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興梠とはよく話す。興梠は心を許してくれている。俺のことを元でき損ないのケンカ坊主みたいには見ない。立派だ、カッコイイと褒めてくれる。
親父の敷いたレールに乗るのは嫌なんだというと、自分の好きなことをすればいいと言ってくれた。嬉しかった。
親父がお袋をよく殴るから嫌いだというと、暴力的な人は怖いですと同調してくれた。
神足に付きまとわれているのをからかう口調で聞くと、あいつは顔を赤くして慌てた。その姿がとても愛くるしくて、今すぐ抱きしめたくなった。
自分は何よりも無価値で、何よりも劣っていて、何よりも矮小なんだと信じているアイツを俺は違うと言ってやりたかった。お前は立派な奴だって。
だから。
「……は、え? いや、俺たち仲いいよな? お前も俺のことカッコイイっていったよな。ああ、いった。俺は覚えてる」
「でも」
「“でも”じゃねえよ。何で俺じゃダメなんだ?」
興梠はフェンスに身を預けながら、俺をびくついた顔で見た。
そんな顔しないでくれよ。
「あの、好きとか、嫌いとかじゃ……」
「だっ! ……だ、だったら俺と付き合ってみてから考えればいいじゃねえか。分からねえなら、まずはそこ、はっきりさせようぜ? なあ。それとも何か、お前はもしかして……ハハッ、そんなわけねえとは思うけどさ、神足とか好きなのか? もしかしてソッチ系?」
「あの」
「悪いようにはしないって。絶対しねえよ。神足がお前に触れたら俺がぶん殴ってやる。アイツはいっぺん痛めつけた方がいいんだよ。興梠があんなに嫌がってんのに、つきまとってよ。この前の授業中だって興梠のこと晒し者にしやがって! ふざけんなよ、あのレズ女」
「八瀬くん、怖いこと、やめて」
興梠は青い顔をして首を振った。俺はなんだかコイツが可愛く思えて、我慢できなくて、腕に抱きしめた。
暖かくて、小さい。甘くて、柔らかい。
「冗談だよ、俺がそんなことするわけねえだろ。昔とは違う。俺はお前にもアイツにも、東にだって優しいぜ? お前と会えて、俺は変われたんだ。お前と一緒になったら、俺が守ってやる。どんなことからも俺が守ってやる。だ、だからさ」
もう一度興梠を見る。俺は中腰で、まるで子供に大人が言い聞かせてるみたいだった。
「八瀬くん、目怖い。……あっ、いたっいです」
「だから、俺と付き合ってくれよ」
「ごめんなさい」
申し訳なく思うなら、俺と付き合えよ。
「お願いだ」
「ごめんなさい」
「おい、ふざけんな。俺は真面目に言ってんだぞ」
「ごめんなさい」
何が不満なんだ? 何故、俺がふられる? 俺は顔もそこそこだ。運動だってできるし、女にもモテる。なのに何で、コイツは俺のことを見ないんだ? こんな奴に俺がふられる? そんなわけねえ。何か理由がある。絶対にある。じゃなきゃ、おかしい。じゃなきゃ、今まで俺は何をしてきたんだ? 道化か、俺は。
「な、何が悪かった? 何がダメなんだ。せめて、それだけでもいいから教えてくれないか?」
俺は精一杯の笑顔で、興梠にはにかんで見せた。興梠は申し訳なさそうに、理由はないと言った。
理由がない。そんな理由があるかよ。
「そ、そっか。ハハハハッ、興梠らしいわ」
俺は納得して見せる。余裕をもたせる。
「ごめなんさい」
「い、いいって。そっかそっかだめか。だめだったか、だめなのか。そんな気もしてたんだけどさ、ああダメか。…………まあ、じゃあさ、明日からもいつも通り接してくれよ」
でも視界は揺れていて、今にも泣きそうだった。頭の中でベートーヴェンの悲愴が鳴り響いていた。
悲愴ね、傑作だわ。
「はい。あの、もう行きますね」
「ああ。……あっ! いや、その今日のことは内緒にしてくれないか? あの、他の奴に言ったりしないでくれ。なんつうかさ、すげーカッコ悪いなーみたいなさ、な?」
「分かりました」
興梠は言いふらすような奴じゃないって分かってたのに、こんなくだらない言葉が口から出た。
何から何まで自分の行動がかっこ悪くて、セリフが恥ずかしくて、俺は泣いた。
その日、俺は幸福を失った。
次の日から俺はいかに俺が優良物件であるかを興梠に知らしめた。自分の家が名家であること、この前も女に告白されたこと、女から頻繁にメールが来ること、部活での成績、友達の数、自分の経験人数、自分のやってきたこと、自分の行った場所の話し。多少は誇張や脚色もあったけど、でも大きな目で見れば事実だ。
俺の話しを聞いた興梠はいつも「凄いですね」と言った。冷たそうな目で。
その目は、どこか俺を疑っているように思えた。いや、事実、疑っていたのだろう。疑っていたに違いない。疑ってるに決まってる。俺はその度に汗をかき、無理に笑って、道化を気取った。道化、道化だと。この俺が?
この俺が馬鹿にされて黙っているのか? 黙っていたのか? どんなタッパの差があろうともケンカに負けなかった俺が? ざけんじゃねえ。
でも相手は興梠で、男のケンカとは違う。じゃあ、どうすりゃいいんだ。どうすれば俺のものになってくれるんだ。
「なあ、今日一緒に帰ろうぜ。久しぶりにさ。今日は“時間のある日”だろ?」
押しても引いても、ダメで。
「ココらへんも変わったよな。って興梠分かる? ほら、あそこなんてさ、昔はこんな藪なかったんだぜ」
ご機嫌取りもダメで、デートにはそもそも来ない。
「あっち行ってみようぜ、暗いから怖いって……お前、小学生じゃねえんだからさ」
神足みたいにバカ見たく、付きまとって、好きだっていやぁいいのか? それこそ馬鹿だろ。
「いいから黙れよ! 静かにしてろ……っち、だから、大人しくすれば、すぐっ……噛むなって!」
じゃあ無理やりするしかないだろ。無理やり犯すしか。
興梠は今まで見たことないようなアグレッシブさでバタバタと動いて、俺の手の隙間からムームーと騒いだ。キラキラとダイヤモンド見たく光る目は涙で揺れてる。
あれ、思ったよりもレイプって難しくないか? 口にモノ突っ込むだろ? 手を縛るだろ? 足を抑えつけるだろ? 体を押さえつけるだろ? じゃあ、いつどこで、俺はコイツにぶち込めばいいんだ? 漫画で見たのと結構ちがくね?
ああ、そうか。
「わかった、わかった」
俺は手を離す。興梠はバタバタと地面の上を死にかけのゴキブリみたいに暴れた。
俺は少し離れて、軽く走る。加速をつけるんだ。つけて、横腹を蹴った。丁度サッカーボールを蹴った時のような音がして、興梠は丸くなった。
「次、暴れたら腹パンな? ああ、そんな顔すんなよ。俺も泣きそうになっちゃうだろ? 大丈夫、大人しくしてれば、俺も優しいからさ」
優しいから、顔には何もしねえよ。