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 早朝、学校に来ると興梠は自分の机を雑巾で拭いていた。どうしたのかと明るく御前が問いかけると、奴は学校に来たら机やら椅子に泥水がかけられていたのだと目の縁にクマをのせて言った。

「酷い奴もいたものですね」

「そう、だね」

 私の声に御前は少し言葉に詰まったように笑い、興梠の憔悴(しょうすい)した表情を心配なさった。興梠は昨日は忙しかったのですと平坦な口調で答えたが、無理をして通常通りの声を出そうとしているのはありありと見て取れた。御前が軽く肩に触れるだけで痛そうに眉をしかめる。まるで一晩中誰かに折檻でも受けたようだった。

 御前と私は掃除を手伝い、それが終わると私は正式に興梠に謝罪をした。興梠は掃除をしている間も私を避け続けやがったが、御前に()されて私と対面し、渋々といった感じに私を許した。

「本当に……すまなかった」

「いいです。平気、です」

 何ともそれが気に食わなく思えた。自分の意志ではなく他人に言われて許すということは、誠心誠意から謝罪している相手にとって失礼な行為であるとは考えないのだろうか。まあ、考えないのだろう。コイツに他人の気持ちを推し量ることなどできはしないのだ。強者に媚びへつらい、命令されなければ自分の意志すらまともに伝えられない出来損ないなのだから当然か。逆にいえば、命令する側が間違っていてもコイツはそれを疑問にすら思わずにそれが正しいと信じるというわけだ。まるで意志を持たぬ人形だ。

「これからはどうか仲良くしてやってくれ、この通りだ」

「あ、わ、は……い」

 興梠の汗ばんだ手を握り、私は懇願するように、今にも地に額をつけかねんと言わんばかりの勢いで興梠に謝った。頭を下げて謝り続けた。血の滲んだ包帯巻きの手で、私は震えるようにして謝罪する。

 そうしないともっと酷い目に遭わされるのだといわんばかりに。

「……わっ」

 血の滲んだ指先に気が付き、興梠はぎょっとして手を引く。

「あっいっ……!」

 そこで私は興梠が傷口に触れたかのように痛がって見せる。想定通り、奴は青い顔をして、私にごめんなさい謝罪した。まるであべこべだ。

「いや、謝るのは私の方だ。本当に、本当にすまなかった」

「い、い、いいです……! いいです、から」

 絞りだすようにキツく興梠の手を握って、自分の血を興梠の手に塗りたくる。痛みに堪えながら、それを隠そうともせず、私は許しを乞う。血を擦り付けて、興梠を観察する。コイツは何がダメで、何を恐れているのかを見るために。

 良心の呵責を恐れているのか、血を恐れているのか、暴力を恐れているのか、性的なことを恐れているのか、異常さを恐れているのか、嫌われることを恐れているのか、他人の評価を恐れているのか、生を恐れているのか、死を恐れているのか、失うことを恐れているのか、得ることを恐れているのか。

 私は瞳を覗いてそれを観察する。言葉を微妙にずらしながら、それを探り当てる。ボロボロと崩れていく分厚い壁の向こう側に何を守っているのか、私は顔を押し付け、穴をほじくりそれを見ようとした。

 興梠の表情が瓦解して、何かが見えそうになった。その瞬間。

「分かったって言ってるじゃん。美雪、ちょっとお前、怖いよ。興梠、完全にびびっちゃってる」

 後ろから肩を掴まれ私はそこで謝罪を止めた。あと少しであちら側を覗けたというのに惜しい。

「あ、私としたことが、すみません」

「いや、あたしに謝っても……って、これじゃあ無限ループだし、なんだか妙ちくりんだあね」

 苦笑いをして御前は頭を指で掻いた。

 私も御前に合わせて、笑うもその意志は別のところにあった。目尻は弧を描きながらも、瞼の下は冷静に別のものに意識を向けていた。どうすれば興梠の心をへし折り、粉砕し、蹂躙できるのだろうというところに己の意を。

 暴力はとても効果的だった。だけど、それだけでは駄目なのだ。絶対に足りない。誰かが癒せる程度ものでは到底私の望む崩壊を見ることは叶わない。では何が必要なのか。何を陵辱すれば、お前は私に心をさらけ出す? どうすれば服従して、私に壊されることを望むんだ? いつになればこの腹の中に溜めたものをお前にぶち撒けることができる?

 それを考えれば考えるほどに私の握りこぶしはぎゅっと硬くなり、腹の底の魔物は強く唸り声を上げた。感情が溢れでないように冷静を装いながら、興梠を陵辱する妄想をするのは大変だった。精神を酷く消費する。

 お前の泣きながら喘ぐ姿、嫌だというのに私を求むる手、拒絶したいのに拒絶できないお前の唇、(あふ)るる涙を堪えようとしながらも零れ落ちる瞼、血を(ほとばし)らせながらそれを悦ぶ柔肌、それらは何時になれば、どうすればこの手に届くというのか。

 どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい?

 私の為に喜び、私の為に怒り、私の為に哀しみ、私の為に楽しむお前を見るのにはのはどうすればいい? 何を支払えばいい? お前から何を奪えばいい?

 どうすれば私を好きになってくれるんだ? 興梠命。

「興梠、私を許してくれてありがとう」

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