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第21話 呼び声

 数日静養に徹して、寝台に臥せっている間、私は幾度も夢を見た。目覚めてしまえば、その内容は朧げになってしまう。けれど、誰かに呼ばれているような、誰かの声が聞こえたような、けれど姿は分からない。そんな印象だけが私の中に残っている。

 私は眩しい朝日に目を開いた。今日もうつらうつら夢を見たみたい。


 あれは一体なに? 私に何かを伝えようとしている? 誰かが助けを求めている?

 それはあるかもしれない。まだまだ回っていない場所はたくさんあるもの。その焦りが見せる夢? それにしては、生々しい印象だったわ。けれど、人の声が夢の中まで聞こえてくるものかしら……?

 分からないけれど、呼ばれているのは分かる。

 そんな夢がまた何日も続いた。体力が回復するまで寝ていなければいけないと、理解している。けれど、助けて、と呼ぶ声がどんどん大きくなってきているような。行かなければいけない気がする。


「ソフィー様、どうかしたんですか?」


 部屋の中をウロウロと落ち着かない様子の私を心配して、ティレニくんが声を掛けて来た。


「声が……」

「声?」

「いえ、何でもないわ」


 私の胸騒ぎのような焦燥感がいや増していった。助けに行かなければ、と心の奥からその思いが湧き上がってくる。ただ、理性はそれは危険だと警鐘を鳴らしていた。

 当然だわ。多少浄化が進んだとは言え、穢れは未だ蔓延し、どこから魔物が湧いて出てくるのか分からないのだもの。何処へ行けば良いのか分からないのに、私が飛び出して行ったら、ダグラスさんやイレーナさんも危険に晒すことになる。

 それは分かっているのに。呼び声に応えなければならない気がしてしまう。

 苦しみ、もがき、助けを求めている。行かなければ……。


 行かなければ……!


 私は見えない衝動に突き動かされ、ついに呼ぶ声のする方へ走った。


「ソフィー様、どこへっ?」


 ティレニくんの焦った声が背後から聞こえたけれど、私は振り返らなかった。修道院を飛び出して、ほんの少し下草の生えた大地から、黒く煤けた荒れ地へ、そして瘴気漂う廃墟へ、私は何かに突き動かされるように夢中で走った。

 不思議だわ。そんな体力なんて私にはないはずなのに。何かが私に力を与えてくれているような。

 導かれるように走って、気が付いた時には目の前には破壊された白い建物の前にいた。


 ここは……もしかしてここは、シルフィスの中心部にある泉のある聖堂だった場所なのでは。見たことも来たこともないけれど、何となくそんな気がする。

 聖堂の奥に私を呼んでいる”誰か”がいる。

 何かに鋭いものに抉られたように建物は砕け、人より遥かに大きな破片が地面に無造作に落ちている。更に黒い炎の残り火が重苦しい瘴気をあちこちで放っていた。

 焦げた大地の熱さと瘴気の毒気。息をするだけで、その黒い熱気に肺が焼かれるかと思うほどだわ。

 私はローブで口元を抑えながら瓦礫が散乱する中を進んで、聖堂の中心部へ向かった。黒く汚染された水が足元を濡らす。清浄なはずの水がこんなどす黒く濁った状態では、確かに大地は穢れたままだわ。ピオニウスさんの言う通り、本来なら強く清らかな精霊の力が、ドラゴンの炎で穢されて、汚濁を垂れ流す結果になってしまったのね。


 一体、この先で何が待っているのかしら……。


 不安になるけれど、ここへ来た以上引き返すことは出来ないわ。私は覚悟を決めて進んだ。

 どす黒い水の上に赤黒い炎が揺らめく。幻想的でありながらも、禍々しい光景の中を歩み、どろっとした水が溜まっている箇所に来た。本来は噴水のように美しく整えられていたと思われるけれど、跡形もなく壊されている。

 ここだわ。ここが源泉の湧き出ていた場所。今は汚濁の溜まった水をごぽごぽと吐き出している。本来は清らかで静謐に満ちた場所のはずなのに、今は瘴気と燻る炎の所為で、毒々しい熱気に満ちていた。

 額から汗が流れる。沸き立つように熱い。喉も目も痛い。私はゆっくり目を閉じた。


 聞こえる。吐き出された炎の中に怨嗟の声と苦しむ声が。救いを求めている。私は目を閉じた。

 私に出来るかしら……ううん。大丈夫、きっとやれるわ。私は瞑想するように雑念を消して、祈り始める。

 精霊よ。穢れた水と大地を癒し、再び清らかで実り豊かなものとなるように。大地よ、水よ、光よ、精霊よ。私はただひたすら祈る。けれど、光はあまりに弱く、瘴気はあまりに濃い。いつもなら降りてくる光も、強い穢れにさえぎられているのか応えてはくれない。それでも私は祈り、唱え、願い続けた。


 その時、誰かに見られているような、ふとそんな居心地悪さを感じて瞼を上げり。私の周囲には黒い靄が広がっていた。それを見た瞬間、悪寒が走り全身が総毛立つ。

 一体なに……?

 非常に強い邪気を放っている、そのどす黒い靄は、私が戸惑っている間に、密度を増し異形へと変化していく。穢れから魔物が生じる瞬間だった。


「……!」


 ヘドロのようにどろどろとした穢れの塊が私に近づいて来る。


「ひっ……」


 私は思わず後ずさりして、己の身を守るように私は両手で抱き締める。黒い異形は次々と生まれ、私を取り囲んだ。私を襲おうと徐々に取り囲む輪が狭まってくる。そして、大きく膨れ上がり、まさに四方から私に覆い被さろうとした、瞬間。


「ソフィー様!」


 イレーナさんとダグラスさんが駆け込んできて、異形の一部を切り払った。ヘドロのような異形は霧散し、靄へと戻る。


「水臭いじゃねぇですか。俺達を置いて行くなんて!」


 状況が切迫しているにも関わらず、ダグラスさんは軽口を忘れない。


「黙って行って死んだらどうするつもりだったんですかい?」

「滅多なことを言うな! だが、ダグラスの言うことは正しいです、ソフィー様」


 イレーナさんは流石に怒っているようで顔が険しい。


「ごめんなさい。でも、どうしてここへ?」


 ここへ来ることは誰にも言っていないし、そもそも私自身も、はっきり分からなかったのに。


「ティレニが教えてくれたんすよ。姫さんが急に走り出して街の方角に言っちまったって」

「それで急いで追いかけて来たのです。しかし、何故だがなかなか追いつけなくて……」

「私自身も驚いていたの。たぶん、何かに呼ばれた、というか連れて来られた感じなの」

「ホントに無茶しますぜ」

「ダグラスさん、イレーナさんも、ごめんなさい……」

「謝るのは俺達だけじゃないですぜ」

「まったくだ、ソフィー」


 えっと戸惑っていると、ダグラスさん達の後ろからもう一人現れる。


「ファウロス殿下……!」


 私は目を見開く。


「ティレニ少年が血相を変えて宿営地にすっ飛んで来たぞ。どうしてこんな無茶をする?」


 つかつかと私の前に歩いて来て、殿下は怒ったような困ったような表情で私の手を握る。


「殿下……迷惑を掛けてごめんなさい。けれど、どうしても来なければいけない気がして……」

「ソフィー……心配したんだ、本当に。さぁ、危険が増す前に戻ろう」


 殿下の言葉に私は首を振った。


「ソフィー?」

「いいえ、まだです。まだ、ここを離れられません」

「何だって!? 何を言ってるんだ、ソフィー」


 殿下は分からず屋を叱るように私の名を呼ぶ。分かっている。殿下の言うことは正しい。皆の身の安全を考えたら、ここから出て行ったほうが良いのは。

 けれど、ここを浄化出来なければ、何も変わらない。それに苦しむ声が止むことがないもの。


「私はここに残ります。ここを浄化しないまま離れるなんて出来ません。覚悟は出来ています。けれど、皆さんは……」

「ソフィー様が残るなら私も残ります。護衛ですので」

「おう、俺もだ」


 生真面目なイレーナさんに対し、どこまでもダグラスさんは軽やかで。こんな状況でも変わらぬ二人が頼もしい。


「ソフィー、私が友、いや妻を置いて行く人間だと思うのか?」


 殿下は険しい顔を、ふと緩めて悪戯っぽく笑った。


「だから、必ずこの場所を清めてくれ。さもなければ、我々は全員ここで眠ることになる」


 三人は揃って剣を構え直す。


「頼むぞ、ソフィー」


 私は頷いて、再び目を閉じた。大丈夫、皆が居るもの。私は一人じゃない。

 深呼吸し、再び精霊に祈りを捧げる。

 大丈夫。きっと精霊は応えてくれる。


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