第2話 旅立ち
馬車は街の大通りを過ぎて、貴族の邸宅が並ぶ地区へと入っていく。その中でも一際大きい聖公家の屋敷に着くと、着替える間もなく書斎に呼び出され、私はため息交じりに向かう。両親は怒りに満ちた表情で私を迎えた。
「王子とポレットから話は聞いているな」
「はい」
怜悧な父の怒気を含む声で問われ、私は素直に返事をした。この期に及んで誤魔化してもしょうがない。しかし今し方言われたばかりのことを何故父が知っているの?
「ポレットから聞いている」
私の疑問が顔に出ていたのか、父が応えた。
「聞いている、とはどういうことですか?」
「貴女がいつまでも婚約解消に応じないから、妹が仕方なく卒業パーティーで言う羽目になったんですよ!」
母が顔を真っ赤にして叫んだ。
「えっ……」
いつまでも応じない……ってどういうこと?
「お母様、私は何も聞いていません。二人のことだって今日初めて……」
「言い訳をするな! 恥さらしめ」
「そうよ。ポレットが毎週のように、貴女が婚約破棄に納得してくれないと手紙を送ってきたわ。王妃の地位を諦めきれないんじゃないかって」
「そんなっ……! ポレットはどうしてそんな嘘を……」
「ポレットが嘘などつくものですか! ポレットは自分が姉を説得するから私達には口出ししないで、と手紙で言っていたのよ。それなのに貴女は!」
「……それをお信じになったのですか? 私の言い分は何も聞かずに?」
私の言葉に両親は一瞬気まずそうな表情になったが、また直ぐに眉根を釣り上げる。
私も折に触れて両親に手紙を書いてきた。学園は全寮制だから長期の休み以外は基本家には帰らない。手紙の内容はさしたる話も無かったから、時候の挨拶とつつがなく過ごしている、と。
そう言えば、ある時から返信が来なくなったような。特に話すこともないから手紙が来ないのかと思っていたけれど……。まさか、妹が手紙を出さないように言い包めていたなんて。
どうして妹がそこまでしたのか。そして、それを信じ切っている両親のことも。私には到底理解出来ない。
「ええい。もう決まったことだ! 王家の方もそれで良いと言っている」
……つまり、同じ血、同じ家、同じ能力なら別にどの娘だろうと構わない、ということなのね。確かに、この結婚は権力を担う家同士の結束を強める為のもの。それなら、姉だろうが妹だろうが聖公家の人間ならどれでも良い、と王家は判断したのね。より相性が合う方が長い生涯を共にするのに良い、と思ったのかもしれない。
でも、それなら私の今までの人生は何だったの? 両親にとって私は愛しい娘ではなかったのね……。
「お父様、お母様、もう一度お尋ねします。どうして妹の言うことばかりを鵜呑みにして、私の言葉を信じて下さらないのですか?」
急速に私の中の何かが冷めていくのが分かった。何を言っても、私の言葉はもう両親には言い訳にしか聞こえない、と分かったから。
王家だって同じ家、同じ血脈、同じ能力なら別に姉だろうが妹だろうがどちらでも良いのだ。だから王子がポレットに乗り換えても大した問題にしていない。国と家への幻滅が私の中でどんどん大きくなる。
「何度も言っているでしょう…!」
母が顔を真っ赤にしヒステリックに私を罵ろうとした瞬間、書斎の扉を叩く音が聞こえた。
「なんだっ!」
父が苛立ちを隠さず、扉の向こうに居る誰かに怒鳴る。
「お話しのところ、申し訳ございません……マルバシアスのシルフィスから再三の支援と神官の派遣要請が届いておりますが……」白いローブを着た若い神官が恐る恐る切り出した。聖公家の屋敷には使用人の他に神官も出入りしている。
「そんなものは放っておけ!」
「お父様……マルバシアスは今困っているのでしょう? こちらから精鋭の神官を派遣されていないのですか?」
隣国マルバシアスは10日ほど前にドラゴンの襲撃を受け、甚大な被害が出たと聞いている。ファウロス様が卒業パーティーに出られなかったのもそれが原因だったはず。
ドラゴンの吐いた炎は大地を黒く染め、穢れと呪いを撒き散らす、と教えられたわ。それなら癒しの術を得意とする高位の神官を遣わして然るべきのはず。
「穢れた大地に触れれば、それだけで呪いが移ると言われている。そんなところに我が教会の術師達を遣わせるわけにはいかん。マルバシアスの連中がどうにかすれば良い」
「なっ……!」
それでもこの大陸でもっとも権威のある聖教のトップのすることなの!? 救いを求める者を助けるのがあるべき姿でしょう!
私はわなわなと震えた。
「この話はどうでも良い。今はお前の話だ。しばらく修道院で身を慎め。折を見て、別の誰かを宛がってやる」
まだ私を政治の道具にしようと言うの? もううんざりだわ。
「いいえ。修道院には行きません。私はここを出て隣国の救援に向かいます」
「なに?」
「救援の要請が来ているのでしょう?」
けれども、穢れた地に自分達が行くのが嫌で何かの理由を付けて断っている。何が聖女の血族よ。
「せめて、聖女の末裔としての義務を果たしたいと思います。それなら我が家の顔も立つでしょう? マルバシアスを救う為に聖公家が娘を向かわせた、となれば。私としても面目が保てます」
「あら、それが良いわよ、貴方」
お母様が嬉しそうに頷いて、お父様の方に触れた。王子との結婚を捨ててでも穢れた地を救いに行く、そう触れ込めば娘の、引いてはこの家の汚点を拭えると考えているのだろう。
「そうだな。せめてそのくらいは役に立つだろう」
お父様も納得したように息を吐く。
決まった。
「それでは、早速準備します」
一刻も早くこの場から、この家から出て行きたかった。そして、二度と戻らない。こんな汚れた世界には。
私はそう誓って、一礼して書斎を出た。急ぎ足で自分の部屋に行き、準備を整える。私は化粧を落とし、宝飾品も全て外して、煌びやかなドレスを脱いだ。そして、衣装箪笥に掛けられた白いローブを手に取った。これは、精霊祭などの祭祀で着る物だ。白のローブには金色の刺繍で刺繍が施されており、ローブの素材も最高級の絹が使われていた。高位の神官にのみ許された服装だ。
「ただ聖公家に生まれただけなのにね……」
それだけで修行を積んだ一般の神官よりも高位なのだ。私は思わず自嘲的に呟いてしまった。
こうなることが分かっていたなら、貴族の子弟が通う学園ではなく、神学校に行けば良かった。一応、聖公家の人間だから癒しの術くらいは習得しているけれど、一般の神官と違って実際に誰かの怪我を治したことはない。聖公家は祭祀や説教をするだけだし、私はそれを座って見ているだけだった。
そんな私が行って何が出来るかは分からないけれど、今はこの家から一刻も早く出て行きたい。豪華なドレスも宝飾品ももう要らない。
鞄に下着などの最低限必要なものだけ詰める。自分が外した机に置かれた宝飾品の中にファウロス様から頂いた葉の形の栞が目に付いた。
そうだ、これだけは持って行こう。二度と帰らぬ旅のお守り代わりに。