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39㌻

 高い青空の元、興梠は両端を道路に挟まれたドブ川を眺めながら、咲き散った桜並木を歩いていた。その瞳は相変わらず泥水のように濁っていて、先日見た時よりもその目は薄汚れていた。美雪のせいなのか、あの姉に家でこってり絞られたせいかは分からないにしても、尋常でないことは確かだ。

 あたしが後ろからポンと肩を叩くと興梠は肩をびくつかせてゆっくりと振り向いた。さながらその仕草はホラー映画で最初に犠牲になるモブキャラクターのそれであった。つまり映画ならここでコイツは退場だ。

「あ、あ、あ、あず、東さん」

「へろー」

 流暢な英語で奴に挨拶してやると、流暢すぎた為か奴は固まり、鬼気迫る様子で辺りを見回した。美雪はここには来ない有無を伝えても奴はまだ怯えて「何でもいうことを聞くから痛いことはしないで下さい」とか細い声で鳴いた。おまけに無理やり頬を持ち上げて人に媚びへつらうような、(みにく)い笑みを見せた。

 何とも醜悪だ。例えるなら車に引かれた蛙の死がいのようだった。

 あたしはその表情を作らせたのが、他でもない美雪なのだということに恥を感じた。身内の恥である。

 ただでさえ死んだような表情で醜い顔をしていた興梠が、今まで以上に醜く染まってしまっていることにあたしは苛立ちと焦燥と、良心の呵責は……感じ無いにしても何ともまあ、恥ずかしい気持ちでいっぱいだった。

 すまないすまない、とあたしは平謝りを繰り返して、興梠をちょいと我が家へと手を引っ張ると興梠は真っ青な顔で「嫌だ嫌だ」と叫びだし、もたついた足で散歩ルートを進もうとしたので、どうしたんだと引っ掴んで白状させると「家に連れ込んで何する気よ!」みたいな女々しいことを言った。ああ、そうか美雪はこういう感じに連れ込んだのか。

 それではと「それがしも散歩に連れていってくれまいか」と進言すると、興梠は少し考えた後に上目遣いに体を揺らしながら「変なことしないなら」とあたしに許可を与えたもうた。

 その仕草はちょっとアレな趣向をもった大きなオネイサンやオニイサンだったら、即誘拐と言わんばかりの破壊力があっただろうとあたしは推察に推察を重ね、答えを導き出したが、おしむらくはあたしにはそういう性癖はないので所詮、推察の域を出ない。できればその領域には近寄りたくはないし、近寄らないでくれとあたしは心の底で願った。


 何とも奇妙で、無言で、どこか張り詰めた散歩が始まった。

 興梠はいつでも逃げ出せる用意があります、といった感じにあたしを警戒してくれやがっていて、美雪が何をしたのかといったことには全然答えてくれなかった。その際に「あれは美雪が勝手にやったことで、あたしは一切関係ございません」ということも可能ではあったのだけど、それを選んだところで恥は消えず、結果は何も変わらないので、それだけは言わなかった。言わずともあたしの態度が屹然(きつぜん)していれば、それもその内に伝わるであろうと楽観視しているわけなのである。決して説明が面倒とかではない。ないよホント。

「昨日見た時よりも傷、増えてない?」

「…………」

「家でお姉ちゃんに虐められてるのかい。姉弟で仲良くえすえーむですか?」

「……姉さんはそんなことしません」

「じゃあ、お父さんとお母さんに虐められてるの?」

「…………」

 分かりやすい奴。

 どうやら虐待は姉だけに限らず、家族ぐるみの恒例行事として成り立っているらしかった。そのことが少しあたしを苛立たせる。でも、それに対してあたしが憤りを感じることも、怒りをぶつけることは叶わない。美雪のように悲しんでやることもできない。そうするに足りるほどの答えを今だ見つけていないのだから、それも当然と言えた。


 バス停の側にある古めかしいタバコ屋でジュースを二本買った。腰の曲がった店主らしき老婆は興梠を顎で指して「あの子、いつもこの時間になると歩いてるけど、大丈夫かねえ? いっつも葬式みたいな顔しちゃってさあ」と心配なさり、あの子をどうかよろしく頼むと自分の娘を嫁に出すような面持ちであたしに興梠を任せた。その為かジュース代はタダだったのだけど、その代金の割りには任せられたことは予想以上に大きいように思われる。っていうか興梠の値段はジュース二本分なのか、安いなー。

 ジュースを受け取った興梠とバス停のベンチに腰を掛けた。興梠は散歩ルート以外へ行くことは頑なに拒んだが、決まったルーチン内であるならばある程度の自由は許されるらしく、ここの川辺を一時間ほど眺めるはずの予定にあたしとの会話を割り込ませてもらう。というかもらった。

「話って……何ですか」

 バス停は屋根付きのトタンで覆われていて、雨とひと目を防ぐことができそうだった。つまり興梠は警戒しているのだ。

「いやまあさ、さっきから言ってるように別にとって喰おうとかじゃなくてさ、その何ていうのかねい。えっと興梠は人、殺したことある?」

 何をいうのだというような顔つきで見られた。それもそうだ。

「いやさあ、あたし……わたしさ、昔ね、人を殺したことがあってさ」


 ……当時のあたしはまだ己がそこそこ由緒正しい家柄の人間であるということは理解していなかった。由緒正しい家柄であり、その恩恵に預っていたはずの母親は何だか知らないけれど、自分の故郷でとち狂ったことをやってしまったようで、里から追い出された鼻つまみ者であり、東家とその故郷は十数年間、互いに連絡を取ることは無きに等しかったらしい。

 そんな女の娘であるあたしがその島に呼ばれたのには跡継ぎ的な理由があったらしく、一度追い出した手前、母は呼べないにしても、その娘ならまあ後釜にしてやっても問題ないだろうという判断らしかった。

 最初は動揺したし、そういう堅っ苦しいのも、めんどくさそうなのも嫌だった。見たことも聞いたこともない人が親戚縁者(しんるいえんじゃ)だといわれても、人並みに動揺するし、人並みに困る。でも結局、あたしは自分の意志でその島に行った。母への援助と待遇の改善が引換だったからだ。涙ぐましい家族愛。

 そういう訳で俗世間に染まりきった非お嬢様的あたしは、その退屈な島でそれなりの作法やらなんやらを学ぶことに時間を費やすことになり、少しの間、祖母と美雪の母親の世話になることになった。当然、祖母に会ったのはその時が初めてだった。祖母は半身に酷い火傷の跡があったけど、その容姿は恐ろしいことに十代であるあたしと然程(さほど)、変わらないように見え、大変美しく、健康的な顔立ちだった。ばあちゃんというよりも、親戚の子って感じ。

 

 ある日、あたしは美雪の母親に何故この島には男が異様に少なく、いても何故それがみな少年や青年の年頃なのかと聞いてみた。麗しいダンディーな大人はいないのかと。すると美雪の母親は「成人するまで耐えられないんですよう」と舌足らずな声で言った。その時は意味が分からなかった。

 それからして暫くのこと、桃でも食べようと裏の森の奥へと進んでいると、虚ろな目をした傷だらけの辛気臭い少年が木々の間でガタガタと震えていた。少年はあたしと目が合うと、瞳に満ちた絶望の色を顔全体に広げて、諦めた表情をした。

 あまりにも異質だったから、あれこれ心配してやったけれど、少年はそれを(ことごと)く拒否した。特に人を呼ぶかどうかということに対しては、こっちが引くぐらい拒絶した。あたしからも内心どうにか逃げたかったらしいけれど、足が竦んで動けないようだった。

 親切心に対する拒否の連続に即効でめんどくさくなってきたあたしは、早々に切り上げることに決めた。人を呼ぶなり、自分でどうにかするなり頑張れということを伝い、あたしは少年を後にして、森の奥にある桃の木に向かった。

 それからむしゃむしゃと桃を(すす)りながら、先ほどの道を歩いていると、まだ少年がいた。いたけれど、少し……いや大分、様子が違った。美雪の母親が少年の首を締めならが、馬なりになって“何か”をしていた。彼女のその顔は普段のポワポワした雰囲気とは、打って変わって大変嗜虐的な顔であり、少年は人形のように動かなかった。

 短く笑うような声と、驚くような声を合わせた変な声が出た。

 最初は死んでいるのかと思った。殺されてしまったのだと思った。思ったけれど、その瞳からはダクダクと涙が溢れていて、押しつぶされかけている喉からは、掠れた泣き声が出ていた。泣いていて、犯されていた。強姦されていた。男が女に。少年が女に。

「こわいよぅ、たすけてぇ」

 美雪の母親が少年を煽るようにフザけた声色で笑う。その言葉に痴情のもつれとか、そういう現実的なものとは違う行為なのだと理解した。狂気の(はざま)にある行為から彼女は少年を強姦していて、首を締めているんだって分かった。

 あまりにも生々しくて、あまりにも反吐が出るような状況に、あたしは泣き出しそうだった。頭の奥がガンガン鳴って、気が遠くなりかけてた。

 詳しい状況は分からないにせよ、明らかに彼女のやっていることは間違っていると義憤に駆られたあたしは、手頃な枯れ木で、美雪の母親を気絶させ、少年を助けた。何があったのかと説明を求めると少年は涙ながらに答えた。

 自分が島の女に飼われていること。島の男はみな、同じ待遇であること。性的な意味でも自分たちは奴隷であること。大半は自殺するか、酷使されすぎた肉体が限界を迎え、成人前に死んでしまうこと。死んでも道具のように扱われること。

 そんな怖気の立つような酷い話しを信じられなかった。信じたくなかった。話しの中に出てくる人物を知っていたけれど、その人がそんなことをするような人とは思えなかった。里のみんなは誰もが優しかったし、常識を弁えていた。そのはずだった。

 今までのあたしだったら、耳に手を当てて違うと叫んで、その日のことを忘れただろう。でも、だけど、美雪の母親のあの形相と、その行いを見てしまったあたしには、少年を否定することはできなかった。被害者を目の前にしてそれは夢物語であると否定することはできなかった。何かの間違いだと思いたくて、信じたかった。

 島の畜生どもの醜い行いを知ってしまったせいか、非現実的な状況からか、緊張からか分からないけど、あたしは突発的に島から出してやると叫んだ。でも少年は首を振るった。警察に通報して、然るべき措置を取ってもらうと言っても首を振った。自分でも無理だと分かっていたけれど、今すぐ島の男全員を助け出して、エライ人と交渉してやると言っても首を振った。

 少年は答えた。涙ながらに答えた。虚ろな目で答えた。傷だらけの体とささくれだった唇で答えた。

「どうか僕を殺して下さい。他の鬼女にいつか殺されることになるくらいなら、あなた様のような立派な方にここで殺して頂いた方が僕は楽になれます」

 当たり前の感情を、当たり前の行動を、立派だと少年は言う。島の外では普通のことを、島の外では有り触れている人間を指して、立派だと言った。

 そう判断するほどまでに、島は地獄で、彼の体験した経験は地獄で、彼の心は地獄だった。

「そ、そんな、生きていれ……いればきっと!」

 彼の声は不気味なほどはっきりとしていて、悟りきっていた。

「僕は家主様から逃げてしまいました。帰ればきっと死ぬよりもひどい目に遭います。外に出てもきっとダメでしょう。僕の体も脳みそも薬漬けで、どの道長くないんです。だったら、ここで死んだ方がいい。どうか僕を助けて下さい」

 言い切ると少年は土に頭をつけて手を揃え、あたしに土下座した。死ぬことで助かるのだと懇願した。それが幸福なのだと。否定しても、断ってもその意志は変わらず、頭は上がらず、ただ爪のないイビツな指が叫んでいるだけだった。

 あたしはそこで。

 そこで。

 そこで、初めての殺人を行った。

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