第16章 瑠偉たち、推理同好会を結成す
ダブル不倫の両親に見捨てられた結城瑠衣は母方の祖父母の経営する旅館のある山川村にやってきた。村にはアニメ館を建てようという企画が持ち込まれていた。羽振りのいいアニメ会社を誘致して、セレブで高給取りのアニメーターに移住してもらうという話だ。アニメに詳しい瑠衣はそれがザルな計画と看破し、地味な村おこしをするべく、クラスメートを巻き込んで村おこし同好会を結成する。
同好会と村の有志が作ったひまわり巨大迷路で、人が死んでいた。殺人事件だと騒ぎになるが、瑠衣は被害者のカバンから遺書を抜き出していた。
ホテルを出る時にふと裏庭の雰囲気が変わっていることに気付いた。
「あれ、ひまわりは……」
ひまわりの種が大量に余ったので、各自分けて家に持ち帰った。美由紀も自分のホテルの裏庭に蒔いて丹精こめて育てていた。それが根こそぎない。
「野菜泥だ。こんな所まで入り込んで。全く、節操がないな。なんでもかんでも持って行くなんて。とっちめてやるから」
温泉街は人で賑わっている。土産物屋にも多くの客が入っているし、喫茶室やレストランもテーブルを外に出してまで客に対応をしていた。ちょっとしたいたずら心でやったとしたら、現行犯でもない限り、捕まえることは難しい。瑠衣の手に負えるものではない。
瑠衣は気分を変えることにして、温泉街の奥の源泉に足を向けた。
地獄谷という名前にはなっているが、それほど規模の大きなものではない。鉄分を含んだ泉質なので、源泉のあたりの岩が真っ赤になっている。泥がたまったところも赤く色づいてそこに地下からメタンガスが湧きだして、ボコンボコンと大きな泡を立てている。それでも他に見るべきところがないので、この温泉に来た客は必ずと言っていいほど、ここに足を運ぶ。今日もかなりの客がいた。瑠衣はその中に川瀬の姿を見つけた。
「お客さま、観光でしたらご案内しますけど」
「あれ、君、旅館の若女将さん……」
川瀬はラフなTシャツジーンズ姿でくつろいでいる。
「はい、ここは結城温泉の源泉でして、すべて旅館、ホテルがここからお湯を引いているんですよ」
瑠衣は耳にタコができるほど聞かされた温泉の効能を説明しようとしたが、川瀬に止められた。
「別に観光じゃないよ」
旅行雑誌の記者とも思えない言葉。
「あの、事件を追っているんですか」
「そうだよ、せっかく事件に出くわしたんだぜ。これを追わないでどうする」
事件じゃないんだけどな、と瑠衣は心の中でささやく。あの遺書のことをいつまで隠し通せるものだろう。
「おれが仕入れた情報じゃ、あの男、ここに足繁く通っていたんだ。ここで何をしていたか、気になるじゃないか」
瑠衣は気にならない。ここはかつて自殺の名所だった。去年の秋には事故で死人が出ている。それ以来、再発防止のために鉄柵が出来て源泉に飛び込むことができなくなっているので、自殺者には不向きだ。隙間をすり抜けて飛び込めば飛び込めないこともないが、隙間は源泉のメンテナンスのために開けているもので、安全のために売店のまん前に設置されているし、頑丈な扉も設置されていて鍵もついている。ここで自殺を実行することは難しい。瑠衣たちの村おこし活動に触発され、温泉協会も補修をいつまでも先延ばしするわけにもいかず、おじいちゃんたちが金をかき集めて全面改修したのだ。あの男が自殺する場所を探してここに来ていたのだったら、十分納得できる。そして自殺できそうにないのでヒマワリ迷路に行ったのだろうか。
「あの、それで、本当に殺人なんですか」
「もちろん」
断言する。
「その根拠は何ですか」
川瀬は恰好つけたまま硬直した。
「あの、どうして殺人って断定したんですか。その証拠ってあるんですか」
「刑事の勘だよ」
いかにも気障ったらしく背を向ける。男の哀愁を漂わす、そんなアングルだ。
むちゃくちゃずれているぞ。瑠衣は心の中でジト目になった。勘などこの科学捜査の時代にあてになるものか。勘というものに振り回されて、いったいどれだけの冤罪事件が引き起こされたか、ニュースを聞きかじっていさえすれば、高校生にだってわかる。それが警視庁にいた人間に判らないはずはないと思うのに、勘だとのたまう。だいたい老境の域に入った渋い刑事なら勘と言っても様になるかもしれないが、三十になるか、ならずの若造に、勘と言われても信じる気にはなれない。もともとはすべて遺書を隠した瑠衣がこの勘違いを引き出している。あれを公表していれば川瀬だってこれを事件だというはずがない。
「それで、元ビンワン刑事さん。犯人は誰なんですか」
後ろめたさでいっぱいだ。
「それを探すために、被害者の足取りを追っているんだ」
「よくあの人がここに来ていたのが分かりましたね」
「そりゃ、蛇の道は蛇というやつさ。同業者同士、話がわかる。新聞社や雑誌社の連中と情報交換しているし、地元の警察からも教えてもらえるからね」
すごい、さすが元警視庁、その肩書は伊達ではないらしい。これは使えると瑠衣は内心にんまりとした。彼についていって情報を聞き出すのだ。ほら、サスペンスだって素人探偵は刑事と仲良しで、コンビを組んだりするじゃないか。たとえコンビを組まなくても、情報を教えてもらうなんて当たり前のことだ。温泉湯けむり若女将、それに東京からやってきた元警視庁の刑事とくれば協力体制は必然である、と勝手に瑠衣はほくそ笑んだ。
でも被害者ってあれは自殺だよな。それをどう説明すべきか、いやまだまだあれは隠しておくべきだ。もっともっと観光客が集まって、この村の知名度を上げなくては、秋の紅葉シーズンまで持たない、と瑠衣は勝手な胸算用をした。
瑠衣の携帯電話がシックなメロディーを鳴らした。旅館の中でも取れるようにボリュームを下げたクラシックの一節を着メロに使っている。
「もしもーし」
「瑠衣、村おこし同好会の臨時会合をするんだが、出てこれるか」
相手は委員長だ。
「いいよ、で、どこでやるの」
「ヒマワリ迷路の隣の売店。農協がもう一つ、テントを立てたんだが、それほど客が入っていないから、テーブル一つ使っていいって許可をもらったんだ。日曜に学校を開けてもらうのは大変だから」
「わかった、それで何時から」
「みんなもう集まっているよ」
「へ、そんな、じゃあ委員長はどこから電話掛けているの」
ヒマワリ迷路の周りには建物はない。委員長はケータイをかけるためにわざわざ国道まで出てきているのだろうか。
「テントからだよ。あ、そうか、携帯が通じるってことだろ。さっき、電話屋が仮設の中継局を立てて行ったんだ。このほかにいくつか立てるって言ってた」
事件の効果はこんなところにも表れるのか、瑠衣は感激して携帯をポケットに入れた。既に川瀬の姿はない。他に聞き込みに行ったのか、それとも業界人に会いに行ったのか。もっとも元刑事にとっての業界とは何か、はっきり言ってよくわからないが。
瑠衣はマウンテンバイクにまたがると、颯爽と温泉街を駆け下りて行った。
ヒマワリ迷路は相変わらず人が多い。もちろんまだ中の迷路に入れるわけではなく、野次馬はみんな周りから覗くだけだ。一辺百メートルほどのヒマワリ畑の周りは大豆やキャベツといった背の低い作物ばかりなので、警邏の警官にとって見張りは楽だ。四隅に一人ずつ、出入り口に二人立っているだけでカバーできる。若い男性の警官が睨みを効かせているので、中に入ろうなどと言う不届き者はいない。
瑠衣はそれを写メールで撮っておく。その時確認のつもりで携帯電話の旗を見るが、きっちり三本立っている。
「すごい、事件の効果抜群だ」
感動的だ。村のほとんどが圏外になっていることに辟易していた瑠衣にとって、ようやく文明圏に戻ったような気がする。
「おおい、瑠衣、こっち、こっち」
みんなが呼ぶのでテントに入っていくと、すでにお茶とトウモロコシ、干し芋が用意されていた。
「これで全員そろったな」
委員長が湯呑を銘々に配る。同好会の面々と沙耶先生。
「あれ、美由紀は」
「まだ具合が悪いって……」
満が知らせてくれる。何で満が美由紀のことを言ってくるんだ、と気になったが、確かに美由紀は昨日かなり辛そうにしていた。一日では復調しなかったわけか。死体を見たのだから、ショックを受けても当然だ。一緒に死体を見た委員長と瑠衣はどちらかというと図太い方だし、推理オタクでもある。美由紀は普通の女の子なのだから、寝込んでも仕方がない。美菜は後に残ったので死体を見ていないのは幸運である。
「そうか、後で見舞いに行ってあげなきゃ」
「瑠衣は大丈夫か」
委員長が真剣な眼で聞く。
「へ……」
「瑠衣も死体、見たんだろう。気分悪くないか」
悪くない。かわいげのない話だが、瑠衣はあのぐらいではショックを受けても寝込むことはない。瑠衣も十六歳の女の子なのだから、ぶりっこして気分悪いの、なんて言いたいところだが、それほど恐ろしくはなかった。別に猟奇趣味があるわけではなく、死体に何度か遭遇しているだけだ。彼女がかつて暮らしていた東京のマンションのそばには、交通事故多発地帯がいくつもあった。野次馬根性の強い瑠衣は交通事故を見に行かずにはおられないので、当然死体を何度も見ている。もっと悲惨な状況の遺体なら、気分も悪くなろうが、傷の一つもないあの坂口の死体に腰を抜かすほどの恐怖が沸かなかったのは事実だ。
「平気、平気」
ガハハとおっさん笑いをしてちょっとばかり後悔する。自覚はしているが、まるで女の子らしくない。
「みんなに集まってもらったのはね、迷路のことなの」
沙耶が説明を始めた。
「学生の文化祭の延長みたいな勢いで始めたんだけど、ここにきてさすがに生徒には手に余るってことになったの」
「えー、それって」
瑠衣には何のことかわからない。
「つまりね、ここの管理を私たちに任せておけないって言われたの。農協と役場が管理をするって。巡回とかを役場の人が仕切るんだって。これから先、私たちの出番はないって話になっちゃったわけ」
「そんなあ」
「ひどいよ」
口々にブーイングが起こる。
「だって、あれは私たちが作ったのよ」
早苗が泣きそうな顔で文句を言った。彼女がこの迷路のデザインをしたのだ。
「それはわかっているわよ。みんながどんなに頑張ってあれを作ったか、顧問である私が知らない訳がないでしょう。でもね、また事件が起きたら困るでしょう」
「起きないって、そんな何度も……」
みな絶句した。人、一人死ぬだけでも滅多にあることではない。それが何度も起こるなど、確率論からいってもあり得ない。
「それで起きたら連続殺人だぜ。そんな安易な話、二時間サスペンスでもおいそれと出せないだろう。場所を変えるとか、殺害方法を変えるとかするものだよ」
委員長も文句を言う。
「それにさ、殺人かどうかわからないんだよ」
瑠衣もヒマワリ迷路を取り上げられるのは反対だ。村おこしは自分たちが先頭切って始めたこと、それを横取りされたくはない。でも遺書に関しては黙っていた。
「殺人だよ」
委員長が断言した。
「え、そんなはずないよ。あの元刑事が勝手に言っているだけで、事件かどうかなんてわからないよ」
「それがそうでもないんだな。おれんちに駐在さんが知らせてくれたんだ。解剖の結果は、まだ公式には発表されてないだろ」
「あ……」
確か、昨日の昼前に鑑識が死体を持って帰った。既に丸一日過ぎている。何かわかってもよさそうなものだが、ニュースにも何も流れはいない。
「駐在さんによると、あの注射器の中に残っていた薬品は筋弛緩剤、麻酔薬さ」
自慢気に委員長は話す。
「眠り薬だったの。じゃあ、あの人、眠ろうとしただけ。何で死んじゃったの。誰かが首でも絞めたの」
早苗がきょとんとして呟く。
「いや、麻酔薬によるショック死だ」
「麻酔でも死ぬの」
「そうらしい」
サスペンスオタクの瑠衣も、さすがにこれは知らなかった。
「量の問題なんだそうだ。詳しいことは知らないけど、たとえば映画なんかでハンカチにクロロホルムをつけて、口を塞いで眠らせるなんてシーン、見たことがあるだろう。あれ、悪くすれば死んでしまうこともあるらしい、きわめて危険な行為だって。いい子は真似しないようにと言われた」
一同、沈黙。もっともいい子が他人を眠らせる筈はないし、いい子にクロロホルムが手に入る筈もない。
「おれたちの村で殺人が起こった」
大介が渋い声ですごむ。
「私たちの村で起きたことは私たちで落とし前をつける」
早苗も同調する。
「そうよ、その意気よ。あたしたちの村をあたしたちの手で守るなんて、みんなすごいわ。なんて村思いの子供たちなんでしょう。あたし、教師冥利に尽きるわ」
沙耶までノリノリだ。教師が何を煽っているのか、高校生が身の程知らずに殺人事件に乗り出すことに何ら危惧を持たないらしい。沙耶は若いし、好奇心旺盛、むしろ率先してこの事件を探ろうとしている。自殺だからそんなに危ないことにはならないだろうが、それにしてもみんな怖いもの知らずだなと、瑠衣自分のことを棚に上げて嘆息した。瑠衣だって本来はのりのりのはずだが、あの遺書を見ている。まるで推理小説のラストを知ってから読み始めたようなものだ。
「どうする気なの」
瑠衣がみんなに聞く。
「もっちろん、殺人犯をとっ捕まえるのよ」
美菜までも興奮している。彼女だけはこのクラスの良識、控えめな常識人だったはずなのに。これもすべて遺書を隠したためだ。
「山川村村立山川高校村おこし同好会は、この事件を解決するべく、探偵団を結成しましょう」
沙耶が宣言し、皆が手を振り上げ、賛同の雄たけびを上げる。もはや瑠衣の出る幕はない。瑠衣だってこの事件が殺人事件なら調べたいところだが、いかんせんすでに遺書を見ている。サスペンスオタク、推理大好き人間の瑠衣が、いまいちこの勢いにはついていけない。かといってあの遺書をここでばらしてしまうわけにもいかず、力なく一緒に手を挙げた。
殺人事件解決に燃える村おこし同好会の面々。筋弛緩剤が検出されている。でも自殺の遺書もあるし、村は大混乱。瑠衣もどうなっているか大混乱。




