第12話 いざ、王都へ
そして私は一旦とはいえシルフィスから離れることになった。修道院に戻ってその理由を話すことは、つまり私の素性も知られてしまうということで。私は修道院の庭でミラとティレニくんにまずは話した。
「えー、ソフィーって……じゃないソフィー様って聖公家の方だったんですか!? しかもファウロス王子と結婚!?」
「本当にソフィー様は聖女様だったんだ!」
「そういう訳じゃないのよ。ただ聖公家の人間ってだけで……今まで通りに接してくれれば……」
感動するティレニくんや態度が畏まってしまったミラに私は戸惑う。
「それはなかなか難しいでしょうね」
後ろから冷ややかな声がする。変わらないのはアンリさんだけだ。私は何となくほっとして振り返った。アンリさんの態度に安堵する日がくるなんて。
「アンリさん、驚かないってことは知ってたの?」
「ええ」
ミラの咎めるような言葉にアンリさんはさらりと頷いた。
「それなら先に教えてよ~。私ったらずっと馴れ馴れしくしちゃったし」
「そのままで居てくれると嬉しいんだけど……ファウロス殿下との件も必要だからするだけですし」
「聖公家の方にそんな口聞けませんっ。それに王子様と結婚するってことはこの国の王女様になるってことですよね? ますます雲の上の人じゃないですかっ」
「ねぇ、聞いて。私はここに来てとてもよく分かったの。教会を支えているのは聖公家でも、高位の神官でもなく、ここで皆の為に懸命に治療にあたっている神官達だって」
弱り顔のミラに私は真面目なトーンで語り掛ける。
「私なんてたまたま聖公家に産まれただけの人間なの。何も偉くもすごくもない。だから、どうか萎縮しないでくれると嬉しいわ」
私の言葉にミラとティレニくんは互いに顔を見合わせる。どう反応して良いのか、迷っているように見える。
「一時的とは言え、ここを離れるのは辛いわ。皆もどうか無理しないでね」
「ソフィーさま……」
「大丈夫です。ソフィー様が居ない間も私や他の神官がきっちりやりますから……今まで通りになるにはちょっと時間が掛かると思うけど……」
ミラが躊躇いがちに微笑む。教会から教えられてきた聖公家の威光と、短い間ながら私と過ごした時間との間で葛藤しているみたい。聖公家のことは本当に気にしないでくれると良いのだけど。
「アンリさん。一つお聞きしたいことがあるのですが」
「何です? 面倒なことは御免ですが」
「もうっアンリさんったら」
不躾な言い草のアンリさんをミラが窘める。
「良いの。気にしてないから。それでアンリさん、ドラゴンが吐いた瘴気の件なのですが……」
「それが何か?」
「私は声を聞いたんです。瘴気から生じた魔物から。何だか苦しみ呻いているような感じで……」
「ほう」
私の言葉にアンリさんは目を細める。興味を持ったみたい。
「通常魔物がそんな声を出すなんて聞いたことがないんです。特別になる何かが瘴気にあるのか……何が起きているのかとにかく知りたいんです。何かご存知ではありませんか?」
「さて……」
アンリさんは考える素振りを見せた。
「興味深い話ではありますが……ただ、以前言った通り、ドラゴンの襲撃に関する記録は乏しい。ティグリアに行くなら、教区長のいる大聖堂に行かれてみてはどうですか? 私よりも知識のある方もいるでしょうから」
「分かりました。そうしてみます」
ティグリアで何か分かると良いのだけど。家に居る間に、もっと神学に関する本を読んでおくべきだったわ。私は内心で溜息を吐いた。
後悔しても遅い。だから今は今で出来ることをするしかない。
***
そうして数日後、私はファウロス殿下と共にマルバシアスの王都・ティグリアへ向けて出発した。手勢は最小限で、その中にはイレーナさんとダグラスさんも居て私は少しほっとした。
私とファウロス様は馬車に乗り、騎士の方々は馬でその周囲を警護しながら進む。車窓から見えるのは所々黒ずんだ、荒んだ大地。この先、緑が戻ることはあるのかと不安になる。
「ソフィー、どうした?」
物憂げな私を心配してファウロス殿下が心配そうに尋ねられた。
「いえ、何でもありません。少しぼーっとしていただけで」
漠然とした不安を口にするのは憚られ、私は首を振った。その代わり殿下に聞きたかったことを口にする。
「それで、ええと、そう。ファウロス様のお兄様はどんな御方なのですか? 勿論お名前は存じておりますけれど、お会いしたことはないので」
「ジュリアス兄上は、元々あまり体が強くないんだ。だから、外遊もほとんど行ったことがない。ただその分、読書はよくしているからソフィーとも話が会う、と思う」
ファウロス殿下の表情が柔らかくなった。お兄様のことを本当に慕っているのが見て取れる。
「ファウロス様の読書好きなのはお兄様の影響ですか?」
「どうだろうな。兄上の知識の深さ、洞察の鋭さには憧れたよ。だが正直に言えば、俺は剣を振り回す方が好きでね。本を読むようになったのは留学が決まってからなんだ」
「そうだったんですね。意外です。図書室にもよくいらしていたし」
私が眼を丸くするので、殿下は苦笑いを浮かべている。
「留学するからには、勉学もおろそかに出来ないしな。剣ばかり振っている訳にもいくまい。それに君が……」
そこまで言って、殿下が言い淀む。
「私が?」
「いや、君が読書クラブに誘ってくれたから……正直に言うと、他の連中とどう接して良いのかよく分からなかったんだ。だから、図書室に居たのはある意味逃げだったんだ。でも君が声を掛けて輪に入れてくれて……本当に感謝している」
「そんな……感謝されることなんて私は……」
別に大したことはしていないのに。私は何だかドギマギしてしまって、視線を彷徨わせる。他の話題を考えて、私はふと胸元に仕舞っている栞のことを思い出した。
「そう言えば、私、ファウロス様から頂いた栞、お守り代わりに肌身離さず持ってるんです」
「お守り代わり?」
私は頷いて懐から葉の形の栞を取り出して、殿下に見せる。彼の眼が大きく開かれた後、顔を逸らして照れたように口元に手を当てる。
「……そんなものではお守りにはなるまい」
「そんなことはありません。持っているだけで、何だか勇気が湧いてくるんです。だから、きっと今ここに居るんだと思います」
「……君はいつもそういうことをさらっと……」
「どうかしました?」
ファウロス殿下が何か呟いたようだけど、車輪が回る音に掻き消されて聞こえなかった。
「いや、何でもない。そんな何の効力も無い栞より、きちんと神官に祝福してもらった護符を贈ろう」
「いえ、私はそれで充分です。私に掛ける労力より、助けを必要としている人々への支援が先です」
「そうか……」
殿下は何だか残念そう。せっかくのご厚意を断ってしまって、悪いことをしてしまったかしら……でも、私のことより民を優先して欲しいのは事実だし。私はうーんと考え込んでしまった。
そうこうしている内に、王都へと馬車は近づいて行く。
「幸いにして王都は大した被害を受けずに済んだ。こちらにもシルフィスからの避難民が大勢居て、対応に追われている」
確かに馬車の外へ目線をやれば、街道沿いに幕屋が張られ人々が煮炊きをしている。その中を忙しく動き回る兵士や神官達の姿もあった。
「他国からも支援が来ているが、まだ全然追いついていないのが現状だ」
「そう、ですか……」
石畳の道を真っ直ぐ進み、王都を囲む城郭を越えて市街へ入った。大通りにも人が溢れ、汚れて疲れたように路傍に座り込む姿があちこちに見える。王都の方もかなり混乱していたことが見て取れた。その一方でそういった人々を励ます人々の姿もある。
殿下の方を見れば、沈痛な面持ちで外を見ている。私よりもずっと心を痛めているに違いなかった。
友人として、また一人の神官として、彼の力になりたいと強く思った。




