第6章 救いたいと言われても<8>
ちょっとまずった、とさすがの栞里も思った。
目指す場所まで、あと少しだ。林の向こうに洋館を模した研究施設の頭が見える。
急ぐあまり気持ちは逸る。特に天風などは、今すぐでも駆けだしたい。
けれども焦燥を押し留めるだけの状況が前方に展開していた。
巨大な狼にも似た野獣系猛獣がいる。ジェヴォーダンだ。ただでさえ厄介なうえ、五匹もいた。
「なんで、群れているね。つがいでせいぜい二匹、それ以上の集団行動しないって聞いているね」
茂みの影から指差すロスストに、胡奕は沈着に答えた。
「ラーデは魍獣もまた実験素材とします。この頃のおかしな凶暴性は連中の仕業と見てほぼ間違いないと思われます」
「もしかして操ることに成功していたりもします?」
物憂げに訊いてくる天風に、察するところがあるのだろう。三毛猫ニンを腕にする愛莉紗は口許を固く結び、胡奕は返答前に嘆息を一つ吐いた。
「ある意味、あのジェヴォーダンも被害者と言えるかもしれません。ただしもう二度と元へ戻ることはないですから、処分しかありません」
「けどよ、あれだけの数相手じゃ、いくら俺たちでもまずくねーか」
イーニスの指摘に、栞里が気まずそうな顔をした。渡された新型弾を無作為に消費した反省がようやく生まれたようである。
草木の間から見える立ち塞がる魍獣たちに、胡奕は淡々とある決意を口にする。
「我々の役目は咸固乃チーフの敵施設侵入をサポートすることにあります」
「まさか僕たちのために囮になろうとしています?」
声が低くなる天風だ。一方、胡奕の口調は相も変わらずだ。
「チーフは急ぐべきです。ラーデの連中は前方に展開するジェヴォーダンから見て取れる通り、意識の操作を主とした研究を積極的に推し進めているようです。彼らのことです。格好の人間を得れば、必ず同じような処置を試みるでしょう」
間違いないとする話しだ。希愛が犠牲とされるなんて、耐えられない。急がなければならない。
だからこそだった。ごめん、メリさん、と天風は謝ってから第七分隊メンバー四人を見渡す。
「これから僕が二匹は倒します。残りの三匹は大変でしょうが、お願いします」
「それでは咸固乃チーフが戦う術が失うだけではない、下手すれば腕や脚を失った状態で研究施設へ向かうことになる。それは無茶だ」
珍しく胡奕が声を荒げている。
静かに天風は首を横へ小さく、けれども鋭く振った。
「五匹相手では確実に第七分隊は全滅です。三匹相手だって、無事に済むかどうか怪しい。けれども僕が出来る精一杯は二匹まで倒せることです。その後はお願いします、といったけっこう酷い話しなんです、これは」
そうかもしれませんが……、とためらう胡奕の姿は他の第七分隊メンバーの気持ちでもある。
解るからこそだ。いきます、と天風は潜んでいた草むらから出た。
上空から、何やら音がする。空転するタイヤとアクセルが踏み込まれたエンジンが立てる響きだ。
天風の目前へ、派手に着地した。
幌なしのジープは特務隊仕様だ。現に乗っている者は同じ戦闘用スーツを身につけている。スーツに走るラインはグリーンで第七分隊の色だ。けれども天風だけではなく他のメンバーも不審げな目つきを送るだけだ。
唯一、栞里だけが面白くないといった調子で張り上げた。
「なにしに来たのよ、煕海。天風さまが危ないじゃない」
「バカヤロー、オレが天風さまを危険にさらすわけねーだろ。むしろここまで来てやったことを、感謝しな」
やたら口の悪い戦闘員は、栞里と既知の関係にあるらしい。長い髪の頬に当たるサイド部分だけ短く切り揃えている、いわゆる姫カットにした女性だった。髪の幾筋かスーツラインと同色である緑色で染めている。目元の下に星印のシールを貼付していれば、あまり真っ当な人物には見えない。
あなたは、と胡奕は記憶があるページへ辿り着いたらしい。知っている方ですか? と天風が尋ねれば返ってきた。
「八田煕海。詩加波戦闘員の同類とする、北の凶獣の一人です。後先考えず規則なんかお構いなしに暴れ回ってみせる……最悪です」
今まで見たことがない胡奕の深刻な様子であれば、天風として何をどう返すべきか考え込んでしまう。
そこそこ、と煕海が立てた中指で発言者を指す。
「失礼なヤツだな。言っとくけど、ちゃんと頼み事を果たすために来たんだぜ」
「任務ではないのですか?」
失礼なヤツとされた胡奕の確認に、北の凶獣の一人とされる煕海が肉食獣の笑いをもって答えた。
「武装プロテーゼ開発の協力会社である光亀重工業さんから新規の補助具ができたから試して欲しいんだと。だからまぁこれは正式な特務隊の行動かどうかは微妙なところだな」
「なるほど。まだ正規な手続き前であればこそ、八田戦闘員の御出動というわけですか」
「そうそう。特務隊のものを無断で持ち出すなんて、お得意とするもんだぜ」
自慢すべきではない内容で煕海が胸を張ってくる。
これには誰もが呆れるなか、天風だけが真面目な顔を向けた。
「周囲に忖度している場合じゃないと行動へ移るなんて、なかなか出来るものではありません。僕は凄いと思います」
突如だった。
煕海へ目を向けていた者全てが、なんだなんだ? となった。いきなり両手で顔を覆って泣き出す。おいおいと涙が止まらない調子の声で言ってくる。
「嬉しい、嬉しいぜ。こんなメチャクチャなオレを認めてくれるなんて……しかもそれが天風さまだなんて……」
どうやらかなり感激しているらしい。
ここまでがんばってきたのですね、と一緒になって感動している天風だ。
もちろん他の者たちは距離を置いた態度を取っている。
滅茶苦茶って自覚はあるのね、と愛莉紗など独り言を洩らしていた。
栞里に至っては、かなり冷たくだ。
「ちょっとー、煕海ぃー。頼まれたことがあるんなら、さっさと切り出しなさいよ」
「うっせなー。せっかく天風さまとお話しできているのに、ジャマすんな」
「そう言うけど、煕海のせいで、ほら。気づかれちゃったじゃない」
ジェヴォーダンと呼ばれる野獣系魍獣たちにすっかり囲まれていた。




