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「授業の終わったあとは何とも清々しい。そう、お前も思わないか?」

「あ、あのう」

「春の景色はどれも玉虫色で記憶に刻み込まれるような、そんな色を帯びていると私は思うが……お、お前はどう思う? いや、だから夏だと緑だとか、秋だと茶色というような感覚が頭の中にあるじゃないか。あるだろう? それが春は豊富で、どれもどぎつい色であるように思うんだ。その、興梠はどうなのか、と思って」

「僕は春は優しい色合いなんじゃないかなって思います……じゃなくてですね、えっと」

「春は優しい……優しいか。いい表現の仕方だな。私には恥ずかしくて真似できん」

「あ、あの!」

 興梠は大きな声を出して、足を止めた。いつものどんよりとした瞳から焦りの色が見え隠れしている。私はどうしたと奴の顔を覗き見た。一緒に下校することは何か不都合でもあるのか。いや、私もそれなりに緊張はしているが、最近は興梠との会話にもそれなりに“慣れ”を感じつつある。コイツは俗的な質問よりも私よりの質問に答えてくれるし、それが好きなようだ。だからこそ嬉しい。

「あの、東さんは」

「さっきお前も見ただろう? 御前は家に帰られた」

「いつも東さんと一緒じゃないんですか?」

「ああ、家が近いからな」

「じゃあ、あの、こっちは家と正反対だと思いますけど」

「そうだが、何か不都合でもあるのか?」

「…………」

 興梠は何か言いにくそうに、私を上目遣いに見た。

「あの、あ、あれなんですか?」

 指差す方向を見る。ごめんなさいと小さく声が聞こえた。振り向くと興梠が走り出していて……とろいな。私は唇を濡らし、スカートをはためかせながら走り、興梠の前に回り込んで、両手で道を塞いだ。

 ばふんと興梠が私の胸の中に飛び込んできて一瞬、私はそのまま抱きしめそうになるが、ぐっとそれを堪える。興梠は両手で鼻を押さえながら私を見上げた。その仕草がまた可愛らしい。

「どうして逃げる?」

「……どうして、ついて来るんですか」

「お前の家が気になる」

「見ても面白く無いです。普通の家です」

「その面白くない普通の家が見たい」

 興梠は何かと付けて秘密主義であろうとする。家族のことや家の場所は秘密にしていて、一切口にしようとはしないのだ。私はそれが気になって仕方がなく、何度も尾行したが興梠はそういうことに敏感で、何度もまかれた。私は頭を切り替え、正攻法(と呼べるのだろうか?)で攻めて見ることにした。

 露骨に嫌な顔をするのが若干、胃を痛ませるものの、興梠は基本的に怒ったりはしない人間で、謝ればすぐに許してくれた。私はちょっと図々しい女で、興梠の好意に甘えているのかもしれない。それは今も。が、それでもいいと最近は思う。行動に移さねば興梠は絶対に私に笑ってくれない。私を見てくれない。

 以前、ちょっとしたことで笑った興梠のあの笑顔。私はもっともっとあれが見たい。

「家、見せるの恥ずかしいんです」

「気にするな。私は馬鹿にしたりはしない」

「だから、その」

「さあ、いこう」

「えっ」

 私は無理やり興梠の手を握り(心の中で奇声を上げつつ)、前へ前へと足を進ませた。勇み足で進むからか、興梠は何度も突っかかったように転びそうになる。興梠は否が応なしに横に並び、私と一緒に歩んだ。もうしょうがないと諦めているような表情が見える。私の勝ちだ。

「あの」

「何だ?」

「家、こっちじゃないです。さっきのところ、左です」

「いいじゃないか。少し遠回りをしよう」

「えっ」

「ダメか?」

「そのう」

「よし、決まりだ!」

「あ、あ、あ……」


 興梠の家はそれ相応に大きかった。車庫を大きなシャッターが蓋をしている。少し長めの階段が玄関から真っ直ぐ伸びていて、訪問者を見下ろすような位置に近代的な家があった。コンクリートの打ちっぱなしの家だ。

 話しを聞くに、興梠の両親は医者であり学者でもあるらしい。興梠はもう見たから帰れと言わんばかりの視線で私をちらちらと見咎めるが、知った事ではない。何か伝えたいのなら喋れ。

 諦め混じりの興梠は門の暗証番号を私が後ろにいるのにも関わらず、ぽちぽちと押していく。……九〇八の三一〇か。

「あの今日はその」

「ああ、かえ――」

「遅いね」

 帰ると言おうとしたところで冷たい声が響いた。私は内心驚きながら、声のした方を向く。

 表情の薄い、ジャージ姿の女がいつの間にか、門の向こう側に立っていた。周りの空気が停滞しているかのような雰囲気。興梠とは別次元で退廃的だ。おそらくこれが興梠の姉なのだろうと直感的に悟った。

「あ、あ、ごめん……なさい」

「二分五十秒の遅れ」

「うっうっ……」

 興梠は体を揺らして、指を忙しなく動かして、怯えの表情を見せた。私はどういうことだと二人見つめるが、興梠の姉はそれを当然のようにしている。

 興梠姉は私の存在にそこで初めて気がついたらしく、眉を持ち上げ首を傾げた。ああ、興梠と同じ仕草だ。

「そちらは」

「私は……」

「あなたには聞いてない。で、命……そちらの方は?」

「あ、あの」

「早く」

「……僕の友達、です」

「そう」

「はい」

 興梠の姉は優しく興梠に微笑みと頭を撫で――――

「うっ」

 髪の毛を掴み、壁に押し付けながら興梠の唇を奪った。私を横目で見ながら、興梠の口の中に舌を挿し込み、興梠の唇に唾液を流し込んだ。興梠が必死に抵抗しようと手で押しのけようとするが、姉の一睨みで静かになった。いや実際にはむせび泣いていて、誰のともつかない涎を零しながら、私を見つめていた。

 その瞳が求めるものはただ一言の、ただひとつの“助け”。しかし私は声が出せない、声に出せない。やめろの一言がいえない。やめてくれの一言がいえない。やめてやってくれの一言が。

 私はただ呆然とそこに立ちすくし、興梠が暗い家の中に連れていかれるのを見ていただけだった。

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