第七話 闇が、破裂した
堕鬼は、もはや人の形を保っていない。
額にあたる場所からは、痛々しく角が生えてた。
目を背けたくなるような姿。
瞳は赤眼に変色し、皮膚からは不自然に蒸気を発している。
背骨が不自然に隆起し、四肢は歪み。
指先は獣の爪のように命を奪う、鋭さを宿していた。
「──────ッ!!」
不揃いな牙の合間から、絶え間なく涎を垂らしながら、声にならない咆哮が轟く。
それだけで、空気が震え、森の木々が一斉に揺れた。
力は、剥き出しだ。
もはや、自我はないだろう。
ただ──壊すための衝動。
堕鬼は走る。
否、跳ぶ。
木々を薙ぎ倒し、闇雲に剛腕を振り、岩が砕け、その狂気が地面を抉る。
純粋な暴力。
理性を代償に得た、単純で圧倒的な力。
容赦なく破壊は、村に迫る。
──しかし。
その前に、整然と並ぶ人影があった。
「……来るぞ」
低い声。
合図と同時に、鬼狩りたちは一斉に動いた。
前衛が三。
中衛が二。
後衛が一。
何か意味があるのだろう。
源頼光の子孫たちも、同じような配置だった。
どうして、そうなるのかは、まだ……わからないが。
前衛の一人が、地を蹴った。
刀は抜かれない。
代わりに、地面へと何かを打ち込んだ。
「──縛」
瞬間、堕鬼の足元から文字が走る。
地面に刻まれた紋様が光り、文字は鎖のように堕鬼の脚を絡め取った。
堕鬼は吼え、力任せに引きちぎる。
だが、その一瞬が致命的だった。
「右肩、削れ!」
中衛が放った矢が、堕鬼の関節を正確に撃ち抜く。
肉が抉れ、黒い血が飛び散る。
「────ゥヴアアアアッ!!」
堕鬼は怒りに任せ、前衛へ突進する。
だけど、そこには“いない”。
前衛はすでに、退いていた。
堕鬼は、その場所へと誘い込まれる。
「囲め」
後衛の声。
瞬時に陣形が変わる。
再度、地面に仕掛けが打たれ、堕鬼は無数の鎖に絡め取られる。
退路が消えた。
暴力が技術の枠に閉じ込められていく。
堕鬼の詰みだ。
暴力を、暴力で上回るのではない。
研ぎ澄まされた技術を持って、揺るぎない統制で削ぎ落とす。
堕鬼は強い。
だが、人間は完成されていた。
「首を落とす」
短い宣告。
一閃。
首が落ちた。
堕鬼の身体は、二拍遅れて崩れ落ちる。
熊よりもでかい巨体は地面に伏した。
沈黙。
誰一人、勝利に酔わない。
「よし、俺たちは堕鬼の後始末と、周辺を捜索する」
「了解しました。なら、私たちは、村の警護を」
二手に分かれた鬼狩りたち。
血を拭い、仕掛け──札を回収。
そして、淡々と作業を続ける。
──俺は、それを影の中から見ていた。
「すごいな」
そう思った。
無駄がなく、全てが計算されているように見えた。
美しいとすら、感じた。
……そう思えた自分が、少しだけ怖くなる。
強さじゃない。
徹底された合理。
力の権化である堕鬼が、何も出来ずに終わった。
里で堕ちた鬼を退治するのは、大事だった。
ここまで、人と鬼に差があるのか……。
俺は彼らの行動を、見逃さないように目を凝らす。
その時。
後処理をしている3人の鬼狩りたちの奥。
戦いに参加していなかった人間に目が止まった。
仁王立ちで立つ女。
白金の髪にゆったりとした装束。
戦場に似合わないほど、余裕のある佇まい。
他の人間とは、雰囲気が違う。
彼女だけが、動いていなかった。
ただ、楽しそうに──観察している。
そして、目を疑うものがあった。
頭部に動物の耳が生えている。
それに、尻の辺りから尻尾のようなものが見え隠れした。
「何だあれは……あれは……狐の……尻尾?」
その金色の瞳が、影に沈む俺と、
──視線が交差する。
「……あら?」
小さく、首を傾げる。
「変ねぇ」
一歩、こちらへ踏み出す。
影が、ざわりと揺れた。
(気づかれた!?)
そんなはずはない。
影に潜めば、視線は届かないはずだ。
だが、女は確実にこちらを見て、近づいてくる。
「どうかしましたか? 先生」
鬼狩りの男が、女に声をかけた。
その声音は、先ほどの戦闘時よりも、低く棘があるように感じた。
「…………鬼の瘴気が濃いわね。やっぱり、結界を開けた影響かしら」
「そうですか。では、さらに見回りを増やすよう上に連絡します」
「その方が妥当ね。私も結界の手入れをしてくるわ」
女の意識が男へと移るのを見逃さない。
影の性質だと、ここで動かない方が、存在を隠せる──そう判断した。
俺は、話をしている間に、ありとあらゆる感情を影に流し込む。
影と一体化するよう感覚を馴染ませる。
だが、甘かった。
彼女の視線が、しっかりと縫い止める。
まるで、蜘蛛の巣のように纏わりつく。
「承知だと思いますが、あまり勝手な事をされると……」
男は、言いにくそうに言葉を漏らした。
それに対して、女は大きく溜息を吐く。
「悲しいわ〜、こんなにあなた達に尽くしてるのに。信用されないなんて〜」
扇子で顔を隠し、泣くそぶりを見せる。
「大丈夫よ。そもそも変なこと出来ないように管理されてるしぃ〜、それに私、鬼は嫌いだもの」
鋭い目が、獲物を捕食するかのが如く、しっかりと俺を捉えていた。
「失礼しました。それでは、私たちも浄化作業が済み次第、合流します」
「はーい。よろしくね〜」
声は軽い調子だが、目が据わっている。
その歪な雰囲気が、不気味に感じられた。
そして、影が踏まれる。
「何で、ガキがここにいるのかしら?」
くすり、と笑う声。
「しかも……他の子は気づいていないみたい」
扇子で口元を隠しているが、大きく笑っているのがわかる。
むしろ、舌なめずりをしててもおかしくなかった。
鬼狩りたちは、まだ気づいていない。
彼女だけが、俺を見ている。
──影の力を過信してしまった。
彼女は、楽しそうに目を細めた。
「ふふ。面白いものを見つけちゃったわ」
その言葉に、なぜか──
拒絶より先に、影に沈めたはずの感情が揺れた。
何を戸惑っている?
影が、逃げ場を失う。
この女には、殺気がない。
ただ、おもちゃを見つけたような笑顔。
影を無視して、女の腕が入り込む。
その手はしっかりと俺の腕を掴んだ。
──影が、霧散する予感がした。




