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ヒンメルスボーテ、天運の使者~帝都ウィーンで妹の復讐を誓う青年たち~  作者: RiePnyoNaro


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EP23:グレート・スティンク、汚水の混じった水

 大学の試験期間中、レオポルトの下宿で、現実逃避のために、グラーツで起きた『便槽(ゼンクグルーベ)凍死事件』について話題にしていたフランツが、


「あの事件は今思い出しても奇妙だったね。

便槽(ゼンクグルーベ)で『のぞき』をしようとして死ぬなんて、『不運』や『変質者の自業自得』という言葉だけでは言い表せない複雑な感情になるね。

臭いと言えば、去年、父が商談でロンドンに出かけた時のことなんだけど、君は


『大悪臭(Great Stink)(*1)』


を知ってるか?」


レオポルトはまだ飽きずに、試験範囲の線形代数の問題集に没頭していた。


フランツの声に没頭から覚めたレオポルトが


「『大悪臭』?

あぁ、大変だったらしいね。

今も大して改善していないようだが、すべては貧弱な下水道のせいだね。

一説によるとコレラの発生原因は『瘴気』(*2)ではなく『汚染した水』を飲むことによるらしいが、下水が飲料水に混ざればコレラが流行するのは当たり前だな。」


フランツは自分より詳しいレオポルトに苛立ったが、機嫌を直して


「その『大悪臭』がピークだった猛暑のロンドンにいた父がね、そこに商機を見出したんだ!

何だと思う?」


レオポルトはつまらなそうに肩をすくめ


「思いつくことと言えば、下水を殺菌・消臭するための『さらし粉(クロールカルキ)』やその原料の『石灰』を、または『フェノール』やその原料の『コールタール』を買い占めて、高値で転売するとか?」


予想以上に詳しいレオポルトに、フランツはまたイラっとして、口をとがらせ、


「ま、そうなんだがね。

父はロンドンで起こったことがウィーンでも起こりうると考えて、『さらし粉』の製造会社をたずねて、大量に仕入れようとしたんだ。

そこで、製造会社と交渉するうちに、ロンドンで『大悪臭』が起こる数年も前に(・・・・・)、すでに『さらし粉』を買い占めてた人物がいたことが分かった。」


レオポルトは目を細め眉間にしわを寄せた。


「それがアドリアン・ベッカーなのか?」


フランツが驚いたように眉を上げ、目を丸くし


「そうだっ!

よくわかったな!

マリアンヌを殺したあのベッカーだよっ!

奴は目端の利く凄腕の商人でもあったんだ!

時勢を読み、需要が増えそうな物を先取りして買い占める!」


レオポルトがフン!と鼻で笑い


「じゃ、すでに数年前に、下水道の土木会社や、そこで使われるレンガ・セメントの製造会社の『株』も買い占めてるだろうな。

ロンドンで大規模な下水道整備工事が始まることも予想してるだろうから。

下水がテムズ川に絶対に混入しないシステムを作る必要があるから、これから国をあげて取り組むだろうし。」


自分の言葉に悪い予感がしたのか、表情を曇らせたレオポルトが


「まさか・・・・父は・・・ベッカーからその(たぐい)の情報を得て株式投資で潤っているのか?!

その恩があるからマリアンヌのことでベッカーを責めないのか?!

信じられない!

父が欲に目がくらむような人間だったなんて!」


怒りと諦めが混ざったような微妙な表情のフランツが


「そうか、それなら・・・・一概に父君を責めることもできないな。

マリアンヌは可哀想だが、父君だって、君たちを幸せにしようとして金儲けに励んでるんだから。

正しい情報を持っているベッカーを信頼し、何度も儲けさせてもらってるなら、ベッカーと対立することは避けるだろう。

それが人情ってものじゃないか?

利益だけを享受し、いざ被害を受けたら相手の非を責め立てて破滅させるなんて、父君がそんな冷酷な人間であるよりはマシじゃないか?」


レオポルトは心底軽蔑にしたようにフンッ!とさっきより大きい鼻息をたて、


「娘を死に追いやった野郎でも?

ずさんな手抜き工事を見過ごし、何の罪もない娘を殺した奴を許せる父親なんてこの世にいるのかっ?!

金儲けなんてくそくらえだっっ!!!

僕は浮浪者になったってベッカーを糾弾するぞっ!

いいや、社会的にも人間的にも破滅させてやるっ!」


普段は穏やかで静かな、体温の低いレオポルトが豹変して血液が沸騰するほど怒りを(あら)わにするさまに、フランツは驚きと恐れを抱いた。


いざとなったら世界中の誰が何と言って引き留めても、地の果てまでもベッカーを追い詰めて殺しかねない狂気を感じた。


(*1:大悪臭(だいあくしゅう、英:Great Stink)とは、1858年の夏にイギリスのロンドンで発生した悪臭のことである。

水洗式便所により急激に増加していた汚水により汚水槽は溢れ、雨水用の道路の排水口を経てテムズ川に流れていた。

1858年の夏、下水であふれたテムズ川とその支流では猛暑によりバクテリアが繁殖し、悪臭を放っていた。尋常ではない悪臭は庶民院や裁判所の業務に支障をきたした。事態は大雨により収束したが、公衆衛生に対して腰が重かった行政に批判が高まり、1865年に地下下水道が通された。)

(*2:瘴気(しょうき)は、古代から19世紀まで、ある種の病気(現在は感染症に分類されるもの)を引き起こすと考えられた「悪い空気」。気体または霧のようなエアロゾル状物質と考えられた。)


次回以降の3話は以前公開した作品です。

一度お読みくださった方は読み飛ばしていただいて大丈夫です!

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