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第4話 覚醒

 大地は黒く煤け、命からがら逃げて来たと思しき人々が、着の身着のまま力なく座っている。急場で作ったと思われる簡易な天幕がそこかしこに建てられていた。

 ドラゴンがマルバシアスを襲ったのは2週間ほど前。まだまだ救済の手は充分ではないみたいね。

 私は思わずため息を吐いてしまった。本来ならマルバシアス王家と協力して困窮する民を助けなければならないのに、聖公家が支援を渋っているなんて。家への失望がまた一つ深くなった。


「もう帰りたくなりましたか?」


 アンリさんが揶揄するように片眉を上げて、私に尋ねてきた。


「いいえ。聖公家の不手際を恥じているだけです」

「ほう……?」


 私の言葉が怪訝だったようで、アンリさんは片眉を上げる。


「本来ならもっと早くかつ手厚い救助が必要だったはずなのに、聖公家(わがや)は動かなかった」

「貴女は違うと?」

「……いいえ。残念ながら同じです」


 そう。私だってマルバシアスがドラゴンに襲われたと聞かされていたけれど、それはどこか他人事だった。きっと誰かが何とかすると何処かで思っていた。私は己の至らなさに唇を噛んだ。


「シルフィス市街は壊滅状態なので、我々は市街から離れたところにある修道院の一つに治療の拠点を置いています。そこが一番被害が軽微だったので」


 アンリさんが窓の外を指差す。その先に小高い丘に建物があった。精霊力が強いシルフィスには一般の人が参詣する教会の他に、神官や術者が修行する為の教会や修行場が幾つか建てられている。それらを修道院と言った。私が向かうのもその一つのようね。


「アンリさん。一つお願いがあるのですが……」

「何でしょう? 特別扱いは出来ませんよ。快適な空間も提供出来ませんし」

「分かっています。私の身元は伏せて欲しいのです」

「何故です? 聖公家の人間だと知られるのが怖いですか?」

「それは……聖公家が恨まれている、ということですか?」

「少なくとも私はそうですね」


 冷たい三白眼でアンリさんがさらっと言った。


「私もギルレーヌの神官です。ドラゴンがこの地を襲撃したと一報を受けて、ギルレーヌの高位神官は皆穢れに恐れおののいて、来ようとしません。だから私が調査の名目で指名されたのです。しかし、上げた報告に対し何の反応もありません。連絡が来たと思えば、貴女を迎えに行けというものだけ。それは聖教と聖公家として正しい姿勢ですか?」


 声音は冷静ながら、アンリさんの言葉には怒りが含まれている。彼が憤るのも当然だわ。彼が私に冷たいのも。聖公家の人間が自分の足で来ないで迎えに来いなんて、傲慢そのものに映ったに違いない。

 ……私は本当に考えが浅くてその上甘かったわ。このままでは遠からず聖公家は神官からも人々からも信頼を失うことになるかもしれない。


「返す言葉もありません、アンリさん。聖公家は本分を忘れ、世俗に塗れ過ぎました。その報いをいずれ聖公家は受けることになるでしょう。ですが、私が身元を隠して欲しいというのは、誹りを恐れているからではありません」

「では何故?」

「私が聖公家と知られれば、気を遣う方もいるかもしれません。ただでさえ、余裕のない状況で負担にはなりたくないのです。私はギルレーヌからきた只の神官、ということにして頂きたいのです」

「なるほど……まぁ、良いでしょう」

「ありがとうございます。物の数には入らぬ身ですが、精一杯務めさせて頂きます」


 私はアンリさんに深々頭を下げる。彼が一瞬たじろいた気がした。聖公家の人間に頭を下げられるとは思っていなかったに違いない。

 その時、ちょうど馬車が止まり、私とアンリさんは馬車から降りて、目の前の教会を見上げる。一番被害が少なかった、と言っていたけれど、建物の一部は崩れ落ち、ガラスが嵌めてあったと思われる窓には何もなく、ぽっかり黒い穴が石の壁に並んでいるだけだった。

 壁の一部も黒く煤けているわ。中はどうなっているのかしら……。

 教会の周囲にも、中に入り切れなかったと思われる人々が、呻きながら横たわっていて、とても痛ましい。教会の入口にあった木戸は外れ、応急的に白い布が垂れ下がっている。私がその布を捲った途端、いきなり女性に縋りつかれた。


「助けて下さいっ!」

「えっ!?」


 私は驚いて思わず固まってしまった。


「あの……」

「私の息子をどうかっ……どうかっ!」


 やつれた顔で必死に訴えてくる女性のすぐ横には倒れている少年がいる。母子の避難者と思われる。少年も母親も瘦せ細って汚れている。更に少年の方は、剥き出しの腕や足に赤黒いあざのようなものが広がっていた。これは怪我ではなく、まごうことなき穢れであった。おそらく、服で見えていないところにも穢れは回っているに違いなく、状況が芳しくないのは一目で分かる。


「これが……」


 書物では読んだことがあったけれど……。

 穢れによる症状を生で見るのはこれが初めてだった。私は縋りついてくる母親に引き摺られるように少年の傍に膝をつく。少年の緑色の目は虚ろに開かれ、ひび割れた唇から弱々しい息の根が漏れているだけだった。


 今まさに穢れが、この少年を呪い殺そうとしている……!


 私は心が潰されるような気持ちで、少年の肩に触れた。ぞわり、と言い様の無い悪寒が背筋に奔る。私は治癒魔法をすぐさま唱えた。けれど、少年の体に何の変化も訪れない。

 ……当然だわ。治癒魔法というのは怪我は治せても、穢れを祓うことは出来ない。だから、ドラゴンの炎は厄災と呼ばれている。

 しかも私は治癒術の基礎をほんの少し習っただけの人間だもの、ここで苦しむ人々のたった一人だって救えない。

 私は半ば自棄でここまで来たことを再び悔やんだ。王子と妹に裏切られたのが何よ、両親が私のことを信じないのが何よ、そんなものは只の感傷だわ。私だって自ら政治の道具でいることに甘んじていただけじゃない。聖女の家柄なんて言ったって、私には特別な能力は何もない。


「ティレニ、ティレニ!」


 隣で少年の母親が半狂乱で子の名前を叫ぶ。

 私ははっとした。今己の無力さを呪ったところで何もならない。私は少年を膝に抱き、只管呪文を唱え続ける。少年の瞳からは光が消えかかり、息は今にも止まりそうだ。

 無駄なのかもしれない。それでも。私に一滴でも聖女の血が流れているのなら、苦しむ人々を救う力を授けて!


 何も起きない悔しさで視界が滲む。けれど、涙を流す権利なんて私にはない。私が泣いて何になるの?辛いのは被害に合った人々でしょう。私は自分を叱咤し、知っている限りの呪文を唱え続け、目を閉じ誰とも知らぬ何かに祈り、請い願った。

 どんな奇跡でも良い、とにかくこの少年を助けて!

 きつく閉じた瞼の暗闇の中で、ふとぼんやりとした光が見えた。


 ……これは何?


 その光はまるで天啓のように私に降り注ぎ、体の裡から温かくなるのを感じる。それは穢れによる悪寒を溶かしていき、精霊力で私を満たした。溢れんばかりの光の力に、私は祈った。

 

 どうか、この少年を助けて!


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