第12章 瑠衣 雑誌記者を出迎える
ダブル不倫の両親に見捨てられ、母方の祖父母のもとに身を寄せた結城瑠衣。瑠衣が来た日、人が一人死んだ。事故死として処理されたが、荷物が一つ見当たらない。
祖父母の家は旅館であり、ど田舎にある。そして温泉街は斜陽化し、近隣の農業も疲弊している。そんな村にアニメ館を建てると言う企画が持ち込まれた。アニメに詳しい瑠衣はそれがザルだと見抜き、クラスメートを動員して、村おこし同好会を立ち上げ、村人の協力を得て、村おこしに奔走する。
瑠衣の狙いは当たらず、数日間は何ごとも起きなかった。
富士の間の坂口は昼間、ぶらっと出かけるだけでなく、夜にもどこかに出かけている。連れがいる気配はないからますます怪しげなムードだ。狭い村だから一日歩きまわれば一周できる。それなのに連日出かけている。
美由紀のホテルに陣取る企画会社や測量技師たちは、朝から夕方まで何やらせわしく動き回り、そのうえ、夜は夜で宴会を繰り返し、元気である。村の誘致推進派がとっかえひっかえやってきては、夜っぴいて騒いでいる。こちらも金がかかっているだけ、真剣である。土地の買収価格が数億円のレベルであるらしく、誰のものになるか、欲の皮が突っ張って、みんなの目の色が変わっている。
夏休みに入るまでは週末以外、さほど客はいない。そんな暇な時間を利用して、おじいさんと玄さんは薪にする原木を、山持ちの美菜の家から貰ってきて、チェーンソーをかけている。美菜の家は遠い親せき筋なのだ。もっとも村の人間のほとんどが何某かの血のつながりがあるのだが。
「大丈夫ですか」
おばあちゃんは気が気ではない。
「心配するな、一区切りしたら、それで終わりにするから」
そう言い終わらぬ間にけたたましい騒音をたてて丸太をぶった切っていく。
「凄い……」
瑠衣は茫然とそれを眺めていた。東京ではチェーンソー自体、ほとんど見かけることはない。そんなものを振り回していたら、一発で警察に通報されてしまうだろう。しかし、ここではごく普通に家庭の備品になっている。電動の簡単なものはそれこそ、主婦のツールの一つになっているほどだ。瑠衣もここにきて半年が過ぎ、いまさらチェーンソーぐらいでおたおたとはしなくなったが、それを七十を超えたおじいさんが使っている場面はびっくりする。矍鑠として働き者のおじいさんであることは判っていたが、もはやここまで来ると並みのじいさんではない。その凄さには脱帽する。
「かっこいいな」
ダンディなジェントルマンというイメージだけでなく、ワイルドなタフガイでもある。
壮年老人の二人組はガソリンエンジンを搭載した強力なチェーンソーで、直径三十センチを優に越える丸太すらも切っていく。ほとんどは二十センチ以下の間伐材だが、中には倒木になったために商品にならず、こちらに回ってきたものもある。その太さはほとんど大人が一抱えしても余るほどあり、チェーンソーで切っていても、切れているのか、いないのかわからないほどだ。その脇で、玄さんが薪割りをする。大きな斧で一刀両断。こちらも壮年とは思えない。次々と山積みになっていく長さ四十センチほどの薪を拾って瑠衣は屋根の下に積んでいく。
「おい、瑠衣、そっちじゃない。駐車場の奥の軒下に積んでくれ」
おじいちゃんがチェーンソーを止めて大きな声を出した。
「え、だってここにもひさしがあるから濡れないでしょう」
「ここらは夕方から夜にかけて西から東に向かって風が吹くんだ。雨でも混じれば薪が濡れてしまう。冬までに乾いてくれなければストーブにもくべられない」
瑠衣はうんざりした。小山になっている薪を五十メートルほど離れた所まで運ぶのだ。おばあちゃんがねこ車を出してくれたが、使い慣れないとすぐひっくり返る厄介な代物なのだ。一輪の大きな車輪に荷物を入れる台座がある。必要以上に肩に力が入り、腕やら肩やら筋肉痛になるのだ。
「若いもんがいると、いいのう」
一息ついておじいちゃんたちがおばあちゃんの出したお茶をすすっている。それを横目で見ながら、瑠衣は良子さんと一緒になって薪を五十メートル先の軒下に向かって運び出した。
「今日は露天風呂、一番最初に入ってやる」
呪楚のように繰り返しながら、瑠衣と仲居は薪を運んだ。もちろんですが、従業員はしまい湯です。
「セントラルヒーティングでも入れればいいのに」
瑠衣はこのところぼやき親父になっている。
「あら、お嬢ちゃん。薪ストーブっていいんですよ。ほんわかと暖かくで、穏やかな温もり。あれだと冬じゅう、ぬくぬく体の芯からあったまるんです。ガスだの電気じゃああれは味わえないんですよ」
確かに薪ストーブは暖かい。母屋に大きなものが一台、それに離れの家族や従業員の住まいの方にも一台あるが、それだけで事足りているほど、すごい効果だ。そのうえ、燃料費がかからない。今、切っているこの材木は、林業をしている美菜の家がくれた、間伐材や不要な根っこ、枝などの産業廃棄物で、全くの無料だ。せいぜい、チェーンソーのガソリンと、チェーンソーオイル程度がかかるだけだ。リーズナブルで環境にも優しいクリーンで、エコなエネルギーだ。
だが、その反面、薪ストーブは手間がかかる。薪を作ることだけでも大変だが、使う時もかなり面倒だ。スイッチ、ポンというわけにはいかない。まず新聞をくしゃくしゃに丸めて、その上に小枝を置き、火をつける。それがある程度燃えたところで細い薪を入れ、それが勢いよく燃えた時点で、それなりに太い薪を入れる。その間、半時間ほどかかる。もちろん、すぐには暖かくならない。しかし一度暖かくなれば、体の芯からぬくぬくする暖かさになるのだ。
「だからって言ってね、大変なのは大変なんだから」
楽さと温さ、天秤に掛けるとどちらが上になるんだろう。今は夏、温かさより、この労働の辛さの方が勝る。
「あたしの代になったら、絶対セントラルヒーティングの床暖房にしてやる」
夕方、二人目になる予約以外の客が入った。
「久しぶりだね」
三十代初めの男がにこやかに声を掛ける。瑠衣はとっさに思い出せず、ひきつった笑い顔をした。男は背の高いスレンダーな体つきのそこそこイケメンだ。ちょっと野性的なムードで、一人旅のバックパッカーとも思えるが、そんなのんびりした感じではない。着崩したスーツ姿、緩んだネクタイがどこかの俳優を思わせ、少しばかり胸がキュンとなる。
「いかん、いかん。惚れっぽいのは親の譲り。あたしには愛なんて無用なんだから。こんなのカボチャやジャガイモと同じ。惚れるなよ」
そう心の中でつぶやいて瑠衣はにっこり営業笑顔をした。
「あの、どちらさまでしょう」
「あれ、二週間もたってないよ。君たちがどっさりパンフレットを置いて行った旅行雑誌社の記者だよ。忘れちゃったのかな」
「あ……」
確かあのとき、瑠衣たちは中年のおじさんたちに囲まれた。その中に一人だけ若い男がいて、妙に浮いていたような記憶がある。
「あの特集、結構受けが良かったんでね、次の号にその続編を出すことになったから、他の写真を撮りに来たんだ」
「そうなんですか」
瑠衣はすごくうれしかった。いくら雑誌社が取り上げてくれたとしても二ページ見開きだけで、それがどれだけの集客になるか、行く末はあまりはかばかしくないと思えた。続けて特集が出れば、もっと読者の記憶に残るだろう。
「今、ヒマワリが咲いたんです。綺麗ですよ。ばんばん、宣伝してくださいね」
「何とかやってみるよ。部屋は一番安い奴でいいからね」
記者はちょっと照れたように苦笑すると、宿帳に住所氏名を書き込んだ。川瀬久嗣、杉並区阿佐ヶ谷……とすらすらと書かれた住所を見て、瑠衣は驚いた。瑠衣のかつてのマンションから遠からぬ場所だったからだ。あのあたりは瑠衣の庭だった。幼いころから住んでいた場所、保育園、小学校、中学校は同じ町内だった。あのまま東京にいたら、どこかですれ違っていたのかもしれない。もっとも、それならばただの通行人で終わっていただろうが。
その東京からこの男は来た。東京の地名を聞くたびに、両親のことが気になって仕方がなかった。まだ連絡はない。生きているのか、死んでいるのか、娘がここにいるのを知っているのか知らないのか。瑠衣のことを気にかけているのかいないのか。感傷に浸りそうになる。またあの捨てられた時の喪失感が湧きあがるが、いかん、いかんと首を振って頭を切り替えた。
川瀬は遠慮して安い部屋などと言ったが、村の宣伝になる人物に粗相があってはいけないので、予約の入っていない部屋の中で一番いい部屋を用意した。もちろん、食事のとき、サービスだと言ってビールを一本、出しておく。
夕食後、ロビーでくつろいでいる川瀬を捕まえ、瑠衣は村の宣伝に余念がなかった。今まで趣味で撮りためた風景写真を見せ、ヒマワリ迷路や、キャベツ絵の苦労話をする。村の有敷者に協力を求めたこと、クラス担任に同好会の顧問を引き受けてもらったこと、その他もろもろの今までのいきさつを面白おかしく、ストーリー仕立てでかなり演出して話した。
「すごいな」
「そうでしょう。ここのところに力を入れて書いてほしいの」
「そうは言ってもな」
川瀬はちょっと困り顔だ。
「もっと、イベントを説明しなきゃだめなの。同好会の連中を呼んでもいいですよ」
「いや、そう言うわけではなくて。君の説明で十分だよ。君の話はちゃんとこのICレコーダーに入れたから、帰ったら東京の文章屋に頼んでみるよ」
「え、川瀬さんが書くんじゃないんですか」
瑠衣に言われて川瀬は目線を外した。
「いや、それが、そのさ、おれは、専門外なんだ」
「国内旅行じゃないとか。判った、海外専門なのね。ヨーロッパとか北欧とかさ。私はね、カナダがいいな。あの赤毛のアンの舞台。それとドイツのロマンチック街道。お城を見ながらドライブしたい」
瑠衣は乗り出して聞いた。瑠衣も年頃の女の子だから、海外旅行には興味ありあり、気になってしょうがない。
「いや、期待を裏切って悪いんだけど、おれさ、今回来たのは単なるデッチで、遣いっ走りなんだ。おれは以前、別の仕事していたんだけどさ、辞めちゃってここに再就職したんだ。もちろんプロのカメラマンじゃないし、ルポライターでもない。うちのような小さな雑誌社じゃあ、人手不足でね。猫の手も借りたいということで、駆り出された。爺さんたちは遠出を嫌うんでね。旅行雑誌の癖に一年間、どこにも出かけたことのない奴らばっかりなんだぜ」
参った、参ったと、頭をかく河瀬に、瑠衣こそ参った。彼が泊っている部屋は高い方から数えて三番目の部屋だし、ビールをサービスにつけた。元が取れるだろうか。
「お嬢ちゃん、富士の間のお客さん、お帰りになってませんか」
仲居の良子さんがパタパタと走り寄ってきた。
「え、見てないよ。まだ帰ってないの」
すでに八時を回っている。瑠衣は夕食の後片付けがひと段落し、布団を敷き終わったばかりだ。夕方の四時から八時の間、旅館は戦場と化す。そのさなかにお客の帰りをチェックするのは難しい。
「富士の間の人って、坂口さんでしょ。食事なしの素泊まりの人だから、別にいいじゃない」
「そうは言ってもね。夕食のカウントに入っていないからつい気付かなかったけど、九時には玄関を閉めなきゃいけないし」
「閉めなきゃいいじゃん」
「そうはいきませんよ。近頃、物騒ですからね。施錠をきちんとするようにって、警察からお達しがあったんですよ」
良子さんの意見は正論である。ただし面倒臭い。ここ数年、頻発するようになった野菜泥が今年は酷い。サクランボを皮切りにアスパラガス、スイートコーンなどいろんな被害が相次いで、昨日から警察による警備強化が図られた。当然、温泉協会にも申し入れがあり、施錠の確認を求められている。
「困ったな。あ、そうだ、そいつ、食い逃げとか」
「そんなことはございません。あのお客様には前払いしていただきましたから」
「いつまで」
「明後日までのお約束ですけど。それにもしかしたら、もう少し伸びるかもしれないっておっしゃってましたよ」
「おかしいね。じゃあ、もうお部屋に戻っているとか」
「フロントを通らずにですか」
「見に行こうか」
良子と瑠衣は二階に上がって、奥の富士の間のふすまをノックしてみるが、返事はない。
「見ちゃお」
好奇心丸出しで瑠衣はふすまを引いた。中は真っ暗だ。電気をつけた。七時に通いの仲居が布団を敷いたが、それから人が入った気配はない。布団にも寝た形跡はない。ポットのお湯も満杯に入っているし、急須も使われていない。富士の間の客は、夕食はいつも温泉街の土産物屋でカップラーメンやら何やらを買って自室で食べているので、お湯は切らさずに置いてあるが、そのお湯は減っていない。
「お嬢ちゃん、カバンがありますよ」
「おっかしいな」
ボストンバッグが一つ、残されている。確か何かもっと荷物があったような気がするが、あいまいなので気に留めなかった。
結城温泉は自慢じゃないがお土産屋は七時で店じまいする。喫茶店を併設しているペンションもあるが、喫茶室は五時で営業を終わる。やっているのはホテルの中の売店ぐらいだが、そこも八時には閉める。バーラウンジはホテル客のみの営業だから、他の旅館の宿泊客は早々に帰される。温泉の源泉にある地獄谷や、共同浴場も七時にはシャッターを閉めてしまう。露天風呂の共有券があり、各旅館やホテルの露天風呂を泊まり客はどれでも入ることができるがそれも八時で終わりになる。だから八時を大分回ったこの時間に、観光客が外で過ごす場所がない。
おじいちゃんとしばらく待っていたが、戻ってこない。仕方なしにおじいちゃんが玄関脇の小部屋で番をすることで、戸締りをして一同は寝ることにした。
ちなみに露天風呂共有券は瑠衣たちのアイディアである。お客は旅館街の、合わせて十八ヵ所のお風呂を、どれでも自由に入ることができる。これがちょっとした名物になり、客の評判もかなりいい。
東京からやってきた雑誌記者は役に立ってくれるのか?そして帰ってこない客、坂口は?その荷物はどこに行ったのか?なんだか事件の匂いあり?




