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第3章 瑠衣、山川村村立山川高等学校に編入する

ダブル不倫の両親に捨てられた結城瑠衣。いつまでも落ち込んでいられないと、祖父母を頼って田舎に来た。田舎は田舎でもど田舎であった。温泉街の老舗旅館の祖父のもとに身を寄せた瑠衣。その村に何やら陰謀の匂いがする。瑠衣が来た晩に男性が元湯の湯だまりで死亡した。事故として片付けられたが、その男性の荷物が一つ、足りない?


「あれ、あれ買って」

 結城瑠衣は大きな風船を指差した。その風船は五歳の子供には大きすぎるようなでっかい犬の風船だったが、両親は笑いながら買い与えた。今日はめったにない両親共の休みの日で、一ヶ月も前からの約束の遊園地だったからだ。

「あのね、瑠衣、ママもパパもだあい好き」

 母親は笑いながら瑠衣の細い手首に風船の糸を結んでくれた。瑠衣ははしゃぎながらいたずらまでした。油性マジックで大きな遊具の足の鉄骨の内側に、ルイと大きく書いた。両親は怒ったが、顔は笑っていた。そんな悪戯さえ笑って赦せる穏やかな空気に包まれて一日中、わがまま放題に遊びまわった。夕方、疲れて父親の背中でうとうととした瑠衣の目に、犬の風船が太陽に向かって飛んでいくのが見えた。結んでいた糸が解けて風に飛ばされたのだが、それが瑠衣には犬が家に帰っていくように思えた。あの犬、ちゃんと家に帰ったかしら、そんな思いでぼんやりと犬を見送っていた。


「犬……」

 瑠衣はぼんやり目覚めた。目覚まし時計が鳴っている。

「なんだ、夢か……」

 ゆっくりと伸びをする。いつもの時間だ、が天井の模様が違う。

「ここ、どこ……」

 頭が醒めた。ここは結城旅館だ。あの夢のような穏やかな家族はもうない。

「なんであんな夢を見ちゃったのかな」

 未練かもしれない。あの頃が一番幸せな時代だった。その時に戻りたかったのか、それともこんな自分を認めたくなかったのか。自分で自分の気持ちがわからない。整理がつかない感情が吹き荒れている。

 年の功というものだろうか。その後、祖父、結城源五郎はそつなくすべてを片付けてくれた。両親の行方は調べても結局見つからなかったので、賃貸で借りているこのマンションは解約し、リビングに残っていた家財道具を引っ越し業者に運んでもらう。瑠衣の学校にも出向いて転校の手続きを取ってくれた。瑠衣一人で東京に居続けることは現実的にはできないし、いつまでも両親を待つことも無駄に思える。一番まともな方法は東京を引き上げて祖父母のもとで生活することだ。瑠衣もそれを了承した。



 山川村村立山川高等学校は村立保育園、村立小学校、村立中学校と同じ建物の中だった。運動場は共用、体育館も同様だ。

「つまり小中高一環校だと思ってくれればいいんですよ。ついでに保育園もね」

 穏やかな顔の、むしろ穏やか過ぎる顔の、五十代の男が校内を案内した。高校の校長ではある。同時に中学のほうにも英語を教えに行っているらしい。各教科の教員を確保できなかったので中学と高校で教員をやりくりしているという話である。養護教員などは保育園から高校までをカバーしているし、家庭科室や科学室などの特別教室も共用していると説明された。

 校長先生に案内されて校舎に入る。鉄筋コンクリート二階建て、一棟だけだ。

「あの、他の校舎は」

「これだけだけど。あとは体育館がある。あ、体育用具の倉庫もあるよ。他には犬小屋とウサギ小屋があるな。学習農場は広いのが自慢なんだよ」

 淀みなく学校の説明を続ける校長に口を挟む気になれず、瑠衣は黙ってついて行った。たった一人で新しい学校に来たので、緊張している。 

「ここが君のクラスだよ」

「何組ですか」

「高校一年だよ」

「はあ……」

 瑠衣はA組、B組とか、一組、二組とか言う名称を期待したのだが、どうも意志の疎通が取れない。繰り返し聞くのもかったるいので、そのまま促されて中に入った。

 教室は何の変哲もない四角いものだ。サイズがかなり小さな気がするが、それより唖然とするのは机が七つしかないことだ。六人の生徒が瑠衣を出迎えてくれた。その中にいとこの美由紀がいてにっこり笑って手を小さく振っている。ほっとした。美由紀は気が利いている上に頭がよく、気立てのいい子だ。彼女がいれば新しいクラスにもなじめるだろう。そのうえ、彼女は成績が抜群にいい。ということは……。

「ここって英才教室」

 やった。今まで成績の今ひとつの瑠衣が英才教室に入れるなんて。

「平野沙耶です。あなたのクラスの担任で現代国語が専門です。その空いている席があなたの席です」

 担任の教師は二十台後半の背の高い痩せ型のかわいらしい女性だ。ショートヘアーが健康的な若々しさを演出している。

「よろしくお願いします。平野先生」

「あら、沙耶先生って呼んでくださいね。瑠衣さん。沙耶姉ちゃんでも構わないのよ。みんな、そう呼んでいるから」

 そう言ってにっこり笑う。優しそうで可愛い。こいつは幸先がいいな。いいクラスメートにいい先生、転校していじめにでもあったらどうしようと思っていたが、なんとかやっていけそうだ。

「瑠衣さんは美由紀さんの隣ね。皆さん、結城瑠衣さんのことはきっと聞いていると思いますが、力になってあげてくださいね」

 沙耶はさらににっこり笑うと教室を出て行った。瑠衣のことを聞いているというのが、ちょっと気になる。確かにあまりいい噂ではない。ダブル不倫の果てに捨てられた自分、力になってくれるとは言っているが、どちらかというとそっとしてほしい。

「美由紀、あの先生、何で出席とらないの」

 小声で瑠衣は隣の美由紀に聞いた。美由紀とは小さいときから時々会っている。猪突猛進の瑠衣とは正反対におっとりゆっくりのんびりとした美由紀とは、妙に気が合う。背は瑠衣よりかなり低く、百五十センチほどしかない。いとこなのにあまり似ていない。ぽっちゃり型だが、それほど太っているわけではない。あどけないという言葉が似合うかわいい少女である。

「見たら判るでしょう」

 確かに七つしかない机は見れば判る。出席を取るより、一目瞭然というやつだ。

「でさ、何であの先生、瑠衣なんて名前で呼ぶのよ」

「わかんないの」

 美由紀はきょとんとしてまじまじと瑠衣を見た。

「じゃあ、みんな瑠衣の歓迎会よ。さて平野さん、手を挙げて」

 美由紀の声に呼応して四人の男女が手を挙げた。

「結城さん、手を挙げてください」

 美由紀を含めて残りの二人が手を挙げる。

「つまり、こういうことよ。この村、平野姓と結城姓しかないの。村の約七割が平野で残りの三割が結城、他に数軒、外から入ってきた人の姓があるけど、ごく少数。これが山川村の約千人のすべて。もちろんこの学年も同じよ。一学年六人、すべて平野さんと結城さんなの。他の学年も同じ。保育園から高校まで、違う姓は外部から来た一件だけ。だからここで姓を呼んだら混乱するの」

「え、ということはここってこれだけしかクラスがないの。だから一組とかA組とかいう呼称がないんだ」

 改めて納得する。

「瑠衣さん、ようこそ、山川村へ」

 はす向かいの男が立ち上がった。律儀な感じでいかにも優等生風。

「あ、こいつ、委員長だよ。村長の孫でもあるんだよ」

 美由紀が説明する。確かにそのものずばりの男の子だ。きちんと詰襟のホックまでして、めがねをかけている。中肉中背でやや浅黒い肌色で、分厚い眼鏡以外、これといって特徴はない。スポーツ体型であることはその学ランの上からでもわかる。その他、クラスメートが挨拶する。全員、どこにでもいるような高校生、田舎と都会の境目がなくなって久しいのか、顔やしぐさだけを見れば、東京の高校生とそれほど変わらない。方言もこの世代にはほぼない。

 平野さんと結城さんである。瑠衣だって母親が結婚の時、結城の姓に固執して、改姓するなら死ぬと喚いたおかげで瑠衣の姓も結城だ。

 男女、瑠衣も含めて全員で七人。これが高校一年生すべてだ。この小中高一環校の全クラスが、各学年、一クラスしかないのだ。すべて十人以下、全校生徒保育園児までかき集めても百人にも満たない。瑠衣が今まで通っていた都立高校の一学年の四分の一以下だ。

「これだけ」

「そ、これだけいるんだからまだましでしょう。隣の村なんて全校生徒が二十人を割ったんで、隣の市に編入されちゃったんだから」

 美由紀が当たり前だとばかりに説明した。

「編入って、学校が……」

「村ごと。つまり市町村合併。隣村は地図上から名称が消滅しちゃったの。この村だっていつなくなってしまうか、わかんないんだよ。山川村っていう名前が地図上からなくなってしまう。いつそうなるか、不安だよ」

 美由紀の言葉に瑠衣はとんでもない所に来たと思った。

田舎とは、田舎である。高校は一クラス三十人以上、数クラスあるのが普通だが、一クラス一桁、保育園から高校まで百人にも満たないこじんまりとした学校。破天荒な瑠衣はやっていけるのか?

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