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第21章 瑠衣、再び両親に見捨てられる

村おこし同好会と村の有志で作ったひまわりの巨大迷路の中で、旅館の泊まり客坂口が死んでいた。彼のカバンには遺書があり、瑠衣は咄嗟に隠し持ってしまった。殺人事件だと村が大騒ぎになって、止まり客も増えると思ったからだ。が、坂口の家族が悲しんでいる様を見て返すことにした。

警察は事件とも、自殺とも判断がつきかねた。死亡推定時刻に関係者は全員アリバイがある。筋弛緩剤の注射器には、坂口の指紋があった。それでもどちらとも決めかねた。事件は簡単に解決しない。


 しんみりと村に戻るバスの中でも言葉が少なく、小さく見える観覧車をいつまでも見ていた。

 村に戻ると瑠衣はただいまというのももどかしく、急いで仲居の着物に着替えた。夕食の戦場が待っている。一服する間もなく、お膳を運び、酒を追加し、調理場と宴会場を往復する。その合間にも客室に布団を敷きに行く。布団敷きは結構重労働で、シーツをきちんと張るのが難しい。しわ一つなくパリッとするのが大変だが、これは宿泊業の心意気を示す伝統の技である。ここ数か月、良子さんの指導が良かったのか、瑠衣はこの技を習得していた。

 八時を過ぎてようやく労働から解放される。離れのリビングに玄さんが作った夕食があるのでぼそぼそと食べる。泊まり客が多い時は家族で食事は出来ない。賄い食を玄さんが客に出す料理の合間に作ってくれるのだ。それを瑠衣は一人で食べた。ここだけが瑠衣に受け入れ難い、宿泊業の因果なところだ。

 食後、一人でコーヒーを入れ、のんびりとテレビを見ていると、おじいちゃんとおばあちゃんが難しい顔して入ってきた。また誰かがヒマワリ迷路のことで文句を言いに来たのだろうか。瑠衣は投げやりのように返事をしてのっそりと身を起こした。廊下にも人がいた。思いもかけない人物だった。

「ママ……」

 瑠衣は茫然とした。

「あのな、瑠衣、ママは離婚届を取りに来たんだそうだ」

 あ、あれか、まだ不受理になっていた奴だ。

 この村に住むと決めてからしばらくして杉並の区役所から送られてきた封書の中に離婚届が入っていた。びっくりして役所に連絡を取ってみると不受理だという。

「なぜですか」

 おじいちゃんが電話で尋ねると、係員が事務的に教えてくれた。

「必要事項が書かれていないんですよ」

「何が……」

「未成年の子供がいる場合、その子の親権者を決めないと、離婚は認められません。本来その届は本人に戻すべきなんですけど、送り先がわからなくて出来ないものですから、そちらに送らせていただきました。そちらで当事者に連絡を取って下さい。今のままでは離婚届けは受け取れませんので。それからもし新たに書き直す場合は本人の自著でお願いしますね」

 役所の話はもっともだ。むちゃくちゃな離婚騒ぎはまだ宙に浮いている。その中途半端な状態のままで瑠衣は村にいついている。おじいちゃんとおばあちゃんに跡継ぎになれと言われてもまだ納得いかず、なんとなく居心地が悪かった。それがこんな形になって母親がやってくるとは、心づもりができていない。

「だって、離婚しなきゃ再婚できないでしょう」

 ママはあっけらかんと言う。ふつふつと怒りがわいた。こうもいい加減にほったらかしにされ、私って何と瑠衣は腹を立てていた。

「再婚なんかするの。どうすんのよ、あたしは。それにパパはどうなっているの」

「あの人のことはどうでもいいのよ。どうせ実家に帰ったみたいだから」

 あれれ、瑠衣は父方のお爺ちゃんたちにも連絡を取ったはずだが、孫の瑠衣にも隠していたことになる。全く、いくらママと折り合いが悪かったと言っても、孫の私にまでそんな態度を取るなんてひどいじゃないか、と心の中で毒づいた。

「ま、未成年の子どもの親権を決めなければ離婚できないなんて、知らなかったんだからしょうがないじゃない。でも新たにあの人に連絡をとってサインしてもらうのは嫌じゃない。だってあの人に会うのは、ゴキブリとキスするよりいやなんだもの。だからここに取りに来たの。あなたの親権さえ書き込めばそれで済むんだったら書けばいいんでしょう。とりあえず瑠衣はあたしが親権者になるってことで届を出すから」

 とりあえず、だと。そんな適当なことなのか、瑠衣は怒りを抑えられない。

「あたしはママと行くかなきゃならないの」

 こんな奴と行くのは嫌だ。

「いまさら、ママと一緒じゃないといけないって、そんな子供でもないでしょう。瑠衣、あんたが決めたら」

 瑠衣は愕然とした。娘を残して勝手に家を出るは、一年近くほっておくは、これでも親か。

「ママはあたしのことをどう考えてるの。愛してないの」

「愛してるわよ。だからこそ、彼とあたしの間で、板挟みの辛い思いをするのはかわいそうでしょう」

「あの、あの、その言い方は……」

 そんな言い方、単なるごまかしだ。

「ママはあなたを愛しているわ。でもママは女として彼を愛しているの」

 母親はすでに自己陶酔している。うっとりと恋する乙女状態だ。

「直美、なんてこと言うの」

 さすがのおばあちゃんが切れた。今まで病弱ということで旅館の仕事も表立って出てこない、家のこと、瑠衣のこともほとんどお爺ちゃんが決めていたが、ここにきて頭に来たらしい。ちなみに直美は瑠衣の母親の名前である。

「あんたは曲がりなりにも瑠衣ちゃんの母親なんでしょう。なんて子なの。瑠衣ちゃんのこともきちんと考えてあげなさい」

 かつては名物美人女将として勇名をはせたおばあちゃんだ。ぴしゃりという。

「わかったわよ、じゃあ瑠衣。一緒に来る?」

 犬や猫の子じゃないだろう。瑠衣はこいつだけにはついていきたくないと思った。だが恋に浮かれている奴に何を言ってもはじまらない。

「あんたは惑わされているだけよ」

 おばあちゃんはいぶし銀の迫力で詰め寄る。

「そ……そんなことはないわよ。私は彼を愛するために生まれてきたの。愛するってそれはもう世界のすべてよ」

「そんなこと言って、昔は愛がすべてって言ってここから駆け落ちしたじゃない。あのときだってあれが一生に一度の愛だと言ってたじゃない。あれはウソだったの」 

 おばあちゃんの勢いの前に瑠衣は何も口を挟むことができない。さすが年の功、小さいとはいえ老舗の旅館を取り仕切ってきた年月は重みがある。

「そんな昔のこと忘れちゃったわ」

「でも、ママ、昔は楽しかったじゃない。家族で遊園地に行ったりしたでしょう。あの遊園地、さっき行って来たのよ」

 瑠衣の脳裏に昼間、遊園地で見つけたいたずら書きが浮かんだ。あれを書いたころは確かに愛に満ちていたはずだ。

「あら、そう、おかしいわね、あの遊園地、六年前閉園になったって聞いたけど」

「え、嘘」

「確かそう聞いたけど。あんたのパパの実家のそばにあったチンケな遊び場でしょう」

「いや、違うよ。隣町にある海岸沿いの奴だよ」

「あら、この近くにそんなものがあったの。以前はなかったはずよ」

「直美、五年前にできたんだよ。でも客が集まんなくて今日閉園したのさ」

「遊園地なんて田舎じゃうまくいかないって、相場が決まってるのよ。田舎に何の魅力があるっていうの」

「あるわよ」

 瑠衣がむきになる。

「あるわよ。村にはすっごい奇麗な風景があるわ。ヒマワリ迷路で変に騒ぎになっているけど、キャベツ絵なんてきれいなんだから。ゲレンデに作った満開の花畑はこの前、地方局が特集組んでくれたのよ。むちゃくちゃ好評だよ」

「しょせん地方よ」

 親子喧嘩におばあちゃん参戦で三代喧嘩になる。

「そんなことより、考え直さない。直美、あんたは惚れっぽいだけ。そうやって村を出るときだって、あの人と一緒になれなきゃ死んでしまうって騒いで。今度だって騙されて盛り上がっているだけ。もうそんなこと忘れて、村に戻ってきなさい」

「いや。あのときは心の迷いだったかもしれないけど、今のは正真正銘、真実の愛よ。究極の愛」

 勝手にやってろ、瑠衣はどんよりとしてきた。本当の愛って奴はなんて傍迷惑なんだ。おじいちゃんとおばあちゃんはママを説き伏せようと言い合っているが、瑠衣は付き合いきれなくなって自分の部屋に戻った。

 勘違いだったのか、あの遊園地はいったいどこにあったものだったか。でもルイって書いてあった。小さい頃の思い出だ。五年前だったら、小学校五年生。さすがにあんな汚い字で、しかもカタカナでサインなどしない。ちゃんと漢字で書く。いくら瑠の文字の画数が多いと言っても、小学校に上がってからは漢字で書くように言われてちゃんと書いてきた。それより何より、五年生がマジックでいたずら書きなどというガキっぽいことはしない。だとしたらやっぱりパパの実家のそばの遊園地で書いたんだろうか。とすればルイという同じ名前の子供が全く偶然にマジックでいたずら書きをしたのか。同じコーヒーカップに、同じような場所に書いたというのか。

 久しぶりに会ったママは、離婚届を受け取るとすぐに出ていった。愛って何だろう。坂口は遺書で家族に想いを残していた、最後の最後まで家族のことを思っていたというのに、自分の母親はなんてやつだ。あたしって何、そんな自己憐憫を抱え込み、いつまでも鬱々としていた。

 はたっと思いだした。ママはパパが実家にいると言っていた。瑠衣は押入れに仕舞い込んであったアドレス帳を引っ張り出した。ロビーの電話でかけようとも思ったが、ここも携帯電話の圏内入っていることを思い出し、自分の携帯で父親の実家にかけてみた。

「ルルル……」

 一回目のコール音。今、切れば何もない。

「ルルル……」

 二回目のコール音。もし誰かが出たら、なんと言おう。

「ルルル……」

 三回目のコール音。だれが出るんだろう。あのおばあちゃんか。とげがあってきつい性格だった。『私の気持ちあんたには判らないわよ』というのが癖だった。ママとの折り合いが悪いのをみんなママのせいにして怒っていたが、半分は、いや、半分以上、おばあちゃんのせいだと思う。あのおばあちゃんが出たら、なんと言おう。

「ルルル……」

 四回目のコール音。切れ、切ってしまえ。何を聞くつもりだ。何を言うつもりだ。

「ルルル……」

 五回目のコール音。

「ガチャ」

 誰かが取った。

「早乙女ですが」

 低い男の声だ。おじいちゃんのものではない。

「パパ……」

「瑠衣か」

 一年近く声を聞いていなかった。それなのに懐かしさが湧いてこない。機械音のように感じてしまう。

「あ……」

 何を聞けばいいのだろう。何を言えばいいのだろう。

「どうしているんだ」

「うん、結城のおじいちゃんのところにいる」

「ママもそこにいるのか」

 そうかパパもママのことを知らないのだ。

「ううん、ママ、再婚するんだって。パパも再婚するの」

「まだだ、いろいろもめていてね。相手の離婚がまだ成立しないのさ」

 何だ、ダブル不倫のダブル不倫か。なんてドロドロしているのか。

「パパ。離婚届、不受理になっているのは知っている」

「え、何だって。そんなあの女、まだおれに未練でもあったのか」

 いい加減にしてくれと瑠衣は叫び出したかった。

「違うの。記載漏れで送り返されてきたの。あたしのことで」

「お前、離婚するのか」

 怒りがわき出し、瑠衣は拳を握りしめた。

「あのね、つまりあたしのことをパパたちは取り決めてなかったでしょう」

「決めなきゃいけないのか」

「あったり前。親権者を決めずに離婚届を出したから不受理になったの。パパ、あたしをどうする気でいたの」

「男に子育てができるわけないじゃないか。どうせママと家を出ると思っていた。いつまでも出ていかないからおれが業を煮やして出ていったんだよ」

「男手一つで育てている話なんて、いくらでもあるわよ」

 父親のあまりの無責任さにばかばかしくなる。

「おれには無理だ。それで離婚届けはどうなった」

 男手で立派に育てている例はいくらでもある。子育てしないってことは、それだけ瑠衣の父親が無能だということだ。

「ママがあたしの親権者になるってことで記入して、再度届けるって言ってた」

「そうか」

 ガチャン。切れた。

「え……」

 瑠衣は携帯を握りしめて立ち尽くした。久しぶりに娘と話したというのに、切れている。何、それ、何なのよ。両親から一年近く前に捨てられた。なんとか自分のことを納得させ、この村の生活に順応しようと努力した。そしてあのことを心の中で整理をつけたにも関わらず、この事態は何だ。

 納得した、納得したはずだった。それなのに、未練を引きずっているのは自分なのか。愛なんて信じない、そう言いきっていたのはなぜだ。なぜそう言い切っていた。悔しかったからか、哀しかったからか、寂しかったからか。愛なんて信じない。信じない。そう叫び誓ってきたのに、それが辛い。

 おじいちゃんは優しい。おばあちゃんはいつも気を使ってくれる。良子さんも玄さんもいる。美由紀もいる。同好会の連中はみんないい奴だ。沙耶先生は最高の教師だ。居心地のいい村の中でそれでも瑠衣はさびしかった。愛なんて、愛なんて、くそくらえ、そう叫びながら、心の底で愛を欲しがっていた。そうだ、愛を欲しがっていたんだ。瑠衣は布団の中にもぐりこんで川の音に紛れるように小さな低い泣き声を漏らしていた。



事件は解決しないが、瑠衣の両親の離婚問題は解決した。瑠衣は再度、両親に見捨てられたのだ。16歳、多感な乙女、前を向いて頑張って。

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