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23㌻

 あたしと興梠に先に教室に戻るようにいうと美雪はそそくさとどこかに消えた。あたしは隣の生きているのか死んでいるのかよく分からない生き物と数分間も同じ道を歩かなくちゃいけないのかと思うと、気が重くてしょうがなかったが、居ないものと考えてさっさと先に行ってしまえばいいじゃないかと考え、そのまま興梠を顧みず前へと進んだ。

 興梠の奴は終始トロくさく、人に道を遮られるとそこで止まってしまい、相手が通り過ぎるのをじっと待っているという、見てるこっちがイライラするような動きを見せてくれやがったので、苛立に負けたあたしは、踵を返して手を引っ張ってしまった。優しすぎるとは罪である。

 階段を降りつつ、あたしが「それは他人に譲歩してんじゃなくて、他人を恐れてるだけだ」というと無視人間は何かに気がついたように瞳をほんの少し見開いて「そうかもしれないです」と呟いた。ああ、イライラする。そこでも曖昧なのか。

 曖昧な答えしか出せないのかアンタは、と言ってやろうと思い、途中まで言いかけたところ、嫌なやつが含み笑いを見せながら上がってきているのが見えた。八瀬の阿呆だった。

 八瀬の阿呆は何だ何だといいながら嬉しそうに興梠の側に立ち、「イジメか、おい。お前もコイツに苦労してんだな。俺も苦労してんだよ。あれだな、俺とお前は苦労仲間ってことで友達だな」とワケの分からないことを述べた。失せろと消えろと死ねを二回づつ律儀に唱えると奴はからかうような口調で「流石人殺し、言葉の迫力が違うな」といってどこかに消えた。

 あたしは喩えようない屈辱と、普段押さえ込んでいる箱から溢れ出した感情に、歯ぎしりして階段の踊場に佇んだ。俯いて、佇んだ。興梠はそんなあたしに近寄って、大丈夫ですかなどと(のたま)う。大丈夫なわけあるかと低く唸りながら奴の手を弾いて、あたしはトイレの固執に駆け込み、水を流すと、ポケットの中からレコーダーを出した。スイッチを入れる。声が聴こえた。

 あたしは――――悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない。あたしは悪くない。

 耳に押し付けて、あたしは過呼吸気味に、その声に続けて何度も何度も同じ言葉を連ねる。お前は悪くないのだと、あたしは悪くないのだと。

 だってあの子は、自分から殺してくれといったのだ。だから殺した。生きていたってしょうがないし、夢も希望も持てないから、だから。あのキチガイどもに弄ばれるよりかはずっといいし、だからあたしは…………。

 でも、本当にそうすればよかったのだろうか、という疑問がついて回る。だけれどじゃあ、どうすればいいのだ、という苛立ちもついて回る。そしてその血が自分にも流れていて、脈々と受け継がれていて、それを否定することは自分を、あるいは自分の人生を否定することで、だからこそあたしは強烈に吐き気を催していて、怒りに震えているんだ。

 きっと牛肉が好きな人だって、豚肉が、鶏肉山羊肉馬肉……それらが好きな人だってきっと、それが殺されているところを見たら、吐き気を催す。そして自分の食べているものについて疑問を覚え、罪悪を感じ、トラウマを覚え、きっと自分という種を許せなくなるんだ。そういうもんだ、ヒトってのは。

 とにかく、あたしはそうだった。


 トイレから出ると心配顔の美雪が入り口に立っていた。興梠はどこにもいない。いたところで何とも思わないけれど。

 美雪は興梠にあたしの具合が悪くなったのだというようなことを聞いたらしいが、その過程に到るまでの話しは聞いていないようだった。あたしはとりあえず生理が酷いというと美雪は眉をしかめて「それはそれは……」とあたしを気遣った。女ならこの痛みと気分の悪さは共感していただけることうけ合い……まあ嘘なんだけれど。

 今更ながら思うが、美雪は不憫な奴だ。あたしが何をしたかも知らず、あたしが自分の母を殺したことも知らず、あたしが一族から爪弾きにされていることも知らず、ただ妄信的にあたしの世話を甲斐甲斐しくもみているのだから、不憫といわないでなんと言おうというのだ。もう、どうやってもあたしはあの家に戻ることはできないのにも関わらず、あたしの将来に期待をしているのだから、これほど滑稽な話しはない。あたしもそのことについて言ってしまえばいいのだけれど、それは怖くて恐ろしくて独りになることなのでそれは、それだけはできなかった。

 あたしに唯一残されたものは何かといえば家でもなく、金でもなく、東美雪一人なのだ。この希望の為にあたしは今日も嘘をつき続け、嘘の仮面をかぶり続け、嘘の笑みと嘘の冗談を吐き続ける。あわよくば、その嘘が暴かれることなく真実で在り続けますようにと願いながら。

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