第7話 再会
穢れが治せる、という事実が徐々に広まり、人々が集まって来ていた。休み間もなく奔走する日々が何日も何日もも続いたある日。
「ソフィー様!」
すっかり元気になったティレニくんが水場で顔を洗っていた私に声を掛けてきた。幸い生活に使う井戸水は、深いところから引いているので穢されていない。お陰で何とか生活出来ていた。
「どうしたの?」
「うん。あのね、お母さんがソフィー様に着替えを持って行けって」
そう言ってティレニ君が、白い麻の服を私に差し出す。ティレニくんと彼の母メリンさんは今この仮の治療院になっている修道院で怪我人の世話をしてくれていた。何度言っても、様付けで呼ぶのを止めないので私の方が諦めた。
「お召しになっている物には敵わないですけど、すっかり汚れてらっしゃるからってお母さんが」
確かに私が着ている白のローブは今や血や埃で汚れていた。私自身はあまり気にしていないけれど、気を遣ってくれたみたい。
「そんな良いのに……でも、ありがとう。お母様にもお礼を言っておいて」
「うん。着替えたら、その白いローブを持って来て。洗濯しますから」
「そこまでしてもらうのは悪いわ」
「僕もお母さんも巡礼者のお世話で慣れてるから気にしないで下さい」
ティレニくんとメリンさんは癒しの水を求めてシルフィスにやってくる病人や巡礼者が逗留する宿で働いていた、と聞いたわ。ティレニくんのお父様は早くに亡くなっていて母一人子一人だったのよね。ティレニくんが良くなってくれて本当に良かった。
「ソフィー様?」
私がぼんやりしていたので、ティレニくんが心配そうに名前を呼んだ。
「何でもないわ。考え事してただけよ」
「大丈夫ですか? ちゃんと食べてます? ずっと働き詰めですし。食べないと倒れてしまいますよ」
「まぁ、ティレニくんったら」
ティレニくんがまるで保護者のような口振りなので私は思わず笑ってしまう。朝の一瞬の和やかさを破るように、中庭の入口から誰かが走ってきた。
「ソフィー!」
「ミラ、どうしたの?」
黒髪を肩上で切り揃えた若い神官が息を切らして私に近づいて来る。ミラはマルバシアスの他の地方の神官で、救援の為にシルフィスに来ていた。ミラ以外にも何人も苦しむ人々を助けるべく神官がここにいる。私はここに来てから初めて現場の神官と触れ合った。彼らの献身こそが、信仰を支えているのだと身を以て知った。
皆で粉骨砕身する中で真摯な神官達の仲間に為れたことが嬉しい、なんて不謹慎なんでしょうけど。彼女らと垣根なく活動出来ることは今の私の誇りだ。
「うん、あのね。この前貴女が助けた女性騎士が居たじゃない?」
「イレーナさんのこと?」
「そう。それとダグラスさんも。二人がね、ソフィーに会いたいんだって」
「お二人が?」
ダグラスさんとイレーナさんは結局穢れが浄化された後、私達が止めるのも聞かず修道院をすぐに出て行ってしまった。
「また穢れを受けてしまったのかしら?」
「そうじゃないみたい。ここに来てもらって良い? 建物の中じゃ騒がしいし」
「ええ。勿論」
ミラが二人を呼びに戻って行く。その後少ししてから二人が中庭に入って来た。どちらも顔色も良く、元気そうだ。
「イレーナさん、ダグラスさん、どうしました?」
「おう、久しぶりだな。聖女様」
「聖女ではないですけど……」
私は苦笑しながら言った。穢れを浄化出来る、と私のことを聖女だと言う人もいる。勿論、違うのだけど。
「実はお願いがあって来ました」
軽い調子で手を上げるダグラスさんに対し、イレーナさんは姿勢よく立っている。よく見ると対照的なお二人だわ。
「お願い、ですか?」
「はい。我々と一緒に来て欲しいのです」
「来て欲しいって、どちらへですか?」
「なに、ちょっと近くさ」
「はぁ?」
茶目っ気を込めて片目を瞑ってみせたダグラスさんに、私は首を傾ける。ティレニくんに見送られ、二人の後について私は修道院を離れる。避難者用の天幕が広がる場所から離れ、元々はオリーブや葡萄の畑が広がっていたが今は黒い荒野となったところで、二人の男性が立っているのが見えた。目立たぬように黒いフードを被り外套を被っている背の高い人物が背を向けて立ってる。その横に金髪の穏やかそうな男性がこちらに気が付いて微笑む。
どなたかしら? どちらも男性のようだけど……。
「お連れしました」
ダグラスさんとイレーナさんがその人達に向かって恭しく頭を下げる。二人に促されるように私はその人達に近づく。
「あの……」
私の声に、黒いフードの人物が振り返る。目深に被ったフードの所為で相貌は分からない。
「こんなところまで来させてしまって申し訳ない。修道院で無用に気を遣わせてしまうのは気が引けてな」
「えっと……」
「私はファウロス。第二王子だ」
そう言ってフードを外す。やや癖のある黒髪に紫紺の瞳。私はその姿を、声を、よく知っている。その紫紺の瞳が、私を見てゆっくりと開かれていく。きっと私も同じように驚いた顔をしているに違いない。
「……ソフィー……なのか?」
互いにしばらく無言で向かい合い、ファウロス様がようやく絞り出すように私に声を掛けた。学園から離れてまだそれほど時間が経っていないというのに、懐かしさを感じる。
「そうです。ファウロス殿下。お久しぶりですね」
不思議とするりと言葉が出る。学園に居た頃よりもファウロス様はお痩せになられていて、精悍さと厳しさが増していた。それはそうよね。厳しい状況に置かれていらっしゃるのだから。
「どうしてここにっ!?」
どうやら私とセルジュ王子の婚約破棄の話はまだ伝わっていないみたい。他国の醜聞なんて構っている暇は無いに違いない。私は少しほっとした。知られて気分の良い話ではないもの。
「……どうやら、王子のお知り合いの方のようですね。我々は少し外しましょう」
ファウロス殿下の隣に立っていた金髪の男性が穏やかに言って、イレーナさんとダグラスさんを連れて私達から離れる。
「ソフィー、君はギルレーヌの未来の王妃になるのだろう? それが何故ここに?」
「その話は無くなりました」
当惑するファウロス殿下に私はさらりと事実を告げた。
「婚約破棄されたんです」
「婚約……破棄?」
私の言葉にファウロス殿下は更に驚いたのか、片眉を上げた。
「聖公家とギルレーヌ王家は契る慣わしではなかったのか?」
「……その話はしたくありませんっ」
まさか実の妹に婚約者を盗られたなんて、どうして自分の口から説明出来ようか。自分に女性として魅力がない、ということをファウロス様に知られるなんて。
「私がどうしてここにいるか、と言うならば、それは一神官として義務を果たしてるだけです」
私は半ば自棄のように言って、ファウロス殿下から顔を背けた。
「まさか本当に、婚約破棄されたのか?」
「ええ。そうです」
「本当に?」
ファウロス殿下は半信半疑のようで、執拗に尋ねてくる。
「嘘を言ってどうなるのです? 私にはもう聖公家もギルレーヌ王家も関係ありません。お話しがそれだけなら、失礼します。治療を待っている方がまだたくさんいますから」
私の下らない事情で、時間を無駄にするわけにいかないわ。それに、ファウロス殿下にセルジュ王子や妹の件を説明するなんて、自分と家の恥を晒すようでとても出来ない。
私は一礼して、足早に修道院へ戻ろうと歩き出す。