第20章 瑠衣、再び遊園地に
村おこし同好会が村の有志と作ったひまわりの巨大迷路で、旅館の泊まり客の坂口が死んでいた。瑠衣は坂口の部屋に勝手に入って、そのカバンから遺書を見つけた。そしてそのまま持ち出した。
村は殺人事件で大騒ぎになった。それで警察をはじめ、報道や、野次馬の観光客で賑わった。遺書は黙っていようと思っていた瑠衣だったが、坂口の遺族が悲しみにうちひしがれているのを見て、遺書を渡したくなった。だが、ない。なくなっていた。
瑠衣が刑事たちの事情聴取から解放されたのは夜中を過ぎていた。一人になって考え込む。何か腑に落ちない。遺書があった。それを書いて人間が死んだ。それを自殺だという。簡単な図式だ。だがあまりにもおかしい。坂口は遺書を書き、筋弛緩剤を持ってこの村に来た。牧場を経営し、牛の世話をしていた五十の男が、ヒマワリに埋もれて何の関係もないこの村のイベント会場で死ぬだろうか。しかも復讐を狙い、その相手を探している時に、まだ明るい時間、死ぬだろうか。腕に注射痕があったが、それは服の上から握りこぶしで持った注射器で打ったものだという。余りにも不自然だ。遺書があることで簡単に自殺と言っていいのか。それも疑わしくなった。いくら二時間サスペンスのマニアだという瑠衣にも簡単にほどけない謎だ。
ロビーでコーヒーをすする。自分の部屋よりここの方が、ソファーがあって考え事にはいい。部屋だとベッドの上しかくつろげるところはないし、そこだとあっという間に寝てしまうからだ。
「おかしい」
「何がおかしいんだ」
川瀬がロビーに出てきた。酔いがさめて、喉でも渇いたのだろう。自動販売機のコーヒーを買い、瑠衣の前に座る。
「ねぇ、本当にみんなのアリバイってあるんですか」
「そうだねぇ。坂口の細君は北海道だし、これは論外だ。村のアニメ館反対派はそれぞれアリバイがある。推進派は主だった連中が企画会社の三人と宴会をしていた。みんなにアリバイがあるのは確かだな」
「それって三時から七時の間だけでしょう。それだったらその時間に殺して後から運び入れたとしたら。それって立派なアリバイ崩しでしょう。そんなサスペンス、よくあるじゃないですか」
「それは難しいな」
「何で」
「死斑ってものがあるんだ」
「し・は・ん……。何、それ」
「死後、体の下の部分に血がたまって痣みたいになる奴だよ」
「すごいこと知っているんだ……」
感心して瑠衣は川瀬を見詰めた。
「おれね、これでも警官だったの。いくら落し物係りっていっても、警察学校はちゃんと出ているんだよ。死斑くらい、知ってますよ」
川瀬が開き直ってコーヒーをぐいっと飲み、ちょっとでかい態度を取った。
「人が死んだ後、時間がたって動かしたら判るようになっているの。死斑の位置が違ってくるからね。あの死体に移動した形跡はない。それは司法解剖でもちゃんと証明されている。あの死体は三時から七時の間、あそこにあったんだ。もちろん、殺してすぐに移動したのなら、あそこが殺人現場じゃないかもしれない。でも殺して捨てるまでの時間は長くはない。結論からすると、確かにあの死体は三時から七時のどこかの時点からずっと、あそこにあった。それだけは揺るがせない事実だ」
川瀬の説明に瑠衣は眉間のしわを深くするだけだった。
「どうしてくれるのよ」
村のおばさんたちが同好会に文句を言いにきた。
「あんたたちがヒマワリ迷路なんて作るから、えらい迷惑よ」
「な、何か……」
おばさんたちが大挙して高校の村おこし同好会の部室に押し寄せる。全身怒りのオーラを纏い、尋常ではない。さすがに遺書が瑠衣のたくらみで隠されていたことは報道されていない。知っているのは警察と後は美由紀、満、美菜と瑠衣の家族だけだ。それを村人が知ったら瑠衣は完全に吊るしあげを食うだろう。
「あんたたちの迷路の御蔭で、牧草地に勝手に車を停めるわ、仕事をしているとカメラを向けられるわ、大変なんだから」
「うちなんて、種を播いたばかりの蕎麦畑を車が通っていったのよ。どうしてくれるの」
最初のうちは人がにぎやかになっていいとか、村にお金が落ちてくると言って喜んでいたおばさんたちが、口々に文句を言う。
「それはこちらに文句を言われても……」
沙耶が身を呈して瑠衣たちを守る。
「子供たちは村のために一所懸命だったんですよ」
言うべき相手は野次馬やら、暴若無人なマスコミの方だろう。決して村おこし同好会が率先して問題を起こしたわけではない。
「そんなこと言ったってうちのスイカ、ごっそり盗まれたのよ」
「うちは収穫して干していたニンニクが盗まれたのよ」
それは村おこし同好会とは全く無関係だ。野菜泥棒は数年前から頻発している。ついこの間も美由紀のホテルの裏庭のヒマワリが根っこごとごっそり盗まれている。関係はないはずだが、村の中はトラブル多発で大混乱だ。
遺書が見つかっても騒動は収まるどころか酷くなるばかりだった。遺書が出てきたというのに、殺人事件だという可能性が高いなどと報道され、マスコミの過熱は冷めない。テレビだけではなく雑誌、新聞も混ざって混乱している。同好会は推理などする暇もなく交通整理や、違法駐車の注意に駆り出された。夏休みに入ったというのに優雅な時間など全く無縁の生活になってしまった。高校生が疲労困憊するほどの重労働の毎日であった。
「明日は県警から交通整理が来るってさ」
委員長が朗報を持ってきた。
「やったぁ、ようやく休みが取れる」
皆の口から同様の言葉が出る。まるで過労死寸前、働きすぎのサラリーマンである。
「あのさ、遊園地、行ってみない」
美由紀がみんなを誘う。
「何、あの、遊園地。ださいやつ」
瑠衣はうんざりして答える。あんなところに行くより、明日は一日寝て過ごしたいというのが本心だ。
「うん、まあ、ダサかったけど。でもね、あれ閉園になるの。明日で終わり、だからさ、最後に行ってみたいの」
美由紀の説明に、瑠衣を除くみんなの顔に郷愁が浮かんだ。
「そうよね」
「とうとう終わるんだ。行ってみようか」
「沙耶姉ちゃん、一緒に行きませんか」
美菜が誘う。
「ごめんね。明日は農協の人たちと話し合いをしなきゃいけないから」
沙耶の笑顔に疲れが滲む。生徒思いで優しい先生は苦情の対応をしてくれている。ただでさえ教師という仕事で忙しいのに、余分な苦労を背負わせてしまった。彼女にこそ息抜きが必要なのに頑張っている。
「みんな楽しんでいらっしゃいね」
教師の鑑、いい先生に恵まれたことに瑠衣は心から感謝した。
みんなは待ち合わせの場所と時間を決めた。
「昔は良く行ったよね」
早苗が感慨にふける。それを聞いて瑠衣は、昔ってあんたいったいいくつだよと茶々を入れたくなる。
「あれができた時はよく街の商店街でも割引券を配っていたよな」
満も懐かしがる。ちなみにこの街の商店街は、山川村のことではない。山川村には商店街はない。あるのは土産物屋と雑貨屋だけだ。
「うちのホテルでも置いていたわよ」
美由紀もうっとりと窓を眺めていた。
「このあたりじゃ一番大きな観覧車という触れ込みで結構話題があったからな。最初はすごい騒ぎだったんだよ」
委員長が説明する。
「でもすぐもっと大きな観覧車が出来たんだよね。隣の県で。あの御蔭であっという間にに客足が引いたんだっけ」
「そうそう、そんなこともあったよね」
てんでに遊園地を懐かしがっている。瑠衣はその輪の中に入っていくことが出来ず、ちょっとさびしかった。
翌朝、村を通るローカルバスに乗る。美由紀のホテルの送迎バスは忙しくて頼めなかったからだ。もちろん、温泉街のバスも出払っている。海岸沿いにわびしく建っている遊園地は最後ということもあってすべての遊具が稼働していた。
「最後だもの。とことん楽しもうか」
美由紀の誘いにみんなが浮き浮きとして中に入っていく。最後ともなればぼろくても何でも乗りまくってやると意気込んだ。最後の感謝デーということで、千円で一日有効の乗り放題のパスポート券が売られていた。さんざん乗り回す。今まで行列など出来たことのない遊具にそれなりの列ができている。もっとも一時間待ちのような長蛇の列ではないので、いくらでも並んでもすぐに乗ることができる。すべてに一度ずつ乗り、観覧車にいたっては三度も乗る。弁当屋のワゴン車が来ていたので昼飯を買った。夏の日差しが強かったので、日陰はないかと見まわしたが、昼飯時なので木陰はすでに家族連れに占領されていた。
「あ、管理事務所が開いているよ」
早苗が覗く。
「勝手に入っちゃいけないんじゃない」
美由紀が止めるがみんな中にぞろぞろと入る。管理事務所とは名ばかりで中には何もない。スチールの机と大きな金庫があるが古ぼけている。それでも日差しが避けられるので、皆は弁当をここで食べることにした。
食べ終わるとまた遊ぶ。みんなはこの頃、村の人たちから理不尽な文句を言われまくっているからストレスがたまっていた。それを発散するためにも全力で遊ぶ。
回転する円盤の上に置かれたカップを模擬した大きな器の中に入って回る遊具が気に入って瑠衣たちは飽きずに乗った。調子に乗ってコーヒーカップの中で騒いでいたら、不意にカップが傾いた。
「ひえぇぇ」
傾いたカップが床とこすれてぎりぎりと派手な音を上げる。白煙まで上がってみんなが硬直した。急ブレーキがかかりがくんと反動をつけて止まる。
「瑠衣、大丈夫か」
委員長が駆け寄る。
「うん、大丈夫、大丈夫」
自転していなかったのが幸いして、心棒に掴まることができたので助かった。
「危険ですから降りてください」
係り員が叫ぶ。それに気を取り直してばらばらと客たちが降り出した。余りのことに引きつっているが、けが人は出ていないようだ。瑠衣たちもほっとしてカップから這いずり出て、回転板に降りた。
回転板には亀裂が入り、足場のコンクリートがパカッと剥がれ、鉄骨がむき出しになっていた。
「寿命だったのかな」
委員長がぼやく。
「潔いよ。今日で最後、有終の美を飾って自決したのかな。そういう風に考えるとさ、よく頑張ったよね」
瑠衣は壊れたコーヒーカップを覗きこんだ。むき出しになった鉄骨は意外と太く、つるっとして、さびはそれほど浮いていない。本体とは全く違う色のペンキが塗られていた。その上にマジックの落書きが残っていた。
「あやや……」
瑠衣の眼は釘づけになった。ルイと拙いカタカナで書かれていた。おぼろげに覚えていたあの遊園地、それがここだったのか。たぶん改装か何かであのいたずら書きの上にコンクリートの足場をつけたのだろう。
「あれって、ここだったんだ。ママとパパと一緒に来たんだ。ママたち、どうしているんだろう」
鉄骨の前で立ち尽くした瑠衣たちに係員がメガホンで注意した。
「危ないですから早くコーヒーカップから降りてください」
その声は叫びに近い。仕方なしに瑠衣たちは指示に従い、外に出された。関係者らしき人が集まり、しばらく何事か話しこんでいたが、結局閉園を宣言した。
「これでわくわくパークを閉園します。長い間。ご声援、ありがとうございました」
たぶん五時の閉園後に鳴らされるように用意していたはずの蛍の光の物悲しい旋律が流されている。
客の顔にそれぞれ何某かの思い出がよぎったのか、名残惜しそうに立ち止まって、遊園地を眺めていた。
「最後なんだ」
「もう少し、遊んでいたかったね」
「寂しいね」
「取り壊すんだね」
そうなるとちょっと物足りなくなる。もう少し遊んでいたかった、いや、まだ動く遊具もあるじゃないか。あれってもったいないなどと言いだす者もいた。
「あれができた時はみんなでよく来たもんね」
早苗が感慨深く見上げる。美菜も涙ぐんでいた。
「私も来ていたんだな」
瑠衣も呟いた。なんとなくみんなと思い出を共有できたことが面映ゆく、うれしかった。この村で育ったわけではない瑠衣にとってともすれば浮いてしまう時がある。仲間だという意識の中で、ちょっと外れた感覚があった。それは瑠衣の勝手な思い込みか、空気のようなものなのだが、それでも一体感を味わってうれしかった。
遊園地の関係者が観客を追い出しにかかった。安全のためにここを封鎖するのだろう。メガホンを持って係員が早く帰って下さいと怒鳴っている。
「なんか、あれでも結構面白かったかな」
満も名残惜しそうにしていたが、今からなら一時間に一本のバスに間にあうと美菜が時刻表を見ながら言い出したので一同は急いで遊園地を後にした。
気分転換に遊園地にやってきた村おこし同好会の面々。遊園地は閉園になるためだ。そこに、瑠衣は幼い頃にいたずら書きしたルイという文字を見つけた。かつてその遊具で遊んだという証拠だ。




