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40㌻

 ……それでね、わたしは美雪の母親を起こしたんだよ。人を殺してしまったという罪悪感に絶え切れなくて、誰かに責めてもらいたくて、首を閉めた手が固まっていて動かなくて、まだ鼓動が、温もりが手に残っていてさあっ! びっくりするよ、人ってこんなに簡単に死んでしまうんだって。風船の空気が抜けていって萎れちゃうみたいに、こんなに簡単に。

 ああ、それで美雪の母親はさ、ちょっと馬鹿なのかな。美雪と違ってトロくてさ、自分が何で森の中で寝てたか疑問も抱かずに「お嬢様、こんにちは」って言ったんだよ。それも半裸の状態で。それがおっかしくてさあ、自分以外の全てが狂っているような、そんな不思議な気持ちだった。

 いやね、それでね、美雪の母親はあたしが何も言えずに呆然としてたらね、その少年の……死体、そう死体のところに行ってこう言ったんだよ。今でも覚えてる。なんてことのない会話のように「お嬢様がこれ、壊しちゃったんですか? あーあー、使えなくなちゃった」って言ったんだよ。

 ……ぞっとしたよ! 凄く当たり前のように、しかも人の命をモノ扱いして、それで、日が暮れるといけないから帰りましょうって私に笑うんだよ? これが異常じゃなくて何が異常なわけ?

 あたしが死体はどうするのかっていうとさ、何そんなに必死になっちゃってんの、みたいな顔で「さあ?」って首を傾げたんだ。その後、森の中だから動物がどうにかするでしょうって言った。言ったんだよ。

 あたしはその時に悟ったね、かあちんが狂ってたんじゃなくて、コイツらが狂ってたんだって。本当に本当にさっきの少年の言葉は事実で、疑いようのない事実で、この島の悪習なんだってさ。人を人が飼っている? 人を人が支配してる? おかしいって。奴隷って何だよ。何様だよ。

 気がついたらさ、美雪の母親が血ぃ吐いて、地面に倒れてて、あたしはぐうぐう唸り声を上げながら、泣いていた。万能バサミがダーツの矢みたいに美雪の母親の胸に刺さってて、美雪の母親は虫みたいにビクビクしてて、その内動かなくなった。

 それから、あたしはその里を歩いたよ。歩いたらいろんなものが見えてきてさ、うん、そう、今まで奇跡的に気がつかなかったものが見えてきた。怯えた表情の男とそうでない女。傷だらけで今にも壊れてしまいそうな濁った目。時折、どこかで聞こえる獣のような叫び声、泣き声。

 それにあたしは幸福にも気が付かなくて、愚鈍にも視界に入れようとしなくて、それでそれで、気がついたらさ。気がついたらね、気がついたら……………………。

 沢山おっちんでた。手が血まみれで、今みたいに自分の服はゲロまみれでさ、髪の毛は血でパリパリでさ、男も女も見境なくあたしはやったよ、やったんだよ。裸の女も、そうでない女も、手足のない男も、目のない男も、口も聞けない男も、ところ構わず殺して歩いたよ。火をつけて、踊るように殺してやったよ。

 女はきゃあきゃあ騒いで逃げて、男はみんな嬉しそうに死んでいった。それがすごく気持ち悪くってさ、自分は憎しみから殺してるのか、助ける為に殺しているのか訳分からなくなちゃってさ。あたしはその場で泣き崩れて、げえげえゲロ吐いたよ。ゲロ吐いて血反吐吐いて、気がついたら変な牢屋にいてさ、ばあちゃんに「気でも狂ったか」って言われたよ。

 これほど滑稽なことってあると思う? 気が狂った奴らに気狂いって言われたんだぜ? 腹がよじれるよ、まったく。

 あー、それでね、暫くしたらかぐや姫みたいな女の人と黒いスーツ来たお姉さんが来て「可哀想だけど罰」ってことで、牢屋の前に子供が連れてこられた。これがさ、ホントに子供なんだよね。何も知らないような子供。島の悪意とか、島の悪習を“まだ”知らないような子供。眼の奥が綺麗で、自分が何でそこにいるのか分かってないって顔してたっけ。それでね、その子の側にニタニタ笑う女が三人くらい立っててさ、そいつら唐突にその子を犯したんだ、わたしの前で。悲鳴を上げると、バットとか木材で血まみれになるまで殴られてた。逆らうと腕とか足の骨が折られてた。そんなのをずっとずっと見せ続けられた。助けたくても助けれなくて、やめてっていっても誰もやめてくれなくて、わたしが代わりになるっていっても、誰もわたしを殺してくれなくて、いっその事死にたかったけど、死ねなくて。

 わたしね、叫んだんだよ! 声が枯れるくらい、喉が潰れるくらい本当に叫んだんだよ! どうかその子たちに酷いことをしないで下さい、殺さないであげて下さい、犯さないであげて下さいって。手がボロボロになるまで鉄格子を、壁を殴り続けて言ったのに。

 それなのに、それなのに……。

 その子はその内、動かなくなった。そしたら別の子が連れてこられて、それで……!

 それで母と同じように追放されてさ、なんにも知らない美雪をうちで引き取って、それで堕落した日々を送ってるんだ。


「どう、これ。最高にイカレてるでしょ」

 ゲロにまみれたバス停は些か悪臭が漂っていたが、誰も通らなかったし、興梠は嫌な顔一つせずその場に佇んでいたので問題はないだろうと思われた。

 奴はただ、あたしをじっとほの暗い目で見ているだけだった。あの時の子みたいな目でじっとあたしを見ているだけだった。

 瞬間的にあたしは悟った。あたしは興梠を見ながら興梠の向こう側にいる彼らを見ているのだと。彼らと興梠を重ねてしまっているんだと。だからこんなにもコイツに心をかき乱されるのだと。

「あたしは……わたしは! わたしは今でも自分がしたことが正しかったのか分からないんだ! あの時、本当に殺してやるべきだったのか分からない! 殺すことで救ってやれたのかも分からない! あのクソみたいな連中を殺したことも正しいのか分からない! あの場所では今でも悪夢みたいなことが続けられてるんだ! ……最初から分かってたんだよ。全員を救うことなんてできやしないし、できないなんてことは分かりきってたってのにさあ。アレは永遠に続くんだって分かってたんだよ。似たような不条理は世界中で起きてるんだって。それなのに、あたしは殺した。殺したんだ。本当にそれが救ったことになるかなんて、誰にも分からねえってのにさ」

 黙って聴きに徹していた興梠は、小さな声で少し驚いたと前置きして「でも」と続けた。表情は変わりない。手にはもう温くなっただろう封の切られていないジュースの缶。

「でも、あなたは間違いなく救うことができたと思います」

「結局、殺したのに? もしかしたらもっといい未来があったかもしれないのに!?」

「僕、同じだから、分かります。僕も生きることよりも辛いこと、知ってますから」

 ぶつりと頭の血管が切れたような気がした。何をこいつはいけしゃあしゃあと言ってやがるんだと。見たこともない癖に、体験したこともない癖に、あの地獄のような光景を見たこと無い癖に、よくもまあ知っているなどと口にできたものだとあたしは思った。

「一緒にするなっ! お前の地獄とわたしの、彼らの地獄を一緒にするな! 見たこともない癖に知ったような口聞くんじゃないよ! どうせ、お前ははあれだろ、姉ちゃんのネンネに付き合わされて、オヤジとオカンに殴られて、ぴいぴい泣いている程度だろう!? お前に分かるか!? 虫けらみたいに人が扱われて、夢も希望も抱けず成人するまで生きられないような奴らの気持ちがさあ!」

「……それは分からないです。でも、少なくともあなたは最初の子供を救って、それで彼の望みを叶えてあげた。それは事実です」

「殺したことで救いなんて言えないんだよ……。それは甘えだって」

「でも、東さんが殺した人の中で、その先ずっと不幸なままで終わることになった人もいたと思います。その人は救えたんじゃないかと僕は思います」

「だけど、だけどさ……!」

 結局それは自己満足でしかないのだ。そう思うことで自分が救われるから、人はそう信じる。もしかしたら幸福を掴むチャンスすら踏みにじったのではないかということに目を瞑り、信じる。その方が自分に優しいから、良心の呵責を苛まれないで済むから。所詮は詭弁に過ぎないんだ。

 ぶうんと車が通り過ぎ、あたしはじっと遠くを眺めた。風は生温かくて、光は白っぽい。

 そんな中、興梠は呟く。

「……あなたが欲しいのは、理由じゃないですね。あなたが欲しいのは彼らの許しなんだと思います」

「…………分かんないよ、そんなこと」

 そうかもしれない。

「だから、僕が代表して、いいます」

 …………殺してくれて、ありがとうございます。

 お前生きてるじゃんとか思ったし、関係ないしとか思ったし、あたしを慰めようと必死だなあとか思ったし、ゲロ吐いちゃったよとか思ったけれど、でも何だかそれが凄くありがたくて、涙が溢れて、笑いながらあたしは泣いた。号泣してしゃくりあげて、興梠の涙を馬鹿にできないような醜態を晒して、背中をさすられて、何だか凄く助けられて、本来の目的があやふやになってて、でも後悔はなくて、それであたしはその日、興梠を守ろうと心に誓った。

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