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「汗臭いね……」

 そういって御前は壁に背を預けて笑いました。だらしなく足を前に投げ出していて、縫い針を五倍ほど大きくした針を仰々しいお面の目の部分に差し込んで遊んでいます、クルクルと回して。横には古びた木箱が雑に置いてあります、同じような針が入った箱が。箱には“罰”と墨で書かれている。針には同じような書体で罰と銘が彫られていた。

 御前は逆光のためか私を眩しそうに見ていて、その表情はどこか気怠そうだった。何故か、笑みを絶やさない。それが酷く恐ろしい。

 私はただその視線は正面から正座で受け止め続け、肩をビクビクと震わせた。これから起こりうるだろう出来事が怖くて怖くて仕方がないのだ。

 それは、罪ゆえの感覚。それはこれから起こることを理解しているがゆえの感覚。

「さっきさ」

「は、はい」

「さっきすれ違ったのさ。泣いてて、くっちゃくちゃの服着てて、顔に痣できてた子。すれ違いに出てった子のことね。あの子、興梠だよね」

「……はい」

「お前さ、あたしの飯に何か混ぜたでしょ」

「いえ、あの、私が自分でどうにかしないとと……」

「おい」

 夕日の光に白く輝く針先を私に向けて、御前は笑みを濃くした。私の言葉はそこで遮られ、動きは石のように硬くなった。鼓動が止まりかける。

 興梠に服を着せて、慌てて追い出した時のことが遥か昔のことの出来事のように感じられた。ほんの数分前の出来事だというのに、遠い出来事のように思える。

「誰が言い訳をしろっていった。わたしはお前の言い訳を聞きにここにいる訳じゃない。お前は正直にイエスかノーのどちらかを答えればいいんだ」

「……ま、ま、混ぜました」

「そう、それでいい。お前はわたしの朝食に薬を混ぜた。で、興梠に何したんだ? わたしが寝ている間に何をしてたんだ? この汗っくさい部屋でさあ、何をしたんだよ神足美雪!」

 御前はお面を被り、黒い穴から私を見つめた。お面の金色の瞳の奥の、二つの黒い穴から私を見つめる。

 私の前に恐ろしい針を持った鬼がいた。明るいはずの部屋が酷く暗い。四角いはずの部屋が酷く歪んでいるように見える。 

 針は罰を与えるものだ。拷問という名の罰を罪人に与えるものだ。まさか、この私が使われることになるだなんて。

 計画通り進んでいれば、こんな恐ろしい目に遭う必要はなくて、御前の信頼を裏切ることにもならなかったはずだった。はずだったんだ。

「…………あっあ、あああ」

 嫌だ嫌だ嫌だ。怖い怖い怖い。

 彼女のゆっくりと動く手が怖い。白く細いはずの指が、毛むくじゃらの鋭い爪を持った岩のような指に見えてくる。それこそ鷹の爪……猛禽(もうきん)類のそれのような。あるいはそれこそ、鬼のような。

「別に答えなくてもいいよ。どっち道、することは変わらないけどね。眠くて眠くて仕方ないからさ、何かミスっちゃったらごめんね、美雪。大丈夫、そうなっても痛いだけだから。結局、痛いなら変わらないよね。だから大丈夫」

 巨大な手が私の細い指を掴む。ゴツゴツとした怪物の腕が私を捉えて離さない。私は何かを叫んだ。強く叫ぶ。ギャーっと強く叫んでいる。泣きながら叫んでいるんです。それなのに音にならない。だから、鬼を見上げて、首を振って、泣きながら首を振って許しを乞う。

 許してください。すみませんでした。たすけてください。

 部屋一杯に膨らんだ巨大な怪物は無慈悲に私のあ、あああああああああああああああああああああああああああああ。

 がああああああ、いだ、あああいだいいいいいいいいいいいいだっ。

「あ゛あ゛、あああああ、痛いです。いたっいいいいいい、血があああ」

「許しを乞う相手はあたしじゃねーだろうがよ、阿呆が」

 爪を食い破って、肌色の薄皮を軽々と針が抜けた。皮膚が糸のほつれのようになって血を吹き出した。

 私は喚く。私は叫ぶ。白いソックスを履いた足が床をバタバタと叩く。

 それでも怪物は笑いもせず、怒りもせず、淡々と私に次の針を突きつけた。

 気がつけば、私はどこかそれを映画を見るような視点で見ていた。瞬時に痛みと恐怖から、主観で見ることを脳が拒否したのだと分かった。

「あっあっあっあっ!」

 私は脂汗を浮かべ、、唾液をだらしなく零して、顔を真っ赤にして、床をのたうち回る。歯ぎしりして、失禁しながら窓を悲鳴で震わせた。

 背を反らせて、激痛から逃れようとする。しかし、体は、あるいは手は、動かない。逃れられない。尋常ならざる巨大な怪物が私の手を離さない。

 ピンク色の肉と、白い何かを見せながら、血は踊るように針の間から吹き出ている。激痛を伴いながら。

 私はそれを少し離れた場所で見ている。自分が泣き喚くのを見ている。

 不意に怪物は言った。

「逃がさないよ、美雪。そういうずるいことはさせない」

 私の方を見ていう。私とは泣き叫んでいる私ではない。遠くで見ている私だ。

 ぞっとした。

「お前は今、意識を飛ばしてるだろ。早く終わればいいのにって、意識を飛ばしてる。そういう奴を何人も見てきた。辛いことから逃げるために体から意識を飛ばして、逃げる奴を。あたしはそれを許さない」

 怪物は私の手を膝で踏みつけ、私の顔を押さえた。もう一方の手が針を持っていて、それはそのまま私の耳の中に落ちた。

 ぐじゅん。そんな音が。

 あれ、耳から血が。

 あ、痛っ。

 が、あ、が。

「あがああああああああああああああ、ぐうううううううううううぎいいいいいいぎゃぅぅぅぅぅぅぅ」

「おかえり、美雪。さあ、続けよう。まだまだ、罰は始まったばかりだよ。いくらでも逃げていいけど、そうすると耳が聞こえなくなっちゃうぜ? 耳が聞こえなくなったら、目が見えなくなる。目の次は、声が無くなる。声の次は鼻だ。それでもいなら、いくらでも逃げればいい」

「ゆ、っゆるっして」

「ばーか。お前はさ、約束したよな。このわたしと約束したんだぜ? わたしに言ったんだぜ? もうこんなことを二度としないですって泣いていったんだ。興梠を犯そうとした日、お前はいったんだよ! あたしはそれを信じた。なのに何だよ、この体たらくは。おかしすぎて笑い声もでねえよ! その上、許してくれだ? なんの冗談だよ、まったく」

  逆立った髪を震わせて鬼は言った。生臭い唾液を吐き散らしながら、長い舌で唇を湿らせながら鬼は続ける。

「しかもお前は、このわたしの善意を利用したばかりか、薬を盛った。興梠を犯して、あたしの信頼をそのまま保とうとしたわけだ。卑劣にもほどがあるよな。わたしはそんな馬鹿に育てた覚えはねえさ。お前には、それなりの礼儀と正しさを教えてきたよなあ?」

「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんないいいいい」


 意識が何度も、明滅した。時には完全に暗闇に落ちた。その度に、叩き起こされた。

 両の手全部が使えなくなると、次は足に移った。それはまさに拷問と呼ぶに相応しくて、痛くて辛くて、冷や汗と脂汗と叫び声が止まらなくて、全身が無理やり収縮させられているような辛さが、ただ私を責め立てた。

 赤茶けた夕焼け空が場違いなほど美しかった。

 何で、こんなことになったんだろう。何でだろう。ちくしょう。

「ふざけろ、阿呆」

 本当はそんなつもりじゃなかったんですよ。ほんとうにごめんなさいするつもりだったんですよ。

 あがっ。

 興梠があまりにも無防備で、だから、その。

 ひいっ。

 ちがうんです、魔がさしたんです。ほんとうなんです。こうろぎにはなにもしてません。おかしてないです。そんなつもりないです。

 だから

「だから?」

「も゛、も゛う、いやだぁ」

「だから?」

「あ、あ、あ」

「だから、何?」

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