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「こ、興梠違うんだ! 私はお前のことを心配して、そんなつもりは毛頭なくて!」
「わーーっ!」
私は興梠の細い足首をつかんで、喋る。御前はその手をパンっと蹴り上げて、興梠を後ろに隠した。何故、御前がそんなことをするのか理解が及ばない。
顔にそれが出ていたからだろうか御前は残念そうな顔で私を見下ろした。
「美雪、みっともないぞ。頭を冷やせ。それに興梠は怯えてる」
怯えている。誰のせいで?
当然それは私のせいで。
興梠は不自然な方向に首をねじ曲げていて、左手の親指を咥えながら、体を前後に揺らしていた。どこも見ていない瞳から零れた涙が、唇から漏れる涎と混ざり合い、顎の先端からポタポタと零れている。
興梠は誰がどう見てもおかしくなっていた。
「御前、わ、わたしは」
言い訳が口から溢れて止まらない。何かの間違いだと私は思うし、そう思いたい。しかし、同時に何をしてしまったかを理解していて、それが自分の行いだということを理解してた。そんな私を見透かすように御前は冷えた言葉を吐きかける。
「美雪、わたしに言い訳をしてもしょうがないだろ。それにな、わたしは影でお前達の会話を聞いていた。それで急に会話が止まったと思ったら、興梠の泣き声が聞こえて、覗いてみればお前が興梠の服を脱がして、コイツの体に……何かをしていた。怯えて泣いているのにお前はそれすら楽しむかのように……」
「や、やめて下さい!」
耳を遮れど言葉を遮れど、何も現実は変わらない。ただ辛辣にそれは私を責め立てる。
「わたしも自分の目を疑ったさ。お前がしてる最低な行動にね」
そうじゃない、そんなことをしたいんじゃなかった。ただ興梠の匂いをもっと近くで嗅ぎたくて、興梠の体に触れたくて、興梠の味が知りたくて、それを他の人間が知っているのが許せなくて、興梠は抵抗しなくて、誰も見ていなくて、学校の近くに自販機とコンビニがあるから朝の購買は誰も訪れないと私は知っていて、だから、興梠を犯そうとしていたわけじゃなくて、ただそういうことで。
御前はただ哀れな人間を見るような目で私を見下ろしている。興梠は親指をしゃぶっていて前後に体を揺らしながら、涙を流していた。
「あ、あ、私は……」
「今日は帰れ。一週間は家から出るな」
そういうと御前は興梠を連れて歩き出した。近づこうとするも御前の冷えた目が寄せ付けることをよしとしない。
「御前、あの、どちらへ……」
「保健室へ連れて行く。この状態はあまりにも酷いよ」
「わ、私も、その、ご、ご一緒に」
「お前は自分のしたことを本当に理解しているのか? お前は興梠を強姦しようとしたんだぞ? 興梠の気持ちを踏みにじり、自分の信念をねじ曲げ、私の評価すら投げ捨てて、お前はそういうことをしようとしたんだ。それでも付いてきたいというなら、わたしは知らん。勝手にしろ」
普通は引き下がる。こうまで言われて普通はついて行こうとは思わない。
だけど私は付いて行ってしまった。自分が馬鹿だと思いながらも、脂汗を掻きながらも、ふらふらとおぼつかない足で。
早朝だというのに保健室はあいていた。白衣を着た教師は泣きはらした興梠を見ると直ぐに何かを悟ったようで、ベットの準備をして興梠を寝かせた。
教師は興梠は先天的な心の病を抱えているのだということを教えてくれた。ストレスに弱く、それを上手く処理することができないのだと。そのことは事前に家族から聞かされていたらしく、時折カウンセリングの真似事のようなこともしていたのだという。
「コミュニケーションが上手く取れなかったり、人の感情とか表情を読み取るのがあの子は苦手なの。あなたが悪いんじゃないわ」
「だってさ。よかったね、美雪」
教師は落ち込んでいる私を見て、そう呟く。御前は私がした行いを知っていて、そう呟く。
胃が締め付けられるような痛み。脂汗、吐き気。絶望とは何かと問われれば私は今まさにこの状況、この感情を伝うだろう。
教師は家族に連絡を取りに職員室へ向かい、しばらくして興梠の姉が現れた。
スポーツ選手が着ているようなジャージ姿で現れた興梠姉は冷え切った目で室内を進み、カーテンの掛かった興梠のベットへと向かった。会話をしているらしく、聞き取れない程度の声が聞こえた。私はその間、ただ縮こまって自分の指をじっと眺めていた。思考が定まらないのだ。どんな顔をしていいのかも分からない。ただ愚鈍でいる他なかった。
興梠姉はおかしくなった興梠の手を取り、私の前まで無言でやってきて、頬を拳で殴りつけた。がきりと歯がこすれるような痛みに涙が出るが、私は彼女を非難することも、泣き喚いて同情を誘うことも、すみませんと謝ることもできなかった。驚いて目を丸くしている教師にただ大丈夫です、というだけだった。
御前は私のためか、そのことで何やら姉と揉めているが私には上手くそれが処理ができない。意味が分からない。冷えた目で興梠姉は私を指さし、クズだとか人でなしだとかゴミと言っているのが分かるが、何について会話をしているのかまでに思考がいかない。そんなことは、どうでもよかった。
何がどうあれ、彼女の暴力には正当性があり、私は性犯罪者と同格であり、興梠は一方的な被害者だった。それだけは確かなことだと言える。
視界の端で親指をしゃぶり続けている興梠と、絶えずオロオロとしている教師だけが瞳に写っていた。




