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第6章 瑠衣 アニメ館の中身を知る

ダブル不倫の両親に見捨てられ、母方の祖父母のもとに身を寄せた結城瑠衣。その日、人が死んだ。一応事故死となったが、その被害者の荷物が一つ見当たらない。

生来元気で活発な瑠衣がど田舎に来た。そのど田舎ぶりに圧倒される。そしてそこで村おこしと称して何やら胡散臭いコンサルタントが暗躍している。


 のどかな農村だ。ひなびた温泉街だ。そのうちここに馬鹿でっかい箱物が立ち並んで、それとともに借金も膨らんで、村は徐々に財政破綻していくのだろう。

「どうしよう」

 布団の中で悶々と悩む。こんな田舎で朽ち果てるのはいやだ。だけど十五歳の子供が一人で生きていけるほど、世の中甘くない。働きながら学校に行く、そういう選択肢があるにはあるが、むちゃくちゃ根性がないとやり遂げるのは至難の業だ。おじいちゃんに仕送りをして貰うのは無理だ。今にもつぶれそうなこの旅館の、どこにそんな余裕があるのか、瑠衣にだってわかる。でも、このままだとオゾン中毒、森林浴のやり過ぎ、フェットンチットン摂取過剰で病気になりそうだ。

 今まであまりにも不健康な環境にいた瑠衣にとって、ここは病気になってしまいかねないほど清浄な場所だ。毎日、朝早く起きてきちんとした朝ごはんを食べ、掃除をし、森の中を歩いて学校に行く。帰りはゲーセンに寄ることもなくまっすぐ帰路に着く。第一、ここにはゲームセンターという代物すらなく、コンビニもないからジャンクフードを漁ることも出来ず、学校から家に帰り、旅館の手伝いをする。他にすることがないから暇つぶしにやっているだけなのだが、体を動かすことができるので、結構楽しい。文部科学省推薦、教育委員会推奨、いい子の代表のような毎日を繰り返している。布団の中で悩みを抱えている暇もなく、旅館の掃除の疲れが出て、横になって数十秒で睡魔に飲み込まれていく。当然のことだが、その分、朝の目覚めが快適で、時間の余裕があるから朝ごはんもしっかりとたいらげ、そのサイクルで毎日が過ぎていく。

 ある朝、あまりの寒さに目が覚めた。布団を被ったまま、布団の隙間から部屋を見回す。寒いのもそのはず、カーテンが空いたままになっていた。ふと外を見ると光で満ちていた。キラキラと光の粒が舞っている。瑠衣は思わず布団を身の虫状態にしたまま窓に近づいた。

 一面、真っ白だった。ただ、ただ、真っ白の雪が川面や、川岸の岩、木の枝にこんもりと積っていた。十二月に入ったばかりというのに、もう雪が降る。昨日の夜中に降ったのだろう。その雪雲も去り、朝の陽の中でふんわりと柔らかく積もった雪が、淡いきらめきを纏っている。枝に残っていた紅葉が雪に透けて、淡い色を匂わせている。ほんのりと桃色や黄色に色づいた雪の塊が時々、バサッと音をたてて落ちる。その振動が伝わってばさばさと雪の塊が落ちていく。昼の日差しを受けたらたぶんあらかた落ちてしまうのだろう。道の端、畑の中で泥に混じってしまうに違いない。でも今は光の粒を纏って大天使ミカエルが降臨したかの様に神々しい。

 瑠衣は思わず窓に張り付いた。そのガラスの冷たさも気にならなかった。

「綺麗、なんて綺麗なの」

 言葉が勝手に漏れている。何かを見てその美しさに感動するなんて、そんな子供っぽい感情などとうの昔になくなっていたはずだと思い込んでいたのに、あまりの美しさに我を忘れた。急いでジャケットを着込むと川に降りて行った。

 真っ白な雪の上に二の字の下駄の跡が、ハンコのように並んでいく。今まで真っさらの誰も踏んでいない雪の上を歩いたことはなかった。東京にだって雪は降る。でも、瑠衣が外に出る頃には車が轍を刻み、多くの人の足に踏みにじられている。誰も歩いたことのない雪の上は、瑠衣にとって初めてづくしの体験だ。下駄の下で雪がキュッキュッと音を立てている。まるでくすくすと声をあげている子供の笑い声に似ている。それに板場からの朝ごはんの支度の音が被る。とんとんと何を刻んでいるのだろう。ねぎか、油揚げか、それとも人参だろうか。川のせせらぎもさわさわと耳にくすぐったい。

 風はない。空気が冷たい、その冷たさが痛いを通り過ぎて堅いくらいだ。硬質の空気というものがあるとすれば、まさにそれだろう。清涼な、浄化された空気が瑠衣を包む。東京でこんな透き通った空気を吸ったことがあっただろうか。

 確かにこの地は時間の流れがあまりにのろく、イライラしそうになる。人々のゆったりした生活に、うっとうしさを感じることさえあった。それも穏やかさと優しさの表れだとすれば、焦る自分が愚かしい。

 不意に笑いがこみ上げた。たたずんでいる自分の素足に寒さが上ってくることさえ、こそばゆい。川面に向いた各旅館の仲居達の部屋から、ざわめきが湧いてくる。一日が始まる。ここにきて初めてわくわくと心が弾んだ。ここも悪くない、いや、とってもいい。行くところがない、どこにも行き場所がないから、仕方なしにここにいるしかないか。そんな風に投げやりだったが、気持ちが切り替わった。いいんだ、ここでいいんだ。ここでこそ、いいんだ。ここがいい。心の底からそう思えた。

 瑠衣は下駄の音を楽しむように板場に向かって走り出した。今日こそ朝ごはんの支度を手伝おう。

 


 数日後、美由紀のホテルに異様な風体の団体客が泊まるのが見えた。きっちりネクタイを締め、スーツを着込んだ男が三人、ボストンバック以外にアタッシュケースを抱えている。

 見覚えのある客だ。ただ前回はもっと多人数だったし、全員作業着だった。それがまるで東京の大手町か、日本橋あたりのオフィス街にでもいるかの様な恰好をしている。ただ、纏っている空気に異様さを感じた。瑠衣は妙なところで霊感らしきものがある。気になって仕方がない。

「あれって何」

「時々来る東京のお客さん。コンサルタント会社の人。村長さんが呼んだらしいよ」

 美由紀に話を聞いて瑠衣は強引に上がりこんだ。美由紀の母親は瑠衣の母親の妹で、当然ながら勝手知ったる他人の家、ホテルは従業員の私室まで知っている。勿論、瑠衣が皆のことを知っているように、皆も瑠衣のことを知っている。

 あがりこんでロビーにたむろする男たちを観察した。三人の中年男性、最年長が五十代、下は三十代らしく見える。村の主だった人たちが現れると、ホテルが用意した宴会場に通される。瑠衣と美由紀はこっそり付いていって、隣の部屋から聞き耳を立てる。

「コンパニオンとかいないのか」

 五十代の男が怒鳴る。宴会には男性ばかりで、色物がない。確かに美由紀のお母さんである若女将がお膳を運んではきたが、挨拶が済むと逃げるように退出した。

「すいません。この温泉街には芸者はおろか、コンパニオンさんもいないんですよ」

 委員長の祖父、この村の村長が申し訳なさそうに説明する。

 かつてはコンパニオンの派遣会社があった。県庁所在地にある会社の出先機関が置かれていたが、それも温泉ブームのときだけだった。もともとこの温泉地は湯治客とファミリー向け、冬場のスキーの合宿がちらほらあるだけで、企業の宴会はバブルのころを除いて無縁な場所だ。勢い、派遣会社もすぐに撤退した。

「色気のない場所だな」

 あからさまの不平に村長たちはいたたまれない。隣の部屋に潜んで聞き耳を立てていた瑠衣と美由紀はもっと不機嫌だ。

「何よ、あのおっさんたちは」

「もう、瑠衣ったら、もっと静かに怒ってよ」

 瑠衣は最初、コンパニオンの格好をして乗り込むつもりだったが、さすがにそれは美由紀を含め、従業員みんなに反対されてあきらめた。

「まずは自己紹介から行きましょうか。私は笹川と言います。コンサルタント会社を経営しております」

 五十代の恰幅のいい男が言う。この人間はきっちりスーツを着込んでいる割には、がらの悪い感じがする。

「開発部長の石井です」

 笹川が脇の四十代の男を紹介する。こちらは笹川と反対に背の高い細身で、メガネをかけた几帳面な感じだ。

「次が今回の計画の担当の海野です。細かいところはこの男を窓口に何でも質問してください」

 最後の男は三十代、行動隊長と言った感の男である。サラリーマンにしてはちょっと目つきがきつい印象である。男たちは食事が一段落すると、ばさばさと大きな紙を広げた。どうやら設計図と完成予想図らしかった。ふすまの隙間からはそれの全貌を見ることが出来ないが、かなり大きな建物らしい。

「村のもんから、この計画がどれほど確かなものかと、少々疑問の声が上がっているのですが……」

 村長が切り出した。

「何をおっしゃる。これはそんじょそこらの、いい加減な計画ではありません。今や、アニメはジャパニメーションと呼ばれ、世界中で評価されているんですよ。イタリアでは美術館でイベントが開かれ、パリではアニメのコスチュームのショーが開かれるほど。オークションで有名なサザビーズで日本のフィギュアが高値で競り落とされ、日本のアニメ映画がアカデミー賞を受賞し、カンヌで絶賛される。日本映画が斜陽化した今では、世界で映像文化として通用するのは、アニメと特撮だけです」

 笹川が一気にまくしたてる。

「はぁ……」

 時代劇世代の老人たちはただ頷くだけだ。

「いまやアニメーターや声優は時代の寵児、カタカナ産業の覇者ですよ。セレブなクリエイターです。声優にはそれぞれ熱烈なファンがついているし、アニメは放映が終われば必ずといっていいほど、DVDなどの二次媒体で販売されます。その印税たるや、ほかのテレビドラマの比ではありません。アニメは金を生み出すめんどり、値千金の鉱脈といっていい。それをほっておく手はない」

 そこで笹川は一服、お茶を口に含んだ。

「しかし、ほとんどのアニメ産業が東京に集中している。イベントもそこで開かれ、アニメ好きの人間は無理をしてでも東京に行くしかない。でもここでこの企画が動いたら、東北のアニメファンは皆ここに集まるでしょう。北海道の人間だって、東京に行くより、ここのほうが、はるかに利便性があります」

「それだけで、百万人の動員が狙えますか」

「そんな数ではありませんよ。もっと、もっと動員できますよ。そのためにアニメだけじゃなくゲーム館も企画したんですから。ゲームは一兆円産業といわれ、ゲーム会社の大手一社だけで、経常利益があのパナ〇ニックを追い抜いたんです。日本の基幹産業の電機メーカーをしのぐ利益を上げているんなんて、一昔前なら想像も出来ないことですよ。ゲームはアニメと並んで世界で通用する映像産業なんです。しかもゲームとアニメは繋がっている。ゲームがアニメ化されることもあるし、アニメが当たってそれがゲーム化されることも多い。つまりゲームとアニメは表裏一体、関連産業なんですよ。それをここに誘致するんです」

「エ、誘致って」

 またも新たな計画に村長以下はあんぐりと口を開いたままだ。

「そう、アニメーターは芸術家なんですよ。東京のごみごみした環境では、のびのびとした創作活動が出来ない。ここの風光明媚で清らかな環境で心置きなく芸術にのめりこめたら、こんなすばらしいことはないでしょう。今までも多くの過疎の村で、芸術家を招いて村おこしをしていますよね」

 うんうんと老人たちはうなずく。以前に企画会社から参考にと言って渡された新聞の切り抜きのコピーに、他の地方で成功した村おこしの様子が書かれてあった。芸術家村と称し、産業を起こしたらしい。

「アトリエを作ったり、陶芸の窯を作ったりしている話は聞いたことがありますよね。でもそれは数人だけの話。たかが知れています。でもアニメは作品一本作るのに数十人の人間が力を合わせて作るのです。つまりアニメの製作会社を誘致すれば、数十人、数百人の人間がここに引越し、産業を起こしてくれる。それぞれが年収数千万円の高給取りです。その市民税だけでもかなりもののです。きっと村にはハリウッドのビバリーヒルズ並みの町並みが現れるでしょう。しかもですよ、この産業はほとんど公害を出すことがないんです」

「というと」

 村会議長が乗り出した。

「他の工場を誘致すれば必ず煤煙や工業排水を出すでしょう。それはどんな浄化システムを作ったとしてもまったくの無害では済まされない。この清浄な地に毒々しい煤煙が似合うと思いますか。あなた方は村を深く愛していらっしゃる。この愛する村を公害で汚したいですか。トラックが土煙を巻き上げ、排気ガスをまき散らす。狭い道路を大型トレーラーがわがもの顔に走り回る。狭い通学道路をかわいいお孫さんたちが、車に脅えながら登校する姿を見たいですか」

 皆が顔を見合せた。そんなことになったら、子供たちが交通事故に巻き込まれてしまうかもしれない。

「村のせせらぎは素晴らしいですよ。村の奥様方はあそこで野菜を洗い、洗濯をなさるのではないですか。まあ、今では洗濯は洗濯機に任せるようになったそうですが、今でもあれは立派な生活用水ですよ。村の特産品の一つ、大根の麹漬けはあの川で洗ったからこそ出せる味だと聞いています。その川にどす黒い廃液を垂れ流されたいですか」

 笹川は老人たちの表情に苦悩が浮かんだのを確認すると、声のトーンを明るくした。

「でもアニメは絵を描く仕事です。産業廃棄物は書き潰しの紙くらいで、再利用すれば立派な資源です。いや再生紙に使うなんてもったいないことをしなくても、有名アニメーターの下書きだったら、それだけで商品にすらなるんですよ。オタクと呼ばれる人種にとって、これはすばらしいコレクターズアイテムです。このようにまったく公害のない産業の誘致が可能なんです」

「ほう……」

「夏は屋外で声優を招いてのイベントを行い、冬はスキー場で新作の映画を上映したりと、盛りだくさんのフェスティバルの企画を用意しました。これで年間の観光客を二百万人以上にすることが出来るのです」

「す・ご・い……」

「詳細は開発部長の石井が説明します」

 石井の口から、想像もつかないような桁外れの数字が景気よくぽんぽんと並べ立てられる。ばら色の計画、その後の村の発展、今まで手薄だった老人福祉にも簡単に予算が取れる、何もかもが今までの村のスケールの十倍百倍の規模で発展する。そのすばらしさに、聞いているだけで陶酔してしまった。

「夢のようじゃ」

「これで子や孫にすばらしい村を残してやれる」

 一同は企画会社の夢に舞い上がっていく。

「うそだ」

 ふすま一枚隔てて、瑠衣は握りこぶしを震わせていた。


さて、アニメで村おこしってそれ、うまくいくの?

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