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最終話 幸福への道

「学園にいる頃からずっと好きだった。でも君はセルジュ殿の婚約者だったから、勿論それを言うつもりはなかった」


 さすが殿下。やっぱりポレットとは格が違うわ、と私は現実逃避のように、頓珍漢なことを思ってしまった。


「でも、君がマルバシアスに来たから……だったら、手に入れてしまおうと思った。何だかごちゃごちゃと言い訳を並べて、結階に漕ぎ着けたんだ」

「殿下……」

「あさましい男だろう?」


 ファウロス殿下が自嘲するように笑う。


「でも、殿下はおっしゃって下さいました。全てが終わったら自由にして良い、と」

「そう言えば君は断らないと思ったんだ。君がギルレーヌと聖公家から距離を取りたそうなのは、友人達からの手紙で何となく感じていたからな。俺はただ、君を断れない状況に追い込んだだけさ」

「まぁ……」

「こんなことを言うのは今更だと思うが……そばにずっと居て欲しいんだ……勿論、無理強いはしないが」


 無理強いはしない、というところに彼の優しさと誠実さを感じて、私は思わず顔が緩む。


「殿下はずっとアンナ王妃のことがお好きなのだと思っておりましたので、私の気持ちはずっと仕舞い込んでおくつもりでした」


 ファウロス殿下は、傍にいて欲しいとおっしゃってくれている。断わる理由がない。


「私も殿下のことをお慕いしております……だからずっと、一緒にいたいです」


 私はそっと殿下の手に自分の手を伸ばす。殿下はその手をぎゅっと握り返して下さった。私と殿下は見つめ合う。恥ずかしいのに、目を逸らすことが出来ない。

 ゆっくりと殿下の紫紺の瞳が近づいてくる。私はそれをただ、ドキドキしながら待っていた。私と殿下の鼻先が触れるくらい近づいた、その時。急に馬車が止まった。どうやら大使館に着いたみたい。

 私達ははっと我に返って、繋いでいた手を離し、お行様良く座り直す。ほどなくして、扉が開いた。イレーナさんがエスコートするように手を差し出す。


「到着しました。お手をどうぞ……お二人とも顔が赤いですが、体調が悪いのですか?」

「え、えっと、そうねっ……少し神経が昂っているみたいです。今夜はもう休ませてもらいますねっ」


 私は頬の赤みを誤魔化すように早口で捲し立てた。殿下も私の言葉にうんうん、と頷く。イレーナさんは私達を労わるように微笑んだ。


「ええ、今宵は大変だったと思いますので、それがよろしいかと存じます」

「え、ええ。そうさせてもらいますねっ」


 私はイレーナさんの手を取って馬車を降り、部屋へ向かう。寝室に入った私はドレスを脱ぎ、湯浴みをすませ夜着に着替え、寝台に座る。ふーっと思わずため息が出た。


「今夜は何だか色々あったわね…… 」


 今日起こったことを、頭の中で整理するように私は反芻する。


「ギルレーヌの国王陛下に会って、私はマルバシアスに帰ると言って、ポレットが暴れて.……どうなるのかしら、妹とセルジュ様は……」


 それを考えても、私には分からないけれど。


「それで、馬車の中でファウロス殿下の気持ちを聞いて、私も伝えてそれで……」


 改めて全身の体温が上がる。

 えっと、つまり、私達は両思いで良いってことよね……?

 私はそれをもう一度確かめたくて、隣の部屋へと続く扉の前に立った。扉を開けようとして躊躇う。殿下の部屋へ行ってどうするつもり?

 もしかしたらもう寝てらっしゃるかもしれないし。それに面と向かって何て言えば良いの? 私のこと本当に好きですかって尋ねるの?

 ぐるぐる考えるけれど、何をどう切りだしたら良いか妙案が浮かばない。それでも、一度宿った熱はファウロス殿下の顔を見ずには収まりそうもなかった。

 か、考えてもしかたないわっ……。

 私はなるようになれ、という半ば自暴自棄な気持ちで扉を開けようとしたとき、向こう側から扉を叩く音がした。


「えっ……」

「ソフィー、まだ起きているか……?」


 ファウロス殿下の、緊張したような声が聞こえる。


「は、はいっ。起きてます」


 私もドキドキしながら応えた。


「……扉を開けても良いだろうか?」

「どうぞ……」


 ゆっくりと扉が開かれる。目の前に立っているのは、バスローブ姿のファウロス殿下。乾ききっていない黒髪が、ややはだけた胸元が、いつものきっちりとした殿下からは想像出来ないくらい色香を纏っている。


「ファ、ファウロス殿下……」


 私はその御姿にニの句が継げない。煩いくらい胸が高鳴って、体温はかつてないほど熱い。


「ソフィー」


 名前を呼ばれるだけのことなのに、やたら甘く響く。彼の瞳にはいつにもなく、艶めいてい熱っぽい。

「先ほどの続きがしたい」

 そう言って、ぎゅっと抱きしめられた。薄い夜着越しに、彼の熱が伝わってくる。私の体はますます火照り、くらくらした。


「ソフィー、ソフィー。ずっとこうしたいと思っていた」


 切なく求めるような声に私は目を閉じる。


「ファウロス殿下……」


 私は彼の体を抱き締め返した。


 ***


 次の日、私達はマルバシアスに帰る為の準備を整えていた。長居してもロクなことにはならない、と判断してのこと。 私は、というと朝から昨夜のことを思い出して、ファウロス殿下の顔も恥ずかしくてまともに見られない。フワフワした気持ちのまま、 出発の時間になっていた。


「ソフィー様、今日はずっとぼんやりしておいででしたが、まだお体が……」


 馬車に乗り込む際、イレーナさんが心して声を掛けてくれた。


「おいおい、野暮なこというなよ、イレーナ。俺がこの前言ってたことか本当になるかもしれねぇんだ。喜ばしいことじゃねえか」


 茶化すような言葉に、私は顔が真っ赤になった。でも、イレーナさんは意味が分からないといって感じで顔をしかめている。私はほっとした。


「ちょうど良い。俺達もするか、子作り……」


 そこまで言って、ダグラスさんはイレーナさんの渾身のアッパーをお見舞いされて、地面に倒れた。私と殿下がひとしきり笑ったあと、 もしかしてダグラスさんはイレーナさんのこと、と私ははたと疑問に思った。


「さぁ、帰ろう。我らのマルバシアスに」


  ファウロス殿下が優しく微笑んで、手を差し出す。


「はい」


 私はその手を取って、二人で馬車に乗り込んだ。 私達の前途を祝福するかのように、日がきらきらと輝いて道を照らしていた。


 私とファウロス殿下は幸福の中を進んでいく。


 その後、シルフィスの状況が落ち着くと、私と殿下はかの地で盛大な結婚式を開いてもらった。ギルレーヌの旧友達とマルバシアスの新しい友人達と。それは楽しい式だった。



 

***




 その後、ギルレーヌはまるで精霊の加護を失ったかのように、天候不順や天災が続き、陽が傾くように、ずるずると沈んでいき、大陸随一の大国という地位から転がり落ちた。 聖公家も運命を共にした。もはや聖女の家系を信奉する者はいなくなって、信徒の信頼を失った。

 対照的にマルバシアスはドラゴンの襲撃を受けながらも、 この年から、何をするにも天候に恵まれ、各地で豊作になって、襲撃の傷から急速に回復していった。 またシルフィスは聖女の降臨の地として、多くの巡礼や観光客で今も大いに賑わっているという。


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