミも同然。
いや本当にゴミだった。残飯処理としてその町に僕たちはいるのだから。
そんな僕たちを見つめる目というのは、殆どが人としてではなく生き物としてすら見てはいない。まさに真四角の無機物を見る目と同じ目だ。
時々、本当に時々かわいそうだ哀れだというような目で見つめる輩もいるが、決して彼らはそれ以上のことは何もしない。何もできないだけかもしれないが、そんなもの僕たちにはどっちも同じだ。
だからと言って彼らを恨んだりするつもりは全くない。見当違いも良いところだろう。僕たちがこのような存在となってしまったのは、彼らの責任ではないし責任を求めて負わせたって、背負いきれるわけがない。
彼らだって人間だ。
人間は強くない。
人間は弱い。
人間は不完全だ。
人間は死ぬ。
わかっている。そんなことはわかっているんだ。
ただそれでも町の中で親子が楽しそうに歩いている所を見ると、そんな当たり前の前提が吹き飛んでしまう。そして自分がこういう結果に至った起源を恨みたくなる。
憎いと感じてしまう。そんな感情は醜くて意味がないことは分かっているのに、無価値で無意味で無意義なのに。そんな感情が湧いてくる度に僕は死にたいと思う。この世界から自分の存在を抹消したいと思う。でもそれはできない。絶対にしたくない手段だ。
何故ならば僕の存在こそが僕の親がこの世にいたという存在の証、生きた証だから。
僕が死んでしまっては彼らの存在もこの世になかったことになってしまう。
それだけは絶対に嫌だった。絶対に避けたいことだ。だから僕は今を生きる。彼らが生きていた証をこの世界に刻むために、存在し続ける。
それが僕の使命。
少なくとも僕はそう思っているし確信している。誰が何と言おうとそれが僕の存在意義だ。
でも時々この使命に重みを感じる時はある。死にたいと思った事と、使命を捨てたいと思ったことは何度も何度もあった。死なせてくれない呪いと考えたことがあったが、そんな世迷い事みたいな考えはその度に捨て、生きてきた。
僕はこれから何回そんな悲しいことを考えるのだろう。後何回死にたいと思うのだろうか。僕はいつ死んでしまうのだろう。
…ああ、ダメだ。今日は何か下らない未来を考えてしまうらしい。
こんな無駄な思考なんて意味がないのに。
僕は今を生き残ればいいんだ。それだけ、それだけのことをやれば良い。
それ以上の事は願えないし、できないし、求められてもいないのだ。取り敢えずはこいつ、コウだったかな。コウの落とした宝石とやらを見つけなければ。僕の今年の冬の生活がかかっている。明日は廃ビルの中をしらみつぶしに探すことにしよう。
そして宝石をコウに渡して、はやくこの廃ビル街から帰してやらなければ。
コウは此処に居て良い存在じゃない。あいつはもっと別の世界、未来が約束された世界に存在すべきだ。