第1話 追放
「悪いが君とは踊れない。ソフィー、君と愛を育むことは出来ない。これ以上は耐えられない」
それは余りに突然の出来事で。私はきょとん、とした顔で目の前に立つセルジュ王子を見つめている。
ギルレーヌ国の王子セルジュ様とマルシーヌ聖公家の娘である私は生まれた時から将来結婚することが定められていた。だから、今日もこの卒業パーティーでパートナーとして踊るはずだった。この日の為にドレスも宝飾品も仕立てたのに。
それなのに、私は6年過ごした学園の卒業パーティーで突然、婚約者であるセルジュ様に婚約は続けられないと言われてしまった。しかも、何故か彼の隣には妹のポレットの姿が。
「ソフィーお姉様、お願い! 意地を張らないでっ」
妹は懇願するように明るいエレラルドグリーンの瞳を潤ませ両手を胸の前で組んで、私を見つめている。
「意地を張る? 何のこと?」
私は訳が分からず、妹と王子に尋ねた。何事か、と人々の視線が集まってきている。華やいだ雰囲気の広いホールは徐々に静まって、この成り行きを見守っていた。
「私を許せないのは分かってるわ。でもっ……!」
「何を言っているの、ポレット?」
「僕からもお願いだ。これ以上君に恥をかかかせたくない」
普段は明るく快活なセルジュ様も今は暗い顔をしていらっしゃる。
「君には済まないと思っている。だが、これ以上僕とポレットの仲を邪魔しないで欲しい」
「お姉様お願いだから、もう王妃の地位に固執するのはやめて!私達は愛し合ってるのだから」
妹の言葉に私は思わず目を見張った。
私がいつ王妃の座に執着したというの? セルジュ様との婚約は幼い頃からの決まり事なのに。
そもそも我がマルシーヌ聖公家と王家は何代かに一度は婚姻を結ぶ習わし。私とセルジュ様との婚約もその定めに従って組まれたもの。私の意思で決まったものではないのに。
しかも、セルジュ様とポレットが愛し合っている……?
その言葉で私はようやくこの事態の顛末が掴めた気がした。
つまり、二人は私の与り知らぬところで仲を深めていた、と。私を恋路を邪魔する悪役にして、悲劇の恋人として恋を成就させようとしている……?
そういうことなの?
そうすれば、妹のポレットは婚約者のいる王子を自分の姉から略奪した、という後ろ暗い事実を有耶無耶に出来る……。そんな風に考えたくないけれど……まさか、そんな。
私は抗弁しようとして口を開き掛け、ふと周囲を見ると、王子とポレットの周りには私をすっかり悪役と思って睨んでいる者や、訳知り顔で蔑むようににやにやと笑っている者達の姿が見えた。
皆すっかり二人の話を信じたの? それとも彼らは既にセルジュ王子とポレットのことを知っていたの? もしかして、知らなかったのは私だけ……?
猜疑心が私の中で鎌首をもたげてくる。
誰も彼も私に隠していたの? それもと私が気が付かなかっただけなの?
何か言おうとしても、口の中が乾いて上手く言葉が出ない。それに今ここで何を言っても見苦しい言い訳と取られてしまうようなきがした。
もっと早く言ってくれれば良かったのに。そうすればお互いこんな醜態を晒すこともなかったのに。
……こんな華やかな場で白々しい芝居じみたやり取りなんてしなくて済んだのに。
いつも、お姉様と追いかけてきた妹のポレット。私がすることを何でもやりたがって買い物もお茶会もいつも一緒に行っていた。
セルジュ様とも一緒に勉強したり、庭園で散歩しながら他愛もないことをお喋りした。その裏で二人は私を恨んでいたの?
大好きな二人。けれど二人にとっては私はそうではなかった。
二人にとって私は敵だった。その事実が切なく、鼻の奥がツンっとしてくる。
「……どうぞお幸せに。それでは、皆さまごきげんよう」
それが私の精一杯だった。この場で取り乱して落涙するのは、私の矜持が許さなかった。
その一点だけで、私は何とか優雅に礼をして全てに背を向けて歩き出した。大理石の長い廊下に私の足音だけが響いていて、寂しさがいや増す。零れる涙をハンカチで押さえながら、今し方起こったことを考えずにはいられなかった。
確かにポレットの方が明るくて愛嬌もあって可愛いわ。髪は見事な巻き毛の濃い金髪で瞳も綺麗なエメラルドグリーン。多少の我儘も許してしまう、誰からも愛される妹。厳しい両親もポレットには目尻を下げて甘やかすもの。
それに比べて私は、まるで砂のようにくすんだ色で目の色だって髪とおなじように同じような淡い黄色。ぼんやりしている印象は否めない。それに将来王族に嫁ぐのだから、と感情を表に出さないように教育されてきた所為で、堅い女だと思われがちだし。
セルジュ王子もポレットと同じく鮮やかな金髪の華やかな見た目で、とても快活にお笑いになる方。思い返しても見てもポレットと並ぶとお似合いだった。
性格もそう。セルジュ様やポレットは社交的で皆で楽しむようなパーティーや盛り上がるスポーツ観戦が好き。それに引き換え私は図書館で読書する方が好き。少数だけど図書館によく来る読書好きな友人達と本の内容を議論するのが楽しみで、私達はそれを読書クラブと自称していた。
けれど、そんな思い出も今は全部が虚しい。
私はハンカチで目元を押さえながら建物の外へ出る。
「ソフィー様!」
私を追いかけて何人かの生徒が、馬車に乗る前に話し掛けてきた。振り返ると図書室でいつも議論を重ねてきた大事な友人が数名が立っている。皆心配そうに私を見つめていた。少なくともここにいる三人は王子とポレットの仲は知らなかったみたい。
「皆……ごめんなさいね。折角のパーティーだったのに」
私は心底申し訳なく思って謝った。きっと皆楽しみにしていただろうに。こんな気まずいことになってしまって。
「そんなことっ……」
「そうですよ。どうせ僕らはああいうところは苦手だし」
「私達のことより、ソフィー様のことが心配です」
私にも気に掛けてくれる人達がいる。それだけで随分慰められて、私は少しだけ表情を緩めた。
「私のことは大丈夫。こうなってしまったからにはどうしようもないもの」
「けれどこんなの許されないと思います!」
「そうですよ。幾ら王子だからってあんな横暴な……」
「みんな……ありがとう。怒ってくれるのは嬉しいけれど、それ以上言っては駄目よ」
義憤に駆られる友人達に感謝しつつ私は首を振った。
私は果報者ね。心配してくれる友達が居るもの。それだけで先ほどまで感じていた悲しさや虚しさが和らいでいく。
「きっとファウロス様だって怒ったでしょうね」
「元気にしてるかしら……」
友人達からファウロス様の名がふと漏れる。ファウロス殿下は隣国マルバシアスの王族で留学生として学園に在籍していた。私達と同じ読書クラブのメンバーだったけれど、卒業パーティー直前に急遽留学を切り上げて帰国していた。
この大陸で一番古く格式のあるこの学園は、ギルレーヌ以外の国の王族や貴族が入学してくることも珍しくない。他国の王族や貴族にギルレーヌ式の考え方を教え込む一環でもあり、また他国の貴族とギルレーヌの貴族達との伝手を作るためでもあった。ファウロス様もその一人。
ファウロス様はセルジュ様と同じ王子だけれど、大人びていて冷静だけど内側に熱いものを持っている方明るく楽しいセルジュ様とは違い、だった。見た目も、黒髪にやや濃い色の肌でミステリアスな雰囲気があって。
別れの日、図書館でファウロス様から栞を頂いたわ。もうここで自分は本を読むことは出来ないから、と。金属製で葉の形が透かし彫りで作られていた。私はそれを胸に忍ばせて会場に持って来ていた。本人は出られないけれど、せめて彼の代わりに卒業パーティーに連れて行きたかったから。
こんなことになって本当に申し訳ないわ。国がドラゴンに荒らされて大変なことになっていると聞いてるけれど、大丈夫かしら……。
私が一瞬物思いに沈んでいると、建物の方から楽の音が流れてくるのが聞こえてきた。今頃セルジュ王子とポレットは夢見心地で踊っていることだろう。
「……名残惜しいけれどそろそろ行かなきゃ。皆も元気で。また会えると嬉しいわ」
切なくなる気持ちを抑え、私は馬車に乗り込んだ。
「ソフィー様も」
「お元気で」
「絶対また読書クラブで集まりましょう」
読書クラブの面々に見送られて私は学園を後にした。
石畳を行く車輪の僅かな揺れを感じながら、私はこれからのことを考える。学園から離れて少し冷静になってみれば、そもそもこの婚約破棄は成立するのか、という疑問が湧いてきた。
もし、王子とポレットが勝手に言い出したことなら陛下にもお父様にも承認を得ていないことになる。古くからの習わしを二人の我儘で簡単に覆せるとは思えないわ。
そもそもそんな習わしが始まったのは、我が家が聖女の血脈だから。
かつて魔物が跋扈するこの地に、”聖女”が現れた。たちどころに魔を払い、人々と大地を癒した。そのことに深く感謝した当時の国王が、彼の甥っ子と聖女を添い遂げさせたのが、マルシーヌ聖公家の始まり。それ以降、何代かに一度は王族と婚姻を結ぶことが慣例となった。
……穿った見方をするなら、聖女を恐れた国王が、王位継承順位の低い甥と結婚させることによって、その影響力を取り込んだと言えるわ。聖女の方も王族の庇護があれば活動し易かったかもしれない。
そしてどちらの企みも成功した。聖女の力を取り込んだギルレーヌ王家は大陸諸国の中で一番力を付けた。マルシーヌ聖公家の方も精霊信仰の諸派を纏め、神官達の頂点に立った。
こうして王家は世俗の面で、マルシーヌ家は信仰の面で、この国と大陸を支配してきた。
その枠組みを危うくしかねないこの唐突な婚約破棄の宣言はそもそも成立するのかしら?
……最悪、私はお飾りの王妃になりポレットは王子の”秘密の恋人”ということに……?
そこまで考えて私は寒気がした。そんな虚しい人生はない。けれど、この騒動を一体どうやって収めるつもりなのか。私には想像も付かないけれど、大問題になるのは明白だと思う。
私も、王子も、ポレットも一体どうなるの? もう何も考えたくなくて、私は瞼を閉じてソファに身を預けた。
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