52P
あれから毎日、夢に見る。自分の死を、夢に見る。
俺は俺を少し高い位置から眺めている。静かな森林公園で、興梠を蹴り飛ばしてる俺を。
俺は俺に向かって叫ぶ。後ろを見ろと。後ろにいると。叫ぶけど、気が付かない。いや、興梠だけが丸くなりながら、笑ってる。見たこともないような笑顔で、笑ってる。俺に隠れて笑ってる。気絶したふりをして、小さく笑う。後ろから伸びた手に、もう一人の俺の首が絞められるその様を……、俺が糞尿を垂らして、死ぬ様をジャージ姿の女とにやにやと笑う。俺が死んだあと、二人は俺の方を見上げて笑うんだ。嘲笑するようにニタニタと笑う。
俺はそこで飛び起きて、大量の汗を拭う。首元を擦りながら、息をして生を確かめる。
毎日毎日、同じ夢を見ているはずなのに、一向に慣れない。
きっと呪いを掛けられたんだ。あの女はきっと俺に呪いを掛けたんだ。あの興梠の姉は俺に。
未遂だというのに、何でここまで俺が苦しめられなきゃならないんだ? 人の家の前に動物の死骸を毎日毎日置いていきやがる。番犬を置いても、次の日には番犬が死骸になってる。どうやら家の中にも入ってきているようで、微妙に物がずれている。この前は、蛇口の水が出しっぱなしにされてた。鉛筆が違う場所にあった。テレビから俺の名前を呼ぶ声がするし、壁と天井が少しずつ近づいてきている。確実に呪いのせいだ。
警察に訴えても無駄だった。何度言っても、相手にしないし、むしろ俺が可哀想な奴かのように扱いやがる。親父も遠まわしに俺に病院を奨めてきた。だから何度も言ってるだろ、これは呪いなんだって。
どうすれば、呪いを解くことができるのか調べた。自分の状況と照らしあわせて、呪いを調べた。聞いた。
魔女は言った。
「自分のしなきゃいけないと思っていること、すればいいんじゃないの?」
しなければいけないこと。そうか、俺はまだ興梠を犯していない。だからだ、そうに違いない。
呪いを解くために俺は興梠に近づいた。あれから俺を避け続けている興梠を捕まえて、訳を話した。この前はすまなかったということと、呪いを解くために俺と寝て欲しいということを。
「……何、言ってるんですか?」
返ってきた言葉はこれだった。確かに唐突だったかもしれねえ。だから俺は一生懸命、話した。壁の中に何かが潜んでいて、俺を追跡してくることや、テレビのニュースキャスターは買収されていて、ニュースを読み上げるふりをして、俺に呪文を掛けていることを説明した。興梠は余計に困惑して、逃げようとした。俺がその場で興梠を犯そうとすると、興梠は両手をぐるぐるバタバタ回して、泣き喚いて逃げた。
何で分かってくれないんだ。お前にも呪いが移らないようにしないといけないんだぞ。
少しでも呪いが引くように、興梠の机にいつものように精子をかけようと思った早朝の教室でのことだった。興梠の机の上にピンク色のファンシーな便箋が置いてあった。内容を見ると、実験室で待つと一言書いてあった。
俺は考えた。昨日もちゃんと興梠が家に入るまで俺はアイツを見ていた。こんなものをこしらえる暇はあったか? いや、そんなところ見てないし、教室から出る時も、こんなものはなかった。つうことは、興梠じゃない。最近、興梠は呪いの影響を受けて、神足に虐められて、いろいろされているのは知ってる。
ということはこれを書いたのは神足で、アイツが何かしようと企んでいるわけだ。
「チャンスか?」
最近の興梠は俺を避けるために、四六時中誰かと一緒にいた。隙があるのは登下校くらいだが、アイツをどこかに連れ込めるような場所はない。
上手く神足の虐めを使えば、ここで興梠と俺の呪いを解くことができるかもしれねえ。このチャンスを逃してたまるか。
呪いが解けた。それだけで世界は違って見えた。空気の色も、味も、あらゆるものが端から端まで違った。とにかく清々しかった。
壁の中の怪物も、俺を追跡してくるスパイもいない。アナウンサーは普通に文書うを読んでいて、天井と壁は遠く、鳥は俺の命を狙ったりはしない。俺の命……“みこと”もこれで神足から虐められるようなことはなくなったはずだ。全てが順調。全部がいい方向に向かっている。
そんな最高の気分の中、神足は随分と悔しそうな顔で俺の前に現れた。恐怖と絶望に引きつった顔で、俺の家の戸を叩いた。今何時だと思ってんだよ、このクズは。
「許さない。お前だけは絶対に許さない。興梠にあんな酷いことをして!」
呪いのことを説明してもコイツには分からなそうだ。だから普通に俺はコイツをけなした。
「お前だって同じことしようとしてただろ?」
「なっ」
「ハハッ……ハハハハハッ!何でって言いたいのか? 何で知ってるか? 何でも知ってるよ、何でも知ってる。興梠がお前のことを嫌ってることだって知ってる。ほんと、ウザそうにしてたよ」
「こ、こここっ、興梠は、そんなこと、思わない」
言葉自体は否定だったが、明らかに同様しているのは分かった。確かにお前の言うとおりだよ、興梠は他人を評価しないし、何も……何も思わない。
でもお前はそれが完全に嘘だと否定することはできないはずだ。お前には“もしかしたら”という恐れがあるはずだ。興梠のことをこれっぽっちも理解できていない、ただのつきまといのクズのお前には。興梠が何を思って、何を考えて、何が好きで、何が嫌いか考えて、アイツと話し、感じ、時を過ごした俺とは違うお前には、興梠に対する自信なんてものはねえ。
だから簡単に意思が揺らぐ。馬鹿馬鹿しい。
「じゃあ、お前には心を開かなかったんだな」
「な、なんだそれは! じゃあ、お前になら興梠は心を開いたとでもいうのか!? お前に、お前ごときに興梠が心を開くわけがない。お前みたいな下衆に!」
「そう思いたければ、そう思えばいいんじゃないか? 自分に嘘を吐いたほうが神足にとって幸福なんだろ」
「嘘? お前の言葉全てが嘘だ」
虚勢を張ったように強く俺を睨んで、神足は吠えた。今にも掴みかかってきそうなほど猛々しい。
俺はその畜生のわめき声を聞いて、盛大に吹き出した。
「ハハハッ!! 何で嘘になるんだよ! お前さ、興梠を犯そうとして、失敗して、フラレて、そんで興梠を虐めてたよな? アレ、本人に気づかれてないとでも思ってたのか? そんなわけないよな? いくらお人好しの興梠だってお前がやったってことくらい気がついてるぜ? 百歩譲って興梠が気づいてなかったとしてよ、お前、自分を強姦しようとした相手を嫌わないってのはいくらなんでも無理があるだろ?」
「……それも嘘だ!」
目を逸らして神足は更に喚く。つうか近所迷惑だから静かにしろよ、この駄犬。
「ホント、意味分かんねえわお前。自分がしたことで、周りも知ってることで、何でそんなことをしてないとかお前言えちゃうわけ? 頭オカシイんじゃねえのかお前。そりゃ、興梠も嫌うわけだ。興梠が言ってたよ、お前のこと気持ち悪いってさ」
「わ、私は興梠に何もしてない! 私が悪いんじゃない!! もう、黙れ!」
神足は喚く。子供のように地団駄を踏んで、顔を真っ赤にして喚き散らす。
「言ってること矛盾してるだろ。何もしてないのに、私は悪くない……とか病気か? 心の病か? お前、いっぺん病院行った方がいいぞ。虚言癖に処方箋ってくれるのかどうか知らねえけど」
「そ、そ、そ、その話しをしにきたんじゃない! 私はお前がしたことの話しをしにきたんだ!」
「話しを逸らしても、意味ないんだけどな。つうか、俺のしたことって言うけど、お前それこそ“嘘”じゃねえの? 責任転嫁じゃねえかよ、そもそもお前が興梠にあんなことしなければ、こんな結果にはならなかったよな? いや俺が何もしなくてもお前が結局してたわけだろ? ハハハッ、どっちに行こうとも原因はお前じゃねえかよ」
「あ、う、ち、ちが」
「ハハハッ、違わねーよ! お前の存在自体が興梠を不幸にしてるんだろ? ほんと、おめでたいなお前。周りから嫌われてて、騙されてて、みんなみんなお前に嘘ついて、せせら笑ってるのに気が付かねえなんてさ。本当は気がついてるんだろ? じゃねえと、不憫すぎるわ、流石によお」
「何だ、何だ急にお前は!」
虚勢だ、虚勢に過ぎないぜ、その叫び声は。
優しい声で俺は言う。
「お前、最近自分の母親に会ったか?」
「それがお前の何に関係があるんだ」
関係ねえよ?
「お前の母親さ、もうとっくに死んでるって知ってた? お前の家に届く親の手紙な、あの誕生日とか元旦に届くとか言う奴。あれな、ハハハハッ、全部作り物だぜ? おいおい、どうしたんだよ、そんな驚いた顔して。誰がそんなことをって、東に決まってんだろ? お前の母親殺しちまったの、ハハハハッ、アイツだからさっ! 罪悪感つうの? それとも酔狂っていうの? 俺、そういうの分かんねえけどさ、お前ってそういうことなんだろ? ハハハハハッ!」
「う、そ」
憤怒の色に染まっていた顔を急に青白くさせて神足は俺を見た。呆然と俺を。
きっと普段から何かしらの違和感があったんだろう。何かしら思うところがあったんだろう。何かがおかしいと思っていたんだろう。
それが今コイツの頭の中できっちりと当てはまったんだ。最悪の形で。
「嘘だといいよな。俺も初めて聞いた時、びっくりしたよ。東ってそんなに最悪な奴だったんだってさ」
「あの方が、あの人が、そんなこと、だって」
「実はさっきさ、俺んところに東が来たんだよ。お前だけは殺すってさ。興梠の為にーとか言ってて」
神足は全身をブルブル震わせて、顔を真っ青にして、俺の話しを聞いていた。俺の言葉を疑わず、俺が本当に全てを話しているかのように思いながら、聞いている。
ほんと、お前は反吐が出るほど、興梠とよく似てるよ。その純粋さだけは。
賢い嘘のつき方ってのは真実の中に嘘を混ぜることと、全てを話さないことらしい。東なら、こんな子供だまし引っかからなかっただろうよ。
「ホント、鬼みたいな顔で、来てさ。俺もこれは殺されるって思ったぜ。でもさ、お前が神足の母親殺したこと、神足にバラすぞって言ったらよ、すっげえ悔しそうな顔して帰ってったわ、いやー、ありゃ面白かった! ハハハハハハハハハッ!」
「そんな、御前が、みんなが……私に嘘をついてる?」
「可哀想になあ、みんなが嘘ついてるんだよ。お前に」
普通に考えれば、俺が死んだら、神足にばらすことなんでできるわけがないんだ。死んだ人間がどうやって喋るんだよ。ちょっと考えれば分かることだろ。
でもお前はその一歩前の話しを信じた。それを使った次の話しも真実であるかのように捉えてしまった。前の話と後ろの話が真実かどうかってのは独立した話しなのによ。
神足の母親が死んでいて、東が嘘を吐いているのは本当だ。そのあとは全部、嘘。
何でこんなことが分からないんだろうな。何でこんなことが分からない奴がいつも興梠の隣にいて、興梠の隣の席で、興梠の気持ちを全く理解できなくて、うろちょろできて、アイツと四六時中話しができる距離にいたんだろうな。
「そんな、私は、どこにいけば。どうすれば」
「死ねば? つうか、死ね。お前、生きてても誰も幸福にできないんだからさ、死ねよ。死んで詫びろ。ホント、興梠のこと見てて可哀想だったわ。お前みたいなウザイのに好かれてさ。お前みたいな親が死んだことにも気がつかない人間未満のクズがうろちょろしてるだなんて、おかしいと思わねえの? 興梠が可哀想だと思わないのか?」
「……………………ごめんな、さい」
「はあ? 何で俺に謝ってんの? 俺に言うなよ。ホント、お前クズで、馬鹿だな。そりゃ東にも騙されるし、友達もできねえし、あの興梠にも嫌われるわけだわ。興梠なら自分を受け入れてくれるって思ってたんだろ? こんな自分でも一人前として扱ってくれるって思ってたんだろ? こんなどうしようもなくて、みすぼらしい自分でもって。で、嫌われたから……アイツは自分のことを好きになってくれないから、興梠にひどい事したんだろ? 興梠は大人しいから、何しても黙ってるって、最初から壊れてるから、何してもいいんだって思った。いや、そう思い込んで、興梠にいろいろしたんだろ? 何でって顔してるな、幼稚なお前のことなんて、考えりゃすぐ分かるよ。簡単に想像できるね、ハハハハッ」
急に耳に手を当てて、神足は小さく丸くなってわーわー泣いた。澄ました顔した高飛車女が、鼻水流しながらわーわー泣いているのを見て、俺は腹を抱えて笑った。
一頻り笑って、うるさいからバケツの水を頭から被せて、家の扉を閉めた。窓から見るとまだ俺の家の前で泣いてて笑った。




