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空を仰ぎみれば何かが浮かぶような気がした。
現実はこれっぽっちも変わらないけれど、何かが変わるような気持ちは凄く大切だと思う。何かが変わるような気がするという気持ちは、多分希望とかそういう感じのものじゃないかなって思うから。
人は希望がなければ、生きてはいけない。誰の言葉だったっけ。
「がんばれえ、がんばれえ」
私はトイレにいく途中で、風呂場から聞こえた自分を鼓舞させる為の悲痛な声にあくびを漏らした。朝から大変だこと。
自分の妹が家庭で当たり前のように酷使されるようになったのは何時からだっただろう。私が妹を意識しなくなったのは何時からだろう。私が妹を無視するようになったのはいつからだろう……なんていうことを毎日思っている。毎日思っているから、その答えは単純にして明快だった。父がいなくなってからだ。正確には原因だけど。
父が行方不明になってから、母は荒れた。荒れたといっても、精神的に不安定になったくらいのもので、暴力に訴えるようなことはしなかった。
簡単にいえば私とミコトはネグレクト……つまり、育児放棄を受けていた。ネグレクトといっても奇妙なもので、会話をしないのと顔を合わせないというだけで、毎日食事はあったし、几帳面な母らしく掃除を怠ることもなかったから、ありがちなゴミで溢れる家みたいな感じにはならなかった。今思えば、この時が私とミコトの幸福な時期だったと思う。人生の絶頂期ともいえる。
父がいなくなってから、時が経つごとに、母は精神を病んでいった。いつも何が問題だったのか、何がいけなかったのかとブツブツ独りで言うようになっていて、自己批判ばかりしていた。当然のことながら、そんな母を私たちは心配した。顔と行動にこそ出なかったけど、私は心のなかで母の身を案じていたし、ミコトもよく母が心配だと私に話していた。そんな私達を母は好ましく思っていなかった。ありていに言えば嫌っていた。多分、それはダメな自分と、子供たちがよく似ていたから。自己批判の真っ最中の母にはそれが耐えられなかったのだと思う。
ある時、太った男が家にやってきた。吉岡という男は母の同僚なのだと私達に言った。どうやら母に気があるらしいけれど、母はこれっぽっちも相手にしなかった。男がどんなに巧みに話しかけても、そっけなく答えていた。父がいなくなってから数年経っていたけど、その時もまだ父一筋だった。
それがある日崩れた。
「先生、思いついたんですよ、僕。この子たち、ちょうどいいじゃないですか。先生の旦那さんのテーマって感情についてでしたよね? そうだそうだ、感情についてでした。共著の予定だったんですよね? ああ、それで、感情について調べるにはやはり、実験が必要だと思うんです。この子たち、感情がないように見えますよね? アハハ、先生、みたいだ! ああ、でもこの子たちにも、先生にも感情があるわけですよね? 今までと今現在の感情とこれからの感情の変化を調べたら面白いと思いませんか? どう発展していくかを……? いや、それは非常に恣意的になると思うんですよ。必要なのは何が失われていくか、ということじゃないですかね。心というものは幼児期に完成されるとも言いますし、発展を見る必要はないと思うんですよ。僕達人間は有るものに対しては凄く鈍感ですよねえ? でも失っていくものに対しては凄く敏感ですよね? だからなんです! まあ、分かりやすいってのもあると思うんですけど……ああ、そうです! その通りです! いやあ、先生は話しが分かるなあ。もちろん、僕もお手伝いしますよ。ええ、面白い結果になって、それが発表されれば旦那さんもきっと帰ってきますよ。ええ」
そういってその男は私とミコトを見て、どちらかをこれからカラッポにするといった。人として扱わないと断言した。感情が完璧に失われるように、その過程が見られるように、心を壊すと。
私達は訳が分からなくて、母を見た。うろんな目をした母を。これっぽっちも感情の篭らない目をした母を見た。彼女はタバコを吸いながら「そうだな」と頷いた。
母は内罰的だったけど、精神が酷く脆かったけれど、でも自殺を試みたり、自傷をしたりはしなかった。自傷行為に対する知識があったからかもしれない。コンビニ弁当の製作者はそれを決して口にしないという都市伝説があるように。
そもそも、母はそういうことを馬鹿らしいだとか、そういった精神を幼稚だと考えていたふしがある。でも、本当は自傷したかった。自分を罰したかった。抑えこんでいたその考えは、その負の感情はこの時、心のそこから再び沸き上がってきたのだと思う。自分を罰することのできない賢くプライドの高い母は、自分を猛烈に罰し、傷つけたい母は、その感情をよく似たわが子に向けることで、負の感情から救われようとしたのだと思う。心のバランスを取る為に。奇妙な話しだけど事実、その後の母は精神的に酷く健康だった。
母だってそれが、本当に実験として意味を持つだなんて考えていなかったと思う。ただの拷問と虐待でしかないと分かっていたと思う。父のためだというのは建前でしかなく、小さな可能性でしかなく、吉岡は父の面影がある私達を多かれ少なからず憎んでいるから、そう言ったのだと分かっていたと思う。
分かっていたのに、母は頷いた。
摩耗した理性によって負の感情を抑え続けた母は、理性をついに使い果たし、狂気に染まった。つまり、その時、母は負の感情に負け、死んだのだ。
「二人でよく決めるといい」
男はそう言って笑った。
当時の私はそんなものに終わりがあるわけがないと思った。そんな実験、被験者が死なない限り、ずっと続くものじゃないかと思った。感情のあるなしなんて、本人以外の誰が分かるというのだろう? ミコトも私も手をつなぎながら震えた。
それから私はくじ引きを作った。赤を引いた方が、感情を消される方で、赤じゃない方が普通に生活をするということだった。恨みっこなしということで、私たちは引いた。ミコトも私も赤だった。正確にいってしまえば、私が作ったそのくじ引きは意図的に両方とも赤だった。結果を知りながら、私は黙っていた。黙ったまま、ミコトのくじを覗いて、頑張ってねと言った。
しょうがなかった。怖かった。嫌だった。得体のしれない実験は子供心にも確実に熾烈なものだと分かっていたし、明らかに苦しくて辛いものだと分かっていた。自分がそんなものを、いつ終わるか分からないようなことを延々続けさせられるというのは絶対に嫌だった。母がついているから大丈夫だと言われても、納得いかなかった。安全だと言われても、絶対に嘘だと思った。
事実、数年の間に、ミコトは性別を奪われた。私たちはある時は女性として扱い、ある時は男性としてミコトを扱った。服装も、言葉もその都度変えさせた。男はミコトを犯し、母はミコトを犯した。
数年の間に、ミコトは尊厳を奪われた。テーブルで食事することを禁止された。人の言葉を話してはいけないと言われた。家の中で服すら着せてもらえず、犬として扱われた。守れない時はひどい事になった。
数年の間に、ミコトは無視され続けた。物置として扱われ、みんなが寝静まったあとに勝手に食事をし、勝手に寝て、みんなが起きるよりも早く、元の場所にいた。
数年の間に、ミコトは希望を失くした。若干狂いかけていたミコトにセキセイインコを与えた。可愛がらせ、手入れをさせ、ミコトの心が戻り、鳥がなついた頃に、首をはねさせ、羽をむしらせ、料理をさせ、食べさせた。吐き出したものを何度も食べさせた。
数年の間に、ミコトは罵倒され続けた。名前は呼ばれず、ゴミのように扱われ、蹴られ、ねじ伏せられ、意味もなく激怒され、陵辱された。まるで自分が悪いかのようにミコトは謝り続けた。
数年の間に、ミコトを味方を失った。最初のうちは男に囃されるがまま、私は頑張れと泣き叫ぶミコトにいい続けていたけど、ミコトが陵辱される横でささやき続けていたけど、惨状に心が耐えられなくなった。ミコトを意識しないようにして、ミコトをなるべく無視するようになった。そのうち、ミコトは自分で自分を勇気づけるようになった。
数年の間に、ミコトは安心を奪われた。息を殺すように家の中で生きることを覚え、足音立てずに、誰ともあわずに家の中を移動する術を身につけた。どこで寝てるのかも、分からないくらいに、ミコトはどこにも自分の痕跡を残さなかった。恐怖ゆえに。
数年の間に、私達はとにかくいろんなことをした。自分たちがされたくないことを、思いつく限りのことを、繰り返し繰り返し、した。昨日のルールは今日の気分次第で変わり、今日のルールは明日の気分次第で変わり、良かったことが悪くなり、悪かったことが良くなり、ミコトは思考することを極限まで制限させられていた。
ミコトを人間扱いすると私が殴られた。ミコトの心配をするなと怒られた。ああ、なりたいのかと脅された。
人間の扱いではなかった。生き物の扱いではなかった。
最初はみんな酷くなかった。次第にみんな酷くなった。私も酷くなった。ミコトは完全に人としてダメになった。