第4章 瑠衣、遊園地に行く
ダブル不倫の両輪に見捨てられた結城瑠衣は母方の祖父母を頼って山川村に来た。ど田舎である。高校のクラスが七人しかいない。だがその風光明媚など田舎で、人が死んだ。事故らしいと片付いたが、その被害者が泊まっていたホテルから荷物が一つ、なくなっていたようだ。それと胡散臭い観光開発の話も進んでいるらしい。
クラスメートの名前は転校当日にすべて覚えた。もっとも五人分の名前と顔を覚えればいいので簡単だ。美由紀はすでに知っているから除外。教師も授業が一通り回ったところですべて名前と顔が一致した。これも全員で保育園からすべて合わせて二十人弱なので、さして苦労はない。
学校の生活は慣れてしまうと、どうということはない。山川高校は都立より授業のレベルがさほど高くない。スポーツが得意で、頭の回転の割に、成績が今一つの瑠衣にとっては居心地がいい。美由紀だけではなく、親戚の子供が数人、他の学年にいるので、まったく見知らぬ土地に来た感じはない。小さな村なので、知った顔が多いのは安心と言えるが、逆に自分の身の上におきたことのいきさつを、すべての人が知っているのは参った。美由紀の話では温泉街は当日中に、平野の地区も数日で知れ渡ったということだ。お昼のワイドショー並みの話なので、面白おかしく茶の間の話題になったらしい。ちなみに結城温泉郷には結城姓が多く、畑や田んぼが広がる平野地区では平野姓が多い。名前がその実を表している典型だ。分かり易くて力が抜ける。
瑠衣が自分の身の上が村全体に知れ渡ったことに落ち込んでいると、美由紀が歓迎会をしようと言い出した。
「だから落ち込まないでぱぁっと騒ごうよ。気分治してさ」
こんなときは心優しい美由紀には励まされる。気配りができて、いつもにこにこしている。将来は結城ホテルの女将になるのだが、今でも十分女将として通用するほど、人間が出来ている。
「クラスを挙げて歓迎しますよ」
委員長も乗り気だ。ただしクラスを挙げてといっても七人しかいないが。
「どっか行きたい所ない。そうだ、市内の映画館で評判のラブコメが来ているの。瑠衣は好きでしょう。見に行かない」
近隣の映画館がある市内に行くまで、バスで二時間はかかる。
「いやだ」
「え、だって映画、好きでしょう」
「絶対に嫌だ」
愛などにはもう金輪際、関わりたくないのが、今の瑠衣の心境だ。そりゃあ、今まではラブコメ大好きのロマンチックなガキだったが、今からはもっとクールに自立していくんだと、心に決めていた。
「だったらどこか行きたいところがあるの」
美由紀に聞かれて瑠衣は漠然と思い出した。ここに来たばかりのころに見た夢がまだ尾を引いていた。小さなころ、遊園地で飛ばしてしまった犬の風船。あれはどこにいったのだろう。
「遊園地に行きたいな」
ぼそっと呟く。
「ゆ・う・え・ん・ち……」
美由紀はひきつって復唱した。しばらく思案気だったが、笑いをつくろって聞き返した。
「でもこんな田舎じゃ、東京にあるようなすごいところはないよ」
美由紀はおととしの夏に瑠衣の家にしばらく泊まりに来ていた。その時に連れて行ってもらったディズニーランドに、カルチャーショックを受けた。
「そんなに高望みしないよ。でもちょっと気分晴れるようなところがいいな」
瑠衣の申し出にクラスメートは皆、顔を見合わせた。
「とりあえず隣の町にあるから、明日は土曜で学校お休みだし、そのくらいならうちの送迎バスを出してあげられるかも」
美由紀の家は温泉街でも一番大きなホテルをやっている。そこは泊まり客のために自前の送迎バスを持っている。他の旅館やペンションはライトバンか自家用車で迎えに行くか、温泉街共用のバスを利用する。
「それじゃ、歓迎会のために明日、朝、九時に結城ホテルに集まろう」
委員長が取り決めたとすぐに、授業開始のベルが鳴った。
土曜日の朝は抜けるような秋の青空だった。結城ホテルの運転手は人のいいおじさんで、美由紀のことをとても可愛がっている。今日も嬢ちゃん、嬢ちゃんと声を掛けている。
「嬢ちゃん。遊園地までは送りますが、ホテルのお客さんを駅までお迎えしなけりゃならないんですぐに戻りますよ。かまいませんか」
「え、今日、お迎えしなきゃならないようなお客様の予約、あったの」
美由紀がきょとんとして返す。この時期は観光バスの団体か、少人数で自家用車の客が多い。
「東京の建設会社のコン、コン……なんでしたっけ」
「コンサルタントさん」
「そうそう、昨日電話がありまして。またいらっしゃるそうです」
「だって、来月じゃなかったの」
「なんでも、探しものとか、急に用事ができたそうですよ」
どんな理由があっても、客が来てくれることはホテルにとってありがたい。
「そうなの、無理言ってごめんなさいね。遅くならないうちに連絡を入れるから、迎えに来てね」
運転手を確保していた方が、帰りが楽でいいのだが、商売優先だ。美由紀はホテルの娘、わがままは言わない。バスは村を出て海岸線を走り、丘陵地帯の駐車場で止まった。
「ここにあるの?」
バスから降りて、開口一番、瑠衣は引きつった声を吐いた。
だだっ広い海岸線の一角にフェンスで囲った空間がある。ワクワクパークと書かれたゲートもあるが、その造作は普通の高校の学園祭のものと大して変わらない。むしろ手抜きに近い。
「ここが……ゆ…う…え…ん…ち……」
あまりにも殺風景な広場に瑠衣は唖然とする。奥にそれなりの大きさの観覧車があるが、それ以外は一昔前のアトラクションというか、乗り物が風雪に錆付いて、今にも朽ち果てる寸前だ。
一行は中に入る。入場料はない。ゲートはただの門で、近所の老人が散歩をしている。またサッカーボールを蹴飛ばしている小学生が中央広場らしき場所で戯れている。犬の運動をさせている女性もいる。
「まずはチケットを買わなくちゃいけないの。千円で百円券が十二枚だからあの自動販売機で買おうね」
美由紀が瑠衣を促した。中央にある売店に二つ並んでいる自動販売機は右側が故障中だった。
「今日はどれが動いているのかな」
満があたりを見回しながら呟いた。
「あの、土曜日の遊園地で動いていない乗り物があるの」
恐る恐る瑠衣が訊く。
「そ、いつも半分くらいは止まっているよね」
「酷いときは三つくらいしか動いていなくてさ。今日はまだましみたいだよ」
委員長も券を買う。
みなのいでたちはいまどきの高校生のごく普通の服装だ。東京の渋谷あたりとあまり変わらない。でもその最先端ファッションで身を固めた若者のいる場所は、五十年くらい軽くタイムスリップしたかのような時代遅れの遊具がさび付いた廃墟だ。稼動していない遊具の柵の中に犬を放し飼いにしている人までいる。ドッグランとしては使いやすいのだろうが、著しく使い方を誤っている。
手近のスカイサイクルはチケット二枚。地上三メートルくらいに設置されたレールの上を自転車にまたがって人力で進むものだ。腰の曲がったおじいさんが切符もぎをしている。説明は何もなし、順番が来れば勝手に自転車みたいなものにまたがり、安全ベルトを締める。その際にもおじいさんは下にいてベルトがきちんと装着されているかを確認することはない。しかもこのベルト、擦り切れていて端がぼろぼろになっているのを平気で使っているのだ。安全管理はどうなっている。落ちたら怪我をするんだぞ、管理責任者、出て来い、と怒鳴りたくなるが、怒鳴るべき相手はいない。
瑠衣は美由紀に促されてとりあえずペダルをこぎだしたが、すぐに派手な異音がしてくる。ぎりぎりと大きな音を立ててきしむのだ。さらにカーブになるとペダルが一段と重くなり、一周五十メートルほどのコースを乗り終えるころには、足に相当の運動量がある。二回、三回としたら筋肉痛になりかねないほどだ。
その隣の遊具は調整中の札が下がっていて稼動せず、一同はそのむこうのコーヒーカップに乗る。カップの半数は使用禁止の張り紙がしてある。七人は二つのカップに分かれて乗り込んだ。動き出すと揺れや振動が尋常ではない。通常の動きより、激しいくらいだ。しかもここでもきしむ音が甲高く響く。それにかき消されてしまうような音楽はいったい何のために流れているのかわからない。三分間ほどの稼働中、瑠衣の乗ったカップはいくら回そうとしても自転することが出来なかった。
木馬は動いていなかった。ゴーカートも半数が調整中と書かれたわら半紙が貼り付けられていて、瑠衣と美由紀が乗ったカートには焦げ付いた油の臭いが染み付いている。
ラスト、最後の券で乗った観覧車は軋みながらもするすると登っていく。その窓から外の光景が望めた。眼下の遊園地に人はまばらで、休日というのにほとんど客らしい客はいない。パークの隣は海浜公園で、夏であれば海水浴客も来るのかもしれないが、今はブルーシートを被せた海の家が数件並んでいる。白い砂浜には至るところに流木が流れ着いていて、わびしさを醸し出している。その浜の近くに大きな建物がある。美由紀の話では、民族資料館だそうだ。このあたりはかつて北前舟の寄港地であり、東北の日本海側の港として賑わった過去があるが、今では漁港もなく、かつてのにぎわいと歴史を残す意味で資料館だけが残っている。ただし、その会館の前にはライトバンが一台止まっているだけで、観光客の姿はない。
窓から外を眺めて見ても何の活気はなく、人気もない。産業らしい産業も見当たらない。人家もない。ただ北の海の寒々しさだけが、風の音をBGMにものがなしさを漂わせている。
観覧車を降りたときには瑠衣は無言だった。何もする気にもなれず、どんよりと目がうつろだ。美由紀がその場をフォローしようと話しかけるが徒労に終わる。
「昼飯でも食べようか」
委員長が場を和ませようと誘いをかける。一同は歴史資料館の脇のレストランに入る。メニューを見て瑠衣は愕然とする。一応観光施設である。それなのに、メニューにはコーヒーとジュース、カレーとラーメンしかない。都会の喫茶店でももっとメニューの品数はある。
「こんだけしかないの」
「これだけあったらまだましよ。それにこのメニュー、ちゃんと出てくるかどうか怪しいものよ」
ちなみにカレーは今日、仕込んでいなかった。
温泉街に戻っても客らしい客はいなかった。唯一の例外が結城ホテルの団体だ。東京の建設会社のコンサルタントをしている企画会社が技師を含めて十数人でやってきて、そのあたりをウロウロしている。
「観光客じゃない……よね……」
瑠衣は胡散臭げに男たちを見る。彼らはみな手にスマホを持ち、何か調べている風情だ。計測機器も持ち歩いている。
「なんか覗かれているみたいでいやだな」
「仕方ないじゃない。建設のための測量とか、地形、環境を調べるのが仕事なんだから」
美由紀が瑠衣を諭す。美由紀のホテルのお客さんなのだから、ある程度味方になるのはいたしかたない。
「でもなんかいやな感じよね」
「どんな」
心配げに覗き込む美由紀に、瑠衣はあわてて打ち消した。
「ま、いやな感じがしただけよ。気にしないで」
美由紀のホテルの客をけなしてもはじまらない。客がいるだけありがたいのだ。瑠衣の旅館には坂口の後、客はいない。
田舎の廃れ具合にうんざりする瑠衣。さてここからどう動くのか。コンサルタントって、何をしにきたの。波乱万丈の序章が蠢く。




