表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/24

第1章瑠衣、寝坊する

 両親がダブル不倫をした挙句、娘である瑠衣を置いて家を出ていった。残された類は母方の祖父母を頼り田舎に向かう。ただ、その田舎、ど田舎である。そのど田舎で村おこしを始める瑠衣とその仲間達が、殺人事件に巻き込まれ、村のために奔走する。


「ったく、もう」

 怒鳴りながら瑠衣は目覚めた。ベッドの横に置いてある目覚まし時計はすでに八時を指している。

「ママ、どこ」

 リビングに入るが返事がない。よく見るとカーテンはまだ閉まっている。ソファーに置かれているはずの今日の新聞もない。それより何より、人の気配が全くない。父親がいないことはよくあった。どこかに泊まって家に帰ってこないことも、この頃は頻繁になっていた。だが母親はいつも家にいる。

「やばい」

 この事態、瑠衣にとって予想のつくことだった。ただ、こんなに早く訪れるとは思っていなかった。いや、いつ訪れてもおかしくなかったのだ。単に瑠衣がそう思いたくなかっただけだ。いつかは両親のどちらかが家を出ていくことはわかっていたが、瑠衣は結局二人を止められなかった。

 瑠衣は注意深くリビングを見回した。食卓には昨日、瑠衣が飲んだコーヒーカップがそのまま洗われることなく乗っていた。読みかけの漫画雑誌も片付けられていない。雑然と昨日のままだ。視線をテレビ台の方に移す。テレビの前に置かれた二つのソファーの間に置かれたテーブルの上にメモ用紙が一枚、あった。瑠衣は恐る恐るそれを取り上げた。

『瑠衣、ごめんなさい。ママは新しい人生を送ります。お父さんと暮らしてね。ママは愛に生きるの』

 簡単な文面だ。味もそっけもない。瑠衣は他に何かないかとあたりを見回すと、電話が留守電になっていて、紅いランプが点滅していた。録音を再生してみる。無機的に『用件が一件、あります』と機械音が告げてから、聞き覚えのある声が流れた。

「瑠衣、お父さんはお前の父親を続けていくことが出来ない。この愛を裏切れない。赦してくれ」

 内容はこちらも同様だ。瑠衣はため息をついてソファーに座り込んだ。両親の不仲は知っていた。俗に言うダブル不倫という奴で、両親ともに浮気をし、そのことでずっともめていた。最初は間に入って両親の仲を戻そうと不毛な努力をしたこともあったが、それも力尽きた。行くところまで行くと、愛し合ったはずの二人は殺し合いでも始めるんじゃないかというほど憎みあってしまう。瑠衣は刃物を隠したり、殴るのに手ごろなものを手近に置かないように片付けるのが精一杯だった。御蔭で殴り合いの血みどろに発展することはなかったが、その結果がこれである。両親は瑠衣のために離婚は躊躇しているようにみえていたのが唯一の救いだと思っていたのに、それが脆くも崩れた。

「どうしてくれんのよ」

 瑠衣は目の前が真っ暗になって、ソファーから起き上がるのもだるかった。ソファーに長々と寝ころぶ。かつてはすっぽりと頭の先から足首までクッションの上に乗っかっていた瑠衣の体はすっかり大きくなって足の大半が手すりから外に出ている。身長は百六十八センチ、もう既に背はほとんど伸びなくなったが、それでもかなり背が高いので、成長が止まったことに複雑な気分になっていた。目立つので、成長が止まったのはよかったが、憧れのモデルはもう少し背が高い方がいいと聞くのでもう少し伸びてほしい。

 瑠衣は形のいい脚を惜しげもなくさらしてぼんやり天井を見詰めた。

「あたしってあんたたちの何なのよ」

 愚痴以外の何ものでもない。

「両親に捨てられたかわいそうなあたし、どうすりゃいいのよ」

 すぐに何もしたくはなかったが。

「愛なんてくそくらえ」

 大声で胸が張り裂けそうなくらい、腹の底から怒鳴った。

「愛なんて、愛なんて、でぇっきらいだぁああ」

 演劇部の発声練習以上の大声で叫ぶだけ叫んだ。隣近所から苦情が出ないのがおかしいくらいの大声だ。

 嘆き悲しんでみた。両親に捨てられ見捨てられたかわいそうな子供だと、悲しみのどん底に落ちていく。この世のすべての不幸を背負い込んだ気分だ。花の女子高生、弾ける生命の輝きの中にいるべきではなかったか。それなのになんでこんなにも不幸なのだろう。涙が零れそうになって両腕で顔を覆い、しばらくソファーの上で脱力した。

 習慣的につけていたテレビがいつものニュースを流している。瑠衣は朝、テレビを時計代わりに聞いている。

「北海道でまた市町村の財政破たんが起きました」

 ニュースキャスターの女性が表情を変えずに不景気なニュースを伝えている。映像が北海道の風景に変わった。広々とした牧草地、延々と続くジャガイモ畑、一度は行ってみたいと思わせるような素晴らしい景色の中に、その地にそぐわない極彩色のキノコのような建物がにょきにょきと突き出していた。その次に稼働していない遊園地が大写しにされる。

「やっぱり無駄な箱ものを立てたのが失敗でしたね」

 コメンテーターの中年の学者が、変わり映えのしないコメントを挟む。その次にビデオ映像が流される。今度は町民のインタビューだ。多くは老人で、これからどうやって行けばいいかわからないと口々に言う。インタビュアーが一人の男性にマイクを向ける。

「ひどいもんですよ」

 男性は吐き捨てるように怒鳴る。

「どこが大変ですか、坂口さん」

 冷静にインタビュアーは聞き返す。

「ええ、もう死にたいくらいです。町が観光はうまくいく、大きな施設には観光客が来るっていうから、私らも協力したんですよ。ここは札幌から離れているから、観光客は泊りがけで来るといわれて、宿泊施設を作らなきゃだめだって言われて、町民あげていろいろ作ったんですよ。うちは牧場をしていたんですが、改装して観光牧場にしてペンションを併設したんですよ。農協や親類縁者から金を借りて始めたら、このざまです。残ったのは莫大な借金だけですよ。もうどうしたらいいか、こんな風にした連中を殺してやりたいくらいです」

「大変でしたね。このように地元の経済は壊滅的な状況で、しかも町も莫大な負債を抱え、近隣の市町村は合併を断っています。この町は事実上破産し、これから国の管理下に置かれることになりました」

 現場のアナウンサーが大写しになってから場面が切り替わって東京のスタジオで喧々諤々のコメントが繰り広げられるが、今の瑠衣はほとんどと聞き流していた。いつもなら母親とこの話題で盛り上がる。背伸びしたい年頃の瑠衣は聞きかじった知識を母親に披露して朝の会話を楽しむのだ。それなのに、話すべき相手がいない。

 寝坊したと思って急いでベッドから跳ね起き、パジャマを脱ぎ捨て手品の早変わりさながらに制服に着替えたというのに、ソファーに沈んだまま、起き上がるのもかったるい。

 高校生になって早半年以上が過ぎ、夏服が最初の長袖の冬服に戻ったが、まだかなり暑い。高校の規則で、長いストレートの黒髪は校則でお下げにするか、まとめてお団子にしなければいけない。いつの時代の校則だよと、生徒会が何度も改正を学校側に申し入れていると言うのに、頭の硬い古臭い教師達は聞く耳を持たない。

 瑠衣はいつも二つに分けて頭の上のほうで三つ編みしているが、それはかなり面倒臭く、手間がかかる。瑠衣はかわいらしいヘアースタイルが似合う。キュートだと自認しているのでその手間をいとわないのだが、今日はぼさぼさのままだ。自由闊達、元気いっぱい、猪突猛進の十五歳の少女だが、さすがにこの事態に打ちのめされた。

 いつもならテーブルに朝食が置いてあり、テレビがつけっぱなしになっている横で母親が身支度をしているというのに、今日に限って何もない。リビングがこんな寂しい場所だとは思わなかった。

リビングに強い日差しが差し込んできた。その日差しがソファーへと進む。いったいどれだけソファーに沈んでいたのだろう。腹が減ってきた。トイレにも行きたくなる。どっこらしょ、と声を出して身を起し、ソファーに腰をかける。

 瑠衣は高い塔の天辺で、救いの王子様を待っているような薄幸のお姫様ではない。一介の庶民である。一昔前の少女漫画の主人公のような運命に翻弄され、というような人物ではない。むしろ自らの運命を切り開く今時の子である。

「まずは、腹が減ったな」

 リビングを横切り、冷蔵庫から卵を出し、炊飯ジャーの中を覗いてご飯があるのを確認すると、冷凍のミックスベジタブルを出して簡単な卵チャーハンを作る。母親がずっと仕事をしていた瑠衣にとって朝ごはんを作るくらい簡単なことだ。食事を平らげると、次に学校に今日は休むと電話を入れ、両親の部屋を覗く。

何もない。がらんとしてむき出しの畳だけが寒々しい。父親のものはかなり前からなくなっていたが、母親のもののない。昨日の晩のうちに持っていったのだろう。運び出しに気がつかなかったのは迂闊だが、瑠衣は一度熟睡すると並大抵のことでは目が覚めない体質の持ち主だ。

 リビングに戻る。家財道具はテーブルとソファーセット、茶箪笥に冷蔵庫、テレビ等、それらはさすがに持っていくわけには行かなかったようだ。その茶箪笥の引き出しに入っているはずの生活費用の財布には一万円札が一枚と少々の小銭だけが入っていた。当座の費用とでも思って置いていってくれたのだろうか。このご時世、物価の高い東京で、一万円札一枚で何が出来る。とりあえず両親のスマホに電話をかけるが、当たり前のように出ない。一応、メールを入れておく。

 自分の部屋に戻って見回す。マンションサイズの六畳の洋間、これといって何の変哲もない女子高生の部屋だ。机といす、ベッドがある。壁にある本棚には少女漫画や小説の文庫本が詰め込まれている。中身は甘ったるいラブコメディや今はやりの腐女子向けのヤオイ、きらびやかなファンタジーなどごく普通の女の子の間ではやっているものが主で、他に少々推理小説やら何やらがごちゃごちゃと何の脈絡もなく詰め込まれている。

 当たり前の少女の部屋だ。本棚の上にはぬいぐるみとエキスパンダーがある。この取り合わせはちょっと普通ではないが、これは筋力トレーニングのためであって、無骨なのは仕方がない。瑠衣は中学から柔道を始めて、そのためにも筋力アップは欠かせない、おかげで今では有段者だ。

「中学のときは大会にも両親で応援に来てくれたんだけどな」

 壁に貼られた写真に目をやる。黒帯を締めた瑠衣の横に両親がブイサインをしている。脇におばあちゃんがいる。この写真はおじいちゃんが撮ったものだ。いつだって優しく頼りになる、あの年にしてはナイスガイのジェントルマンだ。おじいちゃんは瑠衣のあこがれでもあった。そう、おじいちゃん、母親の父親であるおじいちゃんの所に行こう。

不幸のどん底に落ち込んだ瑠衣は田舎を目指す。本人は普通と思っているが、普通の女の子は柔道の有段者にはならないし、見捨てられたすぐに、祖父母を頼って行動することもない。波乱万丈の女子高生物語、開幕、開幕。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ