第23話 不穏な気配
それから事態は急速に良くなっていった。穢れた大地は、精霊の力が戻ったことにより、清らかな水があちこちの壊れた噴水や井戸から吹き出て、瘴気を消していく。人々は喜んで、その水を浴びた。穢れに苦しんでいた人々も、緑も、大地も水の力で癒されていくのを感じる。
シルフィスの街中も、騎士団が安全を確認しつつ、徐々に人が戻りつつあった。しかし穢れは消えても、破壊の傷跡を元に戻すことは出来ない。街の復興という点においては、これから長い時間が掛かると思われる。それでも、人々の顔には希望が満ち溢れていた。
私もファウロス殿下達と共に、シルフィスの街へ入った。炎を焼かれ、爪で切り裂かれ、魔物に荒らされた様子がそこかしこに生々しく残っている。
「全てを直すには時間が掛かりそうですね……」
私は街の、その痛ましさに胸が苦しくなった。
「そうだな。だが、一番の脅威は無くなった。君のお陰だ。ありがとう、ソフィー」
隣に立つファウロス殿下が私に微笑み掛ける。私は頬が赤くなるのを感じ、咄嗟に視線を逸らした。
「私はそんな、お礼を言われることなんて……」
「何を言う。この穢れを祓えたのも全て君の力だ。民と国を代表して礼を言う……勿論、友としても、だ。それに……」
ファウロス殿下が何かを言い淀んだ。
「ソフィー……俺は、ずっと……」
「殿下?」
きょとんとした私を見て、殿下は首を振った。
「いや、なんでもない。今後のことなのだが……」
そうよね。それを考えなくてはならないわ。だって、私の力はもう必要無いのだから。ここに留まる理由も無くなる。
「まだしばらくここに居て欲しいんだ。水は浄化されたとはいえ、まだ完全ではないし、治療が必要な患者も居なくなった訳ではない」
「そうですね。まだ……」
私はここに居て良いんだわ。けれど、身の振り方は考えておかねば。ファウロス殿下だっていずれ、王妃様よりも大事な人が出来るかもしれない。私はその邪魔はしたくないもの。
……それなのに。どうしてかしら、胸が痛むわ。初めから国を救う為の結婚だったはずじゃない。
「……俺としては、ずっとマルバシアスに居てくれると嬉しいが」
「殿下……」
ファウロス殿下は優しい。行くところがない私に同情しているんだわ。
「ま、その……考えておいてくれ」
「はい」
私はほんの少し切ない気持ちで返事をした。
けれど、唐突に横やりが入り、事態は私に考える時間を与えてはくれなかった。
***
一先ず瘴気の魔物の出現の心配が無くなり、シルフィスの街には王都から物資が次々届き、神官や兵士も集まって来ていた。この地で当初から治療を続けていた神官達もほっと一息吐いたところだった。
街の中はまだ到底人が住める状態ではなかったから、修道院で怪我人の治療に当たっている。それも清めの水が使えるようになったから大分楽になって、私やミラ達神官の交代の人員が増えてゆっくり休めるようになった。
そんな時だった。ファウロス殿下と副官のハーシズさんが修道院を訪れたのは。
「どうしたんですか? 街で何かありましたか?」
「いや、そうではない」
ファウロス殿下はとても苦々しい表情をしている。
「大変言いにくいのですが、ソフィー様、貴女に召喚状らしきものが届いています」
そう説明するハーシズさんの柔和な顔にも影が差していた。
「召喚状らしきもの?」
聞き慣れない言葉に私は顔を顰める。二人の顔を見れば良くない状況なのは明らかだわ。
「はい。ギルレーヌからそのような書状が届いております」
「ギルレーヌから? どうして……」
「つまり、ソフィー様が聖女として有名になり過ぎてしまった、ということでしょう。ギルレーヌと聖公家がソフィー様の、というかソフィー様の名声を権威の保持の為に欲しがっているといった感じでしょうか」
「明け透けな物言いだな」
ファウロス殿下は、ハーシズさんの率直な言葉に眉を寄せる。
「隠したところで何にもなりませんし」
ハーシズさんが肩を竦めると、ファウロス殿下はため息を吐いた後、私を見据えた。
「ソフィー。俺は君に、ギルレーヌには帰さない、と約束した。ただ、君が帰りたい、というなら止めはしない……帰りたいか?」
「いいえ。私は帰らないと決めて、ここへ来たのです。ギルレーヌへ帰る気はありません。殿下と共にこの地に立つ、と誓ったのですから」
「ソフィー……」
私は殿下を決意を込めて見つめ返す。殿下の表情が安堵に緩んだ気がした。その横でハーシズさんが遠慮がちに咳払いする。
「あー……そういったことはまた二人きりのときにでもして頂いて……」
「えっ……あ、ごめんなさい」
私は急に気恥ずかしくなって、ファウロス殿下から顔を逸らした。そして、気を取り直して、ハーシズさんに尋ねる。
「それで、聖公家とギルレーヌ王家は本気なのですか?」
「正直、どこまで本気かは判りかねます。だた今のところは、あわよくば、といった程度かと」
「勿論、今情報を集めさせているところだ」
これがもし、本気となったら、ギルレーヌとマルバシアスが対立することになる。もし、そうなったら私は……。
「ソフィー、さっきも言ったが、君をギルレーヌには渡さない。俺も、民も、君にこの国に居て欲しいと思っている」
「けれど、私の件で、傷つけあうようなことになったら……」
懸念を伝える私に向かって、ファウロス殿下は安心させるように微笑んだ。
「そもそも、何の道理があって君を呼び戻せるんだ? ギルレーヌの王家は君より君の妹が相応しいとして、君の妹を娶るのに。君を呼び戻して、やっぱり君を将来の王妃にするとでも言うのか? それでは、聖公家もギルレーヌ王家も笑い種になるだけだ」
「それは……」
「例え、聖公家が君を嫁がせないにしても家で飼い殺しにするなら、どの道聖公家の体面と評判に傷が付く。わざわざマルバシアスから連れ戻してまですることか、と」
「その辺のことが分かっているから、あちらさん達も強くは出られないのでしょうね」
ハーシズさんは苦笑すると、私と殿下に対して人の悪い表情を作る。
「ま、お二人に御子でも出来れば、とやかく言わなくなるでしょう」
「なっ……お前っ! 何てことをっ!? 今はシルフィスと、この国を立て直す方が先だろうがっ」
真っ赤になって怒る殿下に対し、私は唖然として何も言えなかった。その様子を見て、ハーシズさんは楽しそうに微笑む。ハーシズさんって柔和な雰囲気の割に、人が悪いのかしら。
「これが一番手っ取り早い方法だと思いますけどねぇ。ま、ただそのくらい仲睦まじい、と周囲に思わせるのも有効だと思いますよ」
「あのな……」
呆れと怒りに満ちた瞳で殿下はハーシズさんを睨む。けれど、ハーシズさんは全然堪えてないみたい。
「まぁ、良い。とにかく、君に迷惑が掛からないように対処する。アンリにも向こうの様子を探ってもらおう」
「やって頂けるかしら……」
物凄く個人的なことだし。アンリさんはそういう面倒事は嫌がりそうだもの。
「それに今は記録を取ることに熱中されてますし」
人手が増えてアンリさんは、今回の襲撃に関する調査と記録を本格化させている。勿論、私が精霊から聞いた話をアンリさんにも話した。それは熱心に根掘り葉掘り質問されて大変だったわ……。
「ま、向こうに動向を探る手紙を書くくらいならしてくれるだろう。俺の方でも色々調べてみるつもりだ」
「それでは我々はこれで戻ります」
「イレーナとダグラスは引き続き君の護衛に付けるから、何かあったらいつでも来てくれ」
そう言ってファウロス殿下とハーシズさんは、修道院を後にした。




