おじさんは何者?
「ところで、おじさんはきなこになる前は何してたの?」
僕の問いかけに、おじさんは胸を張って答えた。
「勇者だ!」
(あー、ゲームの廃人的なやつね……)
更なる悪夢が始まったのは、その翌日からだった。
おじさんは特訓と称して、僕の消しゴムを手に持ち筋トレをしたり、お菓子についていたフォークを振り回したりし始めた。
おじさん曰く――魔王を倒すためだそうだ。
(この世に魔王なんていないけどね……。おじさんの中ではそういう設定らしい)
僕のぬいぐるみに転生したおじさんは、今日もお菓子のナイフを剣代わりに振り回している。
「剣技の鍛錬を怠っては、勇者としての誇りが廃る!」
などと言うけれど、僕の愛しいきなこ――ふわふわで可愛い柴犬のぬいぐるみ――がどんどんボロボロになっていくのは耐えられない。
「もうやめてよ! きなこが傷つく!」
と訴えても、おじさんは全く聞く耳を持たない。
「何を言う! これも勇者の宿命なのだ!」
……やっぱり、このおじさん、ヤバイ奴だ。
しかも、僕がきなこの可愛さに弱いと悟ってからというもの、やたら ぶりっ子を極め始めた 。
何かお願いするときは、
「お願いきな♡」
などと、柴犬らしい愛嬌を振りまいてくる。
……ちょっと可愛いのが腹立つ。
そんなある日、おじさんはテレビを見ていて、突然立ち上がった。
「俺だ!!!」
「は?」
指差したのは、『ぬいぐるみ転生』というアニメの勇者キャラ、『キナス・スカイフォーク』だった。
このアニメは、勇者キナス・スカイフォークが魔王を討伐寸前まで追い詰める。
しかし、魔王が死ねば転生してしまうため、弟・クロウが封印の呪文を試みる。
だが、魔王は呪文を跳ね返し、逆に自分たちが封印されてしまう。
そして、次に気づいたとき――キナスは 柴犬のぬいぐるみになっていた――というストーリーだ。
今、現在はキナスの過去編が放送されており、キナスは人間の姿をしている。
とはいえ、キナスの年齢は 18歳 。おじさんではない。
「これは俺だ! 間違いない!」
「いや、ただのアニメキャラだから」
「違う! なぜこんなに俺の過去が細かく描かれているんだ!?」
いや、だから、それはアニメ。
おじさんの過去じゃないし、そのキャラもおじさんじゃない。
しかし、おじさんは 頑なに譲らない。
それどころか、アニメを見返して、必死に設定を調べ始めた。
「この勇者の過去……戦い……すべて俺と同じだ!」
「いや、だから、それは……」
仕草だけは愛らしい。
でも、その思考が、あまりにも残念すぎる。
こうして、おじさんは「自分の過去を取り戻す」ために、ひたすら 漫画を読み漁りはじめた。
最初は、どうせすぐに諦めるだろうと思っていた。
しかし、予想に反して、おじさんは 設定を押し通そうと必死だった。
その姿に、僕はじわじわと 危機感を覚え始める。
もし今後の展開――つまり ぬいぐるみに転生する展開を知ってしまったら、それこそおじさんが我が物顔で「ほら、俺だ!」と主張してくるに違いないと思った。
僕は、それを阻止するために、漫画を 封印することにした。
果たして、おじさんは本当に勇者だったのか?
ただ、この話を知っていて、自分だと言い出したのか?
偶々、自分だと言い張った勇者が似た境遇だったのか?
それとも、ただのゲーム廃人なのか……?
――考えたところで、答えが出るわけでもない。
僕の大切なぬいぐるみ・きなこは、今日も 勇者気取りのおじさんに占拠されている。
その事実だけは、どうあがいても変わらない。