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22㌻

 美雪の興梠熱は日に日に増していっているように思う。一度、美雪にモアイよりも表情の少ない人間のどこがいいのかと聞いたことがあるけれど、返ってきた言葉は「とにかく優しくて、何をするにでも可愛らしい」とのことだった。殆ど会話らしい会話なんてしたことない癖に、よくそんな歯の浮いたようなセリフが出るものだと思いつつ、まあ頑張れといってしまうのはあたしの優しさのなせる技ではなかろうか。しかし、美雪はそうやって興梠に対する自分の想いを指摘されると声を裏返しながら顔を赤らめ、違う違うと否定するのだけど、明らかにその違うという態度が違うわけで、美雪はどう考えても興梠に熱を上げていた。

 先日の授業中は特に滑稽でそれが顕著(けんちょ)だった。クラスのみなが教師の出した問題にウンウンとうねり声を上げているような静かな教室で、不意に美雪が隣の席に座る虫人間に「今日はいい天気だな」と話しかけ始め、何事かと思ったあたしを含めたクラスメイトと教師は遠目にそれを見つめた。美雪はあまりの緊張からか、それらには気がつかず、興梠に「そそ、そういえば興梠は誰か付き合っている人はいるのか?」と聞き始めた。虫人間は「……いません」と人の言葉で話し、心配そうかつ緊張気味の美雪の表情は明るい色に変わったが、あたしを含むその他大勢は美雪の出す初々しい空気に当てられ、何とも言いがたい気恥ずかしい気持ちでいっぱいだった。


 クラスでは美雪と興梠の関係を見守るというのが暗黙の了解になりつつあって実に面白いのだけれど、あたしとしてはあの危険な人間と美雪が一緒になるというのは許しがたく思え、そして腹立たしかった。美雪は先日のことがあったからか、あまり表立ってあたしに興梠と仲良くしろとは言わないものの、やはりさりげなく話題に出して仲を取り持とうとしてくれやがるので、あたしはその度に興梠が如何に人間として不足しているかと説き伏せる。あたしの言葉に美雪は萎れた野菊のようにしゅんとして頭を垂れるのでなかなかに気分がよろしいが、そうなると決まってその日の夕飯は残念なものになるので、諸刃の剣としてあたしはこれを封印することに決めた。魔封波じゃ。

 興梠と美雪がツガイになったとして、そのことについてはどうでもいいと二割りくらいは思っている。だから美雪がストーカーのように昼休みになると興梠の背中を追って、一緒に弁当を食べようと懇願しているのも、にやにや笑うクラスメイトに紛れて、まあしょうがないと見過ごしてはいるが、そこにあたしが巻き込まれるとなると話は大きく変わってくる、というわけだ。

 露骨に否定の表情を作って「嫌です」と言い続けていた興梠を一週間もつけ回した甲斐はあったらしく、美雪は高らかにその日の夕飯に自慢してきたので、おめでとうの一言を述べてさっさと目の前の食事にありつこうと涎を拭いていたら、あろうことかあたしも一緒に昼を食べるのだと美雪はいった。意味不明。

 何でも、あたしと興梠はどう見ても仲が悪いので、二人の仲を取り持つために仕方なくこういう場を設けたのだと美雪はできる世話係のようなしたり顔であたしに言ってみせたのだけど、どう考えてもそれは“二人きり”というのが恥ずかしくて耐えられないだけで、あたしを利用しようとしているのは見え見えだった。なので「やだよ、あいつ性格悪いもん」といってやると美雪がムッとして反論してきたので、めんどくせえと吐き捨てると美雪は今にも泣きそうな顔で下唇を噛みながら、赤くなった鼻をお盆で隠し、涙ながらに「……もう、もうお弁当作ってあげません」とあたしを責めた。卑怯だろ、卑怯ですよ、卑怯です、と内心あたしは思ったけれど、弁当も大事だし、まあここはぐっと堪えて、了承してやった。あたしの優しさは留まること知らないと見える。


 当日、虫人間に久しぶりと声をかけてやったら、毎日会っているでしょう、なんて奴はつまらないことを言ってくれて、少し苛立ったけれど、まあ美雪の顔を立てて我慢してやることにした。

 どこで食べるのか、と問うと屋上ですと美雪はいった。その為にレジャーシートなるものも持ってきたのだそうだ。日本語にするとゴザだが、それだとかなり残念な感じになるのでここではあえてレジャーシートと呼ぼう。

 美雪は控えめにいってもあたしと同等レベルの美人なので、そのアンコの詰まった顔を持つヒーローのレジャーシートを高らかに教室で出すのはどうかと思うのだけれど、本人がよしとしているで、笑いを堪えつつもあたしもよしとすることにした。ちなみに虫人間はアンコどころか脳みそも詰まっていないらしく、終始ぼんやりとしていた。

 食事を始めるとあたしはもう二人のおピンクな空気など(厳密にいってしまえば美雪一人のものかもしれないけれど)どうでもよく、ただ目の前にある料理に箸を向かわせ、幸せにこの身を浸らせていたのだけれど、美雪は興梠の弁当の中身が気になるらしく(好物が知りたかったのだと思われる)、何度もチラチラと奴の方を伺ったり、あたしに見るように目配せしてきたが、あたしは無視を決め込んで(とぼ)けてやった。そもそも主人を顎で使うな、と思う。

 興梠はそんな美雪のバレバレの視線を警戒していて、弁当の蓋で中身を隠しつつ料理を食べていたが、何だかその女々しい姿に苛立ちを感じたあたしはそっと後ろに回り込み、唐揚げを奪い去ってやった。二人は「あっ」と呆気に取られた表情であたしをみていたのが何ともおかしかった。

 興梠はあたしに意識を持っていかれたせいか、手から蓋がこぼれ落ち、弁当の中身を美雪に見られて顔を真っ赤に染めていた。しどろもどろでそのちびっ子弁当の言い訳をしていたのが何ともおかしかったので、幼児言葉でからかってやったら奴は耳の先まで赤くし、ゆらゆらとバネのついた人形のように体を揺らし始めた。あまりにもその動揺っぷりが普段のそれとは似つかわしくないので、美雪が制すのも無視してからかい続けてやったところ奴はボロボロと涙を流し始めて、小さく俯いた。

 あの時以来、あたしはどうにも人の涙というものに弱くなっているらしく、この時も何だか全身の力が抜けていくような感覚に苛まれ、罪悪感という奴が私の足元をすくっていった。奴をなだめようにも、涙は興梠の「いいです、大丈夫ですから」という言葉に反して滝のように流れ出るし、美雪はあたしをまるで親の仇のように責め立てるし、もう何なのって感じで凹んだ。あたしなら飴ひとつで黙る自信があるというのにコイツはなんて贅沢なんだ。

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