1-1 前編
それは今年初めての雪が降った時だった。膝まで埋め尽くすように白い結晶は視界一面を覆いつくし、その空は白に少しの黒を混ぜた灰色で僕を覆う。
手足は寒さで小さなとげに刺されたような痛さを訴えていた。当然と言えば当然だ。こんな雪が降っているのにもかかわらず、指三本で足りる数の服装しか身に着けていない。手袋はもちろん、靴も布で出来た防水なんかされていないものだ。
時々すれ違う人に同情というか悲哀が込められた視線を投げかけられるが、僕はそれに対して何にも答えない。答えるつもりもない。答えたからと言って何かくれるのだろうか?
同情するならお前の人生を寄越せ。
これでも僕は僕の人生を精一杯生きてきたのだ。願えばきっと奇跡が起こる、とか言っていた人がどこかにいたがそんなのはまやかしに過ぎない。願えば裏切られるだけだ、願えば失望するだけだ。
持つべきは今を生きる力。
今ならばこのような雪の中でも生き残ることだ。折角生きてきた十数年をこんなことで、毎年おこる繰り返しの一部に僕の命を殺されてたまるか。一昨年、去年と同じように生きながらえる。毎年決まった季節に雪が降るように、僕も毎年同じ方法で生き残り未来を歩く。
ではこの寒さをしのぐための方法とは何か。
簡単な話だ、どこかの建物に入り寒さをしのげれば良い。幸い僕の活動拠点としているこの地域には、廃ビルが山のようにある。どれもこれも焼け焦げており倒壊の危険性があるため、強制的に立ち退きが命じられたのだ。
ビルの入口には危険度を表す三色の紙が貼られている。一番危険なのは赤、二番目は黄色、三番目は橙色だ。
よってこれから向かう場所は入口に橙色の紙が貼られているビルだ。スリルを求めて赤に敢えて泊まり込むなんていう輩がいるけど、僕はそこまで自分の命を安く見ていない。それに往々にして危険度の高いビルは穴あきだらけで、寒い風が吹き込むし下手したら屋根も崩れ中まで雪が吹き込んでいることもある。
まさに死ににいくようなものだ。もっとも寝ている間に死ぬことができるから、ある意味では苦しまずに死ねる場所ともいえるかもしれない。もしかしてスリルを求めている物好きは自殺志願者なのか?
廃ビル街に入り、まずは去年橙色だったビルへと向かう。周囲を見回してみると去年は黄色だったビルが、赤色に張り替えられているものがちらほらと目についた。どうやら廃ビルの崩壊が結構進んでいるようだ。この分では今向かっているビルも黄色か、あるいは赤色に張り替えられている可能性がある。
そうなれば再び橙色の紙が貼られているビルを探せば良いことだ。
更に奥に進んでいく。すると僕と同じような存在が多くなってきた。ビルにこしかけていたり、窓辺から顔を出して見下ろしている。
全員虚ろな瞳で何を見ているかよくわからない。きっと見えもしない過去を思い出しているのだろう。あるいは先のない未来を見ているのかもしれない。
未来なんて言うものは僕たちには全くもって無意味だ。そんなものあっても今を生き残れなければ何の意味もない。未来に夢を馳せられるのは、今を生きることを保証されている人間だけだ。
今を生きられる保証のない人間には未来を夢見る、語る、願うこと自体に意義や意味は存在しない。虚しいだけだ。
空っぽである。
そんな存在の集まりの中に、未来を夢見る資格のありそうな特異な存在が在った。瞳は虚ろではなく、また服装も僕とは正反対でマフラーまでしている。手袋もあれは革だろうか、かなりしっかりとした服装をしていた。あんなしっかりとした服装を僕は今まで見たこともない。
そいつは丁度廃ビルの中から出てきた所のようだった。因みに入口には赤色の紙が貼られている。もしかして自殺志願者なのだろうか?いや、それにしてもあの目は今から死ににいくようなものではない。陰鬱そうな表情でもない。
ならば何故こんな所を歩いているのだろうか。
ジッと見ていると偶然目があってしまった。暫くなんの理由もないのにお互い視線をそらさず、見つめ合う。
いやいや、何でこんなやつと僕が目を合わせていなくてはならないんだ。
相手が女の子なら露知らず、相手は男だぞ。しかも容姿から察するに僕とはそこまで齢が離れているわけでもなさそうだ。僕にそんな趣味はない。
強引に目をそらして、視線を合わせないよう下を向きながら歩く。そしてそいつの目の前を通りかかろうとした時だった、急に首が閉まる感覚に襲われ後ろにぐいと引っ張られる。
あまりにもいきなり過ぎて体のバランスを崩してしまい、思いっきり冷たい雪の上に尻餅をついてしまった。幸いかなり雪が積もっていたので痛くはないのだが、それでも人前で無様な格好で転ぶというのは何か嫌なものだ。
「げほっげほっ、おい、いきなりなにするんだ!」
むせながら立ち上がり僕の首を絞めたであろう犯人に、目を向ける。
「ごめんごめん、ちょっと聞きたいことがあって呼び止めただけなんだけど、ちょっとやりすぎちゃったよ」
半笑いしながら手を前に合わせ一様の謝罪の態度を見せる。
「呼び止めるとか言いつつ僕、に対してまったく声をかけてないよな?むしろいきなり上着の襟もと掴んできたよな。そんなことしたら大体どうなるか見当くらいつくだろう。どんだけバカなんだよお前は」
全く、人に聞きたことがあればまずは「すいません、ちょっと良いですか?」位の言葉があっても良いだろうに。ま、そんな風に尋ねられても僕は恐らく無視しただろうけど。
「初めて来た場所だったからね、ついつい言葉よりも体が先に動いちゃったんだよ。どうも慣れない場所に来ると冷静でいられなくなるんだよな。いい加減大人になってそんな子供みたいなのは卒業したいんだけどね」
「お前は間違いなく大人になっても、その性質は卒業できないと思うけどな」
「これは随分と手厳しいな」
あははと笑いながら愉快そうな表情をする。こいつ自分がけなされても笑うとか、一体どんな性格しているんだか。プライドとかないのかな。
「でも君はこうやって話が通じるようで良かったよ。何か此処にいる人たちって話しかけても、うんともすんとも反応しないんだよな」
「当たり前だ。お前みたいな変人に誰が反応するっていうんだよ」
「俺は変人に見えるのか。んーやっぱり現地では現地の服装でいるべきなのかな」
現地?ということはこいつは余所から来た人間なのか。
となればなるほど、こいつの服装はどうりで見たことのないはずだ。こんな変てこな服装のやつは町でも見かけたことはない。
「何だ、お前よそ者だったのか。どこから来たんだよ」
「どこからねぇ、ずいぶんと説明が難しんだけど。うーんどう説明したら良いものか」
「自分が来た道筋すら説明できないのかよ。お前はとんだ馬鹿なんだな」
「いやーそれほどでも」
「誉めてねぇから!」
こいつの感性って一体どうなってるんだ?全く正気には思えないのだが。
「何処から来たか説明できないのならば、せめて此処に何しに来たのかくらいは言えるだろ。こんな辺鄙な場所に何しに来たんだ?」
「実は昨日此処に来た時に落し物をしてしまってね」
「落し物か、物によっては売り払われてしまってない可能性があるぞ」
ここには手に職もなく、金もない子供が沢山いる。そんな所で売れそうなものを落としてしまえば、無論それは売り払われて売った人の命を長らえさせる金となり二度と戻らないだろう。
こいつの服装からしてこいつの落としたものは、どんなものでも金になりそうだからきっと見つからないし戻らない可能性が高い。
「因みに何を落としたんだ」
「これくらいの白い宝石みたいなやつだよ」
親指と人差し指で子どもの手の大きさ程の長さを表す。
「宝石か。そりゃ絶対に戻らないと思うぞ」
「それは困るな、俺が家に帰れなくなってしまう」
「じゃなんでそんな大切なものを落としたんだよ。お前やっぱり馬鹿じゃんか」
「そんな誉めたって俺からは何もでないぞ」
「いや、だから全然誉めてないから。寧ろ僕はかなり軽蔑しているつもりなんだけど」
「え、そうなのか」
目を見開いて驚いている。本当に馬鹿だったらしい。
「この場所では馬鹿っていうのは誉め言葉じゃないのか…」
「はっ?この場所じゃない場所では馬鹿は誉め言葉なのかよ?」
「少なくとも俺の住んでいた場所では、馬鹿は最上級の誉め言葉だったぞ。頭のいい人のことを"お馬鹿さま"なんて呼んだりしているし」
「………」
思わず何の言葉も喉からでなくなる。住んでいる場所が違うとこうも言葉の意味って変わるものなのか?こういうのをカルチャーショックというのだろう。
予想外の衝撃に口をあんぐりと開けたまま、目が点になる。
「ははは、何ていうアホ面してるんだよ君は。そんなに"お馬鹿さま"が衝撃的だったのか。俺もビックリだよ。まさかこの場所では馬鹿と言う言葉が、軽蔑の意味で使われていたとは」
「だとすると今までの会話の中でも、意味の相違が起きている部分が無きにしも非ずなのか。何だかやりにくいな」
「大丈夫だって、コミュニケーションなんていうのはその場のノリで意外と何とかなるもんなのさ。この通り俺は何回か色々な場所を巡ってきたけど、生きられているし」
「それはお前が鈍感なだけなんじゃないのか」
「鈍感ね、確かにそれはあるかもしれないな。この通り変えるための大切な宝石まで落としちゃっているし」
ため息をついて肩をすぼめる。
そこまで困るような大切な物を落としてしまうとは、本当に鈍感で馬鹿なようだ。
「言っておくが僕は探すのに協力する気はないからな。これから今年の冬を乗り切るための居場所を探さなきゃならないんだから」
「居場所?君には家がないのか」
「ああ、このかた十年以上家なんて場所で時間を過ごしたことはないよ」
「それでよく生き残れたな。両親はどうしたんだ?」
「殺されたよ。俺が小さい時に戦争でね」
「…ごめん、何か余計なことを聞いてしまったみたいだね」
「すまない?ははは、何言ってるんだか。此処にいる子供はみんなそうだぞ。僕と同じ小さい時に親を殺されてしまった存在だ。だから謝る必要なんて全くない。同情もいらないよ。同情するんだったらお前の人生寄越しな」
そう、この廃ビル街は、その戦争の傷跡といったところだ。僕も昔はここら辺に住んでいたらしい。どのビルのどの部屋に住んでいたかは知らないけど。
此処周辺を拠点としてる子供たちの大半は、大抵この場所に住んでいた子ども達だ。
どこかに移動すれば良いと思うかもしれないが、行く場所も力も金もない。此処で生きながらえるしかないのだ。
幸い食料に関しては空襲を逃れた隣町に行けば沢山手に入る。
住む場所は此処、食料は隣町。意外とこの場所は住むのには適しているのだ。
因みに住む場所は此処と先ほどいったが、僕は基本的に冬以外は隣町に居る。何故かと言うと、やはり此処は危険なのだ。いつビルが倒壊するかわかったものではない。僕は自分の命は絶対に守りたい。
だからこの厳しい寒さを凌がなければならない冬のみ、この廃ビル街にくるのだ。
「僕たちに同情とか悲哀とか、無存在なものは何の意味もないからな。僕たちに必要なのは実態のある物だけだ。大体同情なんて言うものは、同情する人間が自分は正気であるっていうのを確認するための作業みたいなもんだろ。そんなのに付き合っていられるかっての」
僕たちはそこまで暇ではない。僕たちは一人一人地に足をついて生きているのであり、決してどこかの本やゲームに出てく"一般人A"ではないのだ。
「ということは、物質的な物が手に入るというのならば、俺に協力してくれるということだね」
「そういうことになるな。何だ、お前は僕を雇えるほど何かがあるのか」
「お金なら持ってるぞ。そうだな、それじゃ千リールでどうだ?」
「せ、千リール!?」
千リールっていったら半年は何もせずに生きていける金だぞ。何故そんな大金をこいつが持ってるんだ?
確かにこいつは身なりがしっかりしてはいて、良いところの人間というのはわかるが、それにしたってそんな大金をぽんと出せるのってどういうことだ。
「本当にそんな大金用意できるのかお前?」
「え、千リールって俺の一か月分の小遣いだぞ」
「毎月タダで千リールもお前はもらってんのか!?意味わからねぇよ。一体金持ちは頭の中どうなってんだ。こんな馬鹿が生まれるのもうなずけるな」
「いやーそれほどでも」
「だから誉めてねぇって!」
と言ってもこいつの住んでいる所では、馬鹿と言うのは立派な誉め言葉だったんだよな。
「それで俺の探し物、手伝ってくれるのか?」
「まー、良いだろう。千リールもあればこの冬は安心して過ごせそうだしな。その話に乗ろう」
「よしっ、それじゃ契約成立な」
お互いに握手をして、契約が成立したことを確認する。
「でだ、何処から探せばいいのかな?」
「その前に、お前は今夜泊まる場所決めてんのか?」
「えっとー、特に決めてはいないかな…」
普通物を探す前に自分の活動拠点は確保するもののはずなんだけどな。
「今から町に戻っても見つかる保証はないと思うぞ。宿屋は今の時期大抵は埋まっているだろうし」
「そうだなー、しょうがない。このビルの中にでも泊まるかな」
そう言って赤色の紙が貼られたビルを指差す。
こいつ覚めることのない眠りにつくつもりなのだろうか。
「あのな、赤の紙が貼られているビルはもう倒壊寸前なんだよ。せめて黄色か橙色の紙が貼られているビルを選べよ」
「そうだったのか!?俺あのビルの中で一夜を過ごしたばっかりだぞ…」
「お前運だけはあるみたいだな」
その時だった。今話題となっていたビルの中から、コンクリートと鉄の塊が落ちる音が響き、窓から土埃が一斉に噴出し周囲一帯が鼠色の視界に包まれた。
それを見た隣のそいつは、額から冷や汗をこぼし生唾を飲んでいた。命の危機が迫っていたことに今更ながら実感したのだろう。
「俺って本当に運があったんだな」
「ああ」
ビルの半壊による音が響き終わるまで、僕たちは一言もしゃべらなかった。というかこいつが話しかけても反応する気がしなかったので、取り敢えず目の前の崩壊が止まり一区切りつくまで待つことにした。(それほどこいつは、驚き入っていた)
数刻して音はなりやんだ。埃が晴れるとともに、こいつの意識もだんだん現実へと戻ってきた。
「それじゃ、安全な寝床を探しに行くぞ。ついて来い」
「あ、ああ。わかった」
僕たちは空と同じ灰色に変わってしまった地面を歩く。
取り敢えずは、今日の寝床となるビルを探しにいかなくては。先ほどのようなビルの倒壊に巻き込まれたくはないので、赤いビルだけは何としてでも避けたいところだ。
「ところで、僕はついさっきこのビル街に来たばかりだから現在の廃ビルの状況はきちっと把握はできていないんだけど、橙色の紙が貼ってあるビルは見なかったか?」
「んー、ここら辺は殆どが赤い紙のビルばっかりだったかな。ちらほらと黄色の紙のビルは見かけた気はするけど」
どうやらビルの崩壊は結構進んできているようだ。
それもそうか。このような惨状になってはや十年以上を過ぎているのだ。寧ろ今までビルの形を保ってきたことに驚くべきなのかもしれない
これは橙色という高望みはせず、黄色の紙で状態がましに見えるものを選んだ方が良いだろう。無駄に歩いて体力を消耗してしまっては元も子もないだろう。
問題は来年以降の冬か。流石に隣町にはこんな廃ビルがあるわけではない。
だから隣町で冬を越すというのは限りなく難しいのだ。殆ど凍死してしまうのが目に見える。
ま、そんな未来のことなんて考えても仕方がない。まずは、今年の冬の拠点を探さなくては。