EP8:ドールフェイス・ペルザー、マリアンヌが好きなもの
「せっかく一年ぶりにザルツブルクに来たんだから、マリアンヌにあってやってくれ」
レオポルトが何気なく話しかけると、フランツは不意を突かれたように口をつぐんだ。
フランツがボソボソと
「もう一年もたつのか・・・・・。
よし、行こう。
xx墓地だね?」
レオポルトがうなずき、ぐったりと体をあずけていたマホガニー製の肘掛け椅子から大儀そうに立ち上がり、外出の支度を始めた。
フロックコートにトップハット、皮手袋に杖と、どこに出しても恥ずかしくない紳士の装いで二人はザルツブルクの街を歩き始めた。
石と石の間が汚れて黒ずんだ石畳で舗装された路を歩いていると、建築中の賃貸集合住宅が目に入った。
フランツはキョロキョロし始め、「あっ!」と声を上げ、周囲に木製の足場が組み上げられた、ある賃貸集合住宅の外観デザインを杖で指し示した。
レオポルトがその方向を見るとフランツが
「あれを見ろ!マリアンヌの上に落ちた切妻と同じ天使の彫刻がある!
所有者が同じかもしれないぞ!
話を聞いてみよう!」
建築中の足場の下にいる作業員に近づいた。
その作業員は木の大桶に入った灰色の泥状のものを木製の撹拌棒で熱心に混ぜている。
かき混ぜるタイミングにより、繊維状のものや砂状のものが表面に浮いて見える。(*1)
フランツがその『漆喰職人』に
「あの、柱廊玄関の上にある切妻の天使の彫刻は、事前に工房で型取りした石膏ベースの人工石で作ったものかな?」
指さした場所には、二人の天使が向かい合ってモノグラムが書いてある開かれた本を捧げる大理石の彫刻、のように見える化粧漆喰の装飾があった。
石灰を混ぜる手を止めず、職人が視線だけを一瞬、フランツに向け
「そうだ。
建築主のこだわりでね。
所有する賃貸集合住宅はすべてこの装飾の切妻を使ってるらしいね。」
気づくとレオポルトが石灰の大桶のすぐそばまで来ていて
「ウィーンにある賃貸集合住宅も?
建築主の名前を知ってますか?」
職人が石灰に気を取られて、撹拌棒の動かし方を変え様子をうかがい、返事するまで少し間があった。
「簡単なように見えて、この作業が一番大事なんだ。
ちゃんと混ざってないと仕上がりが悲惨だからね。
なんだっけ?
ウィーンにもあるかって?そうだ、あちこちにあるんじゃないかな。
なんせ建築主は大富豪らしいからね。
名前・・・・?
知らねぇな。
現場監督なら知ってるかもよ。」
レオポルトはトップハットの端をつまみ
「ありがとうございました」
呟くと、足場のある建築途中の柱廊玄関の真下まで歩いてきて、切妻の天使の装飾を眺めた。
ジッと見つめるうちに、いつの間にか横に並んだフランツが「あっ!」と先に声を上げた。
レオポルトが同意するようにうなずき
「そうだ。
天使の捧げている本にあるモノグラム。
あれは『A.B』と読める。
建築主の名前の頭文字かもしれない。」
二人は再びxx墓地に向けて歩き始めた。
フランツは
「マリアンヌの事故について、落ちた切妻の賃貸集合住宅の所有者は厳しく処罰されたんだろうね?
『刑法典』があるしね。(*2)
『一般民法典』(*3)があるから賠償金も支払われたんだろ?」
レオポルトはまっすぐ前を見て、歩を緩めず歩き続けながら
「事故の責任者である賃貸集合住宅の所有者の処罰がどうなったかや、賠償金を受け取ったかどうかの情報は僕にはきてない。
新聞にも『落ちてきた切妻によって少女が事故死した』としか書いてなかっただろ?
父と所有者の間でどういう取引があったのかは知らないが、よっぽどの有力者なんだろう。
所有者が無処罰で社会にのさばることを、父が黙認したということは。」
フランツが歯ぎしりして
「じゃ、今も危ない建築物を作り続けてる?!
なんだって!!??
世の中どうなってるんだ!」
レオポルトは平然と
「そうとは限らない。
重さは減らしたかもしれないし、人工石のアンカーを太くして落ちないように改善したかもしれないぞ。
現在の装飾物の不備を訴えても無駄かもしれない。」
フランツが
「おじさんがヤツと密約を交わしているなら、僕たちだけでヤツに近づき復讐しないとな」
レオポルトは呆れたようにため息をつき
「まだあきらめてなかったのか。
何も言わなくなったからあきらめたのかと思った」
フランツが怒りで顔を赤くし
「まさかっ!
僕のマリアンヌを殺したやつを許せるわけがないっ!
法律がさばけないなら、僕が犯人を見つけ出して、この手で罰を与えてやるっ!
殺すっ!・・・のはやりすぎか・・・・?」
レオポルトが肩をすくめ
「『僕のマリアンヌ』だって?
やめてくれ。
他人が聞いたら勘違いするじゃないかっ!」
ちょうどそのとき、xx墓地の入口に到着し、半円状の回廊を歩き、グリュンタール家の納骨堂の前までやってきた。
マリアンヌの名が刻まれた墓石を隔てる鉄格子の前で立ち止まった。
白い息とともにレオポルトの口から出た言葉は
「大きい犬、寒い冬の朝、バイオリンの練習、算数、魚料理、」
フランツが眉を上げ目を丸くして
「それは何?」
レオポルトが
「マリアンヌの嫌いなもの」
フランツは墓石を食い入るように見つめ
「・・・・そっか。じゃ好きなものは?」
レオポルトは不意に踵を返し、墓石に背を向けた。
「猫(*4)、雪遊び、ヨハン・シュトラウスを聞くこと、カフェでザッハトルテを食べること、ウィーン・・・・が好きだった。
僕たちも戻ろう、ウィーンへ」
吸い込んだ息に混じる氷の破片が、肺を刺すような早春の午後。
無気力な長い冬を終え、活力を取り戻しはじめた陽射しが、枯草の霜を溶かしつつあった。
(*1:泥状の石灰に水や砂や動物の毛・麻の繊維を加えて混ぜるそうです)
(*2:『重い禁錮刑: 手抜き工事を指示した施工業者(親方)、建築家、あるいは構造を承認した検査官などは、事故の規模や被害者の数に応じて、数ヶ月から数年の重禁錮刑(Kerker)が科されました。』そうです)
(*3:『建物の一部(外壁の漆喰、天使の彫刻、バルコニー、階段など)が崩落して人に損害を与えた場合、その時点の建物の所有者(オーナー/家主)がすべての損害を賠償しなければならない』そうです。)
(*4:顔がつぶれてないペルシャ猫)
次回以降の6話は以前公開した作品です。
一度お読みくださった方は読み飛ばしていただいて大丈夫です!




