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酒呑童子の息子だけど、勝てない戦争なので影に潜むことにした  作者: 兎楽


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第十三話 いつものように

 

 次の日。


 私は……いつの間にか、寝てしまっていたらしい。

 早めに目覚ましをセットしておいて良かった。

 急いで、手を念入りに洗い、準備に取り掛かる。


 なぜなら、今日は、お弁当を二つ作るのだから。

 一つは自分の分。もう一つは、墨くんの分。

 台所に立ち、ご飯を炊いて、卵焼きを巻いて、前の晩の残りのおかずを詰める。

 二人分を作るのは、一人分とそう変わらない手間だった。

 でも、いつもと、包む時の気持ちが違う。

 口に合うだろうか……。

 今頃になって、そんな心配と緊張が湧いてくるのだった。


 ✳︎✳︎✳︎


 お昼時間、私は仲良くしてくれるグループと食べる。

 それでも、視線は自然と墨くんへ、吸い込まれた。


 墨くんが、お弁当箱の蓋を開けると、表情は変えないが、目元が僅かに柔らかくなった気がした。

 少しホッとする。

 その間に、墨くんは唐揚げをパクりと食べた。

 普段は無表情なのに、美味しそうに食べる姿を見て、たまらなく嬉しくなる。


 ──良かった。


 おかずの中で唐揚げを、最初に手をつけたことも忘れない。

 明日は多めに入れよう。


 ✳︎✳︎✳︎


 その日の帰り道、墨くんから話しかけてくれた。


「……お弁当、美味しかった。卵焼きに出汁を入れてるのか?」


「わかるの?」


「……わかる」


 それだけ。

 でも、嬉しかった。

 誰かのために作って、それを食べてもらえることが。

 必要とされている——いや、違う。これはもっと単純な感情だ。


 ただ、嬉しい。


 そう思えることが、少しだけ怖かった。

「嬉しい」は、いつか「失う」に変わる。

 パパとママの時も、そうだった。


 ──考えちゃダメ。


 家の中、一人。

 弁当箱を洗いながら、私は首を振った。


 ✳︎✳︎✳︎


 墨くんと帰るようになって、一週間が経った。


 不思議な時間だった。

 会話は少ない。墨くんは自分から滅多に話さないし、私が話しかけても返事は短い。

 それなのに、沈黙が苦しくない。


 最初は、何か話さなきゃと焦って、天気の話を三回もした。墨くんは三回とも「そうだな」とだけ答えた。

 だけど、少し慣れた。

 黙って歩くことが、この人との正しい距離なのだと分かった。

 最近は──沈黙が、心地よくなっていた。


 昼休み。

 女子のグループで、いつものように昼食を取っていると。


「ねぇ、双花。最近よく一緒にいる男子いるじゃん」


「男子?」


「ほら、窓際の……あの、なんだっけ。名前が出てこないけど」


「墨くん?」


「そうそう。あの……あれ? えーと、顔が思い出せない」


 首を傾げるクラスメイト。


「つーか誰? うちのクラスにそんなやついた?」


「いたでしょ。窓際の一番奥の席」


「え……ああ。あれ? あそこ、田中の席じゃなかったっけ。田中って、墨って名前だっけ?」


「影薄すぎでしょ」


 ウケると笑う女子たち。

 墨くんの存在が、どれほど薄いかを思い知らされる。

 一緒にいる私ですら、たまに朝目が覚めると、彼の顔がぼやけていて……教室で見てようやく「ああ、墨くんだ」と思い出す。


「双花の彼氏?」


「違うよ。ただの……友達」


 友達、という言葉が、口の中で転がる。

 墨くんは友達なんていらないと言った。

 なら、私が勝手にそう呼んでいるだけだ。


「双花ってさぁ、そういうとこあるよね。誰にでも優しいっていうか」


「放っておけないんでしょ。天使だもんね、ふーちゃんは」


 天使。

 また、その言葉。


 私は天使なんかじゃない。天使は選ばなくても愛される。

 私は選ばれるために、差し出し続けているだけだ。


 笑顔を返す。

 いつもの、形だけの笑顔。


「てか、佐藤くんが、双花のこと、気になってるらしいよ〜。双花は人気者だね〜」


 どこか、棘のある言い方に、食べ物が喉を通らなくなる。

 佐藤恭介。同じクラスで、顔も良く、成績も優秀。

 この第六では、一番実力があると噂されている、女子から人気の生徒。

 だけど私は、この人が放つ視線と声が怖くて苦手だった。

 笑顔の奥に刃物を隠しているような、隙のない冷たさ。

 人気はある。でも、近づきたくない種類の人間だ。


「そ、そうなんだ、ね」


 どうにか笑って、お茶を濁す。


「双花、全然食べてなくない? 大丈夫そ?」


「ウケるっ、今日の弁当、量ヤバくない?」


「えっと……ちょっと多めに作っちゃっただけ」


 嘘をついた。

 これは、墨くんの分だ。

 今日は勇気を出して、一緒にお昼を食べようと誘うつもりだった。

 でも、朝から彼の姿はなかった。


「そういう抜けてる所も、モテるっていうか〜」


「そ、そんな事ないよ」


 また、笑顔で返す。


 墨くん。


 あの人は、私に何も求めない。

 優しさも、笑顔も、役に立つことも。

 何も求めないのに、隣を歩いてくれる。


 それが、どれほど珍しいことか。

 あの人は、きっと知らない。


 ✳︎✳︎✳︎


 五限目が終わった後、廊下で声をかけられた。


「双花ちゃん」


 振り向くと、鈴木くんが立っていた。


 同じクラスの男子。

 後ろの席から、いつも玉藻先生にちょっかいを出す、あの男。

 先生を式神にしたいと言い放ち、先生に凄まれて真っ青になった後も、懲りずに授業中に絡み続けている。


 女性と話す時、視線がいつも胸の方に落ちているのを、私は気づいていた。


 最近、佐藤恭介くんと一緒にいるのをよく見かける。

 佐藤くんの隣にいるせいか、鈴木くんの態度が攻撃的なのが際立っていて、怖い。


 それにあの二人の関係は、友達というより——上下を感じさせる。


「ちょっとだけ、話したいことがあるんだけどさ〜、放課後空いてる?」


 断ればいい。

 用事がある。墨くんと帰る約束がある。

 帰り道に寄りたいお店もあるし。


「……うん、いいよ」


 声が出ていた。


 断れなかった。

 いつものことだ。

 墨くんとの約束は「約束」ですらない。

 先生に言われたから送ってくれているだけ。

 鈴木くんの方が、わざわざ私を選んで声をかけてくれた。

 それを断るのは──。


 何が怖いんだろう。

 嫌われること? 違う。

 鈴木に嫌われても、別に困らない。

 でも、「断る」という行為そのものが、身体に刻まれた傷に触れる。


 断る=拒絶する=相手を傷つける=傷つけたら、いつか返ってくる。


 そんな等式が、頭の中に染みついている。


 鈴木くんは笑い、「じゃあ放課後、東棟の倉庫の前で」と言って去っていった。

 あの笑い方が、嫌だった。

 唇の端だけが上がる、粘ついた笑み。


 倉庫。

 放課後の東棟は、人が少ない。

 嫌な予感がした。


 でも、断れなかった。


 ✳︎✳︎✳︎


 放課後。


 教室を出る前に、窓際の一番奥を見た。

 墨くんは、いなかった。

 鞄もない。もう帰ったのか。


 ──ちょっとだけ、胸が沈んだ。


 一言、断りを入れたかった。

 今日は先に帰る、ごめんね、と。

 それが言えなかったことが、鈴木くんの誘いを断れなかったことよりも、ずっと胸に刺さった。


 でも、いないなら仕方ない。

 きっと、玉藻先生に呼ばれたのだろう。

 あの二人は、時々職員室で話し込んでいる。

 先生と生徒なのに、もっと近い関係に見えることがある。

 家族のような、でも家族とは少し違う、不思議な距離感。


 東棟へ向かう。

 廊下は静かだった。窓からの西日が、埃を金色に染めている。

 足音が、自分のものだけ。

 一歩進むごとに、嫌な予感が膨らんでいく。


 戻ろう。

 まだ間に合う。引き返して、校門の前で墨くんを待とう。

 来なかったら、一人で帰ればいい。一人の帰り道は慣れている。


 足が、止まらなかった。


 倉庫の前に着くと、鈴木くんが待っていた。


「来てくれたんだ。ありがとう」


「うん。話って何?」


 鈴木くんは、倉庫の扉を開けた。


「中で話したいんだ。ちょっと人に聞かれたくなくて」


 嫌だ。


 思った。

 はっきりと、嫌だと思った。


 暗い倉庫。

 人気のない場所。

 扉の向こうが見えない。


 胸の奥で、何かが警鐘を鳴らしている。

 身体が知っている。この状況がどこに向かうか。

 幼い頃の記憶が、薄く重なる。


 閉じた空間。逃げ場のない場所。優しくした相手が、牙を剥く。


 嫌だ。


 その二文字が、喉まで上がってくる。

 口を開けば出る。たった二文字。


 でも。


「……うん」


 足が、動いた。


 断れば、嫌われる。

 嫌われたら、もう声をかけてもらえない。

 必要なくなる。

 一人になる。


 頭の中で、いつもの声が回る。

 もう一つの声が、叫んでいる。


 やめろ。行くな。入るな。


 その声を、飲み込んだ。

 いつもそうだ。あの声は、いつも正しい。

 正しいのに、私は従わない。従えない。


 扉をくぐった。


 ✳︎✳︎✳︎


 倉庫の中は、暗かった。


 体育用具と古い机が積み上げられ、埃っぽい空気が鼻を突く。

 窓がない。天井の蛍光灯が、ちらちらと不安定に明滅している。

 不自然に広げられたマットが目に入った。


 鈴木が、後ろで扉を閉めた。

 鍵は内側からは掛けられない。

 だけど、それは安心に繋がらなかった。

 空気が変わる。


「双花ちゃんって、優しいよね」


 私の肩を、ねっとりと撫でる。

 鈴木の声が、さっきとは違うものを帯びていた。


「誰にでも優しくて、断らなくて。……つけ込みやすいって、みんな言ってる」


 みんな。


 暗がりの奥から、人影が現れた。


 一人。二人。三人。


 知らない顔だった。

 第六の生徒ではない。年上の男たち。

 目が据わっている。


 足が、竦んだ。


「鈴木くん……?」


「ごめんね。借りがあってさ」


 背中を押すと、鈴木くんは壁際に退がり、こちらを見る。

 そして、奥の男に媚びるように言った。


「お先にどうぞ」


 男の一人が、近づいてくる。


「嬢ちゃん、おとなしくしてりゃ痛くしないからよ」


 笑っている。

 堕鬼より、醜い何かに見えた。

 理性を持ったまま、ここにいる人たちは、私を壊そうとしている。


 逃げなきゃ。

 身を守る術は学んだ。デバイスもある。

 腰のポーチに手を伸ばせば──。


 手を弾かれた。


「ええー。今、人に使おうとした?」


 鈴木くんが油断なく、私の腕を強く捻りあげる。


「っ痛……」


 力が入らない。

 呼吸が浅くなる。

 視界が狭まっていく。


「うっへぇ、いいもん持ってるねぇ。双花ちゃん」


 鈴木の手が、力強く私の身体を弄る。

 気持ちの悪い息遣い、血走った目。

 教師にも級友にも向ける、所有欲を隠さない濁った視線。


 身体が、凍りつく。

 頭は「動け」と叫んでいるのに、四肢が応答しない。

 まるで金縛りにあったように。


 違う。

 これは恐怖だけじゃない。


 身体の奥で、何かが軋んでいる。

 蓋が、外れかけている。

 ずっと押さえ込んできた、底の底のもの。


 幼い記憶が、フラッシュバックする。


 ──晴れた日。

 ボロボロで、焼けた匂いがする男に、傘を渡した。

 痛そうだったから、放っておけなかった。

 笑顔で、優しさで、私は動いた。


 その男は、私に執着した。

 私の魔力に。匂いに。存在に。


 そして——パパとママを、殺した。


 『君が私を拒絶するから、君の大切な物を奪う事にした』


 ──優しくしたから、死んだ。


 『君が悪いんだよ。ちゃんと最後まで、優しさを貫き通さないと……すべてが、ほーら、簡単に壊れちゃうんだから』


 ──私が、殺した。


『どんな事があっても受け入れるんだ。それが、君の優しさだろ』


 ──嫌だ。


『これは、おまじないだ。もっと、君の良さを輝かせるための──』


「やめ……て……」


 声が出た。

 自分のものとは思えないほど、掠れていた。


「ええ、聞こえないよ。もっと、はっきり言わないと!」


 鈴木の手が、勢いよく制服を剥ぐ。

 力が強い。骨が軋む。


 男たちは猿のように声を上げ喜んだ。


 マットの上へ、私を投げつける。

 囲み、こちらを見る顔は、堕鬼のように涎を垂らし、歪んで見えた。


 視界が、暗くなる。


 意識が、遠のいていく。


 ——もう、限界だ。


 奥の奥で、声がする。


 私の声じゃない。

 もっと低く、もっと冷たい声。


 ——私が、殺す。


 ✳︎✳︎✳︎


 身体の中で、何かが弾けた。


 蓋が、吹き飛ぶ。

 底の底に押し込めていたものが、一気に噴き出す。


 痛い。

 頭が割れそうに痛い。


 右手が、熱い。

 身体中が、痛い。

 骨が鳴り、皮膚が裂け、爪が伸びる。

 人間の手が、人間でないものに変わっていく。


 意識が切り替わる感覚。

 自分の身体なのに、自分じゃない。

 ハンドルを、別の誰かに渡したような。


 暗闇の中へ、沈んでいく。


 最後に聞こえたのは——


 男の悲鳴と、

 肉が裂ける音。


 そして、とても静かな声。


「——双花には、指一本触れさせない」


 私は、闇の底へ落ちた。

 そこは、いつも眠る場所。


 暖かくて、冷たくて。

 誰もいなくて、でも独りじゃない。


 もう一人の私が、代わりに立っている。


 その手は血に濡れていて、

 目は刃のように鋭くて、

 それでも──私を守るために、そこにいた。


 ごめんね。

 いつも、ごめんね。


 声は届かない。

 届いたことは、一度もない。


 私は眠る。

 いつものように。

 全てが終わるまで。

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