第7章 瑠衣 村おこしに吠える
ダブル不倫の両親に見捨てられた結城瑠衣は母方の祖父母を頼って、山川村にやってきた。その日、人が死んだ。事故死と片付けられたが、被害者の荷物が一つ足りない。
山川村はど田舎な村だ。そこに東京のコンサルタント会社が持ってきた箱物の村おこしの企画が持ち上がる。アニメとゲームのアミューズメントパークに、アニメーターゲームクリエーターを誘致しようとするものだ。
「うちのじいさんが聞いてきた話なんだが、あのアニメ館、そんなに胡散臭いものじゃなかったよ」
委員長がみんなを集めてニコニコしながら話し出した。
「昨日、美由紀のホテルに企画会社の人が来て説明してくれたんだ。企画書も持ってきた。それによるとこの計画は素晴らしい。隣町の廃墟のような遊園地と一緒にするなんて、もってのほかだ。それは、それはすばらしい計画なんだ」
「うそだね」
瑠衣はげんなりして言った。
「何で」
「あたし、美由紀と一緒に隣の部屋から盗み聞きしたの」
「それだったら、この計画のすばらしさを聞いたんだろう」
「あれ、でたらめ。まず、アニメ会社を誘致しても所得税なんて入らないから」
「何で、アニメーターってセレブじゃないのか。今一番の憧れの仕事だろう」
委員長がきょとんとする。
「あれも誤解。アニメーターはワーキングプアの代表。一日十時間以上労働してほとんど休みなし、残業手当も有給休暇もなく、正月もお盆もずっと仕事して、手取りがパート以下の人も多いの」
「それって」
全く寝耳に水のような話にみんなはあっけにとられた。アニメーターの実情はそれほどまでに知られていない。
「みんな、あたしが東京にいたことは知っているよね。あたしの住んでいたマンションの近所には、アニメスタジオが結構多くてね。夜中にコンビニ行くと、大きな茶封筒を抱えたアニメ関係者が、夜食を買っているのに出くわすの。そりゃあ汚い格好をしているんだから。それと、牛丼屋に行けば、同じような格好の人に出くわす。たいてい仕事の話をしているから、聞き耳立てればすぐに正体が判るわよ。アニメーターって本当に貧乏なのよ。それを年収数千万だって、そんなのありえない。その金持ちじゃないアニメーターを抱える会社だって、当然、絶対貧乏よ。経常利益がプラスになれば万歳、たいていはカツカツで何とかやりくりしているのよ。一本でも没になれば、いっぺんで倒産よ」
「そんな……」
全員、驚きを通り過ぎて茫然自失だ。
「しかも、今はアニメの下請けは海外で、多くは東京に取次店を置いているから、東京が基点であることには変わりがないの。地方でもアニメスタジオは出来ているけど、それはインフラが整った都市に限るの。だいたい、この地域、光ファイバーさえ一部しかきてないじゃない。アニメのデーターを送る場合、相当な容量があるから、光がなければ送ることもできない。この地域ってスマホの圏外が大部分でしょ」
「光って何……」
この地域の若者にスマホ依存症が少ないのもうなづけた。瑠衣はスマホがないと生きていけないタイプだったが、ここにきて、受信状況が芳しくなく、すぐに途切れて圏外が出るスマホでは、ネットも楽しめない。温泉街の中心と、役場、学校あたりはかろうじて基地局が立っているのでスマホは使えるが、村の大部分は圏外なのだ。携帯電話の会社がカバ−100%近くって言っていても、それは人のいるところの意味であって、畑や山にカバーはしていない。畑と山ばかりの山川村のほとんどで携帯電話が使えないのは致し方ない。
「だいたい、アニメーターに自然回帰の感覚なんてないわ。一度、机に向かったら、そこしか見てない近視眼の人間だって聞くわよ。しかも活動時間が夜中。昼過ぎに起きてきて、会社に入ったら明け方まで籠もりっぱなし。いくらここが風光明媚だっていっても、夜中は街灯もなくて、真っ暗じゃない。それで風光明媚を売っても、見えなきゃ何の意味もない。そんなもので村おこしをしても、仕方がないじゃない」
瑠衣の説明に皆は唖然とした。本当は昨日、ふすまを蹴立てて怒鳴り込んでやろうとしたのだが、美由紀に止められたのだ。さすがに盗み聞きをしているので立場がない。しかも美由紀はこのホテルの後取り娘である。責任問題になりかねないから美由紀は必死で止めた。それを振り切るほど、瑠衣も大人げないわけではない。
「だから、あの計画はザルなのよ。まったく根拠のない数字の羅列、絵に描いた餅より酷いわ。詐欺よ。絶対ペテン師なの」
「ゲームもか」
「あれも似たり寄ったり。ゲームクリエイターって言っても貧乏は同じ。一日中仕事して、終電がなくなれば、そのまま机の下で寝るのよ。床の上に段ボールを敷いて、体の上に毛布一枚被ってね」
一同はげんなりした。というのも昨日の推進派の人間たちがすでに村中、この計画を吹聴しまくっていたからだ。反対派の中にもすでに多くが懐柔されて、賛成派に鞍替えしているらしい。
「本当にそうなの」
泣きそうな顔で早苗が訊く。
「一部の人じゃないの」
父親がすでに賛成派に傾いている美菜も、気が気ではない。
「大多数よ。私の言うことが絶対ほんとなの。だって近所だからしょっちゅう、見ていたもの。元々、ちゃんと稼げている人の方が少ない業界なのよ。アニメーターのほとんどが、所得税の還付金を心待ちにしているの。なぜなら、収めた一割源泉がすべて戻ってくるからよ。ボーナスのないアニメーターにとって、年に一度のお楽しみってわけ」
そこまで決めつけていいのか、業界の人間でもないのに内情を知っているのか、普通ならそこをいぶかってもいいはずだが、茫然自失しているクラスメートたちにそんな茶々を入れる元気はない。
「アニメーターってね、すんごいド・ビンボウニンなの」
世の中には知らない方が幸せなことがあると誰が言ったのだろう。金持ちのアニメーターがいたとしたら、文句の出そうな発言だが、だれも気にも留めない。
「そんなこといっても、計画は進んでいるよ」
委員長が絶望的な言葉を発した。
「何、もう契約しちゃったの」
「それはまだだって聞いているけど。それというのも、まだ測量が出来ていないんだ。今あるのはただの計画案で、実際にどこにどんなものを建築するのかもほとんど決まっていない」
「測量ってすぐに始まるの」
「いや、ほら、雪が降ってきただろう。もう測量が出来ないんだ。ここらじゃ一度雪が降ったら積雪が多くて、四月になるまで何も出来ない」
「なら好都合じゃない。春までにあの計画のぼろを村のみんなに教えるのよ。そしてやめさせるの」
「聞く耳持たないのに」
「じゃあ、他のアイディアを出すのよ。もっとリーズナブルで簡単に客を集められるようなものを」
「そんなもの、あるわけないよ」
そうだ、そうだと廻りも暗く答える。
「そう、それよ、まったく何よ、みんな、覇気がないわね。だからあんなうそっぽい企画会社に踊らされるのよ。自分たちで何とかしようとする気がないの。みんなこの村の住人でしょ。この村で生まれ育ちこの村を大切にしているって言ったじゃないの。それなのにその消極的な態度、花の高校生が何でそんなにしょぼいのよ。気迫よ、気迫。何だってやらなきゃ叶わないの」
瑠衣は一気にまくし立てた。その勢いは昨日見た企画会社のおっさんたちを彷彿とさせるほどで、瑠衣は心の隅で罪悪感を覚えた。
「そんなこと言われても」
「いうだけならなんとでも言えるよ。瑠衣は他所から来たからそんな簡単に勝手なことを言うんだ」
皆がぶつぶつと文句を言う。
「他所もんだからって馬鹿にするの」
きっと睨みつける。
「そんなんじゃないけど」
結城大介はうつむいた。彼は瑠衣の血縁でもあるので、大きなことは言えない。最初の日は気がつかなかったが、小さいころ、瑠衣は正月に帰省するたびに大介を家来にしていた。その関係で、大介は今でも頭が上がらない。
「瑠衣にだってアイディアなんてないんだろ」
満が痛いところをつく。
「あるわよ」
口からでまかせ、意地である。
「それ、何」
美由紀が身を乗り出す。彼女は自分の身の上が心配でしょうがない。結城温泉一の大ホテルといっても、客室数八十の稼働率はかなり低い。従業員もいることだし、彼女の肩にこのホテルの将来がかかっているという現実がある。今のままでは先行きはあまりにも暗い。十五歳の少女にしては将来に夢も希望も持てない。
「つまり、その……」
「何……」
美菜も身を乗り出す。彼女の家は有機農法で作った野菜をホテル街に納入しているのだ。平野地区のほとんどの農家が、とれた野菜を旅館街に収めている。結城地区と平野地区は持ちつ持たれつの関係なのだ。
「つまり、宣伝よ」
瑠衣は苦し紛れに適当なことを言う。
「宣伝」
皆、異口同音に繰り返す。
「そうよ、宣伝。宣伝すればいいのよ。今は農協だって各個にサイトを持っている時代じゃない。ここの村を宣伝するようなサイトを作ればいいのよ」
「え、そんなもの、誰が作るんだ。ようやく去年予算が取れて、役場にオンラインが導入されたばかりだというのに。しかもまだ研修中で、ちゃんと使える職員がいないんだよ」
委員長が時代遅れを露呈する。
「そうよ。村長はじめ、村会議長、役場の助役さんとかで、パソコン触れる人、いないよ」
「だからよ。そうやって人任せにしているから、いつまでたっても前世紀の遺物しているんじゃない。発展がないのよ。ここと東京は時差が五十年くらいあるのよ。オールウェイズ、古き良き時代なんて言っている場合じゃないわ」
言ってやった、とちょっと嬉しい。ここに着てからずっとダブル不倫で捨てられた子とあまり良くない言われ方をされてきた。よそ者とも言われた。それがちょっと癇に障る。瑠衣はここに来て一気に攻勢に出た。
「サイトを立ち上げるのよ。それでここの宣伝をするの」
思いつきの口から出まかせだったが、宣伝と言うのもあながち悪いものではない。
「そんなこといっても、何の名物もないぜ」
大介がしどろもどろに言う。
「もう、そんなんだから……」
まだるっこしくてイライラする。
「村の発展を考えるなら、何かちゃんとした計画やらイベントを……」
瑠衣の文句をさえぎるようにだみ声がこだました。
「都会もんが何を言う」
やってきたのは高校二年生の少しばかり、いや、かなり柄の悪いお姉ちゃんだ。
「あんただれ」
「他所もんはあたしのことを知らないようね」
いかにも意地悪な目つき、転校して今までこんな人間が現れなかったのが、不思議だ。転校生が来れば必ずといっていいほど、釘を刺しに来る不良は青春ドラマの定番だ。いない方がおかしい。瑠衣だって最初はいじめを受けるのではないかと心配したくらいだ。高校一年のクラスがぬるま湯のように穏やかだったのが珍しい。
「あたしはね、平野明美、この村の村議会議長の孫娘よ。あたしのおじいちゃんの企画した事業に、難癖をつけて吹聴しまくっているあんた、邪魔なのよね」
いや、企画会社の持ち込み企画だと聞いている。村の誰かが企画したものではない。
「よそ者、よそ者って、勝手なことを言わないでよ。あたしだってれっきとしたこの村の人間よ。結城旅館の孫だもの」
「あんたの母親は男と出来て駆け落ちしたんじゃない。村を捨てた女の子供のくせに何を言うの」
図星である。しかし、図星を突かれると人は開き直る。
「母親は母親、あたしはあたし、一緒にしないでよ」
母親に関しては別人格を主張し、爺さん婆さんに関しては血縁を強調する。かなり勝手な言い分だが、周りの友人が応援して、そうよそうよと言ってくれたおかげで、瑠衣は突っ張っている。
「だからといって村の発展を邪魔しないでよ」
「あれは発展にはなれないの。アニメ館。ゲーム館。あんなもの作っても集客できないわよ。各地にある箱物を見てよ。税金の無駄遣いよ」
「あんなもんと一緒にしないで。アニメ館は当たるの。絶対当たるんだから」
「根拠は何よ。はっきりと何が当たるのよ」
「だから、それは、企画会社が持ってきた数字があるでしょう。それでちゃんとうまくいくのよ。そうしたらあたしたちだって綺麗な仕事が出来るのよ。あたしはね、土にまみれる汚い農業なんてまっぴらなのよ。アニメを描いて最先端の映像を作るの。クリエーターよ。芸術家になるのよ」
「あんた、絵が描けるの」
瑠衣の見た目では、明美姉さんはあまり美術家にふさわしいタイプの人間ではなさそうだ。
「まあ、あんまりうまくないけど、でもアニメーターになれなくたってアニメーターのお嫁さんにはなれるかもしれないじゃない。年収数千万のセレブと結婚出来れば、玉の輿じゃない」
「あれがうそなの」
「そんなこと、なんであんたが知ってるのよ」
「東京にいたとき地元のアニメスタジオに見学に行ったことがあるの。あんたね、手に染み付いた鉛筆の臭いをかいだことある」
「鉛筆に臭いなんてあるわけないじゃん」
鉛筆を持たなくなった高校生である。ほとんどがシャーペンを使っている。鉛筆のあの木と鉛と煤の入り混じった臭いなど、わかるわけがない。
「ある。それが染み込んでいる。そのくらい貧乏臭い人間がアニメを作るのよ。それを誘致してどうするの」
力説する。何もそこまで言わなくてもと、美由紀が脇でおろおろするが、瑠衣はそんなこと気にも留めない。
「うるさい、うるさい、うるさい」
明美姉さんが切れた。
「他所もんが何を言うか。貧弱な都会ッ子が、御託並べたって仕方がないんだよ。ここにはここの流儀ってもんがあるんだから」
その言葉が終わらぬうちに、明美の拳が瑠衣の顔、めがけて繰り出された。
「バシッ……」
派手な音が響く。口より先に手が出るような喧嘩っ早い明美姉さんである。女番長を任じてはばからないあばずれである。その勢いに今まで誰もが手を出しかねていたのに、結果は、当の本人が長々とひっくり返った。
「だから、見る目を持ってね」
瑠衣が涼しく宣言した。明美の腕を捻ってそのまま一本背負で軽くいなした。
目をむいて天井をうつろに見ている明美姉さんを見下ろして、瑠衣は宣言する。
「あたしだってこの村が好きなんだから」
アニメーター、ゲームクリエーターをど貧乏をこき下ろし、独自の村おこしを提唱した瑠衣。果たしてこの逆境をひっくり返せるのか?




