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「今、トッピング中だからちょっと待って」

 たまに父様と母様が帰ってこないということがあります。父様も母様も学会ではそれなりに有名らしく、地方へ出向くことも少なくはありません。講演会などが長引くとお二方が二週間もご帰宅なさらないなどということもザラです(今回は学会や講演会とは無関係ですが)。そんな時はわたしと姉様でこの家を切り盛りしなくてはならいのです。食事や家の掃除、起床なども誰かに頼ることはできません。できることは全て己がやらねばならず、また責任も自分でとらなくてはならないのです。

 基本的にめんどくさがりやの姉様はだらける事に必死で、あまり家事をしてはくれないので、否が応なしにわたしが自分から進んでやるのですけれど、わたしは唯一料理ができないので、そればかりは姉様に任せています。

「何を入れているんですか?」

「ん、髪の毛」

 そういって姉様は細かく切り刻んだ髪の毛をわたしの料理にパラパラとまぶしました。それにふと、わたしは神足さんに言われたことを思い出し、おずおずと姉様に口を開きます。

「あの、髪の毛とか、よく入れますけど、普通はそういうことしないのではないですか?」

 ぴたりと姉様の手が止まり、切り刻まれた黒い雨はカレーに降り注ぐことをやめました。姉様は気だるそうに微笑みながら、わたしに振り返ります。

 左手の包丁が鈍く、システムキッチンの灯りを反射させ、わたしに鋭く尖った先を見せました。

「誰がそんなこといったの?」

「…………」

「うちはうち、外は外だよ。仏教ともいればキリスト教徒もいる。カットリックも入ればプロテスタントもいる。ブードゥー教やゾロアスター教もいるでしょ。でも互いに文句いったりする? あれは違うといい合ったりする? 基本的にはしないよね。それがそこのルールだから」

「あの、でも、お二人がいる時は、そういうことしないですよね。そもそも髪の毛は食べ物ではないのではないですか?」

 お二方がいる時、たまに姉様が料理を手伝うことがあるのですけれど、その時はわたしの料理やお二方の料理に髪の毛を混ぜたりなどということはしませんし、見たことがありません。

 これまで普通に血やら髪の毛やらを当たり前のように口にしてきましたけれど、言われてみれば確かに髪の毛や血といったものは食べ物ではありません。古今東西、多くの生き物が生息していますが、羽や毛といったものは必ずムシられるのが世の中の常というもので、それを口にするという文化は見たことも聞いたこともありません。では何故、姉様はあえてそうするのでしょうか?

「別に汚くないよ。これ」

「そうじゃないです」

 そういって姉様は包丁を持った方の手で自分の髪の毛を指さすのですけれど、そういった話しとは違うと思うわたしは、果たして正しいといえるのでしょうか。

 例えば今までハーブだと思って食べていたものがただの雑草だと分かった時、普通はそれを食べることをやめるでしょう。それが正常というものです。ふりかけだと思っていたものがプラスチックの粉だったと判明したら病院に行くでしょう。家で使っている石鹸が人間の脂肪から作られたものだと分かれば、きっと怖気とともに使用を改めるでしょう。それが普通で正常です。

「イヤなの?」

 でも姉様は正常をとらず、それを続けろと仰ります。

「い、イヤとかではなくて、必要のないことはしたくないですし、そもそもそれって何だか変だと思うのです。姉と抱き合ってキスをするのも、お風呂に入るのも、口移しで料理を食べるのも、下の世話を互いにするのも、抱き合って寝るのも、普通に考えて何かおかしいです。わたしは、普通に暮らしたいです」

「東さんがそういってたの? それとも神足?」

「……話しを誤魔化さないで」

「わかった、今日はしない。これでいい?」

「そ、それは解決になってないです。何故、そんなことをしたのですか? どういう理由で……」

 姉様はわたしの言葉を手で制しました。

「普通普通ってさ、そんなに普通が偉いのかな。ちょっとくらいオカシイ方が人間らしいとわたしは思うよ。例えばさ、君はストレスを感じると指をカタカタさしたり、体を前後に揺らしたりする。でも、それって傍から見たら凄く不自然で、普通のことじゃない。どうしてそういうことするのって言われても君は本能的なものだとしか言えないし、答えられないよね? わたしもそう。それを止めろって言われても、異常だって言われてもどうしようもないことだよね。……それでも君はわたしに異常だ、止めろっていうのかな」

 表情は変わりませんが、言葉は強い。わたしは何だか叱られたような気持ちになって床を見つめてしまいました。

「…………いえ、あの、ごめんなさい」

「いいよ、美味しく食べてくれれば」

 そういって姉様は鼻歌を歌いながら、作業に戻るのですが、わたしはどこか納得がいきません。なにかこう、上手くはぐらかされたような違和感が脳内でストレスとなって、のたうつのですけれど、明確な答えは出ず、姉様の仰った論を崩すに値する言葉が見つかりません。

 ただユラユラとわたしの体と指が揺れるのみ。


 体を洗い終えたわたしはお風呂場の戸を開けたのですけど、目の前に少し奇妙な光景が広がっていました。目を瞬かせ、言葉に詰まります。

 今日は先程の反発があったせいか一人で風呂に入ることをよしとしてくれた姉様がわたしの下着を鼻元に押さえつけ、どこか遠い目をしながら、わたしの表情を見つめています。左手は下半身のジャージの中に伸びていて……ふいに姉様がふうっと強く息を吐いたかと思うと体を小さく丸め、ビクビクと震え始めました。淡紅色の表情は真っ赤に染まり、うるんだ瞳がわたしを捉えるのですけど、明らかに何か変です。

「どうしたんですか?」

「別に、なんでも、ないよ……」

 姉様は左手をジャージから出し、赤い顔のまま、わたしにそう告げました。洗濯機の中にわたしの汚れた下着が投げ込まれるのですけれど、布地が湿っているのは何故でしょう? たまに姉様がわたしの下着や服、使い終わった食器で何かをされているようなのですが、わたしにはよく分かりません。何か焦燥のような感覚が一瞬、抜けていくのですけれど、確かな概念としては確立せず、泡のように消えてしまいます。

「洗濯、僕がやっておきますよ」

「わたしがやるからいいよ」

 チラチラと横目でわたしを盗み見る姉様の視線が妙に恥ずかしい気がするのはどうしてでしょう?

「拭いたタオルも一緒に入れたいのです」

「……じゃあ、ここで拭き終わるの、見てる」

「それは、なんか、その」

「……冗談」

 姉様は気だるそうにそう言いながらぬらりとテラついた手を蛇口で洗うと、脱衣所を出ていきました。

 不意に湧き上がる謎の感情に、わたしは先程、姉様が投げ込んだ下着を手に取ってみました。

 何かがべとつき、湿って重くなったわたしの下着。これは……唾液でしょうか。

 唾液?

「…………っ」

 今、今、今、今、猛烈に嫌な気持ちがわたしを襲いました。ざわりとした舌先で肌を舐められたような不快な感覚です。それと相まって足元を(すく)うような、強い羞恥心がわたしを高波となってさらうのですけど、それに対して論理的な説明ができません。ただひたすらに姉様の行為はよくないことだとわたしの本能が囁くのですけれど、上手く言葉にできません。

 わたしは顔を赤く染め上げながら洗面台にもたれ掛かり、鏡の前で自分の下着を片手に固まり続けました。

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