第16話 ただいま
私達が王宮に戻ると、アンナ妃が出迎えてくれた。
「お帰りなさい。なかなか帰って来ないから心配してたのよ」
「すみません。アンナ様。話をしていたら遅くなってしまって……」
申し訳なさそうに言う私にアンナ妃がとんでもないと首を振る。
「責めてるんじゃないのよ。私が一人やきもきしただけで、気にしないで。それより疲れたでしょう。お部屋に案内するわ」
「は、はい……」
「俺は兄上の顔を見てから部屋に戻る。ではな」
ファウロス殿下はちらりと笑って、長い廊下を歩いて去って行った。
「さ、私達も行きましょう」
アンナ妃が私の手を取って、弾んだ足取りで歩き出す。
「あの……」
「私、妹が居ないから、義妹が出来て嬉しいの」
そう言ってアンナ妃が緑の瞳を愉快そうに細める。
「アンナ様……」
「お風呂も着替えも用意してあるから、遠慮なく使ってね」
「ありがとうございます。でも……」
清潔でフカフカの寝台で眠ることが出来ることも、湯船にゆっくり浸かれることも嬉しいけれど、シルフィスではまだまだ碌に休むことも出来ない人々も居るのに何だか自分だけ贅沢をさせてもらって、何となく私が気が咎めた。
「休めるときに休んでおかないと、いざという時に力が出ないものよ。助ける側も休みは必要だと思うわ」
私の顔が曇ったのを見て、アンナ妃が優しく諭してくれた。アンナ妃も陛下のお世話をずっとされているようだから、何か思うところがあるのかもしれないわ。
「それでは、お言葉に甘えてゆっくり休ませて頂きます」
「それが良いわ。さ、ここよ。入って」
ある部屋の前に止まって、アンナ妃が扉を開けた。木調の家具で揃えられた室内は温かみがあって落ち着く感じがした。
「客室の一つなの。自由に使って。着替えはあちらの衣装箪笥の中に入っているから、好きなものを使って。もし、サイズが合わなければ遠慮なく言って頂戴」
「そんな。ありがとうございます」
「それじゃ、本当に何かあったら呼んでね」
アンナ妃がにっこりと笑って、部屋を出て行く。私は一人になってほっと息を吐いた。寝台に座ると体が沈み込む。
ああ、ふかふかで気持ち良いわ……。この柔らかさは久しぶりね。修道院ではいつも固い床で寝ていたから。
私は無作法と思いつつ、そのままコロンと横になった。どっと疲れが押し寄せてきて、私は急速に眠くなって、瞼を開けていられなくなる。
結局、私はそのまま朝まで眠ってしまった。
***
私は羞恥心を抱えたまま、宮殿を後にすることになった。
「はぁ……」
思わず馬車の中で盛大なため息を吐く。
「ソフィー、疲れていたんだ。気にすることはないさ」
隣に座るファウロス殿下が慰めて下さるけれど、着替えもせず寝入って朝食まで遅れてしまって、私は貴族令嬢として恥じ入るばかりだった。
「陛下とアンナ妃に呆れられてしまったわ、きっと」
「いや、そこは気にしなくても良いと思うぞ。むしろ、ゆっくり休んでもらえて良かった、と兄上も義姉上も言っていたからな」
「そう、だと良いのですけれど……」
「大丈夫さ」
ファウロス殿下が励ますように口角を上げたので、私は少しほっと胸を撫で下ろす。
「そうですね。今更気にしていても仕方ありませんものね」
半ば破れかぶれな気持ちで頷く。寝過ごしてしまったことは取り消せないもの。切り替えなくちゃ。シルフィスに到着したら、やるべきことはたくさんあるんだもの。
「そうだ。一つ願いを聞いて欲しいのだが」
「はい。何でしょう?」
「イレーナとダグラスを君の護衛に付けようと思っている」
「護衛? 私に、ですか?」
殿下からの意外な提案に私は目を瞬かせる。
「そうだ。いつ何があるか分からないからな。俺としても二人を護衛に付けた方が安心出来る。これから修道院以外の場所へも行くなら、必要だろう」
「でも……私などの護衛より人々を魔物から守る方が良いのでは?」
修道院には浄化と治療を待つ患者さんしか居ないし、きっと近くの村々も同じような状況のはずだわ。
「いや。君に何かあっては俺が困る。何と言っても、その、君は俺の妻だからな。まだ正式ではないが。それに魔物はどこに現れるか分からない。頼むよ」
ファウロス殿下が少し困ったような表情になる。
確かに私に何かあればマルバシアスが困ったことにならないとは限らないわ。聖公家から難癖つけられるかもしれないし。
「分かりました。お受けします」
私の言葉を聞いて、ほっと殿下が胸を撫で下ろした。そして馬車は修道院の前に着いた。
私はイレーナさんに手を引かれ、馬車を降りた。殿下も見送りに馬車を降りる。
「ソフィー。何かあったらいつでも連絡してくれ」
「はい。殿下も。何かあったら連絡して下さいね」
「あと、無理もしないように」
「それは殿下もです」
「あとちゃんと休むように」
「殿下こそ」
「……」
私達は見合ってぷっと吹き出した。これからまた互いにやらねばならないことが待っている。けれど、こんな些細なやり取りで心が軽くなる。
「ではな」
「はい」
「ソフィーのことは頼んだぞ」
最後に殿下がイレーナさんとダグラスさんに声を掛ける。二人は居住まいを正し、きびきびと敬礼をした。私達は殿下を見送り、修道院の中に入った。いつも通り神官達が人々に治癒術を施している。その変わらぬ光景に、私は何故かほっとした。
ほんの数日離れただけだけれど、ここが私の帰るところなんだわ。ミラとティレニ君の姿を見つけ、私は近づく。
「只今戻りました」
「お帰りなさい。ソフィー様」
「待ってたよー!」
声を掛けると、ティレニくんとミラが笑顔で迎えてくれた。
「それにイレーナさんとダグラスさんもこんにちは」
「おう。俺達、これからソフィー様の護衛だから、よろしくな」
「そうなんだ。そうだよね、王室の一人になるんだもんね」
うんうんとミラが頷く。正確に言うとまだ王室の一員ではないのだけれど、と私は苦笑する。それにあくまで名目上だけだものね。
「何か変わったことはなかった?」
私が尋ねるとミラとティレニくんは顔を見合わせてから、首を振った。
「特には何もだけど、治療を求めてくる人がどんどん増えてきてるよ。ソフィー様の評判が広まってるからね。穢れを祓えるなら多少無理してでも人々が集まるようになったの」
「そう……」
「まだ魔物が出没しているところもたくさんあるから危険なんだけどね」
ミラが少し困ったように眉根を下げる。無理をしてでも助かりたい人々の気持ちが分かるだけに、辛いんだわ。それは私も同じ。やはり大地を浄化してこの地の力を取り戻す必要がある。
夜にでもアンリさんに相談してみましょう。




